2012-05-09
朝日新聞主筆 若宮啓文氏 女・カネ・中国の醜聞 (週刊文春2012年5月17日号) 全文
告発スクープ! 本社直撃に「不徳の致すところ」だって
朝日新聞主筆 若宮啓文氏 女・カネ・中国の醜聞 (週刊文春2012年5月17日号)
石原都知事の「尖閣購入」を痛烈批判した若宮氏。
この日本を代表するオピニオンリーダーは、中国政府主催の辞書の出版記念パーティーのため美人秘書同伴で訪中。
しかも会社のカネを不正につかったというのだから、開いた口がふさがらない!
石原慎太郎都知事が米国で「尖閑話島購入プラン」を披嘉した直後の四月二十三日。
朝日新婦に、石原氏を厳しく批判するコラムが掲載された。
(石原氏には、自分の主張を退けできた中央政治への屈折した情念がうかがえる。
(中略)都知事の座は、屈折した思いをぶつけるのに格好の職だったようだ。
いくら中国を刺激しょうとも直接の外交問題にならず、国会で追及されることもない。
いわば安全地帯からのきわどい言動で、マスコミをにぎわすことができた〉
都の尖閣購入プランを「挑発」「筋違い」と斬り捨てた上で、石原氏を「アジア侵略の責任を強く否定する」と、批判している。
これを執筆したのは、同紙主筆の若宮啓文民(64)である。
麻布高校、東京大学法学部を卒業し、一九七〇年に朝日新肺社に入社。
父の若宮小太郎氏は朝日新聞政治部記者を経て、鳩山一郎首相の首席秘書官を務めた人物。
エリート揃いの朝日の中でも抜群の毛並みの良さである。
「主筆」とは読んで字のごとく、朝日の社詮を決定する最高責任者の意味だが、若宮氏の影響力はそれにとどまらない。
三月初め、ロシア大統領のプーチン氏(当時首相)は野田佳彦稔理よりも早く若宮氏との会談に応じ、北方領土問題について踏み込んだ議論を交わtている。
いまや若宮氏は日本を代表するオピニオンリーダーであり、国家の政策や外交にも大きな影響力をもつ人物である。
そんな若宮氏について、驚くべき情報がもたらされlた。
朝日新聞社幹部が告白する。
「若宮氏が主筆に就任する前、二〇〇八年二月のことです。
当時、論説主幹だった彼が、中国出張に女性秘書の加藤洋子(仮名)を個人的に同行させ、しかも会社の経費を使ってビジネスクラスに乗せ、高級ホテルに宿泊していたのです。
後日、社の内部監査室による調査で不正が発覚したのですが、彼はこれを認め、全額を会社に返済しました。
金額は数十万に上るヒ言われています」
もし本当だとすれば、、このような人物を主筆に戴いている朝月新聞社のモラルも問われかねない。
不正が発覚した疑律について、ある朝日新聞OBが解説する。
「〇九年、朝日が東京国税局の税務調査を受けた際、京都総局長が社内の飲み食いに使った金を取材費として計上Lていたこどが発覚した。
そのため数億円単位の修正申告をさせられ、総局長一派も更迭されました。
いそいそとネクタイをしめ…
その後、秋山耽太郎社長はr内部監査室』をつかって社内のカネの流れを洗ったのです。
論説委員室も例外ではなく、徹底的に経費を再チェックした。
その際、若官の不正が発覚したのです。
中国にも支局はあるのだから、雑務に困ることは基本的にない。
女性秘書を連れていく理由は見当たりません。
会社の軽費として認められないのは当然です」
だが、論説主幹の不祥事だけに、この問題は一度は不問に付されそうな雰囲気だったという。
「ところが報告を聞いた秋山社長が直々に『誰だ、これは女じゃないか?』と問題視し、監査室が若宮に直接事情を問いただすことになった。
秋山と若宮は不倶戴天の敢として有名だから、その影響もあったのかもしれません。
結局、若宮はカネを弁済させられることになったのです」(同前)
それにしても若宮氏とこの女性秘書とは一体どんな関係なのか。前出の幹部が明かす。
「加藤さんは五十蔵前後、夫も子供もいますが、黒髪でほっそりした色白美人です。
高卒で、初めはキーパンチャーとして朝日に入社したはずですが、長らく『論説委員室員』として、論説主幹の秘書を務めてきました。
事務能力に長けた有能な人で、社内ではお局様的な雰囲気ですね。
しかし最近、『お客様本部』に配転されたと聞いています」
若宮氏と加藤さんは、以前から社内でこんな場面が目撃されていたという。
「たとえば若宮氏が急な葬式に出るような時、論説委員室内の『主幹室』という半個室で身支度をするのですが、若宮氏が礼服に着替えている最中に加藤さんが中に入り、かいがいしく身づくろいを手伝うんです。
いそいそとネクタイをしめてあげたりして。
傍から見ていると『何あれ?』って感じでしたよ(実)。
いわゆる職場妻のような雰囲気だったことは間違いありません。
それでも、若宮氏が彼女を中国に連れて行ったと聞いたときは皆で『エーッ!?』と驚きました。
中国にも支局はあるのに、なぜわざわざ加藤さんを同行させたのかと、みな怪訝に思っていました」(同前)
若宮氏は三十代前半でソウルに語学留学しており、韓国通としても有名だ。
「向こうではチョー・ヨンピルの師匠に歌を習っていたそうで、カラオケでも韓国語の歌を十八番にしています」(別の朝日OB)
韓国通ゆえか、韓国ネタになると筆が滑ることもある。
最も有名なのは論説主幹時代のコラム「風考計」(〇五年三月二十七日付)で、(いっそのこと(竹)島を(韓国に)譲ってしまったら、と夢想する〉 と書き、物議を醸した。
意外にも、ライバル社の主筆とは関係良好だという。
「じつは若宮氏は読売新肺の渡連恒堆会長兼主筆に可愛がられており、頻繁に大手町の読売の会長室を訪ねています」(同前)
これまで、〝女性問題″らしきものは一度だけあったという。
「彼が若い頃、韓国の女性から電話がA苔社にしきりにかかってきたことがあった。
それでもみんな若宮氏の将来を心配し、協力して電話を取り継がないようにしたんだ」(同前)
さて、中国出張の真相はいかに? 若宮民本人に聞いてみた。
- 加藤さんと一緒に行かれた中国出張の経費を弁済されたそうですが。
「ハッハッ(実)。あの~、えーと、ちょっとまあ社内のことなんで、取材に応じて私からベラベラしゃべるというのは……。
通常はね、広報を通してくれみたいな話になっちゃうんだけど、どうせ広報通しても、フッ(笑)、あれだろうから。いや、ざっくばらんに」
- 内部監査室が調査したと聞いているが。
「そこがね(笑)、色んなことをあれ(調査)してくれて、それ(出張)が問題にされちゃったんですよ。
それでね、僕はもう論説委員室を離れていたから、僕だけじゃなくて、論説委員室としても『それはおかしいんじゃないか』と抗弁してくれたんだけども、規定でね。
……まあ、監査の方も立場があるでしょうから。あんまり抵抗するのもみっともないし、そんなことで、痛くもない腹を探られるのも嫌だからね。
内心は釈然としないものがあったけども、『じゃあその分払いましょう』と」
FAXをもらうために同行?
- 何が問題とされたのか。
「彼女は論説説委員室員』という内勤職なんですよね。
内勤は、海外出演に行くことを聴務上認められていないんです。
僕がそこを、杓子定親に言えば、もうちょっと慎重に手枕きを踏んで、例外措置としてやっておけばよかったんだけど。まあこのご時勢なもんだから」
- 金額は致首万円という人もいるが。
「いやいや、とんでもない。せいぜい数十万円ですよ。加藤さんの交通費とかだけだからね」
- 行き先は中国か。
「そう中国。私の出版物が向こうで翻訳出版されて。
外交学会という、まあ向こうの外務省の外郭みたいな、しつかりしたところが、出版記念を兼ねて、私の講演会のような催Lをしてくれるということだったもんですから」
- 正式な出張だった?
「もちろん! 私の出版物ではあるけど、朝日新聞社から出たものですし、朝日新聞の北京の中国総局からも総局長をはじめみんな協力してくれて。色んな人も来るし、取材にも良いということで。
・…‥朝日新聞の社長も花なんか出してくれた催しなんですよ」
- 出張の期間は?
「三~四泊だったと思いますね。北京と上海」
- なぜ加藤さんを連れて行ったのか。
「彼女は論説全件の事務をやってくれていたんだけど、この本の出版に関してほ交渉だとか、色んなこともやってくれていた。
それに日々の社鋭もあるもんだから、向こうでFAXをもらったり、点検したりってのが結構面倒なんですよね。
それでまあ、論説の副主幹たちにも相談して、加藤さんに行ってもらおうということになったわけ。
経理が通っていたもんだから、何の問題もないと僕は思っていたわけね」
- 加藤きんに対し個人的な思いがあったのか。
「論説主幹の最後の方だったから、『長年付き添ってくれた人だし、という思いもあったんだろ?』と社内でも聞かれましたけどね。
そらまあ、否定はしなかったけど、そんな情実で行ったんではなくて、実際に会なんかでも、日本側の受付だとか、主催者ではわからないことがいっぱいある。
そういうのを、中国総局の人に余計な負担をかけるわけにはいかないんで……」
- 同じ部屋に泊まった?
「そんなことあるわけないじゃないですかあ。相手もちゃんとしたご主人も子どももいる人だから。
そんなやましい気持ちがあれば、そんな所に連れて行くわけないじゃないですか、逆に。そうでしょう?
……まあ、・自分の不徳の致すところです」
事態の重さをきちんと認識Lているのかどうか、終始笑いながら質問に答えた若宮氏であった。
一方の加藤さんにも聞いた。
- 若宮氏の訪中に同行した経緯は。
「私はあの本の中国語版の出版に準備段階から問わっていたんです。中で使っている写真とか、著作権関係のことも私が全部やりました。
あの当時、小泉首相が靖国に行かれたりして、日中関係がちょっと壊れたような状況だったんですよね。
若宮さんは民間外交みたいな意識もお持ちで、常に力を入れていました。それで向こうの外交学会が出版のパーティーをやって下さって、じやあ私も、ということになったんです。
私は内勤が海外出張に行っちゃいけないとかっていうのは全然知らなかったんです」
ー お二人が「不適切な関係」であることを指摘する声も社内にあるが。
「私は詮説主幹の秘書を十三年やったんです。若宮さんとは五年数カ月。長い時間を過ごして親しくならないほうがおかしいじゃないですか。男女関係とか全然ないですよ。
そういうことを言うかたが、じやあ朝日のために何をLているのかと、私は言いたいです」
毅然とLた口調でそう言い切った加藤さんだが、若宮氏の言い分にはいくつか疑問点がある。
まず、若宮氏ほ「副主幹たちにも相談して、加藤さんに行ってもらうということになった」と説明Lた。
だが、当時の副主幹の一人の説明は異なる。「相談と言っても、『事務員が一人いなくなって少し不便をかけるけど、よろしく』みたいなものでしたよ。
主幹が決めれば行けばいいわけだから。われわれに諮る必要はありません」
中国との親密すぎる関係
また、中国出襲の目的そのものにも、重大な疑惑がある。
「若宮氏を招待した中国人民外交学会とは、中国外交部の別働隊で、中国政府そのものです。基本的には大使経換者とか、外交部で部長や副部長を歴任したOBたちがサロン的に出向してくるセクションです。
そんな組織が、外国の記者が出した本の出版記念パーティーを主催する真には、何か思惑があるのでしょう」(全国紙外報部記者)
なぜ中国政府は若宮氏をそれほど大切にするのか。
ここで思い起こされるのほ、今回の尖閣問題だけでなく、靖国参拝問農など歴史認識が絡む問題となると、若宮氏はつねに中国に与する論を展開してきたことだ。
中国で翻訳出版され、出版記念パーティーが掃かれたのも、『和解とナショナリズ』(朝日選書)といぅ、おもに日中間の歴史認識を題材にした作品である。
「ほとんどブラックジョーク」と呆れるのは、産経新聞ワシントン駐在編集特別委員の古森義久氏だ。
「まるで『雨の降ってる晴天の日』というようなもの。
日本という、言論の自由の ある国のジャーナリストとして、言論の自由が無い独裁国家の政府機関に自らの言論活動をお祝いされるというのは本来ありえないことです。
私であれば、嬉々として出かけていくことなど考えられない」
ジャーナリストの櫻井よしこ氏も手厳Lい。
「中国にとっては、それだけ若宮氏が『大事な言論人』であるということでしょう。
意見は違っても、若宮氏は叢に催するジャーナリストだと思っていましたが、この件は朝日新聞と若宮氏の信頼性を大きく傷つけるものであり、とても残念に思います」
朝日新聞社に一連の経緯について見解を求めたところ、以下の回答があった。
(「社の経費を不正に使用Lた事実」も、若宮がそれを認めた事実もありません。
(内部監査室は)本件出張に関しては、同行した論説委員室員が日ごろ内勤業務に就いていたことから、海外出張させる場合は事前に経理部門の責任者にその必要性を説明し、承認を得ることが望ましかったとの趣旨の提言をしました。
若宮は出張が必要だったことを改めて説明するとともに、手競きに関する提言の趣旨を受け止め、同行Lた室員の航空運賃や宿泊費相当額の約50万円を一昨年12月、自主的に社に返納Lた次第です。)
経理への事前説明の有無や、「自主的に返納」という点など、若宮氏の説明とは若干異なる。
不正ではないなら、なぜ返納を受け入れたのかも疑問である。
若宮氏が主筆に就任したのは、本件が露見した後である。
日本を代表する報道機関の社論を代表する立場にある者として、若宮氏は中国という独裁国家との距離、公私の峻別を含め、自らの言動に細心の注意を払うべきではないか。
ではこの薄汚い日本に潜り込んで成り済ましている〇〇族が態々半島新聞に投稿した天皇を象徴として戴く日本民族を如何に口汚くののしったかを披露しよう。
親韓派メディア関係者の代表格といえる朝日新聞主筆の若宮啓文氏が、少し前に韓国紙に寄稿したコラムを読んだときも「空回りしているな」と感じざるを得なかった。
そのコラムで若宮氏は、天皇が韓国の大統領に対し「遺憾」を表明するためどれだけ苦心したかについて記し「(天皇には)謝罪の自由がない」と主張した。さらには「天皇は、自らの発言を批判されても、反論する自由がない。日本で天皇批判がタブー視されているのは、天皇が神聖な存在だからというよりは、批判に対して反論できない存在だから」とも記した。
天皇に謝罪の自由はもちろん、反論の自由がないとは、なんとおかしな主張だろうか。天皇という神聖不可侵な存在を侵犯した出版物・メディアに対するテロの歴史を振り返ってみると、若宮氏の主張は認識の差どころか、事実をごまかしているに近い主張だといえる。戦後日本で天皇批判がタブー視されるようになった決定的契機として、1960年の『風流夢譚(むたん)』事件が挙げられる。天皇が処刑される場面を描写した小説『風流夢譚』に激怒した右翼が、この小説を掲載した雑誌社の社長宅に侵入して家政婦を殺害、社長夫人に重傷を負わせたという事件だ。事件後、日本メディアは天皇関連報道の自主規制を慣例化するという態度を取った。84年には、天皇をパロディー化した絵を雑誌に掲載した作家がテロに遭い、肋骨(ろっこつ)骨折の重傷を負った。また雑誌の編集長が街の中で右翼に土下座し、謝罪するという事件も起きた。
雑誌やジャーナリストは、ひとたび「不敬」と見なされると、例外なく襲撃を受けた。問題の雑誌に広告を掲載していた企業は、広告をやめるよう脅され、広告の取りやめが相次いだ。皇室関連の記事で誤字・脱字があったり、写真の左右を間違えて載せたりした出版物や雑誌を、全量回収して廃棄するという事件が起こっても、それを内密にしておくのは珍しくないことだった。外部に知られれば、右翼の攻撃を受けて騒動が拡大する恐れがあったからだ。
事実上、天皇直属の宮内庁という強力な機関を動員し「不敬記事」は徹底して取り締まる。講談社は2007年、オーストラリアのメディア関係者が皇太子妃の皇室生活について書いた『プリンセス・マサコ』の日本語版を出版しようとしたが、宮内庁から圧力がかかり、突然出版を中止した。1990年には、ある週刊誌が皇太子の結婚問題を取り上げたところ、宮内庁から事実無根だと抗議された。雑誌の編集長は電撃更迭され、社長は宮内庁を訪れて謝罪した。93年には、『週刊文春』が皇室内部の事情を暴露する記事を掲載し、美智子妃自ら「事実ではない報道で、大きな悲しみと当惑を感じた」と反論、文芸春秋社の社長宅に銃弾が撃ち込まれるという事件も起こった。
日本は英国やオランダのような立憲君主制国家だが、日本と英国・オランダなどの間には厳然たる違いがある。英国では、君主制が必要かどうかを問う世論調査で「王室は必要ない」という回答が過半数を占めたという結果が報じられた。しかし日本では、皇室の存在について是非を問うこと自体、タブー視されている。日本はまだ近代国家ではなく「前近代国家=神の国」だからだ。
こんな国を相手に、練り上げられていない言葉で「謝罪せよ」と要求しても、要求が通るはずがない。李明博(イ・ミョンバク)大統領による「天皇謝罪発言」後、「親韓派」の日本人の怒りの表情や一変した姿を見て「韓日関係いまだ道遠し」という印象を強く受けた。
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