2025年3月26日(水)あじさいプール

池上さんに頂いた鉢の花 だんだん開き始めました

あじさいの定例会
卒業の季節なので それに関連する曲を歌いました
仰げば尊し 蛍の光 思い出のアルバム 他
全員にリクエストしてもらいながら 820曲載った
歌詞集で歌いました
埼玉自由の森学園 中学・高校
1985年創立 今年は40周年でしょうか?
次女の通った埼玉飯能市の自由の森学園
高校からの入学なので もう36年も前の事です

高校2年になって 不登校になり その翌年絵本作家の
まついのりこさん のご縁で自由の森学園を知りました
不登校の子だけでなく 学歴社会 お仕着せの教育に
不満を持つ家庭の子供など 全国から応募する学園でした
入学式に出て驚いたことは うたに始まり歌に終わる、しかも
式終了後は そのまま会場に全員残り 在校生が中心になって
会場の中ほどに 紙に書いた歌詞が1曲ごとに降りてくる
午後始まった式は すべてが終わったのは9時 延々7時間?は
歌いかわしました うたごえで歌うことになれていた私 しか
も私たちが歌っている歌がほとんどでした
「民衆の歌が聞こえるか・ヒロシマのある国で イマジン・
世界の民謡 ケセラ」 これはこの後次々私も詣でた行事で
必ず歌われる歌でした 他にもいろいろユニークな取り組み
があり 私は東京の友人一家と出かけたことも 3年間で20回
学校に出向いています 娘は歓迎してなかったかもしれません
が好奇心旺盛の私は 保護者の集まりも含めて 東京の大学
にいる長女の家を宿に 出かけたものです
寅さんの映画でさくらの息子を演じた吉岡秀隆さんも
先輩でした ミュージシャン星野源さんも卒業生です
娘のいた時は菅原文太さんが理事長でした


入学式卒業式はこんな風に 教師は 客席の隅っこに居ます
また先生とは呼ばず 校長さんでも「遠藤さん」と呼んでいました
卒業生でつくる森の踊り衆 民舞ですが 鹿児島公演を成功させた翌日
いわゆる8・6水害で その日は谷山で公演してニュースで鹿児島の
水害を知り 泊宿であったわが家と 若宮さん宅に帰れないまま谷山
に泊まり道路が閉鎖されて 一部荷物も持たないまま 次の宮崎に
フェリーで向かいました
こんなことを思い起こした 年度末のあじさい定例会でした
雑詠句
・生きている証昼寝もたっぷりと
・ 気が付けば怖いものない年となり
・ 豊かさに囲まれ抱く孤独感