Ferrari F187/88C
(1988年)
5位ミケーレアルボレート(伊)
3位ゲルハルトベルガー(墺)
2位コンストラクター
代表マルコピィチリーニ
Tec.dsnグスタフブルナー
Tec.dsnジョンバーナード
1.5リッターターボ最終年を迎えた88年、フェラーリはニューマシンを用意せず、
F187の改良版を投入した。
この年からペダル類は前車軸よりも後方に位置するというフットボックス規定が導入されたが、
前年モデルを継続的使用する場合は、この規定が適用されなかった。
バーナードは翌年の自然吸気V12エンジンとセミオートマチックギアボックスを搭載するテストカー
639の開発に専念した。
ターボへの規制が厳しくなり、過給圧が2.5バールに制限された。
総帥エンツォフェラーリの体調悪化によりチーム内が混乱し、主要技術者の離脱が相次いだ。
苦闘の中で、地元伊GPで幸運が訪れた。ベルガーとアルボレートがワンツーフィニッシュを果たした。
前月に死去したエンツォへの弔いの勝利となり、
マクラーレンのシーズン16戦全勝を阻止する1勝にもなった。
コンストラクター2位(65P)ドライバーズタトルは、
1位セナ(90P),
5位アルボレート0勝(24P),
3位ベルガー1勝(41P),
1,500㏄,90°V6ターボ ,630PS