以前から計画をしてもらってたバス旅行・・・T友3名+1名+H市からの1名・・今回は5名・お出かけ・・お天気もよく おしゃべりも始まり バスは
まずは吹屋ふるさと村・・・・A班の私たちが ボンネットバスに乗って・・・到着したところが 広兼邸
お屋敷?を眺めながら 素晴らしいのにびっくり・・・そして 懐かしさを感じた。市指指定重要文化財だそうで大野呂の庄屋さんで二代・元治が享和・文化の頃に小泉銅山とローハー(ベンガラの材料)製造を営み巨大な富を得て、江戸時代後期に築かれた屋敷と 書いてある。
ここで 映画の撮影をなさったとか・・「八つ墓村・・・・・」あの恐ろしいお話しを 子供の頃 家の書棚にあるのを よくも 読んだものだと 自分ながら 感心して・・。
屋敷の1/3?1/4の位の故郷の山に埋もれたのを みてるような不思議な感覚を覚えて・・・。
昔のおくどさん ・
決して?普段ははいれない客間・囲炉裏のある広い寒い台所・客のトイレにのみある 手水鉢・こわ~~い蔵(なんかいいものが納めてある気がして)・・・おうてから眺める下の景色・・・似てる~~~B班と交代をしてふるさと村を 散策。
人通りもなく 一生懸命 保存をなさってるのが うかがえる・・どこの地域でも 昔とは 大違いだけど
旧吹屋小学校・風情があるみたいだけど 現在修復工事中・・・平成32年3月頃までかかるらしい。
バス移動・・・いよいよ 備中松山城・・10余年前 3家族で 登った時は いくつ??。
そんなにも険しくはないけど 山の石段は集中力を要する・・なにせ 不規則に並んでるから・・。
途中 説明がてら 待ち合わせをしながら の 休むってのは 良い事だな。
このお城 天守が残ってる12城の中の一つで「山城」に分類されてる・・・ああ~ここまで 戦闘の用意をする 馬は どうやって 城主は 下に住まわれてるらしいけど 非常時は それっと ばかりと 想いを馳せれば なんと しんどい事・・なんて 言っておれないね。
沢山 説明を聞いたけど このような図を戴いた。
上の小さな写真 土塀…ここまでが 時代を通り抜けた土塀を修復しつつ 現在があり そこから上は「偽物ですよ~~」って。備中松山城は 市街地の北端にそびえる」標高480Mの臥牛山(おしろやま)に築かれ「大松山・天神の丸・小松山・前山」の4つの峰の総称だそう。
ここには 天守をはじめ、二重櫓・土塀の一部が 現存してると・・・。
どこのお城にいっても この石垣の見事さは いつも どうやってとか 民が苦労したであろう 労力 を 苦しさを 思ってしまう。
紅葉に映えた 石垣は お見事っていうしかありません。
備中松山城は、鎌倉時代から戦国時代には 「戦のための城郭」として 江戸時代には 「備中松山のシンボル」として備中の拠点としての役割を果たしてきたって・・。
そして 下山?・・・は早い。アッという 間に バスの中へ。
注文してた 祭り寿司を 戴きながら なんといっても 広兼邸は 素晴らしかったと。
故郷は なん分の一になるかは 分らないけど とても いとおしく 思ってしまった。あんなに 嫌って 思ったのだけど。
友のお蔭でネット予約の人は お土産あり・・ありがとさん。
まずは吹屋ふるさと村・・・・A班の私たちが ボンネットバスに乗って・・・到着したところが 広兼邸
お屋敷?を眺めながら 素晴らしいのにびっくり・・・そして 懐かしさを感じた。市指指定重要文化財だそうで大野呂の庄屋さんで二代・元治が享和・文化の頃に小泉銅山とローハー(ベンガラの材料)製造を営み巨大な富を得て、江戸時代後期に築かれた屋敷と 書いてある。
ここで 映画の撮影をなさったとか・・「八つ墓村・・・・・」あの恐ろしいお話しを 子供の頃 家の書棚にあるのを よくも 読んだものだと 自分ながら 感心して・・。
屋敷の1/3?1/4の位の故郷の山に埋もれたのを みてるような不思議な感覚を覚えて・・・。
昔のおくどさん ・
決して?普段ははいれない客間・囲炉裏のある広い寒い台所・客のトイレにのみある 手水鉢・こわ~~い蔵(なんかいいものが納めてある気がして)・・・おうてから眺める下の景色・・・似てる~~~B班と交代をしてふるさと村を 散策。
人通りもなく 一生懸命 保存をなさってるのが うかがえる・・どこの地域でも 昔とは 大違いだけど
旧吹屋小学校・風情があるみたいだけど 現在修復工事中・・・平成32年3月頃までかかるらしい。
バス移動・・・いよいよ 備中松山城・・10余年前 3家族で 登った時は いくつ??。
そんなにも険しくはないけど 山の石段は集中力を要する・・なにせ 不規則に並んでるから・・。
途中 説明がてら 待ち合わせをしながら の 休むってのは 良い事だな。
このお城 天守が残ってる12城の中の一つで「山城」に分類されてる・・・ああ~ここまで 戦闘の用意をする 馬は どうやって 城主は 下に住まわれてるらしいけど 非常時は それっと ばかりと 想いを馳せれば なんと しんどい事・・なんて 言っておれないね。
沢山 説明を聞いたけど このような図を戴いた。
上の小さな写真 土塀…ここまでが 時代を通り抜けた土塀を修復しつつ 現在があり そこから上は「偽物ですよ~~」って。備中松山城は 市街地の北端にそびえる」標高480Mの臥牛山(おしろやま)に築かれ「大松山・天神の丸・小松山・前山」の4つの峰の総称だそう。
ここには 天守をはじめ、二重櫓・土塀の一部が 現存してると・・・。
どこのお城にいっても この石垣の見事さは いつも どうやってとか 民が苦労したであろう 労力 を 苦しさを 思ってしまう。
紅葉に映えた 石垣は お見事っていうしかありません。
備中松山城は、鎌倉時代から戦国時代には 「戦のための城郭」として 江戸時代には 「備中松山のシンボル」として備中の拠点としての役割を果たしてきたって・・。
そして 下山?・・・は早い。アッという 間に バスの中へ。
注文してた 祭り寿司を 戴きながら なんといっても 広兼邸は 素晴らしかったと。
故郷は なん分の一になるかは 分らないけど とても いとおしく 思ってしまった。あんなに 嫌って 思ったのだけど。
友のお蔭でネット予約の人は お土産あり・・ありがとさん。
故郷の家 ベンガラが 塗ってあるとこも あったけど 私はいやだな~~って 思ってました。
大黒柱・・太い柱が 黒光りして 磨けって いわれたような・・。
こらも 嫌だなって 思いましたが 懐かしく、今更 どうしようもない事です。{ため息}
バス???どうしたのって 思いましたけど うまく切り抜けてくださり 有難かったですね~~、これは シッー・・・ですね。
お城って 往時をしのばせますが どうしても 戦をする 雑兵の事、思うと・・・。
こうやって 今の世の中が あるのですが・・・。
今日はお疲れ様、お世話様でした。一つずつ 片づけないと いけませんね~~。{笑}