意思による楽観のための読書日記

ある憲兵の記録 朝日新聞山形支局 ****

満州で日本陸軍憲兵を12年にわたり勤めた土屋芳雄さんに1990年に72歳になるときに聞き取り新聞に連載したもの。土屋さんは1911年、山形県の貧しい農家に生まれた。1931年関東軍独立守備隊に入隊、1934年から憲兵として終戦までを過ごし、終戦後ソ連と中国に抑留、1956年に帰国するまでの合計25年を大陸で過ごしたことになる。戦争中に憲兵として行ったこと、戦後ソ連と中国での体験を懺悔の気持ちで語った。

背景には、東北農村の貧困、貧困の中でも正直、誠実、勤勉を親に教えられて育ち、学校では成績がよかったために級長を務めたが貧乏だったため「貧乏級長」と呼ばれた。徴兵検査では甲種合格、村からの出征では村の皆さんに恥ずかしい思いはさせられない、との切迫感を感じた。軍隊内では初年兵へのいじめが待っていたが土屋さんは要領よくそれを逃れた。しかし、貧乏人にたいする不公平な取り扱いはあると感じた土屋さんは憲兵に志願、高倍率をかいくぐって合格する。

先輩に拷問の仕方を教わった土屋は恐る恐るながらも中国人からの自白を引き出す手段として常用するようになる。憲兵が捕まえる中国人は抗日分子と疑われる中国人、親も家族もいる若者をしょっ引いて拷問することに良心の呵責を覚えた土屋であったが年を重ねるごとに平気になってしまったという。農家で生まれ、正直・誠実・勤勉を旨とした素朴な青年がなぜこのような狂気の憲兵になってしまったのか、それに気がつくのは戦後になり、中国の尋問を受ける時になってからであった。

戦争が終わり、ソ連から中国に引き渡された土屋の罪状は中国人民軍によってつぶさに調査されていた。1949年に革命が起きた後の中国は日中友好を考えていたときであった。罪状を洗いざらい話してしまい、極刑を覚悟した土屋であったが中国は土屋たちを釈放し帰国を許したのであった。土屋は帰国後、罪状を詫び、日本国内で講演活動を通して関東軍の憲兵として犯した罪の深さを告白しながら二度と犯してはならない過ちとして日本全国を回った。その後中国でも講演活動をしたという。

国が犯した戦争の罪であったが、手を下したのは土屋のような兵隊であり、将校や憲兵であったとしても元は素朴で純朴な日本農村の青年たちであった。思想教育、戦争の罪は個人が一生をかけても拭いきれない重さとなって土屋たちの上にのしかかっている。その罪を口に出して詫びずには死ねない、という思いから新聞への連載や取材、そして講演会での講話などにつながった。

朝日新聞山形支局の連載記事は淡々とした記述の中にも壮絶な戦争への悔恨と土屋自身の贖罪感を映し出している。日本陸軍が中国大陸で犯した罪に関する、具体的かつ赤裸々な告白を元にしたドキュメント、秀逸な聞き書きだと思う。

聞き書き ある憲兵の記録 (朝日文庫)
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