安藤百福の一代記がNHKの朝ドラ「まんぷく」で紹介されている。発明家の安藤百福が、ラーメンを簡単に自宅で味わいたいとして、ツユづくりから麺作りまでを、美味しく、簡単に、安く、安全に、保存が効く形で提供するという大方針で商品開発する苦労を描いている。中国から日本に麺が紹介され、日本化されていくとそれがうどん、ソバ、ラーメンへと和風化されていく。今やラーメンは世界のどこに行っても味わえるほど国際化しているが、そのルーツを探るのが本書。
小麦粉のカタマリを細い麺状にする工夫は5つの種類がある。1.食塩とかん水を加えて作る手延ラーメン系 2.油を塗布しながら道具により引き伸ばしていくそうめん系 3.食塩を加えて麺棒で薄く伸ばし包丁で切る大量生産可能な切り麺系 4.デンプンをアルファー化した糊を加えたり加圧したり成形後すぐに熱湯で茹でたりして麺線状にする押し出し麺系 5.うるち米を水に浸し米粉の皮膜を作り切麺する河粉(ホーフェン)系である。
日本での麺食の歴史的特徴は、ハレの日の食であること、大陸・挑戦半島からもたらされたため僧院との関わりが深いこと、食塩を加えない糊食(ほうとう、すいとん、だんご汁)が派生したことである。そうしてうどんのルーツである饂飩(うんどん)、そうめんのルーツ索麺、そばギリで食べられる蕎麦が生み出され、明治に入ってようやくラーメンのルーツが生まれる。蕎麦屋の名前に「XX庵」が多いのも昔は僧侶が作ったことが由来とか。
ラーメンにはいくつかの誕生地がある。横浜中華街で1900年ころから提供された柳麺(広東語ではラオミエン)で、獅子文六は明治38年にシナ料理として中華風麺を食べ、作家の長谷川伸はラウメンを味わい、その弟子池波正太郎は師匠がラウメンが好きだったっことを懐かしがっている。神戸や長崎の中華街でも同様の中華風麺が提供される。長崎ではちゃんぽんがあるが、これは麺の上にボリュームある具材をトッピングした「シナ料理四海楼饂飩」として登場したものを古い長崎の方言で雑多なものを混ぜるさまを表す「ちゃんぽん」として呼んだ。
東京では1910年の浅草六区来々軒が支那そばとして提供、札幌ではそれまで支那そばとして提供してきたソバを1921年竹屋食堂でラーメンをメニューに載せた。喜多方では1925年ころに屋台の源来軒でラーメンを提供し始めた。
即席ラーメンは昭和32年に安藤百福が10年の歳月をかけて開発したチキンラーメンを発売し始めたのが始まり。開発の苦労は現在進行系の朝ドラで明らかにされているが、麺を油であげることを思いついたのは天ぷら屋だった、というのが本書の内容。 お箸を使わない文化の外国人にもラーメンを美味しく食べてほしい、これからも創意工夫は続くと思う。