武士道とは「人の倫(みち)」であるという著者、武士が世の中からいなくなっても武士道は伝え続けられているが危機に瀕しているという。1899年のことである。欧州にも騎士道があり、武士道は騎士道の規律であり、Noblesse Obligeである。武士道とは武士が守るべきものとして要求され教育された道徳的徳目の作法であるという。文章にはなっておらず、口伝、格言ではあるが強力な拘束力を持ち人々の心に刻み込まれている。
仏教と神道は武士道に重要な考え方を与えている。仁義礼智信と、忠誠心や先祖への崇拝、親孝行の心である。もっとも上位に位置するものが「義」であり、「勇」と並んで重要な武士道の双生児である。裏取引や不正な行いほど武士道にとって厭われるものはない。社会、両親、目上の者への義理は義務である。正義の道理が「義」である。
「勇」は義によって発動される。「義を見てせざるは勇なきなり」、勇気とは正しいことをすることである。勇猛には無駄死にがあり、向こう見ずの犬死にである場合もある、これを勇猛の私生児と名付ける。匹夫の勇と大義の勇の区別ができることが武士には求められた。
「仁」は人の上に立つものの必要条件である。武士の情けは仁である。いつでも失わぬ他者への憐れみの心である。「礼」とは他人に対する思いやりを表現することであり、品性である。礼は最高の姿としてほとんど愛に近づく。礼儀は慈愛と謙遜から生じ、他人への感情に対する優しい気持ちによって物事を行うので、優美な感受性として現れる。
真の侍は「誠」に高い敬意を払う。武士に二言はないのである。「名誉」という感覚は個人の尊厳と価値の意識を含んでいる。不名誉は人を育て、名誉のためには苦痛と試練を耐えることができる。「人に笑われるぞ、体面を汚すな、恥ずかしくはないのか」は過ちを犯した少年を諫める言葉である。
日本人の忠義とは主君に対する臣従の礼と忠誠の義務であり、封建時代の道徳である。主君による命令には絶対的に服従した。個人よりも藩や国を重んじることができるのはこの忠義のためである。武士道は損得勘定をとらず、算術を欠く。これは武士にとっての品性であり、思慮や知性、雄弁よりも武士の行動原理である義、勇、礼を重んじた。よって武士道は無償、無報酬の実践を信じた。
人に勝ち、己に勝つためには感情を顔に出してはならない。心を安らかに保つには寡黙、無表情を旨とした。切腹は儀式であり法制度上の手続きである。人に殺されるよりも切腹は名誉ある死であり、罪を償い過去を謝罪し不名誉を免れる、友を救うためには武士は喜んで切腹した。そして刀は忠誠と名誉の象徴であった。
武士道が求めた女性は家の守り手であった。戦場では男が完全に指導権を発揮し、家では完全に女性が主導権を握った。侍の心は大和魂であり、武士階級だけではなく農民や商人においてさえ理想の姿を現した。侍は民族全体の美しい理想であったのだ。武士道は日本の活動精神であったが、それは今(1899年)西洋文明に洗い流されようとしているかに見える。しかし、国民性を形作っている心理的構成要素は「魚のひれ、鳥のくちばし、肉食動物の歯」のようにそれぞれの種族にとって取り除くことができない要素である。自己の名誉心こそが日本発展の原動力である。明治維新において日本という船の舵取りをしたのは武士道以外の道徳的教訓を全く知らない人々であった。劣等国と見なされたくない、という名誉心が日本に変化をもたらした活動のバネであった。名誉、勇気、武徳のすぐれた遺産を守れ、というのがこれからの日本人に向けたはなむけの言葉である。
この本が海外で評価されて理由はよく分かる。キリスト教徒であった新渡戸は敬虔な信者であることを表明しながら、キリスト教が持つ不完全さと武士道の精神を比較したからである。そして、欧州の文学や歴史を示しながら、それとの比較論において日本の武士道を解説した、これも欧州人にとって分かりやすいと感じられた理由であろう。しかし、なぜここまでして新渡戸は武士道の弁護、のようなことをする必要があったのだろうか。アメリカ人女性と結婚したからだろうか、国際連盟事務局次長を務めて、日本の満州進出の説明をする羽目になったからであろうか。ラフカディオハーンでは不足感を感じたのであろうか。日本の当時の立場をを説明することが自分に課せられたNoblesse Obligeだと思ったのだろうか。しかし、いずれにしても、当時の目覚めた世界に日本人の感じ方がよく分かる名著だと思う。
武士道 (PHP文庫)
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