意思による楽観のための読書日記

虫眼とアニ眼 宮駿、養老孟司 ***

1997年、1998年、2001年と三回にわたって二人が対談、「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」を巡っての対談録。

現代人は自然の中で生きているという感覚を忘れてしまったのではないか、おまけに人間嫌いになっているのかもしれないという宮駿の意見に養老孟司が賛同している。都会では地面は水平であり、建物は直線、つまり真っすぐ立ったり歩いたりすることは、道や建物に沿って行動していればできてしまう。自然はもっと曲がっていて、地面も水平ではなくて凸凹である。住まいだって直線などはなくて、床だって傾いている。そこで生きていくためには、体をまっすぐ立てて真っ直ぐ歩くという意志と力量が必要であり、それができなければ健康に長生きなどはできない。特に、自然の豊かな日本は人間が豊富な自然の資源に支えられて生きてきたはず。これが「もののけ姫」の中に込められた思いであると。養老孟司は自然の中で歩いていても、小さな植物や虫に気がつく特技があるという。これが「虫眼」。

鴨長明の方丈記の記述、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」、平家物語では「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ」これらたまたま同じ時期に書かれたものであるが、生物や自然そのものの記述であり、人間も、細胞レベルで言えば毎週入れ替わっている。4週間経てばすっかり入れ替わっているが、人間としては同じ人物。川の流れと同じではないか。これは後に書かれる福岡伸一の「動的平衡」での解説と同じでもある。

宮駿が作品を書く動機は「眼の前にいる数人の子どもたちを喜ばせたい」ということ。できるだけ自然の中での人間を描きたいと思っているのだが、最近はデジタル化が進んできていて、アニメもデジタル化、自然を絵の中に生かす、という感覚が薄くなってきていると感じる。この感覚が「アニ眼」。

現代人に欠けてきている「虫眼とアニ眼」を持った二人から、現代人に対するメッセージであるが、ふたりとも押し付けがましくはない。これは宮駿の作品にも上品さとして表れている。感じる人は感じるし、そうではなくてただアニメとして楽しむ、これは受けての自由に任されていると。宮駿からのメッセージの一つ、「となりのトトロ」を百回も子供に見せる、なんていうことはやめてほしいと。子供には1回だけ見せて、99回分の時間は外で遊ばせてほしいと。賛成である。


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