かなり長々と書いちゃった今回の旅レポもコレがラスト!
今回も9月に行ってきた、別所温泉一人旅レポの続きです^^
別所温泉から善光寺へ足を伸ばし、今回初めての両詣りを実現、コロナ終息や皆さんの健康のお参りをさせてもらった今回の旅!
時間的にもう帰路についても?と思うも、今年の旅行の少なさに観光の対して欲が出てきたこのタイミング(笑)
現地滞在のタイムリミット迫る中、一路クルマを向かわせたのは・・・
今回の旅の「別所温泉」など、その場所はズバリ「真田幸村」の歴史を刻む場所。
そう言って、上田城は何度も足を運んだので・・・そう考えた時にもう1か所、ココは行っておきたいと思う場所が急に頭に浮かび~~~
善光寺からクルマで30分ぐらいだったかなぁ?
ナビを観ながら着いた先はココっ!
「真田宝物館」
ココは長野市松代町にある、真田家ゆかりの地になります^^
この宝物館には、真田家に伝わる武具、調度品、書画、文書などの大名道具を収蔵・展示する博物館。
そんな中には武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・徳川家康らの書状や、国の重要文化財「青江の大太刀」、真田昌幸(信之・幸村の父)の「昇梯子の具足」など貴重なものも多数展示されています!
時間的にキビシイかなぁ~と思ったんですが、時間的なこともあって館内の人はほんの僅か^^
マイペースで人と重なることもなく観ることが出来ました♪
派手さよりも、生活感などが良く解る展示品が多く、その時代の雰囲気もまた観ることが出来てGood!
でっ!
同じく同じ街にある、こちらにも足を運んでみました!!
国指定史跡「真田家」
九代藩主・真田幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864年に建築した松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれてたという場所^^
この江戸末期に建てられた建物がそのまま残っていて、ココに保管されていたものなどが先の「宝物館」に寄贈されたものなどになるそうで!
この建物、決して金箔などの派手さはないのですが、仕事をする「表」と生活する「奥」がしっかり区別された御殿建築。
観光展示目的で、手を加えられた感じがなく当時の古き良き時代をノンビリ観ることが出来ました♪
ふすまや壁などには、唐紙が使われる、柄がある内装になっているような特徴的な部屋があったり、寒さを防ぐために床が二重になっていたり^^
代々続いた真田家が所有していたこの建物、昭和41年に当時の松代町に寄贈されたそうですが、とても大切に使われてきたんだろうなぁ♪
そのほとんどを観覧できる御殿内は、当時の当主が使っていたトイレなども観ることが出来て、コレなんと便器は漆塗りで、しかも床は畳の部屋・・・
落ち着いて用を足すことが出来たんでしょうかねぇ?(笑)
また浴場だった場所も観ることが出来ました!
もちろんココには木造の湯船があったそうですが、この床面が斜めになって水はけがよくなっている構造など、今の建築にも繋がるものがありますね^^
純和風な江戸時代から続く庭園があったり、白壁の土蔵があったりと、その広大な屋敷は当時からの真田家の力が判るというものです!
戦国の真田幸村の時代も有名な話ですが、その後の江戸時代から昭和まで続いた歴史を刻むこの屋敷もまた見どころ沢山な場所でしたハイ♪
そんな感じの、歴史ある建物をみて大満足^^
でっ!
時間もういよいよ帰路の時間が差し迫り・・・と言って、公共機関を使っているワケじゃないので遅くなっても困らないんですが・・(笑)
やっぱり日が変わらないうちに、余裕を持った時間でノンビリ安全運転で帰宅したいこともあり、そろそろ時間的にギリギリだよなぁ~と思いつつ最後にココへ!
どうしても見たかったんです!
「松代城跡」
松代城(まつしろじょう)というとピンとこないかも知れませんが、ココにあったお城は何度も名前を変えています。
この城跡、松代城の戦国時代の名前が「海津城」(かいずじょう)と言われると、ココが解る方も多いのではないでしょうか??
そう!あの武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を争った「川中島の戦い」で、武田側が拠点とした有名な城があった跡なんですココ!!
築城年は不明ながら、信玄が軍師の山本勘助に命じて築城したと言われています。
この城、武田家が滅亡後、織田家の森長可が入城したがすぐに本能寺の変が起き、その後は上杉家が侵攻。
1598年に豊臣家によって上杉家が会津に移封になると、今度はここに豊臣方の田丸直昌が入城するが、その2年後に直昌は美濃・岩村城へ。
森忠政が代わりに入城し、その時に海津城から待城(まつしろ)に改名しているようです。
1616年、代わって松平忠昌が入城すると「待城」から「松城」へ改名。
1619年には酒井忠勝が入るが、1622年に関ケ原の合戦・大坂の陣で徳川方についた真田信之(真田幸村の兄)が入城。
1711年に徳川幕府の命によって「松代城」と名を改めてます。
ホント詳しく書こうと思うと大変なことになるのですが、この城が戦国の世から何回も城主を変えて明治維新まで続いて行った歴史があります。
今は野面積の石垣や門などが復元されているものの、もともと平城だった本丸は復元されておらず大きな公園のようになっていました。
この場所は「松代城跡」なのですが、立っている石碑には「海津城跡」となっているのが面白いところでした(笑)
9月半ばとはいえ、さすがにPM5時を過ぎて日は暮れてきて~
ココから素直(笑)に近くの「上信越自動車道」~「長野自動車道」~「中央自動車道」~「東海環状道」~的な感じで高速道路を乗り継いで帰宅しました♪
このコロナ渦の中、毎年お世話になっていた宿が大変なことになっているのではないか?
そう思った時、今年の旅は楽しむ旅というよりも「恩返しの旅」を念頭において計画し、中でも5年以上連続でお世話になっていた宿を中心とした今年の旅。
そして今回の別所温泉の旅が今年3回目の温泉旅となりました^^
各旅先で、コロナ対策を考えながら「行ける場所」「自粛する場所」を自らの基準のもとに設定しての旅となりました。
今回の旅もまた普段とは違うコロナ渦の中での旅。
それでも出来るだけ多くの観光地を回ることを今回の目標として、旅をしてみました!
観光地などは事前に人混みなどをリサーチして、混み合う可能性のある場所は時間をずらして行ってみたり^^
共同浴場や日帰り温泉施設は地元の方のご迷惑にならぬよう自粛して
そんな旅も、ソーシャルディスタンスをしっかり保ちながらも自身はしっかり楽しめた旅となりました!
このコロナ渦の中でも旅は出来ると確信していますし、その気持ちが宿の、観光地の経済活動に結びついて行くのだと思います。
今回の「別所温泉 上松や」さんもまた、昨年の台風被害からのコロナと大変な状況ながらしっかりと頑張っている姿を拝見し安心しました!!
もっとも、こんな時ですら「御世話になりっぱなし」でホント恐縮ですがアハハハ^^;
しっかりとした宿は、コロナ感染対策も万全体制♪
もちろん大人数での宿泊は・・・ですが、こんな時こそ自信のストレスを発散する為にも「今できる旅」を皆さんも楽しんでもらいたいなぁ~と思った次第です!
(おわり)
今日もめでたし~めでたし~!!
今回も9月に行ってきた、別所温泉一人旅レポの続きです^^
別所温泉から善光寺へ足を伸ばし、今回初めての両詣りを実現、コロナ終息や皆さんの健康のお参りをさせてもらった今回の旅!
時間的にもう帰路についても?と思うも、今年の旅行の少なさに観光の対して欲が出てきたこのタイミング(笑)
現地滞在のタイムリミット迫る中、一路クルマを向かわせたのは・・・
今回の旅の「別所温泉」など、その場所はズバリ「真田幸村」の歴史を刻む場所。
そう言って、上田城は何度も足を運んだので・・・そう考えた時にもう1か所、ココは行っておきたいと思う場所が急に頭に浮かび~~~
善光寺からクルマで30分ぐらいだったかなぁ?
ナビを観ながら着いた先はココっ!
「真田宝物館」
ココは長野市松代町にある、真田家ゆかりの地になります^^
この宝物館には、真田家に伝わる武具、調度品、書画、文書などの大名道具を収蔵・展示する博物館。
そんな中には武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・徳川家康らの書状や、国の重要文化財「青江の大太刀」、真田昌幸(信之・幸村の父)の「昇梯子の具足」など貴重なものも多数展示されています!
時間的にキビシイかなぁ~と思ったんですが、時間的なこともあって館内の人はほんの僅か^^
マイペースで人と重なることもなく観ることが出来ました♪
派手さよりも、生活感などが良く解る展示品が多く、その時代の雰囲気もまた観ることが出来てGood!
でっ!
同じく同じ街にある、こちらにも足を運んでみました!!
国指定史跡「真田家」
九代藩主・真田幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864年に建築した松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれてたという場所^^
この江戸末期に建てられた建物がそのまま残っていて、ココに保管されていたものなどが先の「宝物館」に寄贈されたものなどになるそうで!
この建物、決して金箔などの派手さはないのですが、仕事をする「表」と生活する「奥」がしっかり区別された御殿建築。
観光展示目的で、手を加えられた感じがなく当時の古き良き時代をノンビリ観ることが出来ました♪
ふすまや壁などには、唐紙が使われる、柄がある内装になっているような特徴的な部屋があったり、寒さを防ぐために床が二重になっていたり^^
代々続いた真田家が所有していたこの建物、昭和41年に当時の松代町に寄贈されたそうですが、とても大切に使われてきたんだろうなぁ♪
そのほとんどを観覧できる御殿内は、当時の当主が使っていたトイレなども観ることが出来て、コレなんと便器は漆塗りで、しかも床は畳の部屋・・・
落ち着いて用を足すことが出来たんでしょうかねぇ?(笑)
また浴場だった場所も観ることが出来ました!
もちろんココには木造の湯船があったそうですが、この床面が斜めになって水はけがよくなっている構造など、今の建築にも繋がるものがありますね^^
純和風な江戸時代から続く庭園があったり、白壁の土蔵があったりと、その広大な屋敷は当時からの真田家の力が判るというものです!
戦国の真田幸村の時代も有名な話ですが、その後の江戸時代から昭和まで続いた歴史を刻むこの屋敷もまた見どころ沢山な場所でしたハイ♪
そんな感じの、歴史ある建物をみて大満足^^
でっ!
時間もういよいよ帰路の時間が差し迫り・・・と言って、公共機関を使っているワケじゃないので遅くなっても困らないんですが・・(笑)
やっぱり日が変わらないうちに、余裕を持った時間でノンビリ安全運転で帰宅したいこともあり、そろそろ時間的にギリギリだよなぁ~と思いつつ最後にココへ!
どうしても見たかったんです!
「松代城跡」
松代城(まつしろじょう)というとピンとこないかも知れませんが、ココにあったお城は何度も名前を変えています。
この城跡、松代城の戦国時代の名前が「海津城」(かいずじょう)と言われると、ココが解る方も多いのではないでしょうか??
そう!あの武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を争った「川中島の戦い」で、武田側が拠点とした有名な城があった跡なんですココ!!
築城年は不明ながら、信玄が軍師の山本勘助に命じて築城したと言われています。
この城、武田家が滅亡後、織田家の森長可が入城したがすぐに本能寺の変が起き、その後は上杉家が侵攻。
1598年に豊臣家によって上杉家が会津に移封になると、今度はここに豊臣方の田丸直昌が入城するが、その2年後に直昌は美濃・岩村城へ。
森忠政が代わりに入城し、その時に海津城から待城(まつしろ)に改名しているようです。
1616年、代わって松平忠昌が入城すると「待城」から「松城」へ改名。
1619年には酒井忠勝が入るが、1622年に関ケ原の合戦・大坂の陣で徳川方についた真田信之(真田幸村の兄)が入城。
1711年に徳川幕府の命によって「松代城」と名を改めてます。
ホント詳しく書こうと思うと大変なことになるのですが、この城が戦国の世から何回も城主を変えて明治維新まで続いて行った歴史があります。
今は野面積の石垣や門などが復元されているものの、もともと平城だった本丸は復元されておらず大きな公園のようになっていました。
この場所は「松代城跡」なのですが、立っている石碑には「海津城跡」となっているのが面白いところでした(笑)
9月半ばとはいえ、さすがにPM5時を過ぎて日は暮れてきて~
ココから素直(笑)に近くの「上信越自動車道」~「長野自動車道」~「中央自動車道」~「東海環状道」~的な感じで高速道路を乗り継いで帰宅しました♪
このコロナ渦の中、毎年お世話になっていた宿が大変なことになっているのではないか?
そう思った時、今年の旅は楽しむ旅というよりも「恩返しの旅」を念頭において計画し、中でも5年以上連続でお世話になっていた宿を中心とした今年の旅。
そして今回の別所温泉の旅が今年3回目の温泉旅となりました^^
各旅先で、コロナ対策を考えながら「行ける場所」「自粛する場所」を自らの基準のもとに設定しての旅となりました。
今回の旅もまた普段とは違うコロナ渦の中での旅。
それでも出来るだけ多くの観光地を回ることを今回の目標として、旅をしてみました!
観光地などは事前に人混みなどをリサーチして、混み合う可能性のある場所は時間をずらして行ってみたり^^
共同浴場や日帰り温泉施設は地元の方のご迷惑にならぬよう自粛して
そんな旅も、ソーシャルディスタンスをしっかり保ちながらも自身はしっかり楽しめた旅となりました!
このコロナ渦の中でも旅は出来ると確信していますし、その気持ちが宿の、観光地の経済活動に結びついて行くのだと思います。
今回の「別所温泉 上松や」さんもまた、昨年の台風被害からのコロナと大変な状況ながらしっかりと頑張っている姿を拝見し安心しました!!
もっとも、こんな時ですら「御世話になりっぱなし」でホント恐縮ですがアハハハ^^;
しっかりとした宿は、コロナ感染対策も万全体制♪
もちろん大人数での宿泊は・・・ですが、こんな時こそ自信のストレスを発散する為にも「今できる旅」を皆さんも楽しんでもらいたいなぁ~と思った次第です!
(おわり)
今日もめでたし~めでたし~!!
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