順哉の隣に住む囲い者のスミはシュウさんという旦那との絆のみで生きてきた女性。シュウさんはスミに「娑婆を持ち込まないこと」という約束をした。スミはそれを「この世ならぬ物で埋め尽くすこと」と解釈した。芝居を見ると役者が目の玉を真ん中に寄せて大見得を切る、相撲でも行司の衣装や軍配、力士の土俵入りなど同じ動作を繰り返している。能でも茶の湯でも独特の儀式があるのは、いずれも観る人をこの世ならぬ非日常の世界に導く所作なのだという。伝統芸能の持っている儀式はこうした意味があるのだ。スミはそういう事を心がけていたのだ。隣に住む順哉の育ての母登紀子はそのことを知っていた。登紀子が死んでしまい、スミは少し心配である。
この本のタイトルにもなる睡蓮と蓮、蓮はスイレン化の宿根草で、日本、中国、インド、イラン、オーストラリア、北アメリカなどに分布する。原産地はインドで日本には古く中国から渡来した。花は最初は夜明けに咲き正午には閉じてしまうが、二日目には夜明けに咲いて午後に八分通り閉じる。三日目には夕方まで咲き続け、4日目の午前中にちってしまう。スイレンは蓮に似ているが夕方に閉じようとする様から睡る蓮という風に名付けられた。蓮の花は泥から出て泥に染まらない、そして清らかな漣に洗われて妖艶なところがない。中には穴が空いていてすきっと筋が通っていて外もまっすぐで蔓も枝もない。香りが遠くまで届くので遠くから眺めて楽しむものである。順哉の母、森末美雪がこの蓮、睡蓮に象徴されているのだろうか。
蓮の花は花果同時なのだと言い、上巻で出てきた因果倶時という言葉はここから来たという。原因のないところに結果もない。勇気を持って原因を作れば結果はその時瞬時に自分の中に宿るということを順哉は思う。池の泥の中にきっとたくさん埋れている蓮のタネ、泥の中からいつか美しい蓮の花を咲かせることになる。
美雪は順哉を捨てたわけではなかった。順哉はその事実を知って救われるが、たくさん挿入されるいくつかの逸話の中には合点がいかないものも多い。一番不思議なのは順哉の中に潜む女性である。こんな話はこのストーリーには要らないのではないか。宮本輝ファンとしては、これも魅力の一つと思えるだろうが、いくつかの脇道物語がなければ上下巻にはならなくても済むくらいのお話だと感じるが、いかがだろうか。
睡蓮の長いまどろみ(下) (文春文庫)
睡蓮の長いまどろみ(上) (文春文庫)
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