タイトルになったアリアがあるマタイ受難曲は、演奏には3時間もかかる宗教曲で68曲からなる。学生時代に、楽器運搬のアルバイトをした時に、NHKフィルと、コンマス徳永二男、全盲のバイオリニスト和波孝禧の共演のゲネプロを聞いた。毎週教会に行ってお祈りし、ユダの裏切りや最後の晩餐などキリスト受難の物語を知って、そのストーリーに沿ってこの曲を聞いたら感動するのかもしれない。学生の管楽器奏者だった自分には正直、長くて退屈な曲だったが、570ページもある本書は一気に読んでしまった。
Wikipediaによれば第一部は29曲ありユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの捕縛まで、第二部は39曲で、イエスの捕縛、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、復活を恐れた墓の封印までを扱う。本書タイトルはその第39曲アリアのタイトルより。1939年録音、メンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、第二次世界大戦の数ヶ月前の版では、戦争の予感から第39曲の独唱が終わった直後に、女性のすすり泣きとも聞き取れる音声が混じっており名演と評された。本書にはこの曲のような流れがあり、時々に音楽の話題も挿入され、「すすり泣き」逸話も語られる。
本書主人公の黒澤百々子は、何不自由ない企業経営者の孫、その後継者の一人っ子として生まれたが、百々子が12歳の時に両親が殺害された。犯人は不明のまま物語はその時から始まり、百々子は、黒澤家でのお手伝いさんとして最も親しくしていたたづの一家に引き取られる。たづには夫の多吉、百々子の5つ年上の紘一、一つ年上の美佐という家族がいて、温かい家庭を百々子に体験させてくれる。百々子の進学、紘一への恋心、音楽大学への進学と百々子の恋、などが語られるが、その時々に、通奏低音のように、百々子の母が好きといったチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」が聴こえてくる気がする。その曲は百々子の母が殺害された時に聞いていた曲であり、犯人を想起させる。物語の早い段階で犯人は仄めかされ、途中からは、本来は憎き犯人が「憐れみたまう」対象のようになってくる。百々子にはその後「禍福は糾える縄の如し」の人生があり、百々子が還暦を過ぎて認知症の兆候が見える頃までが語られる。
作者は1990年に夫の藤田宜永とともに長野県軽井沢町に移住、1995年には直木賞、その後も数々の文学賞を受賞したが、2008年には軽井沢の自宅で火災が発生、父を2009年に、母を2013年に亡くす。また、夫が肺がん宣告を受け、2020年に亡くす。こうした経験を踏まえてなのか、本書は、人の長い一生で経験する生老病死を描き上げた渾身の一冊で、2021年6月に出版された。