松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

『イメージ』について、いち大学生が語ってみたところ…

2006-10-31 06:28:53 | outlook of life
結局イメージって、大事なのか、大事じゃないのか、分かんなくなってきました。

そういう難しいことを考えてみたりしてるんですよね。
だって、僕、大学生ですもん。だから、そういう事も考えていかなきゃって思うんですよね。

特に僕なんか、1回生でもなく
2回生でなく
3回生でもないんです。

だからと言って
4回生でもないんです。
そりゃ、書類上は【4回生】って書いてて、ちょっとは背伸び(?)なんかも許してもらってる
ってことになってるんですけど、実質、5年目なんですよね。

(あっ、でも、休学だから、ちゃんと大学生するのは4年目なんですよね。)
どうなんだろうね、僕って。子どもなんだろうね、大人になりきれない。
そんで大学じゃ自分が4回生なのか5回生なのか決めれきれなくて
いーつまーでもー
ふらふらやってんですよね。

僕の同級生なんて、もう社会に出てって、完璧にオ・ト・ナですよね。
僕の一コ上の先輩なんか、社会に出て行って二年ですよ、当たり前なんですけど。
そんで、僕が来年の3月に社会に出るでしょ?
知らんがなって話ですよね。出るんですよ、単位がちゃんと取れればね♪
でも、結構危ういんでしすよね、マジで。
5年目の4回生としては、結構履修してるんですよね、そんで忙しいんですよね。

毎日がっこ、月がっこ、火ぁがっこ、水がっこ、木がっこ、金がっこ。
で、土は家か、日は…も家か…。
しゅうごでがっこですわ、これってうそじゃないですよね、ただ間違っただけ。
話を少し戻すけど、仮に来年の3月に卒業して
同級生や先輩とは1,2年の差があるんですけど、精神的にも肉体的にも!
特に、精神的には、僕は、なぁーんか、10年くらいの開きがありそうな、そんな予感すんですよね。
既に。負い目というか、なんというか。焦ってはないんですけどね。

だって、結局人それぞれですもん、結局。
でも、そうやって割り切って、競争意識もなく生きてるってのも、なんか寂しい感ですよね。
負けてもいいから、ボロボロに廃れてしまってもいいから、それくらい精力的に生きたい…
否、生きなきゃとは思うんです。でも、結局は
【人それぞれ】って考え方に帰ってくるんですよ。あいつ、「お帰り」って手ぇ広げてやがんの。
人それぞれってのと、競争意識がどうとかって一緒の問題なんすかね?そもそも。そも。
そこらへんの、根本的なところから間違ってる気がするんですよね。どうなんでしょ?
教えて、おじいさん。

何を言いたいのかっていうとですね、『イメージ』の問題ですよ、そうイメージ。
簡単に言えば外見のことですよね。
大事にしてます?外見。
僕って、大事にしてた時もあったんですけど
「やっぱ、いいや」とか言って、中身しっかりしてれば、外見なんて!って考えに行き着いて
でも実際は、ほんとのところ、どうなんだろ?とか考えて、ぶり返してんですよね、最近。
時には!
これ聞いて下さい!
時には!…………………

その人の『イメージ』が、その人の【事実】になることも否めないんじゃないかって思うんですよね。
その人と話なんかしたりして、内面を知るようになったら、それはそれでいいんですけど
世の中って、会わないというか、知り合いじゃない人の方が多いじゃないですか。
これは、多いんです。
そしたら、会わないというか、知り合わないというか、例えば
すれ違うだけの人をどう判断するかって(すれ違う人を一々判断しないんですけど)
やっぱ、外見的なイメージじゃないですか。服装とか。
で、その人とは一生会わないわけですから…あっ。一生知り合わないわけですからぁ
その人の服装から連想するイメージが、その人の判断基準というか
自分にとってのその人に関する事実になってしまうんですよね。

ホリエモン(堀江貴文)さんも、そうじゃないですか。あと、村上さんも。(ファンドのね。)
服装じゃないけど、あんな敵対的買収を繰り返したら、やっぱイメージ悪いっすもん。
買収されそうな人たちも、嫌だと思うんです。幾ら企業にとって利益がある買収だとしても
「否!」ではなく、「嫌!」っていう感情で交渉を断ってしまっしまうんですよね、きっと。
しかも、僕たち私たちって、日本人じゃないですか。
論理的に割り切れない事を一番多く抱えてる?ちがうな…
何でも全て、論理的に割り切って物事を進めていく民族じゃないじゃないですか。
そういう人たちなんですもん、僕たち私たちって…。
で、僕たち私たち、所謂民衆なんか、ブラウン管を通してしか、あの人を知る余地ないでしょ。

そしたら、やっぱ、イメージだなって思うんですよね。
つまり、彼らは、自分自身のイメージに負けたんだと思うんですよね。
自分のやってる行為というか、アウトプットというか、それが醸し出しているイメージ
まわりの仲のよい人々だけじゃなく
まったく自分の内面を知るはずもない大衆が持つだろう自分のイメージを想像できれば
まだ救われたんじゃないかなって思うんですよね。
別に擁護してる訳じゃなくてぇ…まぁそのぉ…「救われないこともなかったノデハナイカ?」
意味わかんね。あーあ。

だぁかぁらぁ…
やっぱ、そう考えるとねイメージがぁ、だ・い・じ、かなぁって。
でも、外見だけ良くしても中身が駄目だったら、やっぱ失望されちゃうんだと思うんですよね。
特にぃ、女のこ、とかに。これきつい。
でも、やっぱ、常にモーニング姿が良いってことにはなんないの。(着てないけど、別に。)
そうかんがえるとさぁ、やっぱ、外見なんてどうでもいいじゃなかって思うんですよね。
でも、よく考えてみると、イメージ=服装って考えてる自分にも瑕疵があると

いま、たった今!思い始めたんです。
なんか、考えって、パッと定まらないもんなんですよね。
結局は、人って、他人を何で判断するんでしょうか?
何をもって対象のイメージは形作られるんでしょうか?って話になってきちゃいました。
仕草とか、行動の一々とか、それこそ服装とか。
でも、大事だなってのは、さっきも言ったけど、周囲の人、もっと遠くに居る、又は!

さっきすれ違った人が自分に抱いたイメージがどんなかって
それをまたイメージできる力を持てれば
人って、自分を見失ってしまうことは、それでも、少なくなるんではないでしょうか?
でも、そうかんがえると、人のイメージを怖がって生きるのもどうかなって、思うようになって
人に何を言われても、自分が価値を置くものに素直に向かって行ける力も必要だし

前述した人も、もしかしたら、全部承知の上の行為だったのかも知れないと…
考える余地も、今、僕の脳のどこからかから、染み出してきてるんです。
って最近、考えてるんです。
堂々巡りばっかで、それが、考えの【深化】であって欲しいって願わざるをえないんですよ

今の僕。
こんなことを考えてるんですよ、最近の大学生は。すくなくとも、僕という人間は。

いいんだろうね。

だってぇ
…何を考えるかなんてぇ…結局ぅ…

人それぞれですもーんっ!!
(今の大学生も使わない語調でスイマセン。
   僕自身も使ってないんですよ!こんな言葉遣いちゃいますよ。

   ほんにで。あっ、これ、マジって意味。ほんとって意味。
                                   あの…

         …変なイメージ持たないでくださいよ!)

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