この綿で紡いだ三河木綿糸はずいぶん値段の高い糸になる、
「いくらで売りますか」
とよく言われるが
「いくらの価値なのか私にもわからない」
と今のところ答えるしかない。
「市販されてるコットンも白いけどもっと値段が安いよ」
「そうです、あれは綿カスの混じった糸を薬品で白く晒すから安いのですよ」
「だけど、綺麗な糸が欲しいならそれで良いじゃないですか、
値段だけ高いのは世の中に受け入れられないよ」
世界的量販店の価格と比べられては返事のしようもないし
文化だの歴史だの言ってもぶち壊しになってしまう
私も世界的量販店の衣服を着ているのだが
何が良いか悪いか説明するのに面倒だ。
それを越える機能と魅力と価値ある商品作りをしなければならない、
そこを解ってもらわなければ商売にならないのだが…。
しかし、この写真の様な三河地綿の綿の木から採れた綿を糸に紡ぐ作業は楽しい、
綿は人間の命を守り身を守る優しいものである事を、
作業する私の脳でも優しさを覚える癒しの物体なのだ。
昔はどこの地方の農家でもこの作業をやっていたことなのだが、
見えなくなったり少なくなったりするものは貴重になり、
和綿の糸作りも今は幻の作業に等しい、
無くなれば欲しくなるこれも人間社会の身勝手なことだ。