漢陽趙氏 ― 朝鮮人の姓名 - 東京外国語大学
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韓国の戸籍を見ると、「本」という欄がある。これは「本貫」の略であり、始祖の出身地を表す。
本貫の欄に「金海」とあれば、その家系の始祖が金海という地の出身だということだ。姓が同じで本貫が同じことを「同姓同本」といって、同じ一族と看做される。反対に、姓が同じであっても本貫が異なれば別の一族と見なされる(同姓異本や異姓同本の中には、互いに同族と見なす一族もある)。
一族を呼称する場合、姓に本貫を冠して言う。例えば、本貫が金海で姓が金である場合は「金海金」、本貫が漢陽で姓が趙である場合は「漢陽趙」と呼ぶ。通常は、其の後ろに更に「氏」を附して「金海金氏」、「漢陽趙氏」の様に呼ぶ。苗字は法律上「姓」であるが、此の様な呼称の場合には慣用的に「氏」を附する。また、自分の一門を呼ぶ場合には「漢陽趙哥(か)」と言うのが正しいとされるが、最近の若い人は知ら無い人も居る様である。
始祖の出身地である本貫の場所は、其々の一族に依って区々である。朝鮮国内でも在り得るし、国外(中国)でも在り得る。亦、本貫の場所は必ずしも史実に則ったものとは限らず、或る場合には後世の仮託に依ると見られるものもある。例えば、孔氏は孔子の出身地である中国山東省の曲阜を本貫とし、諸葛氏は諸葛孔明の出身地である南陽を本貫として居るが、其々の一族が本当に孔子や諸葛孔明の子孫なのか如何かは科学的に立証出来ない。我が漢陽趙氏の場合、始祖の出身地は咸鏡南道であるにも関わらず、本貫は漢陽(現ソウル)である。此れは一族が李氏朝鮮の開国功臣と成って漢陽に移り住んだことから、漢陽を本貫とした為である。
同姓同本の人々は皆一族と看做されるので、同姓同本の男女は譬え全く面識が無くとも近親と看做され、結婚を避ける風習がある。遂最近迄、韓国では民法によって同姓同本の結婚が出来無かったが、1997年に憲法裁判所が民法の同姓同本による結婚禁止条項を無効としたので、現在は同姓同本でも結婚ができるようになった。考えて観れば尤もである。見ず知らずの男女が恋に落ちて、蓋を開けて看たら実は同姓同本だから結婚が出来無い等という話はばかげている(以前は、こういう場合、諦めてきっぱり別れるか、さもなくば駆け落ちして事実婚するしか無かった)。然し乍ら、一般的な風習としては、依然として同姓同本の結婚を避ける傾向にある。この様な風習から本貫は姓と同様に重要なものだという考えがあり、朝鮮人(取分け本国に住む韓国人)で自分の本貫を知らない者は居無い。
亦、朝鮮では跡継ぎ(男子)が居ない場合に、日本の様に入り婿を取ることをせず、男子を養子に取るが、養子を取る際には異姓の人を養子に取らず、必ず同姓同本の一族の中から養子を取る。然も、必ず子供の代と同じ代の人を養子とする(例えば、30代目の人が養子を取るときは、同姓同本の31代目の人を養子に迎える)。このような子供を「系子」というが、場合によっては子供でなく孫を養子に取る。
尚、選択制とは言え、夫婦の間に生まれた子供は夫婦の一方の姓を名乗らせる。此の様な因習を日本に持ち込む真意は?結婚は離婚を前提にするものでは無なく、子供は両親が育て上げるものである。尚、選択制とは言え、夫婦の間に生まれた子供は夫婦の一方の姓を名乗らせる。此の様な因習を日本に持ち込む真意は?結婚は離婚を前提にするものでは無なく、子供は両親が育て上げるものである。
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