戦後まもない頃、ご先祖さま大事で血筋を絶えさせないのが何よりも優先しました。そして、嫡男でなければ家督を継げなかったそうです。
本家の寡婦になった祖母は、それが自分に課せられた務めと受け止め、そのためには考え付くことはなんでもしたようです。実の娘を分家の養女にし婿をとらせる。亡夫が残した借金を肩代わりにしてもらう代わりに実の兄の娘を嫁にもらうなどなど。
わたしが幼いころ家は光熱費も滞納したとかで、貧しかったです。それだけに、両親はわたし達姉弟にカネの苦労をかけるのを極力さけてきました。その結果、わたしは我がままに育ち、弟は一生働かないで終わるでしょう。つまり、両親は子供たちに自分と同じ苦労をさせたくない一心で甘やかして育ててしまったと言われました。誰でも幾つになっても、わが子がいちばん可愛い。誰でも分かる、そんな愛情なのに...それがあらぬ方向に向かってしまった。こんなに大切に思っているのに、どうして分かってくれないの。そんな台詞になるのが遣り切れない。わたしも母親、親の気持ちは分かるのですが、どうしても譲れないところもあるのか゛辛く悲しい。
わたしが親に遣ってあげるのは偽善?と言われても仕方ないと、自分では思っています。だって、何かあった場合頼るのはわたししかいないんですもの。仮にもそだててもらった親ですから、むかしおカネに困ったとき助けてもらったのも親ですし。
そんな親に悲しい気持ちにさせたのも事実。だから、晩年になって自分がこんな目に遭うのも罰をうけてしまった。そう、わたしは考えています。
それにしても、祖母は強かった!次男を戦死させ、末娘は事故死した。どちらの場合も、祖母は独りで応対し、人前では決して泣かなかったそうである。
それに比べて、わたしは娘のとき半狂乱になり、今また、子供のことでパニックになっててしまう。子供の精神のまま、子供を生んでしまった。一番かわいそうなのは、こんな母親をもった子供たちだ。それを伝え聞くたび、わたしは辛くて自分を消したくなってしまう。
時代が変化して行き、今のあそこは過疎地。分家とか本家などといっても、それぞれ独立した意味を帯び、みんなバラバラに引っ越していったらしい。
現在におこる様々な出来事を見聞きするにつれて何とも複雑な気持ちになってしまう。その中に、命の何たるかをもって考えてほしいのもある。わたはを含めて、現在人は安易に命を投げ出そうという傾向かあるのじゃないかしら?
とてつもない大きな円錐形の底て゛、わたしは両膝をかかえて蹲っている。
見上げたら、息を呑むほど明るかった。そこから目をそらし、わたしは重苦しい暗さへ心身を沈めていく。おの世にいる貴女もそうなの? 貴女の呼び方で、彼をあの男&&&& がカネがない。家賃の滞納などなど、何度もわたしに言われても答え様がない。だって、緊急先の名前をお互いに使いあっているだけだもの。保証人の当てがない者同士、住まいを借りるのにそれしか無かった。
病気で働けない彼、一週間以上もまえに生活保護の申請すませているのに、未だにケースワーカーは決まらないのかしら? ひとり、悶々しているのを想像すると、わたしの胸が痛む。あの子のこれからのことを考え選択したこの方法、間違っていたんじゃないかとドキドキし、今もデバスを飲んでしまった。けれど、ちっとも気持ちが落ち着かない。
このところ、わたしから電話しない。向こうからも以前みたいに救急車騒ぎをおこさない。
これからのことを考えて別世帯にし、別々に遣ってきたのに、娘が亡くなったからといって一緒に暮そうとしても互いの感情がこんがるだけ。ぎくしゃくして、無用の気遣いをするのには必ず無理がくる。
だから、わたしは何もしないし、あの子を養うカネもあるわけでなし。一体、生活保護とかケースワーカーってなに? 区役所や保健所の相談員に聞いても、なんか奥歯にものの挟まった印象をうける。立場上、仕方ないんだろうけど藁にも縋りたい思いのわたしって他人に甘えているのかしら。そして、それはワタシだけなんだろうか?
この世はくるしい。わたしに勇気があれば娘のところへ行けるのに。怖くて出来ないのが悲しい。
出来のわるい子ほどかわいいと言うけど、彼のことが心配なのもそうなのかしら。
立派なお子さん達をもつアナタには、到底分からないと思う。だから、あのとき、みんなのいる前で、あんな言葉を延々と浴びせられたのよ。自分でも一番後悔し、自分を今でもせめているだけに、言われるのが当然と承知していても、わたしは許せない。
そんな自分を一刻もはやく消してしまいたい。不可能だと承知しつつ、事故にでも遭って楽なく気持ちになれいかなぁ。みもっと、言うなら....ああ、ヤメタ。何て不謹慎なと自分でも眉をしかめてしまうから。
円錐形の彼女、わたしって精神がおかしくなってしまったみたい。はっきりさせたきて、きのうはあちことに電話をかけまくっちゃったぁ。相手になってくれた方々に、心からお詫びいたします。
だいぶ前のことですが、ドキュメント風に刑務所内を撮影していました。そこには、知的障害者と精神障害者を別棟に分けているとはなしていたと思います。そしと、作業場も作業内容もそれぞれに適したものを工夫しているとか
それだけの内容でしたけど、わたしはいろいろ考えてしまいました。
職業柄、自分は知的障害者と接してきたときもありました。時には手をあげたりすることがありましたけど、何と屈託がないと感心させられたときが多かったような気がします。一方の精神障害者は健常者と紙一重で、とかく刑事事件のようなのを起こし勝ちと、世間から見られていると感じるのはワタシだけでしょうか?
親鸞でしたっけ? 根っからの悪人はいないと言っていたのは どちらも心の病気で、ただ精神障害者と言われる人は自分に少しばかり甘いのではないでしょうか。どちらも、わたしと同じ人間なのだということだけは忘れたくないものです。中には凶暴な獣のように見る人もいましたけど、聞いていてワタシは不愉快でした。時には被害者がでる場合もありますけど、そんなとき堪らない気持ちになります。だって、被害者側と加害者側のどちらもいいことなど無いではありませんか。憎しみだけでは何も生まれないと言いますけど、憎んでしまうのも避けようがないのです。大事な人を奪われたら、誰たって奪った者を恨み憎むでしょう。いくら時間が経っても、恨み憎しみが消えないことだってワタシはあると思います。
他にもいろんなことを考えさせられました。みんな同じ人間と言い切れて平等に付き合える人を羨ましく思います。併せて、わたしは両者の母親の目で見てしまっていたのを付け加えます。 室内から見た雪景色
わたしって、何時もおどおどしているような気がする。とくに、夜のTELがこわい。あのりーんという呼び出し音 電話に出ないうちに切れてしまったときなんか~~~~
何かあったんじゃないかって、悪い方へ悪い方へと気持ちが向いていく。同時に、あの時みたいなことでも起こったんじゃないかと不安でパニックになりそう
でも、こちらから電話しない。何故なら、どうせ向こうが出ないから。相手が寝ているかもしれないと自分に言い聞かせつつ、気になってしかたない。それでデバス錠を急いで飲み下す。それからフトンに潜り込んでも、なかなか利いてくれない。わたしは電話のそばにデバス錠をいつも置いておく。そして、ヤバイと思ったら受話器を取り上げながら急いで一粒のみくだす。やっぱり、常備薬?があると気持ち的にも落ち着くように思う。
昼間、独りでいるといろいろ考える。何もかも自分でやらなければならない。誰も助けてくれない。いえ、わたしはその資格のない人間 目障りにならないよう、穴の中にでもはいっていた方がいい。そして、独りヒステリーをおこしている。何で、みぃんなワタシばかり頼るのよって。愚痴をこぼす相手もいず、不安定な気持ちを自分で何とかしなければならない。いや、出来ないからじっと耐えているだけ。ああ、イヤだイヤだと心でぼやきながら
こんな気分になるのは、何時までも続く鬱陶しいお天気も影響しているのかなぁ。そして、今日も雨だった。
おっと、薬が無くなっていたんだっけ。明日の予約、いれておいてよかったぁ。あした、クリニックへ行って来ようっと。
人恋しいけど、面と向かって喋るのはかったるい。さびしいけど、人に会うのはかったるい。わたしって、どうして煮え切らないんだろう? それは、優柔不断とも言うんじゃないの。かって、ほんとに優柔不断ねぇって非難したことがあるけど、今度はそのワタシがあれこれ決められず悩んでいる。世の中って皮肉なものです。