意思による楽観のための読書日記

神々の国の首都 小泉八雲 *****

日本人に帰化した小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが1890年4月に東京にきて8月松江に赴任、翌年11月に赴任先の松江から九州に異動するまでの日本での最初の印象をまとめた書き物。書物などで日本を学んでの来日だったが、船から富士山をみて、明治の東京に着いて当時の日本人にふれた驚きが素直に書かれている。

最初に真言宗のお寺を訪れたときの記述。死者の王様、亡者の審判者閻魔大王と三途の川で亡者の衣服をはぎ取る葬頭婆々に出迎えられる。寺では掛け物を見せてもらう。第一は三途の川を亡者が渡る様がかかれている。第二の掛け物には閻魔大王が座る絵、第三の掛け物が賽の河原、そこには地蔵に守られた子供たちが描かれている。第4の掛け物、大日如来、菩薩観音、阿弥陀仏が浮かび、下方に血の池が描かれたもの、そして極楽の掛け物を見せられた。八雲は地蔵に関心を持つ。お地蔵様は日本中にある。地蔵は子供の守り神であり巡礼にとっても守り神である。六地蔵はなぜ6なのかという解説をしている。地蔵菩薩とはすでに一万劫を経た女性であり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に同時に顕現してそこに住むものを教化するとしている。

8月のお盆の頃に松江に赴任、そのときに盆踊りを見て、その様を夢を見たかのように語る。田舎の宿の主人のお盆についての説明を聞き、今日は盆踊りがあると聞いて出かけてみる。西洋の踊りとは全く違う盆踊りを老若男女が踊る、その静けさも踊りとはあわないと思いながら驚きを持って受け入れている。これは遠い太古のモノだと感じる。自然のもっとも古い歌と調和し深い秘密があるような気がしたのだ。その後八雲はその他の地方の盆踊りをみている。出雲、隠岐、鳥取、伯耆、備後とそれぞれが少しずつ異なることを知る。盆踊りは仏教よりも古い歴史を持つものだと考える。

最初に赴任した時の松江の様子を描写する。米を搗く杵の音、禅宗の寺の鐘の音、「大根やい、蕪や蕪」などという物売りの声。そして日の出の美しさ、ウグイスの鳴く声、「ホーケキョ」これが法華教と解されることも言及している。そしてこの地方に伝わる多くの伝説や逸話、物語についても関心を示している。橋の名前の由来となった源助という人柱と、明治時代にも人柱となることをおそれる人々の素朴さにも驚く。松江城に人柱となり石垣に埋められた娘の話、その娘が踊りが好きだったとのことで、松江の町では娘は踊ってはならないことになっているという。

日本最古の神社である杵築を訪れ、日本人以外の人間として初めて昇殿を許された時のことを詳しく書いている。杵築の大社は伊勢神宮よりも古く、垂仁天皇の時に最初の建て替えが行われ、次は斉明天皇の時、今まで28回の建て替え、61年に一度行われているという。神有月に集まる神様の数は25万、しかしそれは農事のでき次第で少ない年には20万くらいになるという。こうした神々の珍しい話をたくさん聞かせてもらう。

美保関の神様は卵嫌いで、卵や鳥に関係するものを船乗りが持ち込むと嵐に遭うという、という言い伝えを紹介した後に、明治の時代に強化されていた軍艦が港に入ってきたときの様子を紹介する。古い文化と新しい文明が入り交じる様を伝えるという姿勢である。

八重垣神社にまつわる古事記の記述に次の歌がある。「八雲たつ、出雲八重垣、嬬籠みに、八重垣作る、その八重垣を」、八重垣神社の名前の由来であるが、ハーンの八雲という名前の由来でもある。

狐を祀る稲荷神社にも言及、下層階級の信仰である狐信仰が稲田の神である狐の神という概念を覆い隠してしまっているという。ほかには、亀は金比羅、鹿が春日大社、鼠は大黒、鯛は恵比寿、白蛇が弁天、百足は戦いの神毘沙門にとってそれぞれ神聖であるのと同じことであると記述している。狐が妖怪であるという信仰には妖狐の種類に稲荷狐と野狐があるといい、上級の狐には白狐、黒狐、善狐、霊狐があるという話を紹介、土地によって信仰の内容が異なることを記している。武士による稲荷信仰と庶民の狐信仰、そして仏教の教えなどが混淆していることなど、深い考察がある。

自分の日本庭園にいる昆虫や動物に関する記述もおもしろい。蝶々や蝉の種類と蝉の鳴き声、キリギリスやトンボ、蛾、カマキリ、ゴキブリ、蜘蛛、ホトトギス、トンビ、カラス、蛙である。山川草木悉皆成仏の世界を感じ取っている。山桜と里の桜の違いは葉が先にでるか花が先に咲くかである。これをもじって、下層階級の日本人に多い「上顎前突」を山桜、「歯が先」と言われることなども紹介している。短い期間にこのようなことまでヒアリングできていることに驚く。

神道が日本人の奥深く染み込むように普及していることに言及している。廃仏毀釈運動は貴重な宝物を多数葬ったにすぎない失敗であったこと、キリスト教の布教も簡単にはできないことなどを示し、その理由に、先祖代々伝わる道徳的衝動であり、倫理的本能にまで深められた宗教であることを示している。家庭のしつけも学校の教育も生来の魂を外に引き出すものであるとする。天皇陛下に命を捧げること、という心構えもこの日本の魂から出てくる純粋な心であるとする。

松江の学校を去るときに、ハーンは次のように記している。「もしどこかの国で私が同じくらいの期間同じ仕事をしたとして、果たしてここでのような常に変わらぬ優しさ、暖かさを経験することができたであろうか」最上級の感謝の言葉であろう。ハーンは士族の娘であった小泉節子と結婚、1896年に帰化、明治の日本を愛したイギリス人であった。「逝きし世の面影」やイザベラバードの日本紀行などにも描かれた明治の日本であるが、小泉八雲の描く明治の日本は日本人の心の奥底にある魂にまで及んでいる。非常に深い日本人論であると同時に、現代ではすっかり失われた日本の良さを再現してみてくれている。非常なる良書である。
神々の国の首都 (講談社学術文庫―小泉八雲名作選集)
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
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