「権利」とは、「 ある利益(恩恵や幸福)を要求し、『此れを自分のものとすることの出来る立場』に在る者がもつもの。此の『権利を持てる立場』は、時によって移り変わる『倫理観や道徳観に基づく社会の合意』からの吟味が必要とされ、更に、其れ等の吟味から正当性を認められることで法律に依って定められた一定の主体に賦与される資格から生じる。
従って、社会の中で暮らす限り、人が持てる凡ゆる「権利」は、時の移りによって変わる社会の人々が持つ「価値観」の持ち方次第で変化する。
「区別」とは、「或る人と他の人との違いを認めて、其れに依り両者をはっきり分けること」をいう。「差別」とは、「客観的根拠の無い固定的考えや意識などに基づいて特定の人々に対して不利で不平等な扱いをすること」である。
此処で重要なことは、社会が持ち続けて来た「価値観」迄、強引に変えて、合理的「区別」を無理やり「差別」にして終うことは、単に社会を破壊することである。更に、「属す特定の人間集団」次第で、社会一般で「差別」とされることも、「差別」と成ら無いことを知るべきである。
日頃、猥褻本を煩く言う奴も、性同一障碍者の人権運動には黙って終う。此れは、「社会が持ち続けて来た「価値観」迄、強引に変えて、合理的「区別」を無理やり「差別」にして終う」偏向報道や政治屋の人気取りの扇動に逆らえ無く成るからである。抑々、未成年者に子作りを広めると、生まれた子供は誰が育てる?更に、性交渉を未熟な者が覚えれば没頭して仕舞い、真面に教育も勉学も疎かに成る。だから、成長過程にの未成年に猥本は有害なのである。
では、男同士が裸に成って乳繰り合いホモることも人権だと主張することが何故正しい?想像しただけで悪寒が走る。我はタバコを止め様と思っても、止められ無いのと同様に、間違い無く病気か異常体質である同性愛者も余程のことが無ければ、止められ無いだろう。成らば、昔の様に隠れてこっそり同性愛を続けるべきで、根拠無き権利主張は止めるべき。青少年の生き方にも必ず悪影響を及ぼす様を曝す姿を観ると社会に嫌悪感を感じさせる。人権は、メディアや政治屋が勝手に造るものでは無く、道理に合わぬ勝手を喚きたて続けるなら、日本社会を壊す者として烙印を押して、日本国民は此奴等を追放すべき!
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