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ラオスの小さい村に小学校を建てる(2015年) その1

2020-07-04 21:23:32 | 社会貢献
ラオスの貧しい村(ラオス国そのものが貧しいので、貧しい村というのは当たらない
かもしれません)に小学校を建てました。
友人達に年賀状でちょっとそのことを知らせたら、その話を少し詳しく知りたいといわれたので、数回に分けて顛末を公開したいと思います。

Before
ラオス サラワン県コンセドン郡ノンコーソン村の小学校です。


視察に訪れた時文房具などをプレゼント
子供たちはとても喜んでくれました。

バラックのような建物ですが勉強の意欲はとても旺盛です。
屋根はトタン葺きで雨季には雨音で先生の話が聞こえません。
床は土間で、これも雨季には水につかります。

After
村人みんなが地盛りを手伝い、その上に校舎が建ち、雨季にも水に浸かることはなくなりました。

1年後新校舎の開校式に参加した時に撮った画像です。
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ラオスの小さい村に小学校を建てる(2015年) その2 なぜその気になったのか

2020-07-04 21:23:14 | 社会貢献
もう70年以上も前のことになります。
1948年(昭和23年)6月28日午後5時過ぎ(サマータイム)福井大地震発生
福井市の被災状態 火災発生にて悲惨な有様です。ひしゃげたビルは百貨店

福井市で8割の家屋が倒壊 さらに火災発生
わが町丸岡では倒壊を免れたのは2軒のみと聞きました。

九頭竜川にかかる橋はすべて落ちてしまいました。

わが町のシンボル丸岡城も全壊 石の鯱も完全に落下している。
私と弟は家の下敷きとなりましたが、かろうじて倒壊した柱や家具の隙間に位置し勤め先から、倒壊した家々の屋根を乗り越えて帰ってきた父に掘り出されて助かりました。火災も発生し1晩中町は燃えていましたが、風の向きが我が家とは反対方向
だったこともあり、二人とも助かったのです。その後小学校高学年になり、人の命を考えられるようになってくると、助かった命、天が与えてくださったのだ。
世のため人のためになることをしなければならないと純粋に思うようになりました。
そんな思いを実現するために、貧しい国のキラキラ瞳の輝いている子供たちに小学
校校舎をプレゼントすることにしたのです。(それほど単純ではないのですが)

以下福井大地震のまとめのコピー
昭和23年6月28日午後4時13分(当時サマータイムで午後5時13分)、福井平野を震
源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。地震動は強烈で、震源近傍では住
家の全壊率100%の集落が多数出現し、3年前の福井空襲から復興途上にあった福
井市でも全壊率は80%を超えるほどで、内陸で発生し都市を直撃した強い活断層
地震である。内陸の地震は多いが、福井地震は被害が集中的に発生する都市直下
型地震で、住家の全壊34,000棟を超えた。地震の直後から火災が多発し、福井市で
の2,407棟を含む4,100棟以上が焼失し、被害を拡大させた。人的被害では死者
3,769人に及び、震度7(激震)を創設するきっかけとなった強い地震動は、鉄道、道
路、河川堤防、橋梁、水道等の土木施設にも多大な被害が発生し、被災地の中央を
東西に流下する九頭竜川では全ての橋梁が被災し、被災地への支援は北部を石川
県側から、福井市を含む南部を県中南部と滋賀県側から救援する事態であった。
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ラオスの小さい村に小学校を建てる(2014年) その3 

2020-07-04 21:22:42 | 社会貢献
学校建設に関する最初のドネーション
女子教員養成学校の炊事棟

このころ弟は認定NPO法人AEFA(アジア教育友好協会)の理事長となっていた。母親(両親は教員でした)が亡くなってから年も過ぎ
「世のため人のためになるような人間になれ」といつも言っていた母親の名前で教育に役立つようなドネーションを一緒にしないかと誘われた。
今現在は共産主義国であるラオスは中国の援助を多く受けて中国寄りになっているが、6年ほど前はまだ日本からの援助も多くかなり親日的であった。(今親日的でないというわけではありませんが)
教育に関するものとして、女子教員養成学校の炊事施設が老朽化し雨が降りこむ状態となっているとのことで、
これを食事もできるテーブル付きの施設として建設しょうということになった。
この時は建設費を分担したが、建設計画などすべて理事長任せにした。

ラオス? どこにあるの?
中国の南 インドシナ半島にあります。

北は中国と国境を接し、東はヴェトナム西はタイ、南はカンボジアと接しています。
海のない国です。大河メコン川に沿っています。
日本の本州よりやや小さく、人口700万くらい。首都はビエンチャン、最近はルアンパバーンが観光地として世界的に有名です。NHKでは石灰台地、巨大鍾乳洞などで紹介されましたね。
観光についてはラオスに2度行きましたので、また別に旅行のカテゴリーで紹介したいと思います。人生終わりかけで始めたブログなので過去のものも年代を入れてアップしていきたいと思っています。

Before
雨漏りします。雨が吹き込みます。


コンロや鍋を置くテーブルもありません。

After
2015年事前調査でラオスに行った際に女子教員養成学校を訪れた時、開所式をしてくださいました。


電気やガスはありません。薪や練炭のコンロで炊事をしますのでオープンです。

テーブルとイスもあり食事可能です。

TANIKAWAファミリーのサポートで建設したフサコハウス

房子は母親の名前です。肖像も掲げてくださいました。
先生の卵たちにとても感謝されました。言葉はわかりませんでしたが。
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ラオスの小さい村に小学校を建てる(2015年) その4

2020-07-04 21:22:13 | 社会貢献
事前調査
2015年11月大阪の食肉チエーン社長がラオスに建設した学校の開校式や、すでに建設した学校の状態の視察、
新規建設校の立地や、住民の建設に関する意欲調査を兼ねてラオスを訪問することにしました。世界旅行の一部として家内も参加することになりました。
約一週間の旅です。現地NPO法人の方々にお世話になりました。観光はもちろん、個人のお宅に宿泊したりいろんな冒険的経験をさせていただきました。
現地の高校生や先生方との交流や、ものすごい悪路をランクルで移動し、バイクの後ろに乗せられて落とされないようにしがみついての移動もありました。
今回はその一部だけ公開します。

これは新規に建設された小中学校の開校式です(前述の社長のドネーションです)
ゲートから開校式の会場まで生徒や家族、村人たちが総出で歓迎です。
花束持ちきれませんでした。
テープカット

開校式会場の様子


その後6~7か所の建設希望地やこれまで建設された学校や寮などを視察
次は私が援助しようと思ったノンコーソン小学校です。
Beforeの校舎

校舎の内部。記念撮影、私は写真撮る人です。

さて村人たちとの話し合いを行います。熱意、村民の助力が可能か、など試すのです。
村民が建設後のメインテナンスをちゃんとやれるか、やる意欲があるかが問題なのです。
木陰にみんなが集まっています。今日は子供のことを1番心配している女性が主役です。暑い日でした。赤いシャツの女性がサーブしてくれたヤシのジュースが本当においしかった。

理事長と現地NPO法人の関係者を中心に、村民との話し合いです。

 

かなり話は煮詰まってきました。何となくこの村の小学校建設に力を貸したいような気になってきました。
帰りのフライト中に、家内とこのノンコーソン小学校建設援助に話がまとまってきました。
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