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意思による楽観のための読書日記

新・民族の世界地図 21世紀研究会編 ***

世界では21世紀の今になっても諍いが絶えない。その原因やきっかけとされるのが、国境を定めた歴史的経緯や宗教・民族・言語の違い、そして資源の存在である。そして侵略を受けた民族や国民が侵略者を憎む事がある。その際、侵略者の言語やシンボルマークを憎悪の対象とするすることもある。第三者から見れば些細な相違をあげつらっているようにみえる場合でも、当事者同士ではそうはいかないケースが多い。そもそも世界は繋がっていて、地球上の諍いに第三者など存在しないのかもしれない。本書は、民族、言語、宗教、国境などの歴史的背景を解説する。

旧ソ連を形成していたCIS諸国とバルト三国では、ロシア語とキリル文字を強制されていた恨みの反動から、独立後は独自言語を公用語とし、グルジアは国名もジョージアに変更した。ニュージーランドの先住民マオリ族は白豪主義の同化政策から英語を強制されてきたが、1987年にようやくマオリ語が英語とともに公用語に制定された。イギリスでもウェールズでは1988年にウェールズ語を公立校で必修科目とされる。スペインは各地方の独立性が高いが、カタルーニア地方ではカタルーニア語とカスティーリャ語が公用語とされ小学校ではスペイン語教育が行われないという事態にもなっている。ピレネー山脈の西のバスク地方では欧州の孤立言語ともいわれるラテン語系のバスク語が話される。欧州での言語の殆どはインド・ヨーロッパ語族だが、ハンガリー、フィンランド、エストニア、北欧サーミ語、ウラル語などが例外とされるが、バスク語はそれらとも異なる。ハンガリー語はアジア系とされ、モンゴル系遊牧民匈奴の末裔だった人々がそこに住み着いたマジャール人だとされる。フィンランド語とエストニア語はマジャール語のと親戚関係。

宗教で、国教が定められているのは、キリスト教カトリックではバチカン、アルゼンチン、コスタリカ、パラグアイ、ボリビア、マルタ。プロテスタント福音ルター派(エヴァンジェリカル)はアイスランド、スウェーデン、ノルウェー。イングランド国教会がイギリス、ギリシャ正教がギリシャ。イスラームではアフガニスタン、アラブ首長国連邦、イエメン、オマーン、クウェート、サウジアラビア、パキスタン、バーレーン、スーダン、バングラデシュ、ブルネイ、マレーシア。イスラームでもスンナ派がアルジェリア、エジプト、カタール、コモロ、ソマリア、チュニジア、モーリタニア、モロッコ、リビア、モリディブ。シーア派がイラン。仏教はタイ、チベット仏教はブータン。英国では国教会メンバー170万人とは別に、長老派(Presbyterians)が100万人、それ以外にメソジスト派とバプティスト派はウェールズでの二大宗派とされるが、200万人のイスラーム、50万人のシク教徒、50万人のヒンズー教徒、30万人のユダヤ教徒がいるとされる。

世界には先住民族とされる人々が50種類以上存在する。欧州にはサーミ、アフリカにはベルベル、フルベ、イジョ、エフェ、ソマリ、サン。アジアにはモンゴル、アイヌ、ウイグル、チワン、ナガ、カチン、ゴンド、チャクマ、ヴェッダ、タイヤル、カリンガ、チャモロ、イバン、アスマット、アボリジニ、カナク、マオリ。北米にはイヌイット、ハイダ、アパッチ、アラバホ、シャイアン、コマンチ、ナバホ、中米にはマヤ、ガリフナ、タナ、グアンビアノ、南米にはケチュア、カヤポ、グアラニー、マブチュ、そしてハワイにはハワイ先住民がいる。中国国内だけでも公認されているだけでも55の少数民族がいる。チワン、回族、ウイグル、イ族、ミャオ族、チベット、モンゴル、トゥチャ、ブイ族、カザフ族、キルギス族、満族など。自立の動きが激しいのがチベットとウイグルでその動きは厳しく弾圧されている。

近隣民族同士の対立では、南北朝鮮、旧ユーゴスラビア諸国、チェチェン、ジョージア、オセチア、ウクライナなど南西部に散在する旧CIS諸国とロシア、北アイルランドと英国、キプロス・ギリシャとトルコ、ツチとフツ、ソマリアの氏族紛争、スーダンにおけるイスラーム原理主義、イスラームのスンナ派とシーア派、エルサレムを巡る諍い、レバノン、クルドなどなど。さらにこの諍いにエネルギー争奪戦が拍車をかける。

エルサレムを最初に聖地としたのはユダヤ。BC1020年ころ、イスラエル王国のダビデ王はカナーンの中央にあるエルサレムを首都とし、十戒の石版を納めたアークを安置した。そこに神殿を建造したのがBC960年。その後、ローマ軍による破壊があり、今は嘆きの壁のみが残る。キリスト教にとってはイエスが十字架にかけられた場所がこの場所。イスラームにとっては、聖地はメッカであるが、イスラームの初期にはその礼拝の方向がユダヤ教徒にならってエルサレムの神殿の方向とされ、預言者ムハンマドもエルサレムに向かって礼拝していたとされる。コーランでもムハンマドはエルサレムに旅して神殿の丘で昇天したとされるため、メッカ、メディナについでエルサレムを聖地とする。十字軍が1099年から1世紀の間エルサレムを独占した。その後、イスラームは奪還したがエルサレムはキリスト教徒、ユダヤ教徒へも開放されてきた。しかし中世になると欧州ではユダヤ教徒への迫害があり、エルサレムに移住を止む無くされた人々が増えた。1948年にイギリスの線引きでイスラエルが国家として成立するが、その後は第一次以降の中東戦争の結果、エルサレムが分割され、何度も支配者が入れ替わったが、第三次中東戦争でイスラエルがアラブに勝利。1980年にはイスラエルが東西エルサレムを永久不可分の首都と宣言。国際社会はそれを認めず、紛争はその後も絶えない。

本書内容はここに書ききれないが、とりあえず以上。あらゆる国際的な紛争報道にはその歴史的背景があり、その経緯を知って理解しなければ、紛争の真実に近づくことは難しいだろう。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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