生まれ故郷を出て、幾世相 いまは帰るというより行くって感じになりました。
そして、五、六年まえ年老いて父親をこちらの施設に入れようと、わたしは出かけていきました。一歩駅舎から出て、わたしは途方にくれました。右も左もわからず、いま浦島の気分でした。
まだらボケみたいな父でした。今お世話になっているところから、こちらへ移すといった相談を施設の責任者としました。同時に、わたしはこちらの福祉課の担当者と受け入れてくれる所をさがしていました。こちらなら、何かあったとき駆けつけられるから
ところが、あの事件でわたしの方が自分のことで精いっぱい 考えてみたら、五年以上あちらへ行っていないのではないでしょうか。
一方、精神のダメージを受けている息子と一年ちかく音沙汰なしでして、わたしの心は揺らぐ一方。四十すぎの息子を心配して一人でアワアワしている自分が、ああなさけない
生活保護をうけているから、ケースワーカーも気を配ってくれているはず。そして、これまでみたいに母親からカネをせびられるのも親子共倒れになりかねない。これまでの経験からして、こちらから電話すれば、あの子に変な期待を抱かせかねず こちらへ連絡しようと思えば出来るのだし、わたしから電話しないと決めている。
ああ、けさの夢見が悪かった。いや、よく覚えていないけど気になる。わたしって、いっつもこうなんだからぁ。また、クリニックで吐き出して来ようっと 先生、何時もいつもスミマセン
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