TAZUKO多鶴子

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奈良『猿沢池』で癒されました…

2008-03-11 | TAZUKO多鶴子からの伝言
先日『奈良』にいった時、
久し振りに『猿沢池』にも行って来ました。
放生池として造られた人工の池だからなのでしょうか…。
『猿沢池』には七不思議や伝説が数多く残る不思議な池として有名です。
昔、私は画学生の頃、時々ここを訪れて心を癒したものでした。
今回も心を癒しに訪れました。
昔と変わらずとても癒せる空間でした。
その時、
私の頭の中に何度も何度も出て来る映像は、
先日亡くなった兄の告別式の様子でした。
兄の三人の子供達の毅然とした立派な姿、
長女の細やかな女としての気遣い、
兄が危篤状態の時にも関わらず二男が大学を受験し、
兄が亡くなった翌日の大学合格の知らせ、
更に、
今年大学を卒業をする予定の長男が喪主を見事に勤め、
忘れられない心の言葉で、
どんな派手な葬儀よりも誇りを持てる告別式になりました。

「…愚痴一つこぼさない父なので
  『辛いことはないのか?』と父に尋ねました。
  すると父は 
  『ある!』と答えて
  『お前も愚痴一つこぼさない強い男になれ!』と言われました。
  これからは父のように強い男になって
  父の代わりに僕が家族を守って、
  強く生きて行きます! 」

その言葉に、遺族一同泣き崩れました。
兄の妻、義理の姉の悲しみをこらえた強い母としての見事な姿。
誰を頼りにもせず、転勤族で忙しい兄を陰で支え、
子供達三人をここまで立派に育てた感覚の鋭い理知的な義理の姉。
人間として女として、私はこのような義理の姉がいて誇りに思います。
女性の品格とは、
品格のある女性とは、
おそらく義理の姉のような女性を言うのだと思うのです。
私など足下にも及ばない…と痛感するのです。
そのような映像が『猿沢池』の前で何度も巡りました。




<猿沢池>
猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)は、奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている。

興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。
現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっている。

猿沢池七不思議
* 澄まず
* 濁らず
* 出ず
* 入らず
* 蛙はわかず
* 藻は生えず
* 魚が七分に水三分
猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増えるいっぽうであるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。

『伝説・その他』
猿沢池にちなんだ言伝えはたくさんある。
* 猿沢池のほとりにある釆女神社(うねめじんじゃ)は、帝の寵愛が衰えたことを嘆き悲しんで入水した釆女を慰めるために建てられたという。
* 芥川竜之介の小説「竜」は、猿沢池から雲を呼び雨を降らせながら竜が天に昇ったという伝説を素材にしている。
* 猿沢池の名前の由来は、インドのヴァイシャーリー国の猴池(びこういけ)から来たものと言われている。猴の字義としては、尾の短い種類のサルをさしている。
* 奈良県大淀町には、興福寺の僧に恋をした娘おいのが身を投げたといわれる「おいの池」がある。伝説ではおいの池と猿沢池は地中でつながっており、身を投げたおいのの笠が猿沢池に浮かんでいたという。
* 1959年に、七不思議に反して池の水が赤くなった時には、「この世の終わりだ」と騒がれたという。


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