田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

負けいくさ

2011-05-22 06:55:16 | 日記
除草剤
まかずにひとり
草むしる
化学兵器は
ひきょうなり

庭の草取りをしながら考えた。雑草軍団も必死になって生き残ろうと戦っている。対戦する人間も素手で立ち向かうべきである。薬品や機械を使うのは、歩兵に対して戦車や化学兵器を使用するようなもの。実にアンフェアーである。一本一本抜き取るのが敵に対する誠意であると。多勢に無勢。敵は百万ありとてもである。それにしてもこの強靭な生命力。名前も知らず雑草のひとことで切り捨てるのは忍びない。人の役に立たない植物は全て雑草の仲間である。人間の社会にも似たような扱いをされる人々がいるようだ。役に立つ人は健常者と呼ばれ、そうでない者は障害者として隔離してしまう制度が国によって確立されてしまっている。養護学校の名のもとに、精神的に肉体的に普通の生活が困難な者たちを公立の学校から隔離してしまう。

バリアフリー
設けず国は
隔離する
たてまえ論は
彼ら守るため

昔の日本は弱者も隔離されることなく普通に社会生活を送っていたのではないだろうか。そしてコミュニティーの中で弱者をかばってゆく社会が存在していたのだろう。スーパーに並ぶ野菜が不気味なくらい色や形が揃っているのは、JAが農産物の等級を選別し管理するようになってからだろうか。形の悪い野菜は農家で消費されるか破棄されてしまう。味も栄養価も全く同じ野菜なのに全く理不尽である。健常者と障害者の区別も似たようなものである。姿かたちはたとえ違ったとしても人間としての中身は同じなのに。これも日本社会を管理する霞が関官僚たちの陰謀のようなものである。彼らエリートたちにとっては、障害者は不ぞろいの野菜同様に価値の無い者と映るのであろう。全ての官僚たちがそう思っている訳ではないだろうが、エリート意識の強い彼らの大半は間違いなく弱者は排除すべきと考えているに違いない。さすが競争社会を生き抜いたエリート集団である。

やさしさは
ひつようないと
エリート言い

悲しいよ
こんな日本に
誰がした