帯から引用すると「アメリカ人はイチローが大好きだ。ひとつは一昔前にタイムスリップさせてくれるから。人工的なキン肉マンや特大ホームランではなく、イチローは野球の原点。打順が回ってくるたびに披露される曲芸師のような儀式が珍しく、その姿は宮本武蔵の現代版だ」。今週MLBマーリンズとの契約を発表したイチロー、今では41歳になり、MLB選手たちから尊敬され憧れられる存在になっている。
本書ではイチローの生い立ちを追い、父親から何を教わってきたかを紹介する。「道具を大切にしろ」、「練習は裏切らない」、アメリカ人MLBプレーヤーにはめったに見られない特質である。そして野球の名門愛工大名電校に入学、92年オリックスに入団した。初年度は日本式の監督土井にシゴカれて芽が出なかったが、二年目以降は自由を重んじる仰木監督に認められ一気の才能を開花、95年には打率342、打点80、HR25本、盗塁49でパ・リーグのMVPに選ばれた。96年は打率356、97年は打率358、その後343、387と7年連続で首位打者、通算打率は353であった。
そんな頃、ちょうど日米野球を揺るがす事件、野茂の移籍があった。これを見ていたイチローはフリーエージェントの権利を得る9年目の2000年を目前にして、ついにシアトルマリナーズへの移籍を決める。2001年のシーズン、イチローは打率350でア・リーグ首位打者になり安打数は242、マリナーズもリーグ優勝を達成した。当時のチームオーナーはNintendoの山内社長、シアトルの街は急激にイチローと寿司などの日本びいきが増えたという。
ここで「和をもって日本となす」と同じように日米野球の歴史が紹介される。本書では日本の大学野球と日米野球親善試合、読売ジャイアンツ中心の日本野球などが解説され、再びナベツネが権力をふるう日本野球界の旧態依然とした体質が日本野球の発展を阻害していると自説を展開する。
村上雅則、MLBに移籍した最初の日本人プレーヤー、その後日本人プレーヤのMLB移籍を阻んだ日本プロ野球の契約条項、それを最初に打ち破った野茂英雄の勇気ある決断を紹介、団野村という移籍の手引をすることになるエージェントの存在が解説される。野村沙知代、現在の野村克也の妻がアメリカ人と生した子である団野村は、野村克也の意思とは裏腹に日本人プレーヤーをMLB移籍へと導く道案内人となる。
ロッテの監督になったバレンタイン、彼の上にはGMの広岡がいて、コーチには広岡に忠誠を誓うコーチ人達がいた。そんな中でも自由放任主義を標榜するバレンタインは監督としての手腕を発揮、ロッテの選手も期待に答えて監督二年目には弱小球団だったロッテがリーグ二位にまで上り詰める。しかしバレンタインの采配に我慢がならない日本人コーチ人と広岡の判断でバレンタインは解任、次年度のロッテは5位に沈み込んだ。
そして松井秀喜である。1992年に巨人に入団した松井、高校生までの花形選手もプロでは3年間は下積みだったが96年に才能が開花、打率314、HR38本、打点99でセリーグのMVPとなる。その後の成績は97年がHR37、打率298、打点103、98年292、34本、100、99年340、HR42本、95、2000年316、42本、108、01年333、36本、108、2002年には334、HR50、打点107で打率9厘差で首位打者を逃すも二冠王であった。年俸は5億年のプロ野球最高額、その彼がFA権を取得しMLB移籍を決めた。チームはNYヤンキース。野茂やイチローはある意味では日本野球界の一匹狼であり特別な存在であったが、松井秀喜は日本野球の中でも誠実で真面目、努力を怠らない日本野球人の鏡であり真のスーパースターであった。その松井が移籍した意味は日米野球会にとっては野茂、イチロー移籍をこえるメガトン級の衝撃であった。
その他の日本人も紹介される。リトル松井と呼ばれた松井稼頭央、番長と呼ばれた清原和博、大魔神の佐々木主浩、本書の時点ではまだ日本にいる松坂大輔も必ずMLBを目指すと予言している。彼らとは全く性格が異なる軽いタッチの新庄剛志、最初からMLBを目指した大家、いぶし銀の長谷川滋利。精神野球、組織化された応援団とファンの態度、外国人制限枠、人種差別、日本野球の日程など相変わらず話題は幅広く、視点は日米に偏らず公正だと感じる。私にとって当該トッピクスで2冊めであり「和をもって日本となす」ほどのインパクトは感じなかったが、アメリカ人からみた日本人観変遷がよくわかり、あい変わらず面白く気づきを与えてくれた良書だと思う。
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