地上の王座より輝かしく、
昇天より美しく、
世界の支配よりすばらしきもの、
それは、
解脱の最初の段階の持つところの法悦なり。
…… 釈迦 ……
< 解脱 >
(げだつ、サンスクリット:vimukti, 毘木底, ヴィムクティ、vimokSa, 毘木叉, ヴィモークシャ)は、
1 仏教においては、誤った執着心から起こる業の繋縛を開放し、迷いの世界の苦悩を脱することを指す。
2 ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、三昧(サマーディ)に入定し、
輪廻転生の迷いの境界から脱することを指す。
この「解脱」という言葉はけっして仏教のみの術語ではなく、涅槃と共に古くからインドで用いられ、人間の究極の目標や理想を示す言葉として用いられてきた。
『語義』
サンスクリットの vimukti も vimokSa も、共に muc を語根とする。これは「開放する」「放棄する」などの意味である。両者とも、全ての束縛から離れることであり、繋縛を離れて自在を得るという意味である。その意味で、古来「自在」と解釈されてきた。それは、外からの束縛の解放や自由より、内から自らを解放することや自由を獲得することを重要視する。
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