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意思による楽観のための読書日記

怪しい戦国史 本郷和人 ***

歴史書によくでてくる定説を疑ってみようという本書。新聞連載のコラムをまとめた読み物風のエッセイ集という一冊。
●信長の兵力
 戦いを決する「兵力」の謎では、桶狭間の戦いで、信長の攻撃は正面からの攻撃であり、兵力差は大きかったが、信長からの指示を的確に忖度して実行できる精鋭部隊だったのが勝因だったと分析。
●秀吉の行軍力
 秀吉の天下取りと「行軍力」では、近代の軍隊での歩兵の行軍スピードを一日20Kmとしたときの戦国時代の行軍を評価。秀吉の中国大返しでは、備中高松城からの200Kmを10日で移動して天王山の戦いで光秀を破った例。徳川秀忠は大阪冬の陣で、江戸から京都まで1日27Kmで進んだのに、落ちこぼれが出たことを家康に咎められたとか。
●信玄の城攻め
 武将が「城を攻める」意外な理由の一つが、領地の境界線上の城は、攻撃の第一歩になるからというもの。敵対する勢力との兵員力に大きな差があるとみると、大将は出先の城から兵を引き上げて、本拠地を手堅く守る構えに入るため、出先の城はたやすく落とせてしまう。
●謙信の用兵
 信長・信玄たちの古戦場で見えることでは、信玄の西上作戦中に死んでしまった信玄の遺体処理について。死んだ事実を隠すため、遺体処理にも気を使った。武田家に連なるお寺でこっそりと火葬し甲斐に持ち帰ったという。
●家康の「遺産」
 家康の隠れた「遺産」は、家康が経験した数多くの苦労こそが家康が江戸幕府を開いて長続きさせることにつながる遺産だったと評価。家臣への評価でも、飛び抜けて高く評価をしないことで公平性を演出し、家臣の離反が少なかったという。
●大名たちの忖度
 三成はなぜ「忖度」できなかったか、という理由をアスペルガー症候群だった可能性に求めたのが心理学者の中野信子だと。文脈を読まず、空気も読めないのが三成だったため、武断派の筆頭、加藤清正や福島正則に憎まれ、秀吉なきあとは庇護者がいなくなり、関ケ原の敗北に繋がったという。

本郷和人という学者さん、本をどんどん書いて、歴史ファン数を増やそうとする活動にご熱心。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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