以前読んだ「謎の豪族 蘇我氏」を読み直してみた。
本書で水谷千秋氏は次のように記述する。『5世紀から6世紀にかけては大王の勢力が弱体化、蘇我稲目が大臣に登用されてからは馬子、蝦夷、入鹿と4代続いてヤマト政権を支え、蘇我氏あっての王権であった。蘇我氏は仏教の取り入れに積極的で、隋からの官僚制度や租税の管理方法、屯倉で導入された戸籍などの先進的な仕組みを取り入れた。飛鳥という町と飛鳥寺も蘇我氏が築き上げたといっても過言ではない。乙巳の変はここまで築き上げた蘇我氏による王権の果実を横取りし、蘇我氏が招来した渡来人や仏教徒、僧旻などのブレーンも含めて引き継いだのが中大兄皇子と中臣鎌足であった。日本書紀の記述は天命思想で乙巳の変の流血によるクーデターを正当化し、蘇我氏の専横を強調することで天智、天武、持統の政権の権威付けを図った。当時の人々にとっては記憶に残る蘇我氏はそれほどまでに強大だったとも考えられる。』
また、「蘇我氏の正体」で関裕二氏は次のように推測している。『魏志倭人伝によれば卑弥呼の死を受けて男王が立ったが収まらずトヨが女王として君臨し国はおさまった。トヨがヤマトに裏切られ九州筑後川から鹿児島の野間岬を目指した、これが出雲の国譲りであり、天孫降臨であるという。日本書紀がこれを隠したのは、トヨの夫とされる仲哀天皇、実際には武内宿禰であり、蘇我氏の祖先であった。この二人の子が応神天皇であり神武天皇と同一人物であった。そして出雲神の正体がトヨと武内宿禰である。日本書紀で天の日槍(あめのひぼこ)とされるのはツヌガアラシトであり、新羅の王子であった。船で播磨の国にきて宇治川から近江、若狭、但馬の地を選んだ。そこには鉄があったから、という推測である。そしてその末裔が蘇我氏であったというのである。なぜ日本書紀が蘇我氏は渡来人だと書かなかったのか、これは今ひとつハッキリしない。蘇我氏の祖が武内宿禰であり天の日槍であればスサノオの境遇とそっくりである。蘇我氏の祖は新羅に渡った倭人であり、脱解王の末裔であった、蘇我氏は一度ヤマト建国にのち没落していたが、6-7世紀に「我蘇り」と曾我から蘇我に書き換えた。ツノガアラシトは日本に鉄をもたらし、ヤマト建国の機運を一気に高めた功労者であった、これを藤原氏は書きたくなかった。』
また、今まで読んできたDNA分析、言語学、比較文化論、考古学、古墳分析などなどを総合すると、素人考えながら、次のようなことが言えるのではないか。
都怒我阿羅斯等(ツヌガノアラヒト)と天之日矛(アメノヒボコ)に象徴される渡来人達が製鉄技術を日本にもたらしたとされる逸話や武内宿禰の日本書紀における記述とその子孫とされるのが蘇我氏であること、なども踏まえると、大和朝廷が倭国を統一するために製鉄技術は必須であり、当時九州や吉備、出雲、近江、越、尾張などの諸豪族を統一する戦いでは、鉄製の武器が大いに活躍したのではないか。また、稲作の豊穣を祈る神道に加え、鎮魂や成仏の概念を強く意識した仏教受容も倭国統一に大きな役割を果たしたのではないかと考えられる。武烈で断絶したとされる大王家を越の国から継体を呼び寄せたのは大伴氏と物部氏だったが、それを大和朝廷に組み込めた最終的な勢力は蘇我氏であった。蘇我氏は山城の秦氏とも強いつながりを持ち、朝鮮半島とのつながりも相当深かったと考えられる。日本書紀を取りまとめた天武天皇と藤原不比等は、大和朝廷の成り立ちに深い関わりと貢献をした蘇我氏の痕跡を消し去るために様々な工夫をこらしたが、事実は天皇家の祖先には新羅、百済の王族の血が濃く、渡来人とされる朝鮮半島由来の人たちが稲作を始め、青銅文化、鉄器文化を持ち込んだのであれば、倭国の中枢は、日本列島古来の縄文人をあとから来た弥生人が圧倒し、倭国の統一まで大いなる貢献をしたと考えてもおかしくはない。歴史的にキーとなる継体陵や仁徳陵など、本格的に発掘分析研究してみたいと感じる。
宮内庁が継体陵と認定する太田茶臼山古墳は、はたして本当に継体陵なのか。実は多くの学者が指摘するのは、高槻にある今城塚古墳である。宮内庁認定の継体陵の発掘できないが、今城塚古墳は発掘(盗掘も)されている。古代史に登場するような古墳の多くは盗掘されていると言われるが、科学的に発掘・分析してみればさまざまな歴史の謎に関するヒントが見つかるかもしれない。天皇陵でもない古墳をお祀りし、本当の天皇陵は保護されないまま盗掘されているとしたら、これこそ不尊、不作為の罪ではないか。「陵墓」と言われる歴代天皇や皇后、皇族を葬った陵(みささぎ)と墓(ぼ)、被葬者の特定はできないが陵墓の可能性がある場合などで、古墳以外に石塔などもある。場所や被葬者は幕末から明治初期に文献や伝承を手掛かりに指定されたが、天皇陵の見直しは1889年以降はないという。発掘しても何も出てこない古墳もあるだろうし、掘れば何か分かるわけでもないだろうが、日本列島に896あると言われる天皇家の墓とされる古墳の発掘分析を積極的に進める必要があるのではないかと思う。