意思による楽観のための読書日記

永遠のゼロ 百田尚樹 *****

感動的な本である。

佐伯健太郎は26歳、司法試験に受からずぶらぶらしていた。雑誌のライターをやっている姉の慶子は30歳、二人の祖父にあたる人物のことを調べることになった。祖父といっても祖母は結婚を二回しているという。二人が知っている祖父の前の夫宮部九蔵のことである。元特攻隊員であり、昭和20年終戦直前に特攻で死亡したことがわかっているが、それ以外のことはよくわからないため、当時のことを覚えている人たちにインタビューして調べることにした。そして少しずつわかってくる祖父の姿に二人の孫は感動した。祖父は心優しく、何人もの兵隊を教え、ある時は命を救い、ある時は上官に逆らっても部下の名誉を守り、妻である祖母と約束した「必ず生きて帰る」ことを実行するため、半強制であった特攻への志願も部隊でたった一人拒否したというのだ。

中国戦線で飛行機乗りになった宮部九蔵は当時のベテラン戦闘機操縦士たちに鍛えられた。そのため勇猛果敢で知られたが、休暇で実家に帰った際に結婚、子供を授かった。宮部は妻に生きて帰ることを約束、その時から、どうしたら死なずにすむかを考え続けた。真珠湾攻撃では空母赤城に乗船、零戦の操縦士となった。零戦の特徴はその旋回性能と航続距離三千キロという長さである。宮部は真珠湾攻撃で未帰還となった二九機のことを残念がっていたという。大勝利のことを喜ぶよりも家族を残して死んだという未帰還兵のことを考えて悲しいといったのだ。当時の飛行機乗り、定刻軍人としては「恥さらし」といわれる考え方だった。真珠湾攻撃が米国外交官の不手際でだまし討ちになってしまったことを、当時の外務省の役人の無責任さがなせるわざと筆者は指摘し、真珠湾攻撃でも決定的打撃を与えるために第三派を送らずに引き返した南雲中将を批判、軍部のエリートは常に自分の失敗を避ける行動をとり続けたために日本軍は大いなるチャンスを何度も逃しているという。役人もエリート、士官学校を出た軍人もエリート、エリートが日本をダメにしたと筆者は言っている。

ミッドウエイの海戦で一気に四隻の空母を失うことになったこともエリートである源田実参謀の油断であったと。そして暗号解読に成功していた米軍の情報収集力に負けたという。宮部もその戦いに参加したが、戻るべき空母を失い、残った飛龍に帰還、その後はラバウルに移ったという。そのころには宮部の戦闘機乗りとしての腕前は一流であった。だが、臆病者といわれるほどに慎重な操縦であったために多くの同僚からは誤解されていたともいうのだ。

ラバウルから片道560海里もあるガダルカナルの攻撃命令がでたときには正気の沙汰ではないと思った。目的地で攻撃に使える時間はわずかで、そしてまた560海里を戻らなければならないからである。そのガダルカナル攻撃でラバウル飛行隊の飛行機操縦士たちは急速に消耗していったが宮部は生き残った。そしてこのころから特攻が始まる。どのような命令でも九死に一生を得る可能性はあったが、特攻は十死零生である、と宮部は表現した。そのような作戦は狂気でしかないと。しかし宮部はその特攻隊になる操縦士の教官に任じられる。宮部にとってこれほどの苦しみはなかった。

そして宮部自身にも特攻命令が下った。宮部が乗るはずだった零戦は52型の最新型、それを21型に代えてほしいと宮部は言ったというのだ。その52型は特攻の途中でエンジン不調になり引き返すことになった。それに乗っていたのが健太郎の知っている祖父大石健一郎だった。なんということなのだ。宮部九蔵は自分の命と引き替えに大石を救ったのだ。

大石は助かった命を宮部の残した妻と子供に捧げようと決意、戦後帰国して4年、宮部の妻と子を探し出し、結婚した。それが健太郎と慶子の祖父と祖母だったのだ。この結末も感動的なのだが、宮部の戦友たちが語る思い出の中の宮部が、徐々にその姿を健太郎と慶子の前に現すたびに二人は祖父の宮部九蔵の本当の姿を知り感動は深まっていく。

高山という新聞記者が登場する。高山は特攻隊員はイスラム原理主義者のテロと同じことなのだという主張をするのだが、健太郎は違和感を持つ。テロは一般人をも標的とした殺人であり、特攻は命じられて逃げられず「お国のため」と言われながら実は両親や愛する人のために死んでいった若者たちだ。筆者はそこに大きな相違点を見ている。

また、日露戦争後の臥薪嘗胆から第一次世界大戦後の日本外交を「弱腰」と批判し、日比谷焼き討ち事件を引き起こしたのはマスコミの責任が多きのだと筆者は主張する。その後の海軍軍艦建造にともなう外交交渉や満州事変への突入までの日本の国の行方を大きく変えていったのは軍隊の前に体制におもねるマスコミがあったのだというのだ。515事件などでテロが横行してからは軍隊の勢いの前にマスコミはさらに権力におもねった。戦後は手のひらを返したように、戦争期間中の特攻隊員などを戦犯扱いしたのもマスコミだったと。高山はそのマスコミの象徴として扱われている。

戦争を歴史としてしか知らない世代が読んでも、証言として語られる戦争は生々しく、人間の声でいっぱいである。そこにはお国のためや名誉はなく、家族のために死んでいった230万人の兵隊たちの声がある。戦争物語として必読の書としたい。
永遠の0 (講談社文庫)

読書日記 ブログランキングへ

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事