私たちはいろんなことを相談し、知恵を出しあったりして生きています。
でも、言えないこともあります。あの人に話しても、この人は知らない。その二人に、どうしたらいいかってアドバイスをもとめたとします。返ってくる言葉は当然ちがうでしょう。わらにもすがる気持ちの場合は常識は通用しません。辛くって、色んな人に訴えます。すがられた人は自分の体験内でしか答えてあげられません。たとえ、自分の想像を絶するようなことを相談されても。
だから、究極のところでは自分で決めるしかないのです。選ぶしかないのです。その結果、悪くすすめばまた後悔し わたしの経験では思い通りになったことは少ない気がします。
そして、ほっとしたのもつかの間、またシュクシュク辛い悲しくなって 生きていくのって、そんなことだろうと思うのです。
つらつら考えたこと
同人誌でもそうでしたが、自分が書きたいものと評価うけるものが、どうしても交差しなかった 筆力、ありふれた言葉を使ってしまうなどなど、ちから不足は百も承知なんだけど、どうしても書きたい。それは、わたしの心の叫び ね、聞いて聞いてと見栄も何もかなぐりすてて、の心の叫びだった。
何十年 生きてて、近頃 どうやら自分を飾らない文章を綴れるように、ちょこっとなったかも
そして、神様がわたしをまだお呼びじゃないのは書きたいと未練がましく引きずってるからでしょうか どうやら、わたしはボケるまで書いてるタイプらしい。ボツになってもボツになっても わたしの筆はとまらない
こうして曲がりなりにも生きてられるのは、下手なりに文章が作成できるからでしよう。同人誌の集まりを検索できるからでもあります。
思い出すのも辛いことを もちろんフィクションに仕上げるようにしていますが 応募するところを探し 結果待ちするのも 生きる糧になっているのでしょう、。
でも、近頃の電子図書 年寄りにはきつい傾向です。 世の中、便利になっていくのもねぇ トホホホ わたしゃ、紙のがいいよ
クスリも飲んでるのに、どうして好転しないんだろう わたしの気持ち、どんどんすり鉢底へ アリ地獄でもがいてる気分です。
こうして、ヘルプ ミーと訴えるのもかったるい 二か月、こんな状態続いてるかなぁ ああ、憂鬱で憂鬱で きょうの空もあたしに付き合ってくれたのよね。ありがとね
それでいて、孤独感がものすごい きょうも独り、お部屋で喋っています。
わたし、頭もおかしくなったのかなぁ どうせなら、認知症になりたい、どんどん、記憶が欠落してくるらしいから
誰とも話したくない されど、誰かとつながっていたい
この矛盾 ほんとに今回はまいったぁ
…と言いながら、書くのがやめられないのです。
わたしも一生懸命頑張ってますから、どちらさまも今少し見守っていてくださいませ
新春 おめでとうございます
今年はわたしの年 ひつじです。
あっと驚くような 善いことめざしてがんばります\(^o^)/