松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

おもいで

2007-03-12 15:35:33 | Weblog
か、かえ…かえってきました…

といいましても、先週の金曜日の夜
ひっそりとこの宝塚の地に帰ってきました。遭難しなくてよかったって感じ~、って感じ~…って感じ~

前回の更新は、歩くのに邪魔になるだろうと
小さいバッグに最小量の衣類と、アリバイ作りのビデオカメラ、と金だけを詰め込んで飛び出した
無計画の旅【『坂本龍馬脱藩の道』を同じように歩いていく】の第1歩の地・高知にて、でした。

服装は、ピンクのジャージに黒いパンツ、アシックスのランニングシューズです。
パンツ・靴下は、いわずもがなに他なりません。
それに、バッグを提げて独り130㌔先の伊予の国を目指すのですから
完全に心細い身なりなのですが、まいっか、で済ませて、とっとと出発しないといけないのです。

天候は…高知着が午後10時なので、暗くてわかりませ~ん。
風は…ある。少し、肌寒い。3月に来て、なんでこんな時に寒くなるの?と…
だから、環境破壊は「ダメ。絶対!」っていっつも言ってるだろうがぁ!と…
思いました。我々が悪いのです。
しかし、月は綺麗でした。この世のものとは思われないくらい…綺麗でした。

で、月の名所『桂浜』に行くべきか…と思い馳せ
10㌔先までちょっくら行ってこよう!と走り出したのですが
思ってたほど進んでなかったので、それならその分西に進んだほうが利口だなと思い
渋々あきらめました。完璧主義の私としては、先の『桂浜』や『和霊神社』といった
「龍馬ゆかりの地」を残さず食べちゃ…否、観て回っていくのが、本来のあるべき過程だと
思い込んでいましたが、果たして歩いて愛媛まで行くというのは

一応宣言して、歩き出したものの、やはり不安はありまして、とにかく行けるとこまで行くべし
だろうと思い、細かい事はこだわらず大きな目標に向かっていくことにしました。
といっても、市内の『坂本龍馬誕生の地』や『土佐藩山内家旧下屋敷跡』は観て回りましたが…。
道筋に頼りは『図説坂本龍馬』(戎光祥出版)です。
出発は3月6日午前1時くらい、「はりまや橋交差点」から国道33号線を西に進みはじめました。
高知市内~いの町~波川~佐川を約5、6時間歩き続けました。
佐川町に着くと、キャッシュコーナーでお金をおろし、喫茶店でモーニングなんて気取ってみました。

そして、町内の青山文庫で幕末・明治期の志士の書簡などを見学し
そこの事務員の方々に問題の『朽木峠』までの詳しい道を教えてもらいました。
この『朽木峠』というのは、国内の地図には殆ど記入されていない山道で
私がそれまで一番心配していた事でもありました。しかし、地元の人に聞くのが一番。
佐川駅から県道494号線を須崎方面に下り、途中脇道に逸れると、そこに立っていたのです
「坂本龍馬脱藩の道」の案内が。それ以降、案内は愛媛県の泉ヶ峠までずっと続くのです。

494号線~『朽木峠』~国道197号線・梼原街道(津野町)というのがこの日の内容。
約5、60キロは歩きました。
朽木峠を越えている間に考えてということは
車道等のアスファルトの道というのは、やはり、人間には合わないということです。
『朽木峠』は完全に山の中で、独り山道を歩いていたのですが

佐川町までの30㌔アスファルトの道でガタガタになった足が
その日一番急峻な山間部では、簡単に動くのです。
アスファルトというのはあくまでも、車両のための道であり
人間の足には、どうやったって合わないのです。自然は、人間に優しい。

私の、この「高知から愛媛・五十崎町まで歩いていく」という旅の意義はなんなんでしょうね。
愛媛に到達することにあるのか。それとも、高知駅前を徒歩で出発したことにあるのか。
ただ私が思うのは、兵庫の地で、「できるか」「できないか」を悶々と家の中で悩んでいるより

兎に角歩き出して、駄目だったら「間違ってました~☆」でOKだと思うのです。
その方が、気持ち良いし。

私の場合、友人・出会う人に悉く言い過ぎて、性格上引っ込めなくなっただけなんですが…。


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