TAZUKO多鶴子

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白洲次郎とは…

2009-08-14 | TAZUKO多鶴子からの伝言
            …… 白洲次郎の言葉 ……

*「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」

*「僕は手のつけられない不良だったから、島流しにされたんだ」
      (ケンブリッジ大学に留学した理由を問われて)

*「地位が上がれば役得ではなく“役損”と言うものがあるんだよ」
      (犬丸一郎が帝国ホテルの社長に就任するに当たって贈った言葉。
             地位に固執しなかった次郎の考え方が良く表れている)

*「今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。
      「そういう事を言ったら損する」って事ばかり考えている」

     *「子供には、誰が本当にいい人か分かるんだよ」


<白洲 次郎>
(しらす じろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1985年(昭和60年)11月28日)は兵庫県芦屋市出身の日本の実業家である。終戦直後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通商産業省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。しばしば「白州」と誤記されるが「州」ではなく「洲」が正しい。

*田中角栄とのエピソードも幾つか存在する。*
 田中を批判するばかりではなかった。
ロッキード事件が起こると、各新聞は「容疑者の田中は…」と書きたてた。
次郎は新聞社の社長に向かって
「田中角栄さんを叩くのはいいですが、
あなたの新聞は4年前彼を今様太閤として
「戦後日本が生んだ英雄」とおだてていました。
今、容疑者田中と書くならなぜその前に
「本紙はかつて彼を英雄扱い致しました、これは読者を誤らしめる不正確な報道でした」
とお詫びと訂正を載せてからにしないのですか」
と主張した。



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