意思による楽観のための読書日記

風の王国 五木寛之 ****

山の民、山家、世間師などと呼ばれた人々が古代から連綿とつながる歴史を生きてきた、という設定で、主人公の速水卓が自分の出自を教えられ、現代でも生きている自分の一族と出会う、というお話。網野善彦や柳田国男が解説している山の民、もしくはサンカが古代より権力者たちに虐げられてきた、という歴史をエピソードにして、その一族の中での勢力争いを縦糸に、速水卓の生い立ちから31才の今までの物語を織りまぜてストーリーは進む。

卓は原稿書きを仕事にしているが、数年前までは世界放浪のたびに出ていた。自分の放浪の経験を織りまぜて記事を書いて雑誌に掲載してもらう、これが現在の商売で、物語は二上山紀行の取材から始まる。二上山で出会ったのが揃いの法被を身にまとった集団、中に一人風のように歩く女性を見た。この女性に会いたい、との思いは後日叶うことになる。

葛城哀、それが彼女の名前、天武仁神講という宗教団体の代表である父天浪の代理としてパーティーで挨拶をしたのだ。そのパーティは射狩野グループという企業連合体の創立60周年を祝賀するパーティであった。そこで、卓は葛城哀と再び出会い、そして哀が属する天武仁神講が実は山の民の一族の現代の姿であり、実は射狩野グループも同族が経済的に世間に進出してきたものであることを知る。

二上山の記事をまとめる時、大津皇子が殺された時のエピソードを卓は一族の老人から聞く。山の民は、農民でも貴族でもなく、ヤマト政権からみると、徴税、兵役から逃れる存在であった。その山の民を時の権力者は大量虐殺したのだという。その時に難を逃れて伊豆に逃げ延びた、その子孫が天武仁神講の一族なのだと。

それ以降も、日本の歴史を通して、戸籍におさまらない存在であった山の民、世間師、サンカと呼ばれる存在は権力者から見ると目障りな存在であり、明治維新の時にも、兵役、徴税、そして教育の義務からも逃れる存在であった山の民は迫害された。サンカを山窩という宛字をして広めたのは三角寛、それはサンカを犯罪者扱いした明治時代以降の官憲の思う壺であり、間違いであったとしている。

日本の歴史的な美術品や文化財が江戸末期から明治時代に海外に持ち出された。これもエピソードとして取り扱っている。ボストン美術館には仁徳天皇陵から持ち出されてとされる獣帯鏡とかん頭柄頭が所蔵されている。廃仏毀釈の時代には現在日本にある国宝の2倍の数の美術品が海外流出したとも言われている。

速水卓の祖父は天武仁神講の初代講主であった。その言葉は山の民の言葉である。「山に生き、山に死ぬる人々あり。これ山民なり。里に生き里に死ぬる人々あり、これ常民なり。山を降りて里に住まず、里に生きて山を忘れず、山と里のあわいに流れ、旅に生まれ旅に死ぬるものあり。これ一所不住、一畝不耕の浪民なり・・・これセケンシの始めなり・・・」世間師とは山の民のことである、という言葉である。

五木寛之が二度目に休筆した直後の作品であり、壮大な構想と縦横に織り成すエピソードは読む側に想像をたくましくさせる。歴史好きにはおすすめの本である。
風の王国 (新潮文庫)
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