「わかる」の第一歩は知覚することであり、知覚するためには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚により認識する必要がある。「第六感」とはこれ以外のひらめきのことだが科学的には証明されていない。知覚には鈍感な人と敏感な人がいるのは確かで、ソムリエは他人よりも味覚や嗅覚が敏感であり、その結果分析が細かく分類されているため、ワインの銘柄やブランド、産地などを言い当てることができる。このように、知覚を研ぎ澄ますことが「わかる」ことの第一歩。
知覚をより研ぎ澄ますために、記号、言語が有用であり、記憶のちから、分類力、関係性の分析、論理性の理解などがその力をより一層研ぎ澄ませてくれる。記憶や分類力、比較分析、論理性分析がなければ「わかる」ことは難しい。逆に「わかる」ということは行為に置き換えられ、応用も可能となる。「わかる」と小さな意味、大きな意味をと理解を深め、理解力を深化させることも可能となる。
理解には自分の経験と重ね合わせて分かる場合と、経験はしていないが獲得済みの理論や法則に当てはめて分かる場合がある。これらを「重ね合わせ理解」と「発見的理解」と言われる。日常生活を送るだけなら重ね合わせ理解のみでも生きては行けるが、発見的理解がなければ新たな世界を開拓していくことは難しい。若者が「発見的理解力」をつけていくことが自分の世界を広げていくことにつながる。本書内容は以上。
「わかる」とは、自分で再現できること、人に教えられること、そしてその内容を応用していけること。言われてみればその通り。