こんにちは。
今日は、少し変わったお話?を書こうと思います。
中国の古典の話です。
写真をご覧ください。
これは「宥坐之器(ゆうざのき)」というものです。
有名な二宮尊徳(金治郎)の語録「二宮翁夜話」にも出てきます。
向って右の樽が基本形で、中に何も入っていない状態です。
そして、水を少しずつ入れて8分目くらいまで入れると樽は、起きて口を真上に向け真ん中の状態になります。
そして、水を満々と満たそうとすると左のようにバランスを崩し、全部こぼれてしまいます。
孔子は弟子に器を見せて「満ちて覆らない者はいない」と慢心を戒めたとされています。
性悪説で有名な?荀子という方の本の第二十八編宥坐にこう書いています。
孔子曰(こうしいわく)
吾聞宥坐之器者(われきく ゆうざのきとは)
虛則欹(さなれば すなわち たかむき)
中則正(ちゅうなれば すなわち ただしく)
滿則覆(みつなれば すなわち くつがえる)
※訳が違えてたらすみません・・・
孔子はいった「わたしは聞いている、宥坐の器とは、水がなければ傾き、中ほど入っていれば正しく、満ちれば覆る、と」
この器に対する解釈は、いろいろあります。
私は、「足るを知る」教訓だと思っています。
人間は「もっともっと」とより良い生活、より豊かに生活をする事を望みそのために自分の力以上の事をして失敗する事が往々にしてあります。
8分くらいが丁度いい。
自分がいっぱいになるとこの器のように何もかも失う事になる。
と言う教訓と解釈しています。
現代の日本は、たくさんの物とお金と平和があり、世界でも有数の経済大国になりました。
もっと裕福に人よりも豊かに。
「お金さえあれば、何でも買えて幸せになれる」と。
裕福という言葉は、お金がたくさんある事だと思っています。
でも、幸せとは、心が平和で幸福で安心な事です。
それに付随するひとつがお金です。
まず、健康でなければ幸せではありません。
これが絶対条件です。
もっともっととお金を稼ごうと自分の力量以上の事をしようとすると体を壊し、働けなくなる方が居られますが、自分の力量を知り、自分の出来る範囲で精一杯やらせて頂く事が大切です。
確かに自分のスキルを上げるために新しい事に挑戦するのは、良い事です。
ですが、やりすぎるとどこかで必ず歪みが起きてきます。
その時に焦ってしまうのは、自分自身です。
お金は、自分の霊格に比例した分だけ入ってきます。
また、人の喜びについてきます。
お金だけを求めると必ず失敗し、すべてを失う事になりかねません。
ならば、今あなたは、何とかでも普通に生活が出来ているなら、今の当たり前に感謝し決して、奢る事のない人間で居てください。
足る知るとは、今生活するのに支障がないくらい満たされているならそれで良いと知る事。
ほしいものがある程度揃い、健康で笑顔で暮らせるならそれで良いじゃないですか。
以前、師の奥様のお話を書かせて頂きましたが贅沢をやりだすとキリがありません。
するなと言っている訳でもお金を稼ぐなと言っている訳でもありません。
今、生きていけるならそれで満足できませんか。
例えば、ある日突然何かが起こり、お金がただの紙切れになったら。
あなたは、どうしますか?
いくらお金を持っていても何の意味もないとなれば人間は、大きく分けて2通りの人間に分かれるでしょう。
天国人と地獄人です。
以前、天国と地獄の話を書かせて頂いた事があると思います。
こう言うお話です。
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天国にも地獄にも同じように大きな釜があり、
そこには同じようにおいしそうなうどんが煮えています。
ところが、そのうどんを食べるには、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかないのです。
地獄に住んでいる人はわれ先にうどんを食べようと、争って箸を釜に突っ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。
そこで他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになってうどんは散乱し、誰一人目の前のうどんを口にすることはできないのです。
おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。
それが地獄の光景だそうです。
それに対して極楽でも、同じように大きな鍋でうどんがぐつぐつと煮えていて、同じように長さ1メートルのお箸を持っています。
自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、
「あなたからお先にどうぞ」
と食べさせてあげるのです。
するとうどんを食べた人も、
「ありがとう。おいしいですよ。次はあなたの番です」
と、お返しにうどんを取ってあげます。
ですから極楽ではおだやかにうどんを食べることができ、みんなが満ち足りた心になれます。
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如何でしたか?
何の苦労もなくお腹いっぱい御飯が食べれて、雨風凌げる家があり、毎日着る服があって、温かい布団で寝る事ができる。
この条件にほとんどの日本人は、当てはまると思います。
これ以上、必要なものって何でしょうね。
もし、これが無くなったとしたら。
あなたは、明日生きている自信は、ありますか?
お金が使えないとしたら、どうして生きて行きますか?
生きるために人のものを奪おうとする人がいるかと思えば、
自分のものを分け与えてみんなで生きようとする人も出てくるでしょう。
今は、天国人である自信があったとしても実際、そうなった時に本当にそれができるかどうかです。
今、この当たり前の贅沢に感謝をして生きている人は、天国人になれる人です。
今の当たり前を不服に思っていて「もっともっとお金がほしい。人なんてどうなってもいい」って思っている人がいるとするなら、確実に地獄人になれる方です。
今、人間に求められているのは、心の変革です。
本当は、明日なんてものは、ありません。
ただ、みんなが明日があると当たり前に思っているから明日が出来ます。
未来を信じて幸せになろうとするから未来が生まれるのです。
それは、自分のためだけではありません。
世界人類みんなのために明日を信じて生きているのです。
ですから私もあなたもみんながみんなに生かされているのです。
ありがたいですね。
キリストが言いました
「汝、隣人の血の上に立つなかれ」と。
人の不幸の上に自分の幸せはありません。
どんなにお金が有っても、どんなに裕福な生活をしても心が満たされなければ、幸せとは言えないのです。
「みんなが地獄人なら私も・・・」
"赤信号、みんなで渡れば怖くない"と言う時代ではないのです。
みんながどうこうではなく、自分の生き方をしっかり決めて生きてください。
今、経済大国に住んでいる人間の課題は、「足るを知る」と言う事だと私は思います。
どうせ、幸せになるならみんなで幸せになって、笑顔で暮らしましょうよ。
その方が、絶対に楽しい毎日です。
選択は、自由です。
あなたは、天国人で生きたいですか?
それとも地獄人で生きたいですか?
皆様のお幸せを心より祈念致します。
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