多聞月記

シルクドゥソレイユのドラリオンをきっかけに中国雑技、サーカス好きになったおっちゃんの月記

クーザ千秋楽まで一週間

2012-03-25 23:56:36 | Weblog
なのに気持ちが全然クーザ見たいな~ってならない私.

クーザとコルテオ
この作品には私の中で一つの共通点がありました.
“第一印象が悪かった”

コルテオはなんか終わった時に
で?次の演目は?
みたいな感覚で
カテコになって「あっ終わりだったんだ」って思ったんですよね.
クーザは
で???だからなに?
と思った.

だけどコルテオはこの後から見れば見るほど変わったんです.
コルテオを見ているといろんなことを考えるんです.
演目もいい演目がそろってるんだけどそれだけじゃない
コルテオというショーそのものから感じるものがたくさんでした.
ある時は友を思ったり,ある時は自分自身のことを考えたり.
見るたび見るたびでいろんな感覚があって
何度も見てて
そうかむたびに味が変わるガムみたいな感じ.

だから第一印象は悪かったとはいえクーザにも期待してました.
してたんですけどね・・・
私はクーザを構成している演目一つ一つが悪いって思ったことないです.
どれも素晴らしいアクト.
だけどクーザそのものがダメ.
正直各演目がもったいないな~とも思ってしまいます.

乱暴な書き方をしちゃうとクーザって
『引きこもり少年の心の中に起きたちょっとした変化』
みたいなもんだと思うんです.
誰が興味あんねん・・・
ショーの後の感想は「あっそう・・・」
ちゃんと書くと寂しさとかはあるんです.
そりゃ一つ一つの演目はいいから終わる時は寂しいですよ.
でもそうじゃないんです.
そうじゃない何かを私は感じたいんです.

ずっと感じてた違和感が確信に変わったのがある日の昼公演の後でした.
WODがなかったんですよね.私はそれを見ていなかったんですが
出てくるお客さんがわざわざ,これから見に行こうとしているお客さんに対して
怒りながら「これないで!」って入り口にあったWODの写真を指しながら言ってたんです.
それを『コンディションとか機械とかいろいろあるんだから仕方がない』
と言ってしまうこともできます.
ただでさえ演目は万全の状態で演じられるべきです.
でもなんかそうじゃない気持ちが私の中にあるのに気がつきました.
WODって演目でいうと後半の最初なんです.
つまりその後,物語として盛り上がってばっちり終わったら
全然そっから挽回できるはずで,そういう文句には繋がらないはずなんです.

それをフジの宣伝のせいだと言う人もいるでしょう.
それは正しいと思うんですが,じゃあこのクーザを他にどう宣伝しろというのだ
って考えると結局クーザがもつ致命的欠点なんだと思いました.

私はショーそのものだけじゃなく,終わった後のまわりの感想とかに耳を傾けたり
するのも好きなんですが,クーザではWODとダブルハイワイヤーとかの
演目の話だけ.
もちろんドラリオンやコルテオも多いのはそういう話なんですけどね.
でもそれだけじゃないんです.
特徴的なのでいうとZED.
ZEDは物語というかラストの盛り上がりでやられている感想が多いんです.
一昨年,すぐ近くにいたカップルが特に印象的でした.
彼女の方が感動してしばらく立てないでいたんです.
私はこれこそがただのサーカスではない部分だと思ってます.
アクロバットが素晴らしい
それだけじゃない何かを得る.

原点回帰・・・
原点は何かっていうのはそれはギーさんが考えるイメージが正しいのでしょうから
クーザがそれなんでしょう.
ただ私の中では原点に戻った結果それはシルクのショーというより“サーカス”でした.
サーカスと思えば素晴らしいです.
でも高いです.
会場のアンケート.
初めてそこに高いって何度も書きました.

私は好きなもんや素晴らしいと思ってるものはそう書きます.
嫌いだって人が多数であったとしても.
と同時につまらんと思うもんについてもそう書きます.
シルクのショーだって例外ではないです.

はっきりと言い切ります.
つまらないんです.

クーザを・・・23回見たんかな.
そして大阪を出,名古屋⇒福岡
離れた後,いろいろ考えてました.
見るなら日本で見るのがいいですからね.
でも見たいって結論にはならなかったです.

クーザでは私はこれまでになくいろいろ絡みながら楽しみました.
昔のレポにも『積極的に絡むと楽しい』って書いたと思います.
それは本当.
でもつまり,見てるだけじゃ楽しくないってことだったんです.
常に楽しもうとする私の性格がこれまでにない
『こうやって絡んだれ~』
って気持ちにさせたんだと思います.
そこで得た思い出は今でも大切な思い出で感謝もしてます.
でもそれは本来,ショーで得たかったものではないです.

もっといろんなものを感じ,いろんなことを考えたかった.

だから・・・
私はこれまでにない判断をしました.
こんなことこれまでだと考えられなかったです.
でも,最終公演ならやはり震災後に帰ってきてパフォーマンスしてくれたことなど
日本公演への感謝とか素直に喝采がおくれますが
そうじゃない公演は無理です.
そりゃ見ればそれなりに楽しむと思います.
私のことだから.
でもやはり素直にクーザが好きだって人にこそ喝采を贈って欲しいって思いました.
それは私じゃない.

そう今日決心しました.

私の中で拍手・喝采ってのはすごく意味があることなんです.
だから私は最前列でも基本的にハイタッチはしなくて
拍手・喝采を送ります.気持ちを込めて.
気持ちを込められないならやはり私はそこにいるべきではないです.
コメント (2)
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