此奴は。恐らく在でも無いだろう。勿論、その在も二百数十人だったのに、日本のどの政権が膨大な量に偽造した? 更に、 【「日韓地位協定」と「覚書」の全文】 >>http://koukouya3.blogspot.jp/2017/06/blog-post_30.html …☜読むべし。強制送還出来ぬ。 戦後の政権が悪辣な朝鮮族だったことが分かる。
今日、日本在住の半島人が、全てが、(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位協定及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)千九百六十五年六月二十二日や協議の結果に関する覚書(一九九一年一月一〇日)で日本政府が護った在日朝鮮人で無いことは、多くの日本人は知っている筈?である。
では、日本政府が永住権を与えて保護?している所謂「在日朝鮮人」とは。
【「日韓地位協定」と「覚書」の全文】(☜クリックして開くべし)
で、如何定義され、又、其の定義は矛盾の無いものなのか検証して試る。
昭和34年時点で61万人中戦時徴用は245人!
昭和34.7.13 朝日新聞報道
大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行なっているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。 これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。 一、戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分、鉱工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。(中略) 一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引き上げ計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。(中略)現在、登録されている在日朝鮮人は総計61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労働者としてきた者は245人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。
日本の敗戦と半島二国の独立で、日本在住の朝鮮人は半島二国其々が面倒見るべきものである。縦しんば、大日本帝国の臣民として当時の日本政府の意志として、内地に呼び寄せた半島人ならばいざ知らず、 其の数はたった245人に過ぎなかったのである。然も、上述の総計61万人も、朝鮮戦争の半島の混乱を避けて日本に潜り込んだ膨大な朝鮮人もカウントされていて、この検証も為され無い儘、全て保護する対象とした当時の自民政権の日本民族に対する憎悪とも言える悪辣さが分かるのだ。抑、「日韓地位協定」で時の日本政府(自民党中曽根政権)が所謂在日朝鮮人を「千九百四十五年以前から申請の時まで引き続き日本国に居住している者」を基礎として決めたこと自体が間違いなのであり、日本民族に其の後恐るべき負担と脅威を齎した無責任さは、自民の政権維持に煩わしい問題を回避する為に、一方的に半島に阿った雅に日本民族に対する国賊行為以外の何者でも無いのである。
朝鮮人、韓国人は他の外国人と同じ程度に扱えばよいのです!
今はネットを消されて終ったが、同和対策都道県連(仮称)というのが在って、全国の地方自民議員の大半は此れだ。
安倍晋太郎は1943年(昭和18年)に岡山県の第六高等学校に入学。翌年9月、僅か1年半で繰り上げ卒業となり東京帝国大学に推薦入学する。同時に海軍滋賀航空隊に予備学生として入隊 当時、海軍予備学生には元衆議院議員 楢崎欣弥氏、海軍予備生徒には、安倍総理の父君 安倍晋太郎氏がいて、一階級上の楢崎氏は、安倍氏の面倒をみて、戦後、議会で再会、滋賀空時代の思い出を語り、親交を深めたという。 晋太郎は1924年、楢崎欣弥は1943年生まれで、上述は嘘。欣弥の1920年生まれの父弥之助との間違いだとしても、1942年秋から九州帝国大学法文学部法科に転じ在学中、1944年、学徒出陣で二等水兵として佐世保海兵団に入隊。復員後、1945年に九州帝国大学を卒業する。 楢崎は所謂被差別に関連。嘘の作り話は余計、晋太郎は怪しい。
安倍晋三は丸と朝鮮族で日本民族の血は一滴も流れて無い疑いは非常に濃い。あの異状な虚言癖は其の証明の氷山の一角。
水戸黄門の西村晃を次男に持つ西村真琴は洪浩然 の九代目である。此の人物は中国から二十数名の異民族を日本に連れて来たが、敗戦時、此のうち東大に入ったという一人の男子を残して、全て中国に還した。
此の一人の男子が安倍晋太郎に背乗りしたものか?
後に調べたが、海軍予備員の主な出身者の中には、飛行科予備学生第14期:昭和19年採用西村晃や兵科予備学生第4期:昭和18年12月採用田英夫:東京帝国大学在学中に学徒出陣、海軍兵科第4期予備学生として入隊し、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として八丈島に配置、ポツダム中尉で復員等の名があるが、安倍晋太郎も楢崎弥之助の名は書かれて無い?
こう成ると、安倍晋三が誕生してから僅か80日で安倍寛・静子夫妻が離婚して、静子が洪浩然 10代目の西村謙三の下に走って、後に終戦後、経済界の重鎮と成った晋太郎の種違いの弟洪浩然 11代目西村正雄を生んだのは夢か幻か?
※ 「海軍予備生徒」は、学徒出陣組の「海軍予備学生」と誤解しそうな名称ですが、別物。
元々は、商船学校の生徒が、その入校の日から同時に海軍予備生徒として任命され、卒業とともに予備少尉に任官する制度。民間の船に乗り込みますが、一旦お呼びが掛かれば海軍で御奉公する。此れが「海軍予備生徒」です。
其れとは別に全く同じ名称の「海軍予備生徒」の制度を、太平洋戦争中に作っていた。
先ず最初に学徒出陣を説明する。此れは二十歳以上の学生の徴兵猶予が停止され、該当者が陸海軍に入営、入団する制度だが、予備学生は「高専卒以上」が採用条件であったので、旧制高校や専門学校在学中で二十歳を超えた人は、学徒出陣にも拘らず学歴から士官への道が閉ざされて仕舞う。
其処で彼らの救済措置として、在学中の学徒を対象に特別に教育を施して少尉に任官させる制度が予備生徒。
軍隊経験無しでも、商船などでの勤務に応じて自動的に海軍での階級が上がる今までの予備員とは、違う制度。
完全に志願であり、下士官を養成する予科練とは、全く違う制度です。
続 く
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