TAZUKO多鶴子

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『メルロ=ポンティ』と『青山二郎』

2007-09-12 | TAZUKO多鶴子からの伝言
「 この絵は何か、
この物は何かを知る為には、
我々にはそれを見つめる以外に
手は無いのだし、
そしてそれらをある観点、
ある距離から、
そして向きに於いて見る時しか、
一言で言えば、
我々が世界と取り結んでる共犯関係を
その舞台装置として役立たせる時にしか、
己を開示しないのである 」
     <哲学者 メルロ=ポンティ> 

 
「 バッタは跳ねる習性で子供に知られています。
石を投げればバッタが跳ねる、
跳ねるのがバッタの生き方です。
子供は偶然の意味も
バッタの内容も認めません。
…実生活の偶然は
バッタに投げられた石より複雑でしょうか。
又、
ある生まれながらのものだけが、
子供の様に(バッタだから、跳ねた)と言い、
事実の鍵を握っている様に見えます。」
「 眼は言葉である 」
              <青山二郎>  

上記二人は同じ事を伝えているように思われるかもしれない。

しかし、
実存は神秘でなければならない。

青山二郎だけが
そこまで観えていた人ではないだろうか。