敬老の日って 幾つから祝ってもらえるのですか
直ぐ答えられない方もいらっしゃるのではないでしょうか わたしも答えられません 祝ってあげる人もいませんし、わたしも七十四歳になりました これは飽くまでも わたし個人の考えでして
マスコミに踊らされているようでなりません フカフカ座布団をあげて 喜んでもらえたら それも又善し
みなさんに労わられて わたしも幸せな気分になると思います わたし達が遣ってあげるから 何でも言ってねと言われれば感謝感激
親孝行もしなかったわたしです そんな資格ないと尻込みしたくなります 我が儘一杯(そう言われて育ちました)で大きくなった者としては 自然と縮こまってしまいます
もし、わたしが祝っていただく当事者なら、こんな気持ちになるでしょう 音をあげて わたしが頼んだら どうか助けてください でも、歳だから周りに迷惑かけないよう 私たちのアドバイスを 万一の場合に考慮してのことでしょうが 強要しないでください 歳を聞いて 心配そうな顔をしないでください 不可抗力なのは承知してますけど 死ぬまで自力で過ごしたい 労われれば労われるほど、わたしは自分が惨めになります
うっかり記憶が飛んでと言いかけたら 表情が険しくなるのを見て 絶対
気弱になったところを見せまいと構えます 加齢に関わらず 人間はみんなとおんなじに接して欲しい
ボケても 誤魔化さないで非があれば指摘して欲しいのです 尤も 年寄りだから労わってほしいと望む人もいるでしょう 敬老の日より、高齢者が何を思い遣ろうとしているのか また遣ってほしいのか それを議論するのが先だとかんがえるのです
わたしが子供のころ 年よりは地味な衣服しか着られず 鮮やかな色合いの服をきていたら色気違いと罵られました そして 寺詣でに勤しんでいた祖母を思い出します
その点 今は自由になって自分の義務から外れないかぎり 人間の数だけ人生がある いい時代になったと思います 人の道から外れないかぎり
非難もされないけど 人の道とはなんでしょうか
定義が昔と微妙に違ってきているようなきがします 殺人とかは言語道断ですけど