ミュンヘン国際空港。ここにある売店で買った、ハンガリーワインが美味しかった。
自由行動日に、バスと地下鉄を乗り継いで、ミュンヘンへ出かけた。ひとりで旅に参加していた19歳のバスガイドさんも一緒だった。
成田の受付で、ご両親から「よろしくお願いします」と声をかけられた。
日曜日のためでもあるが、ミュンヘンの繁華街はごった返していた。このデパ地下はANAのCAさんが教えてくれ、チーズを買った。
デパートの違う階。
写真には、客が少ないように見える。が、どの売り場も、ごったがえし状態なのだ。平日の昼前から、地上の通りも、店内も、カフェも、ひとひと、そして、ひと。この百貨店だけでなく、周辺の店は、日本で言えば、ボーナスサンデーのような、混雑だった。街の様子からもうかがえるように、今年のドイツ経済は、好調だった。
しかしながら、光りばかりではないのが、世界の現実でもある。ドイツの農業は、打撃を受けている。農家は、さらに、減少した。また、酪農家も減少中である。糞尿を燃やした発電で、売電したほうが、酪農より、収入になるそうだ。郊外の酪農家の家の大きな屋根には、太陽発電装置が付いていた。この、電力も売電するそうだ。海外からの安い、農産物を買うひとが多いためだ。
高速道路(アウトバーン)のサービスエリア。
ミュンヘンにあるビアホール。ヒトラーがこの2階から演説したそうだ。
ザルツブルグ(オーストリア)だと思う。
ミュンヘンに着いた夜は、眠れなかった。午前1時半ごろ、目が覚めた。それから、ベッドで、うつらうつら。
しかし、3時ごろにベッドから起きた。最初は、ベッドにうつ伏せになり、本を読んでいた。枕もとには、読書灯が付いていた。それも、スポット型の、なかなか優れた機能。
そのうち、起き上がり、写真のライトの下で、本を読み続けた。テーブルには、白ワイン。オーストリア産で、空港内の小型スーパーで買った。昨夜の夕食は、ホテルの部屋で食べた。ドイツパン2個、クロワッサン1個。聞いていた通り、新鮮な味。ワインとも合った。
さて、本題に入る。思考の本質に人体組織が何の関わりも持っていないのなら人間存在全体にとってこの組織はどんな意味を持っているのか。この組織の中で思考を通して生じるものは、確かに思考の本質と何の関係も持たないが、しかし思考からの自我意識の成立とは関係がある。今回、持参した本の題名は「自由の哲学」(ルドルフ・シュタイナー)という。
行き帰りの飛行機でも読んだ。世の中を左右するのは、自我に、本質があるのではないか。これが、前からの生きる目的でもある。自我のことを考えることが。公共心といい、正義といい、いずれも、こころの問題である。こころは、意志の問題だ。生きる目的が何であるか。社会人? 私人? ここが、分岐点である。
平和に生きるためには、安心と安全が保障された世界が必要だ。その目的を実現するために、ひとは、歴史を刻んできた。だがしかし、無差別大量殺人テロをはじめ、政治経済の混乱は、消えない。無くならないのは、ひとであるから所以でもある。
そして、来年は、日本の命運を決する年であると聞く。そうであろうと思う。多くの人が、そう考えれば、救いはあるのだが。少なくとも天星は、そう、考えたい。この目的に向けて、何を為すべきか。
ホテル中庭。
ミュンヘンで、ランチ。
上の写真のカフェで。