学生時代にならった日本史の内容は50年ほども前のこと。今では、新発見や解釈の変更で変化しているという話は聞いていた。高校時代に使っていた年代暗記のための語呂合わせ集を見つけて驚いたことがある。「新羅のゴロツキ任那日本府滅ぼす562年」というもので、現代ならこんな表現はないし、任那日本府などは存在が確認されていない。教科書は通説に基づき記述されているはずで、現代の解釈や大勢はどうなのかを取りまとめた一冊。
稲作が北九州地方に伝わり、瀬戸内海や日本海沿いに列島に伝わるのに800年ほどかかったという。そもそも稲作が桜前線のようにきれいに伝わることが想像しにくいし、東北地方には朝鮮半島から直接伝わったので、関東よりも早く稲作が始まった。稲作以外にも、定住していたか狩猟のために移動していたかは、その地方や時期によりさまざま。栗、ひょうたん、えごま、ごぼう、豆類などを栽培し多人数で集住していたのが三内丸山遺跡などの巨大遺跡では見つかっている。縄文時代と弥生時代の境目は曖昧である。
纒向遺跡の発見で、邪馬台国畿内説が強まっている。卑弥呼死亡は247年、纒向遺跡の近所にある箸墓古墳発掘土器もその頃と測定され、今後の新発見により真相究明が進むことが期待される。
「4世紀なかばまでには近畿の豪族により大和朝廷が起こり日本を統一した」というのも関東など他地方豪族も点在しており、統一していた事実は確認が難しい。大和朝廷も「ヤマト政権」と呼称が変わっている。「幕府」という呼称も明治時代に使われ始めた用語。「鎌倉殿とその仲間たち」という程度の表現がぴったりで、鎌倉軍事政権と京朝廷が並立していたのが事実に近い。現代で言えばミャンマーの軍事政権が参考になる。
大仙陵古墳・伝仁徳天皇陵の主は履中ではないかと考えられるが、宮内庁が発掘を制限しているため詳細は不明。聖徳太子の存在は不確かで、推古大王の甥である厩戸王をモデルにしているのではないかという。その実績とされる冠位十二階や17条憲法などは後付けとも考えられる。天皇や皇子という呼称が使われ始めたのは天武・持統天皇時代からであり、古事記、日本書紀編集時の創作が疑われる。厩戸王を「聖徳太子」と呼ぶのは、徳川家康を「東照大権現」と表現するのに近い。「大化の改新 虫5匹」という暗記があったが、大化の改新とは乙巳の変により政変に成功した中大兄皇子と中臣鎌足が進めた中央集権化の動きである。
日本最古の鋳造貨幣は和同開珎、とされていたが天武天皇の時代に富本銭が鋳造されていた。いずれもどれほど通用していたのかは不明であり、その後250年間に鋳造された12種類の皇朝12銭の存在は確認されるものの、12世紀後半に大量に流入してきた宋銭が本格的に商用利用された最初の貨幣となった。
中世の始まりは鎌倉幕府開設とされていたが、現在では土地所有の制度である荘園制度の始まりを持って中世の始まりとする。荘園の現地管理は土地の有力豪族や開発領主が郡司、郷司、保司などという役職を地方国司から任命され行われていた。荘園は、有力な寺社や貴族への寄進により税を逃れていたが、後三条天皇による荘園整理令により、国衙領と荘園を明確に区別しようとした。しかし、公領、荘園いずれの大元も行き着く先は上皇である。これが荘園公領制であり、院政と鎌倉軍事政権が中世政治支配のしくみであり、荘園公領制が中世の土地支配のしくみ。鎌倉政権の始まりは、以前は頼朝が征夷大将軍に任命された1192年とされたが、頼朝が全国の荘園に守護を任命、地頭が置かれたのが1185年、これが大きな節目だった。しかし1180年には頼朝を棟梁とする南関東地方御家人たちの集合と関東制圧があったので、朝廷や他地方から認められた政権ではないものの、そこも一つの節目だった。頼朝の肖像とされた画は足利直義のもので、足利尊氏とされていた騎馬武者像は高師直ではないかともされている。
1467年に始まった応仁の乱は10年も続き、その後は文明の乱とも言えるので今では「応仁・文明の乱」と呼ばれる。またこの戦いが戦国時代の幕開けとされたが、その後、管領の細川政元が将軍を傀儡化して起こした明応の政変こそが戦国時代の始まり、という説もある。
倭寇は14世紀後半から16世紀にかけて朝鮮半島から中国大陸沿岸部で活動した海賊であり日本人だったとされていたが、15世紀までの前期倭寇と16世紀の後期倭寇に分けると、後期には日本人を装い、公的な日明貿易、勘合貿易の裏で行われていた密貿易がその多くを占めており、中国商人が多かった。
その他、鉄砲伝来は種子島より前に倭寇が伝えていた。島原の乱は、前領主であったキリシタン大名小西行長、有馬晴信領主のもとで広がったキリスト信仰が背景にあり、江戸時代からの圧政に農民たちが抵抗した「島原・天草一揆」である。江戸時代は鎖国とされるが、アイヌ経由によるロシア沿海住民との山丹貿易、出島経由のオランダ貿易、日中貿易、朝鮮通信使経由の朝鮮貿易、琉球経由の貿易が存在した。武断政治から文治政治に舵を切った綱吉の功績。倹約ばかりの吉宗、松平定信、水野忠邦による三大改革よりも、経済活動を重視した田沼政治の再評価。「士農工商」は明治時代になり導入された呼称でありそういう身分制度は江戸時代にはなかった。
筆者は中世を専門とするため、中世の記述が一番面白く、力も入っている。中世の歴史解説はなかなか面白い。