私は、バスを求めて、田舎道を歩いていく。大和三山が美しい。それは、どの様な歴史の設計図をもってしても、要約の出来ぬ美しさの様に見える。(小林秀雄 蘇我馬子の墓)
小林さんは石舞台近くを歩いている。「泥小屋探訪 奈良・山の辺の道」という本がある。この日本最古の道は泥小屋探訪にも最高だそうである。確かにこんな観点で山の辺の道を取り上げた者はこれまでいないとの藤森さん意見にうなづいてしまう。
子供の頃はよく見かけたものである。壁は泥だけの家を。柱と柱の間には竹で編んだ網があった。ここに泥土を塗るのである。どうも、この方法はこの国でも奈良にしかないそうだ。土の建築は世界中に見られるそうなのに。
日本経済新聞の半歩遅れの読書術に書いてあった。高校生まで山の辺の道の近くで生活していた。西に葛城山、二上山、生駒山そして南に大和三山が見渡せる場所が好きだった。帰省した時はこの場所を必ず訪ねていた。今や、その当時の面影はない。開発で光景は一転した。記憶に残るのみである。当時バスが走る道は砂利道であった。