「また、良斗が難しい話を始めた・・・」とお思いの方もおられるでしょう(笑)
その通り!(笑)
今日は、『仁』についてお話をさせて頂きます。
単に「仁」と言ってもピンとこないでしょうね。
では、「仁義」と言えば、お判りでしょうか。
そう「仁義」の『仁』です。
儒家の始祖である孔子は、この『仁』を中心に据えました。
現代でも道徳とされているものの中心には、この仁があります。
このたった4画の文字にどんな意味があるのか。
「仁」とは、『真心であり、思いやり』です。
「はぁ?それだけ?」
と思わないでくださいね(笑)
これが結構できていないものです。
「真心」とは、『真実で嘘や偽りのない心』です。
言葉ではなく、「心」なのです。
思いやりも「心」です。
つまり、『仁』とは、自分の心に一切の嘘、偽りが無く
誰の目にも真実で生きてると見える事。
ちなみに『義』とは、「人として正しい道」
仁義とは、人がどうのこうのでは無く
自分の心に嘘や偽りがなく、思いやりを持って生きる事です。
そうする事によって、すべてのバランスが保たれるのです。
さて、今生きている皆様は、この仁が出来ていますでしょうか?
私は、できていません。(笑)
ほとんどの日本人が出来ていないと思います。
自分の心に嘘をつかず、人様には、思いやりを持って接する事。
自分は、自分に絶対嘘がつけません。
何が真実か知っているからです。
表面的には、嘘をついてもそれが嘘だと知っています。
自分をどんなにごまかしてもそれが嘘だと知っています。
だから自分は、絶対に騙せまえん。
例えば、自分に嘘をついて生きるとどうなるでしょうか?
本当の自分は、弱虫でどうしようもない臆病な人間だとします。
それなのに虚勢を張って強く見せたり、見た目だけを変えて人々に強い印象を持たせたり。
また、本当は、自分が悪いのだけれど、自分を正当化するために人を悪者にしたり、人に良く見られようと良い恰好ばかりしていたり。
そうする事で自分が守れるからそういう行動に出てしまいます。
そうして、そこを人に言われると、怒りを持ちます。
怒りは、自分がそうであると認めたくない自分を人から指摘された時にそれを拒否する心として現れる一つです。
本当に自分は、弱虫で臆病ものだと認めていた場合、真実を人から聞いたのだから腹が立つどころかわかってくれる人が居ることに安堵するでしょう。
また、本当に強い人であれば、弱虫で臆病ものと言われても笑って「そうかも知れないね」と言えます。
だって、本当の自分は、強い人間だと知っているからです。
仁を持つと言う事は、自分を認める事であり、自分を認めてあげる事で相手も認めてあげられます。
あなたは、この世にたったひとりしか居ないです。
かけがえのない命です。
その自分に嘘をついたり、誤魔化したり、偽りの心を持って生きたり。
それが何のためになるのかを考えてください。
自分の我を守る事がそんなに大切ですか?
自分のプライドがそんなに必要ですか?
その過去の出来事は、あなたのたった80年の一生をかけなければならないほど、重要な事ですか?
それで幸せになるのであれば、どうぞお持ちください。
ですが、幸せになるのは、我でもプライドでもなく、『仁』そのものであると思っていますし、人間として当たり前に持ってほしいものです。
人を傷つけないためには、自分に嘘偽りを持たず、傷つけないことです。
人から良く見られたいなら、自分が自分を信じてあげる事、自分自身に心からの愛を持ってあげる事です。
今までも何度も書いてきましたね。
何で今、こんな話を書くかというと、来年に必要なことだからです。
そのお話もまた、今度書きます。
皆様のお幸せを心から祈念致します。
その通り!(笑)
今日は、『仁』についてお話をさせて頂きます。
単に「仁」と言ってもピンとこないでしょうね。
では、「仁義」と言えば、お判りでしょうか。
そう「仁義」の『仁』です。
儒家の始祖である孔子は、この『仁』を中心に据えました。
現代でも道徳とされているものの中心には、この仁があります。
このたった4画の文字にどんな意味があるのか。
「仁」とは、『真心であり、思いやり』です。
「はぁ?それだけ?」
と思わないでくださいね(笑)
これが結構できていないものです。
「真心」とは、『真実で嘘や偽りのない心』です。
言葉ではなく、「心」なのです。
思いやりも「心」です。
つまり、『仁』とは、自分の心に一切の嘘、偽りが無く
誰の目にも真実で生きてると見える事。
ちなみに『義』とは、「人として正しい道」
仁義とは、人がどうのこうのでは無く
自分の心に嘘や偽りがなく、思いやりを持って生きる事です。
そうする事によって、すべてのバランスが保たれるのです。
さて、今生きている皆様は、この仁が出来ていますでしょうか?
私は、できていません。(笑)
ほとんどの日本人が出来ていないと思います。
自分の心に嘘をつかず、人様には、思いやりを持って接する事。
自分は、自分に絶対嘘がつけません。
何が真実か知っているからです。
表面的には、嘘をついてもそれが嘘だと知っています。
自分をどんなにごまかしてもそれが嘘だと知っています。
だから自分は、絶対に騙せまえん。
例えば、自分に嘘をついて生きるとどうなるでしょうか?
本当の自分は、弱虫でどうしようもない臆病な人間だとします。
それなのに虚勢を張って強く見せたり、見た目だけを変えて人々に強い印象を持たせたり。
また、本当は、自分が悪いのだけれど、自分を正当化するために人を悪者にしたり、人に良く見られようと良い恰好ばかりしていたり。
そうする事で自分が守れるからそういう行動に出てしまいます。
そうして、そこを人に言われると、怒りを持ちます。
怒りは、自分がそうであると認めたくない自分を人から指摘された時にそれを拒否する心として現れる一つです。
本当に自分は、弱虫で臆病ものだと認めていた場合、真実を人から聞いたのだから腹が立つどころかわかってくれる人が居ることに安堵するでしょう。
また、本当に強い人であれば、弱虫で臆病ものと言われても笑って「そうかも知れないね」と言えます。
だって、本当の自分は、強い人間だと知っているからです。
仁を持つと言う事は、自分を認める事であり、自分を認めてあげる事で相手も認めてあげられます。
あなたは、この世にたったひとりしか居ないです。
かけがえのない命です。
その自分に嘘をついたり、誤魔化したり、偽りの心を持って生きたり。
それが何のためになるのかを考えてください。
自分の我を守る事がそんなに大切ですか?
自分のプライドがそんなに必要ですか?
その過去の出来事は、あなたのたった80年の一生をかけなければならないほど、重要な事ですか?
それで幸せになるのであれば、どうぞお持ちください。
ですが、幸せになるのは、我でもプライドでもなく、『仁』そのものであると思っていますし、人間として当たり前に持ってほしいものです。
人を傷つけないためには、自分に嘘偽りを持たず、傷つけないことです。
人から良く見られたいなら、自分が自分を信じてあげる事、自分自身に心からの愛を持ってあげる事です。
今までも何度も書いてきましたね。
何で今、こんな話を書くかというと、来年に必要なことだからです。
そのお話もまた、今度書きます。
皆様のお幸せを心から祈念致します。
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