田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

Another SUNDAY

2012-02-19 14:34:25 | 日記
日曜日だというのに今日もまた、いつも通りに早朝出勤。昨夜やり残した見積書を完成させて月曜日には提出しなければならない。工事部は相変わらず休日出勤で現場2ヶ所が動いている。合材プラントも工事部も働いているのに営業部だけがのんびりと休日を楽しむわけにもいかず残った仕事を片付ける為に出勤した。家族サービスなど、どこ吹く風で誠心誠意もっぱら会社の為に奉仕する。とう言うのが本音ではなく、休日出勤している同僚に申し訳ないという懺悔の気持ちがこういう行動をとらせた。見積もりにしても月曜日の午前中でも間に合わないことはないのだから。
先月ふと訪問先の近くの本屋に立ち寄った際に衝動買いしてしまった本が、机の引き出しにしまったままになっていたのを思い出した。タイトルは「不機嫌な職場」とあり、なぜ社員同士で協力できないのかをテーマとした講談社現代新書中の一冊である。以前から職場内で同様の現象をなんとかしたいと考えていた自分にとって、まさにぴたりと当てはまる本であった。以前から欧米式の成果至上主義は日本の会社風土になじまないとは思っていたが、それが立証された気がする。富士通が欧米式の評価制度で失敗して多くの退職者を出し、社員のやる気を削ぎ、会社の業績が落ち込んで大失敗したという暴露本を読んだときにも感じたのだが、欧米諸国のビジネスを日本に持ち込んで失敗する例は多々ある。勤務先のような零細企業においても勘違いをする経営者や役員は例外ではない。成功報酬を餌にぶら下げれば猪突猛進、競馬場の競走馬のごとく働きだすと思ってしまうようである。とくに時代錯誤の烈しい建設業界にあっては、それが著しい。家畜のように鞭を打てば何とかなると考えているようだ。飴と鞭ならぬ、ムチと無恥で叱咤、叱咤の連続技である。社員をけなすことはあっても褒めることは全くない。子育てにおいても叱ってばかりでは、子供は素直に育たない。しつけの厳しい親のもとで非行に走る少年が珍しくないことは常識である。おそらく自分自身の成長過程において、ほめられた経験がすくないか全くなかったのであろう。ほめられたことのない者は、その喜びを知らない。常に馬鹿だ、
アホだと罵られて成長した者は、かなしいか事に同じ行為を繰り返してしまうのであろう。自分たちは、そうされながらも反骨精神で頑張ってきた。馬鹿にした連中を見返してやろうと努力して現在の会社を作り上げたという自負があるのかもしれない。いくら頑張っても正当な評価はされない、毎日が叱られるだけの生活では社員のやる気も失せるというものである。10回に1回でも褒めてやれば、社員も頑張れるのではないか。経営者がそれに気がつかないのであれば、中間管理職の立場にいる自分が正当な評価をして、大きな声を出すべきであると思いを強く持った。
「社員を認めることは、何も高い評価をつけることや、それに応じて報酬を加算したり、昇格させることではない。みんなに注目されたり、ほめられる。一緒に喜びを分かち合える。その方がずっと自分という存在に自信が持てるようになり、前向きな気持ちがもてるようになる。」という一節には特に共感した。それが、残念ながら自分の職場に欠けている。褒められない、注目されない、でも酷使される日々。なるほど、入社して3年余りで退職者が続出するのも無理ないか。