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意思による楽観のための読書日記

「土佐日記」、「蜻蛉日記」、「とはずがたり」 日本の古典を読む7

本シリーズは面白い。最初にあらすじが示されたうえで、現代語訳文に続いて原文が少しずつ掲載され、理解に必要となる地図や系図、図絵も掲載されているので理解が進む。抄訳なので途中で諦めたりすることもなく読了まで行けるので達成感も味わえる。源氏物語で味をしめたので本書も手に取った。いずれも日本史のお勉強で名前くらいは目にしたことはある日記やエッセイ。

「土佐日記」は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」で始まる。古今和歌集編者である紀貫之による土佐国司としての赴任先からの帰京を、随行の女性が記した日記としたもの。内容的には実際の旅行記というよりも、経験した旅行を思い出しながら、面白そうなエピソードを、貫之お得意の和歌を交えて書き連ねたもの。934年12月21日に国司の館を出発した一行が、船旅で風雨に阻まれ停泊を余儀なくされながら2月16日に京に到着するまでの日記となる。多くの和歌は、国司、書き手女性、子供や船人に関するものなどで、旅を表す手段として和歌が使われる。つまり、それまでの書き物は歴史書や和歌集、漢詩などであり、和歌による人がもつ心の動きの表現と実際の生活がつながりにくい歯がゆさが貫之にはあったのだろうか。土佐で子供を失った旅人の歌がたびたび登場していることから、この日記で人のこころを表現したいという貫之の考えが、込められている。古今和歌集で収録した「天の原ふりさけみれば・・」「世の中に絶えて桜のなかりせば・・」などを一部改変して掲載していて、古今和歌集の宣伝になっているところも面白い。

「蜻蛉日記」は道綱の母が954年に時の右大臣師輔の三男だった兼家の求愛を受けて、結婚、兼家が作者の邸に通い始めるところから始まる。すぐに息子となる道綱を産んで安心と思ったら、兼家は他の女に入れあげてしまい足が遠のく。兼家は藤原中正の娘時姫を嫡妻とし道隆、道兼、道長らを産むため、道綱の母は気がきではない。それでも、時々は子供の顔を見るためか訪問はあり、作者も病気の兼家の看病をしたりして二人の愛情が深まるということもある。こうして、気持ちが上がったり下がったりして思うようにはならない思いを「蜻蛉」と表現して日記に残し、後世の女性たちに参考にしてほしい、というのが作者の考え。兼家との年月も15年ほども経過したころ、安和の変(左大臣源高明左遷)があり、兼家にも時の風が吹いてくるが、作者はそんなことよりも高明の妻に同情して長歌を送る。多忙になった兼家の足は遠のき、作者は道綱を連れて石山寺に詣でたりして、そのうち西山の山寺にこもってしまうが、兼家は彼女たちを連れ戻しに来る。970年ころの賀茂の臨時祭で息子の道綱が公卿たちから大切に扱われ、兼家も大出世をしているさまを見て安心する。974年の年末、元日の用意をするところで日記は終わる。こうした女の一生はまさに相手の男次第、作者の思い通り紫式部はこれも読んでいて、源氏物語の参考にしたのではないだろうか。

「とはずがたり」は1271年、作者が14歳の時に後深草院に寵愛される場面から始まり、1306年に後深草院死去のあとの葬儀を終えて「とはずがたり」も終わる。日記のようでもあり、自叙伝でもある。作者の父は久我雅忠という大納言で母は四条隆親という兵部卿の娘で大納言の典侍(すけ)。そのため、作者は高位の姫君ではあるが、母は時の天皇だった後深草院の初体験指導者となっていて、その娘を「紫の上」のように4歳の時に内裏に引き取って、その後大切に育て上げてきていた。あつかいは女御、更衣いずれでもない天皇をお世話する女官であるため、天皇に近づく多くの男性に求愛されて、それを受け入れて波乱万丈の人生を送った作者。しかし最後は後深草院の葬送の列を追って、履物が脱げてしまっても伏見あたりまで追いかけてしまうほど。

エピソードとして出色なのは、源氏物語の「六条院での女楽」を再現しようという場面。光源氏は六条院に嫡妻女三宮、紫の上、花散里、明石の君を住まわせていて、琴や琵琶などを演奏させる場面があるが、作者はその中では一番身分が低かった明石の君の役割を割り当てそうになると、その場から退出、御所からも出奔する。後深草院は作者の気持ちはもっともだと自ら連れ戻しに来てくれる。後深草院の正妻東二条院は、院に寵愛されている作者を恨んでいて、作者は祖父から御所からの退出を命じられてしまったため、本当に出家してしまう。その後鎌倉や宮島などを旅した作者は、石清水八幡宮で偶然出家姿の後深草院と出会う。1283年に御所を出てからずいぶんと年月を経ているのに、院は作者の姿を認め、一夜語明かす。その後、後深草院は死去、作者は院の葬送の車を裸足で追う。そしてのちに訪れた石清水八幡宮で後深草院の皇女である遊義門院と再会し、不思議な再会をかみしめて「とはずがたり」は終わる。女性の一生はパートナー次第、という強烈なメッセージ。

驚くのは、「蜻蛉日記」は50年後の「源氏物語」に影響を与え、「源氏物語」は、250年後の貴族たちの生活に強く影響を与えていること。当然だが紀貫之をはじめ多くのその後の時代の人たちも万葉集の和歌をベースに和歌を詠んでいる。現代日本人が、そうした歴史を背負って暮らしていることを考えれば、外国人たちが「日本語と日本文化の奥深さ」を語ることを改めて深く噛み締めてしまう。言語を学ぶのは、言葉の文法とその文化、歴史を学ぶこと、と言われるが、日本語が奥深いのは、その列島での歴史が縄文、弥生、そして古墳時代以降の被征服や王朝変更などがなく、一本でつながっていることが強く影響していると思える。本シリーズ、他の巻も手に取ってみたい。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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