意思による楽観のための読書日記

日本書紀(上) 宇治谷 孟 ***

枕詞の謎、万葉集、と読み進んでこの際「日本書紀」については何度も参照されているのに、自分では一度も読んだことがないことに気づいた。日本書紀の原文などは読めないが、現代語訳がないかと探したらあった。上巻は「神代」から宣化天皇まで、下巻は欽明天皇から持統天皇までである。「天皇」という呼称は天武時代に確立された制度であり、日本という呼称もそれ以前はなかったようである。それ以前は日本、天皇ではないのだが、便宜上日本、天皇と表記する。

神代は例の「伊邪那美命」「伊邪那岐命」の国造りからである。夫婦の行為、つまりセックスで国を作るという話。まず降り立ったのは「オノコロ島」、そこで子作りをして最初の子供が「淡路島」、出来が悪くて「吾恥島」、次が大日本豊秋津島、つまり大和の国であり本州、そして次が伊予の二名の島、四国である。次が筑紫の島九州。そして隠岐の島、佐渡ヶ島を双子として生んだ。そして越州(え!北陸?)、大島(瀬戸内海の)、吉備児島、その他の島は潮の泡からできたという。やはり日本と呼ばれる以前の国の最初は瀬戸内海だったようだ。北九州、吉備、出雲、難波、大和、越前と朝鮮半島から見て漂着しやすい地方が日本列島における現代文明発祥の地なのであろうか。そういえば神武天皇も神功皇后も瀬戸内海を横切って東征や新羅遠征を行なっている。

神武天皇の項では中臣氏の先祖は天ノ種子の命に宇佐津姫をめあわせて始まったという。そして東に向かい、波に乗って予想外に早く難波の地についたので「浪速」と名付けた。神武天皇が討伐しようとした長髄彦、この時登場したのが金鵄、この光で長髄彦の軍勢は幻惑された。そして自分は天神の御子とされる饒速日命に仕える身であると、命乞いをした。本当かと証拠を示せというと、天の羽と羽根矢を示したので信用したという。この饒速日命が物部氏の先祖だという

垂仁天皇の項には、大唐の国の王の子として都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が登場する。ツノが生えた人であり、着いた場所は角鹿、今の敦賀である。そして本国に帰ったら「御間城(みまき)天皇」の名をとって国の名前にせよ、と言われたので任那の国ができたという。韓国側の資料にはこのような記述はなく任那、という国は存在しないことになっている。また、新羅の王の子、天日槍命(アメノヒホコ)が但馬の国に来た。そして宍粟邑に着いて8つの宝物を奉った。その後宇治川をさかのぼり、近江の国、若狭の国を経て但馬の国に至ったとも言う。一説には天日槍命が朝鮮半島から鉄の技術を持ち込んだのではないかと推察する学者もいるという。また後の継体天皇が彼のことではないかという主張も聞いたことがある。日本書紀は神武、崇神、応神と3代の「神」の字が含まれる3人の天皇の物語とされる複数の話が実は天智天皇、天武天皇、持統天皇のことだという説もある。

景行天皇の項には大和武尊が登場する。倭姫宮に授けられた草薙の剣、賊に襲われた時、野に放たれた火に向かい火を燃やし、倭姫宮にもらった天叢雲剣で野の草をなぎ払って難を逃れたことから草薙の剣と呼ばれた。野が焼かれた場所は現在の焼津。

応神天皇の16年に王仁が来日、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)は王仁を師として諸々の典籍を学んだ。王仁は書首(ふみおびと)の先祖であるという。

そして継体天皇、応神天皇の5代孫であり、垂仁天皇の7代孫振媛を母に持つという。先ほどの垂仁天皇の記述につながる。先代の武烈が天皇の候補者ライバルを皆殺しにしてしまい、後継者がいなくなったため越の国から招聘された。大伴金村が中心となり探しだした新しいオオキミ、急に「大王」だと言われても周りが承知しない。安閑天皇、宣化天皇と中継ぎの天皇を経て欽明天皇でようやく正式な天皇と認められる安定的な大王ができた。現代の次世代の心配は神代の時代からあったということ。磐井の反乱も継体天皇の時代に起きているが、招聘された天皇としては張り切って対応したと思われる。

ひと通り日本書紀にも目を通しておけば、少しは安心して人の話を聞ける。

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