中学高校時代に習ったはずの「四大文明」。エジプト、メソポタミア、インダス、そして中国。北に黄河、南に長江が流れ、黄河周辺に6000年ほど前から栄えたのが黄河文明。
存在が疑問視されたが、確かに存在したという証拠が次々と明らかになった夏王朝は紀元前2000年、その次が殷王朝と周王朝が紀元前1000年。紀元前後には秦王朝に前漢後漢、三国時代へと連なるので、ここら辺りからは「項羽と劉邦」「三国志」などで身近に感じるが、夏王朝の頃には、今は砂漠地帯になっている黄河流域は森林地帯だった。大躍進時代の戦国時代から秦王朝漢王朝時代に耕作地が拡大し、大規模な建設活動で大規模な木材伐採が進んで、黄河流域は砂漠に変質してしまった。樹木がなくなった大平原には、保水能力が失われ更に木が生えず、その結果雨がふらず黄砂が降り注ぎ広大な黄土地帯となった。黄河の清流は濁流となり飲用にも適さなくなる。
しかし木材を建築材料として使えなくなった文明は、黄土によるレンガ建築を生み出す。レンガ建築を生み出した文明は、陶器、青銅器、鉄器を火の使用から生み出す。長大な万里の長城は、黄土を木材の枠で固める技術で積み上げられた連続した壁である。版築と呼ばれる木枠と黄土による壁の建築技術は、現在の土木技術にも継承されている。黄河北域に広がる遊牧民地帯からの侵入に頭を悩ませた中国王朝が時間をかけて積み上げた長城。黄河流域にあった木・火・土・金・水を活用して建設され現代までも残る偉大な遺跡である。
細かい紋様が刻まれた青銅器を作る技術は、きめ細かい黄土とその土による型枠製作による結果である。周辺勢力をなぎ倒した青銅器による武器は、こうした木火土金水の資源によりもたらされた。黄河文明は、黄土によりもたらされた青銅の王国であった。
このシリーズ、その他の四大文明も網羅している。エジプトは吉村作治が編集者、読む時間がたっぷりある次はメソポタミア、インダス、エジプトも読んでみたい。