松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

旅の記録『8』~あんなに好きだったあなたを一生懸命憎む~

2007-02-15 18:22:44 | Weblog
そろそろ旅の総括を。

宝塚から東京・日本橋間の
ママチャリでの横断(2回目)は

未だ完全に
反省されていないことを
思い出して、大慌てで、本日総括したい次第です。

ちょうど、ジャスト半年です、あれからそれから。
修善寺~下田。
天城は越えません。
修善寺観光のあと、桃鉄に出てくる【修善寺駅】を見て

ちかくにあった「何でも出来るスパ」で朝の2時頃まで過し
それから伊豆長岡まで戻り
西伊豆に出るために、山中をゆく…。
この、伊豆長岡から西伊豆までの山間道は、この旅で、もっとも恐ろしい思いをしました。
それは、覚えてます。

何が恐ろしいって…夜中、山の中、誰もいない、というのが怖いんです。
車も2,3台でした…。
闇夜。とうか、闇。というか…黒なんです。周りが全てが。
声も音もしない。だから、結構ひとりごちて…挙句の果ては
小沢健二の『今夜はブギーバック』の着うたをダウンロードをしました。
初めて着うたなんてダウンロードなんかして、その曲を50回くらリピートで耐えると…

雪国、否!西伊豆の港まちでした。
この西伊豆に、その昔、太宰治が『斜陽』執筆のために寝泊りした【安田屋旅館】という
旅館があって、事前に調べて、現に目の前まで行ったんですが
着いたのが朝の5時くらいだったので、迷惑だなと思って、通り過ぎました。
バス停で約1時間、6時まで横になり、出発したのです。
途中、「恋人岬」なぁ~んてロマンチックが止まらないお洒落な見晴台があったり…
そこで出会ったおっさんと約40㌔先の【浮島】という海岸で待ち合わせして…

やはり、旅というのは、しかもこのような一見無茶な僕に、周りの皆様には
案の定、やはり、無茶に見えたのでしょう。
誠実な私は
待ち合わせなんかしたら、その待ち合わせにちゃっかり行かないと気持ち悪い思いがする性質で。
そのまま通り過ぎて、折角出合ったのに、挨拶もなしに、もう会わないというのは私には気持ち悪く…
だから、2時間かけて約束は果たしました。

そして、海の家で、ラーメンやら野菜炒めやらジュースやらをご馳走してもらいました。
そして、それはその場での出会いとなったのでした。気風のいいオヤジに、今更ながら
人間の温かみを感じます。だから、旅は素晴らしいんだと思います。
私は、そのまま西伊豆の主要道路・136号線をひたすら南下したのです。
【夏】という暑さの中で、どうして無理しがちの私は、汗ダラダラでフラフラと山を
死に物狂いに死にそうに、ペダルをこいで、のぼっていたのです。
そういう私に声をかけてくれる人がいます。「まぁ水浴びろ」と。「まぁ茶飲めや」と。

その当時(今もかもしれませんが)人のやさしさを気付かないでいたり
感謝しなかったり、当たり前だと思っているような
普段の自分は「なんなんだ」と思ったりもしました。
反省の毎日なのでした。
そして、東遠・御前崎灯台に続き、伊豆半島最南端の【石廊崎灯台】を訪れました。
この勢いで、日本全国の灯台を訪れるのも、また夢の一つ。

この日の気持ちは確か、一日中「早く下田へ(着きてぇー!)」だったと思います。
西伊豆は、再開発がそれほど進んでなく自然が美しいです。本当に。
海も蒼いですし。空も蒼いですし。山も蒼かったのです。
そして、南下するからには、背後を振り向くと小さき富士山を望めるのです。
富士山に対する気持ちは、その数日前とは、はっきり違うのです。

例えば、浜松らへん1号線、150号線をこいでいる時は
「はやく富士山に着きたいな~」っていう羨望と愛でいっぱいでしたけど
この西伊豆では、富士山に対する愛情はこれっぽっちもなく…
「早く消えて!」です。確かに美しい山ですけども

まだ見えるということは進んでいないことを意味するからなのです。
この、富士山に対する思いが、その数日の間にこれほどまで変化するのかと思うと
面白かったのです。

何とか、夕方に下田に着き、1858年の下田(日米和親)条約の舞台となった了仙寺を訪れ
そのあと、【蓮台寺】の温泉につかり、【吉田松陰潜伏の地】を訪れ、下田市街に戻る。

温泉のせいで所持金尽きたが、ATMがない!だから、お金がない!まさに織田裕二状態。

何も食えず
既に閉まってる道の駅の、外に設置してあるベンチに横たわり

夜風に晒されながら、いつの間にか眠りこけていました。

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