ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

加齢による脳の劣化と、車の運転との関係

2024-04-16 23:08:45 | 車所有でわかるもの

誰にも出加齢による脳の劣化していくという問題があると思うので車の運転はそれを遅くさせるとかのメリットはあると思うというお話です。

 

私三之橋の場合は小学生時代に塾に行かされていた。

 

それはよくあるフランチャイズの「ここに行けば1流大学への合格は楽勝~」 みたいなものではない。

 

個人のおじいさんとおばあさん夫婦が営んでいる講師は国立大の大学生とかいたりするような塾で商売をしている家の子供とかが数多く通っていた。

 

塾長のおじいさんの話によると、大学に行くというのを目標とした教え方をされるとどこかの1流大学に合格して卒業しその結果1流企業に入社まではできるが、所詮3軍留まり・・・ と言っていた。

 

自分の教え子は東大とか京大とか凄そうな大学に入学しどこかの大企業に正社員となったりして、でもそこで1軍選手になれなかったらしくて、そこで、最初から1軍で通用するような教え方をした方が良くないか?と思ったらしい。

 

それで小学生のチビッ子に、「良いか、人の脳は大人になると右肩下がりで脳細胞が減っていくんだぞ」 みたいな難しい話とかをしていた。

 

例えば、合宿とかでもぶっ飛ぶくらい高い料金だったりするのである年の夏休みとかに参加すると普通の人の給料では支払えないくらい高い感じがあった。

 

塾長はいつもドイツ製の高級輸入外車に乗っていた。

 

合理的な造りが気に入っている感じでなぜかいつもあれはあそこがダメでと乗り換えていた。

 

そのくらいお金には困っていないように見えた。

 

ドライブに連れて行かれ、とあるスーパーのお客様駐車場に入り、「さあ買いものテストをするぞ、三之橋行って来い」 とメモを書いて渡す。

 

カレーライスとか料理のテーマが書いてあり食材の種類や〇〇人分とか達筆な字で書いてあるので、「行って来ます~」 と挨拶して店内に向かう。

 

その途中に、「塾長はたしか誰かに助けてもらうのは反則とか言わなかったと思うのでここは援軍を呼んで乗り切るのが無難かな」 とか自分で戦略をチャチャッと組み立てないといけない。

 

お肉売り場に行き、そこで周りを見て、マダム系の料理好きそうな人に声掛けしていく。

 

『すみませ~、お母さん。 ちょっと教えてもらいたい事がありまして、カレーにはカレーに合うちょうど良いお肉ってあるじゃないですか? 僕は福岡市内に住んでいて、このお店に来たのが初めてでわからないので』 なんて話をする。

 

小学生のガキにそもそもカレーにはカレーにちょうど良いお肉とか言われても、子供ってお腹がすくので何を食べても美味しかった利するのでおじいさんの言うちょうど良いお肉とは何かとかわからないじゃないですか。

 

そこで普段ご主人が家に部下でも連れてきて、料理を振る舞っていそうな女性かな? みたいに人に訊いてみて、「そうねえ、私だったらこれがお勧めだと思うけれど」 とか言ってくれる。

 

小学生のガキから見て、たぶん料理は4人家族で自分の家族だけに作るような人と、赤の他人に作る機会の多い人とでは食材に対してのこだわりとか違っていると思う。

 

例えば、ご主人の部下が家に来てみんなで食事をした時は、奥さんはご主人が恥をかくというのは避けたいと考え普段よりも少し努力するとか気を使うものがあると思う。

 

カレーを作ったら、「今日のお肉はちょっと固かったかな」 とか何をおひとり様反省会みたいに考えていそうじゃないですか。

 

最初にカレーにはカレーにちょうど良いお肉ってあるじゃないですか? と振った時にキョトンとした目をする主婦もいれば、「そうねえ」 と話しが理解できている風な主婦もいたりするので確認して一気に、『僕はちょっとお買い物に行かされていて、これがお買い物リストになるのですが、困っていて助けてもらえませんか~』 と畳みかけて手伝ってもらう。

 

その人は自分のお母さんではない。

 

お金を支払って雇っている家政婦さんでもない。

 

たまたまお店で偶然みつけてしまった、困っている自分を救えそうに見えただけの人なのでお願をしてもお断りされればそれまでとなるので、頼み方1つきちんと考えないといけない。

 

小学生のガキでもわかる話で、”お願いする” みたいなものは自分の都合を相手に押し付けるだけなので、何の人間かんけいもない女性の年上のマダム系の人だと、”人当り” みたいな人となりを見て判断するわけで、子供がお願したからと言ってそれを真剣に応えないといけないと考える人ばかりではない。

 

それで手伝ってもらいお礼を言って別れて、1人であたかもきちんと買いものできたましたよ~ みたいな顔をして高級外車に戻り、「今戻りました~」 と言って乗り込む。

 

きちんと買いものができないと、『今日は三之橋に買い物テストでやらせた結果、こんな料理になってしまった。 おいs三之橋、お前こんな買いもの1つまともにできないのか~』 とバカにされる事になる。

 

ダメなところをみんなの前で晒して楽しんでいるというわけではないと思う。

 

例えば、いつも学校のテストで90点台ばかり、みたいな賢い子がいる。

 

お母さんが頭悪いと、「〇〇ちゃん、その調子よ」 とおだててしまい、方向性が合っていると思い込んでしまう。

 

でも、大学を出て、どこかの上場企業にでも運よく入れた場合、お買い物テストでミスをしてしまうじゃないですか。

 

面接とか履歴書とか会社に入りたいという一心で、嘘も少なくない。

 

その人に悪気がなかったとしても、どんな育ちをしているのかな? とお買い物テストでもさせれば、そこでその人自身が何者なのかを自ら語ってくれて騙された感とか、失望を感じれば、さすがに自分の手元にはおかずにそんな人なんだと離れたりすると思う。

 

基本はどんな人でも思い込みとかはあると思う。

 

普段自分がやっている事だけを見て、それが勉強であればテスト結果が良ければ、何か将来はデカい会社に入って安泰な人世に見えるとかある。

 

でも、現実はそうではないよ。 脳には使われていない所もあったりして、それに自分で気づいていない人が少ないないんだよ~ と塾長は教えている感じ。

 

その1つにサバイバル訓練があると思うのですが、たぶん人生の縮図を表している。

 

遠泳で泳がされ、溺れてしまい、救急車で搬送されるという死にかけた人が出るじゃないですか。

 

パズルを解けないポンコツな頭をしていた結果、自分がこういう風に苦しむんだとわからせる感じ。

 

たぶん、そのようななったら、2つの選択肢しかない。

 

1つはもう残りの人生で泳がないとかで、諦める人。

 

もう1つは自分が溺れて苦しんだ事で、これではいけないと泳ぎ方を練習して身に付ける人。

 

人間は、自分が困ったというものを感じた時に、そのままではいけないと真剣に何かを学ぶとかあるので、そもそも塾とかでどういう風にすれば良いと教える必要がない。

 

その人に、自分でできると思っていると思うけれど、できていないよ~、 という現実を見せてあげれば、できない人は自分でもっとできる方法考えていく。

 

例えば、三之橋という小学生のガキがいて、食べ方が汚いとか見た時に、『おい三之橋、食べる時はこういう風にするんだぞ』 と教えてあげてもたぶん右の耳から入った左の耳から抜けてしまうので教えた時間は無駄にしかならない。

 

でも、『おい三之橋、お雨食べ方汚いよな~、いったいどんな育ちしてきたんだ~』 と大勢が食事をしている時にさらし者にされると、ショックで塾を辞めてしまうけれど、その子は生涯その言われた事を覚えていたりして気を付ける大人になるとかあるじゃないですか。

 

お金をもらってやっているわけなので、それがどんなに凄いお金の子供であったとしても、どんなに有名人の子供であっても、言わせてもらうよ~ みたいな感じだった。

 

『お前はお父さんがついていなければ、ただのクズなんだよ~』 みたいに言われ泣いて辞めて行った子とか珍しくない。

 

そんな感じで言われるとかあるので、「お母さん、もう僕はあんな塾に行きたくないよ」 とプライドが無ければ言ってしまい幕引きできるじゃないですか。

 

でも、すぐにまた新しく人が入ってくるので、大人気という感じであった。

 

やはり、ぱっと見はおじいちゃんで、でも頭は聡明で記憶力とか判断力はどこか上場企業で働いている40代みたいな脳のコンディションを保っていたように見えた。

 

そんな育ち方をしますと、大学生となった入学式で国産高級車の新車に乗っていた子が気になり、話しかけてみて、それは300万円の車を高校生時代にアルバイトしたお金で買い、それが3,000万円くらいの価値を手にするという話を聞いてしまったら、「この子の10倍やれば3億円か」 みたいに考えてしまうじゃないですか。

 

後はその信ぴょう性を確認するべきで翌日からクラスの子にヒアリング調査をしたら、みんなもう普通自動車運転免許証を取得し、中古で普通車をローンで買ったりして持って乗っていた。

 

『えっ、大学生になったばかりなのに、もう4年後の卒業した後の対策を始めているののか?』 と驚いてしまった。

 

それは18歳の子から見れば、たぶんみんなが一斉に同じ事を取り組んでいるという点などから半数はそこでダツラクするとかの何か簡単ではないものがあるからこそ、そういう感じではないかと考えた。

 

そこで、考えた。

 

もうすでに先行している人ばかりなので、そのチョイ先輩となる人の体験談を聞いたりして参考になるものとそうでないものを情報として入手しておくかと。

 

それで自動車学校ではそこで1番の誰も指名しない鬼教官を指名している。

 

5分に1回とか、助手席の補助ブレーキを床まで踏まれ一気に前のめりになりエンストする。

 

『お前バカか~、さっきも言ったのにできないのか~』と激高される。

 

そんな感じで1時間とか乗ると普通は耐えらないと思う。

 

ただ、なぜそのようなやり方にしたのか? と訊かれれば、人は負の感情が伴う記憶は脳に焼き付くかのように記憶しているので、自動車学校を卒業して1人ボッチで公道を運転するようになった時に、「教官はこんなところがお前のダメなところと言っていたな」 みたいな残念なポイントを指摘してくれたのでそこをまずできるようにすれば、残りの人生は誰からも指摘されずに済むかなあ~、 という作戦。

 

小学生の頃のチビッ子時代に塾長が散々ダメなところを指摘していたというのを見て、そういう人がダメ出しするというのは、人を良く見ているという洞察力に優れている人の特徴なので、その指摘されたポイントをすべてきちんと修正すれば、普通の人はまず指摘しない、というかできない。

 

自動車学校を卒業した時点では、全員素人で必要最小限の知識を得たという事で普通自動車運転免許証を取得しただけなので、最初の1週間で鬼教官にダメだしされたのを修正できれば、後は行動を1人ボッチで運転しても、「あの車は初心者マークは貼ってあるけれど、上手いな」 と回りの車の運転者には見えてしまう。

 

最初にその領域をいかに早く抜け出せるか? が重要。

 

それができると1人で運転していても周りの運転者とかに笑われる事はないので、女子高生を助手席に乗せて走れる。

 

私三之橋の場合は、いつもミニスカートを履いている女子高生を助手席に乗せていた。

 

AKB48のセンターとかにいそうなカワイイ子で、よくナンパされまくるらしい。

 

「この前は警察官にナンパされた」 とか話すと、『その警察官はどんな風に声をかけてきたの?』 と訊いて参考になるじゃないですか。

 

それ以外でもナンパされまくりだといろいろな人の車に乗るという場数がほかの人と違っている。

 

それで左折したら、『ねえ、今左に曲がった時は怖くなかった?』 みたいに確認していた。

 

男性の場合、男友達を乗せて走り、あるいは1人ボッチで走り、運転の荒さというか雑さ加減が、女性から見て、「あの人の運転は荒くて」 みたいに女性の感覚と違っていたりしてそれで失敗するといわれていた。

 

それで、アクセルペダルの踏み加減というか、トラクションのかけ方は女性と感覚合わせというのをやっていた。

 

アクセルペダルって足で踏むので、どうしても男性は雑さとか出てしまう。

 

ブレーキを踏む時、完全停止した状態から信号機あ青になって走り出す時、曲がる時。

 

いろいろなシュチュエーションで感覚がズレていると感じれば、同乗者はあの人と運転はちょっと・・・となり2度と乗らないとかも起こりうる。

 

そういうのをやった上で、男友達にバディシステムを組んで一緒に大学に行こうぜ~ と誘われているのでそれもやっていった感じ。

 

需要なのは順番だったりすると思うし、誰かを乗せて走るという事だったりする。

 

ただ、それって1つの運転という操作の話なので、他にもメンテナンスを覚えるとかしないといけない。

 

車の故障とかパーツの交換で小っちゃな修理工場とかに行くと、「えっとどういえばいいかなあ~」 とか切り出して専門用語全会でしゃべり出し、5分とか経ったら、「今の説明を聞いてわかりますか?」 と確認される。

 

たぶん専門用語とかなので20分とか30分とか説明して最後に相手にわからないとか言われると時間が無駄になるので確認しているのだと思う。

 

それで、『ざっくり言えば今の説明はこういう意味ですよね?』 と言うと、「えっ、もしかして車関係の仕事をしている人ですか?」 とか言われ、『ただの大学生で、バカじゃないだけです』 と言うじゃないですか。

 

専門用語とかが出てくるので、『たぶんアのパーツの事かなあ~』 みたいな想像をしている感じで、確認で訊いていると思うので、『こういう意味ですよね?』 と自分が捉えたイメージを話すとなぜか車関係の人ですかとか言われるのでそれだけ理解できない人が多いのだと思ったりする。

 

時々女性とかで、「私はあまり車に詳しくないので」 と言ってディーラーとかに行くとか修理工場とか車検を受けるとかが苦手とか言う人がいるのですが、専門知識とは関係なくてコミュニケーションスキルの問題だと思う。

 

病気の時でも医者が素人に説明する時に言葉を選んだりした時に、「私はそういうのはよくわからなくて」 みたいにいかにも自分は医療知識がないので理解できないみたいに言ってしまう、変な返し方をする人がいると思うのですが、医者は患者に医療知識とか求めていないと思う。

 

アメリカで長距離走るバスがあって、バスステーションみたいなところでどれに乗れば良いのか? と訊いたとします。

 

その時になぜかいっぱい人が来て、なんとかその言葉も通じない人に一生懸命教えてあげようとする。

 

そんな時に、I cna't speak engulish. とか言って、「私は英語はしゃべれないので」 みたいに言ったら、それまで一生懸命だった人達がさ~っとどこかに消えていくじゃないですか。

 

コミュニケーションというものでは、「私はわかりませんので」 と言ったらそこで損しかしない」

 

車を所有したら、そんな感じで自分のコミュニケーションスキルとかわかるじゃないですか。

 

例えば、大学生時代に自分でコミュニケーションスキルが低いなあ~ と感じる事があれば、それは残された大学生の4年間の中で修正しておかないと自分が困るだけじゃないですか。

 

カルチャースクールの話し方教室に通うとか、大学のクラブ活動に入ってみるとか、何かあるじゃないですか。

 

後は、自動車保険料とかの仕組みとか、1年間に支払う年払いとか、4月1日の所有者に自動車税のコンビニ払い込み用紙が届くとか、車検とか、お金の支払いがバラバラなのでそのお金の管理もできないといけない。

 

お金の管理ができないのに会社員になる。

 

「昨日の飲み代の割り勘を支払ってください」 とOL姉さんが朝廻って来た時に、『今お金がなくて』 と言ってしまえば、迷惑じゃないですか。

 

「お金がないのに飲み会に来るのは間違いよ」 と言われそうじゃないですか。

 

『ねえ、今度の日曜日にあの新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ』 とか彼女とかガールフレンドに言われたら、迎えに行ってそこで地図本を出してチャチャッとドライブルートプランを組み立てできないと走れないじゃないですか。

 

今の時代だとカーナビがあるとか、スマホがあるので誰かに電話してとかもできるのですが、昔はそんなものないわけで、自分で走る道とか調べないといけないじゃないですか。

 

地図を見れない人は空間認識機能が低いという障害だったりするといわれているので、それも学生時代にもしもそんな感じであれば修正しておかないと会社員になったら困りそうじゃないですか。

 

ただ、目的地に到着できれば良いというものでもなかったりする。

 

彼女とかとデートであれば、ランチはあそこで食べるかなとか、時間とかも計算しないといけない。

 

運転していて助手席で彼女がご機嫌で、「昨日はこんな事があったの~」 とか話したりするので会話をしていかないといけない。

 

もしもそれがダメであれば、2つ以上の事を同時にできない人なのかもしれないので大学生時代に修正した方が良いと思う。

 

彼女が「ねえ、もう12時になったけれど、ご飯はどうするの?」 と言った時に、『今こういう感じなので14時頃に到着すると思うのでそこで食べよう』 とか言えばしらけてしまうとかもある。

 

自分1人で仕事で出張とかでダラダラと運転して移動しているのと違い、相手のあるデートとかだと相手に事も考えないといけないので、「俺は誰かを乗せて走るのは苦手だわ」 となればそれも大学生時代に修正しておく方が良いと思う。

 

狭い車内で朝から晩まで一緒で過ごすとかあると、鈍い人でも相手の嫌なところが目に着いてしまうとかあるわけで、そのデートとかドライブが詰まらないのともう次回はないのかもしれない。

 

例えば、福岡で埋まら祖だった三之橋という男性がいて、大学が都内とかでそれまで生まれ育った実家を出て生まれて初めての1人暮らしをするという感じで、アローン・スタートとなったとします。

 

アルバイト先で同じように京都から出てきたという女子大生と知り合い、「ねえ、今度の休みにあそこに一緒に行ってみない?」 と誘われ自分の車で行く事になった。

 

でも、最初の1回目以降、その子に誘われなくなったとすれば、それは1度で切られた関係となるのかもしれないのでおひとり様反省会とかでどこが悪かったのかな? というのは考えた方が良いじゃないですか。

 

なぜか?

 

もしも、その原因が自分のしゃべり方とか、口癖のようなものとかであれば、大学を卒業してもきっと会社のデスクとかでも同じ事が起きると思うから。

 

”空気を読めない会話をしている”

 

みたいなものであれば、それは次回別の女性、例えば職場で知り合った女性とかのような人と車で遠出した時に起こるのかもしれない。

 

いろいろな人と遠出をした時に、なぜか1回で切られるみたいな結果が繰り返しあった場合、それはどちらかといえば自分が何か忌み嫌われる癖でもあるのか? となるのではないかなあ~ と思う。

 

ひょっとしたら、自分が運転をする時にそれがもういっぱいいっぱいになっていて、彼女とかガールフレンドの話を聞くというのができていないとか、何か言い方がちょっと雑な上から目線になっていて気付いていないのかもしれないじゃないですか。

 

今の時代であれば、ICレコーダーで長時間車内の会話を録音するとか、ドライブデコーダーをリアのを前に向けて2人を撮影するという記録化をして、後で見直すというやり方もできるのかもしれない。

 

でも、昔はそういうものもなかった感じで、自分の記憶をたどるか? 相手に、「怒らないのでどこが悪かったのか教えて」 と言うしかない。

 

メタ認知のように自分の会話で相手が不快になっていれば、その癖みたいなものも大学生時代に修正した方が良いと思う。

 

根がグ~たらな私三之橋の場合でも、一緒に大学に車で行こうと男友達に誘われ、最後まで一緒だった、みたいなものは確認している。

 

正確にいえば、友達は3年生で単位取得できたので大学には行かなくなった感じで、私三之橋の場合は4年生の時も就職活動以外で大学には通っていた。

 

高校生の頃に、一緒だったスーパー特待生の男友達に、「俺はお前とは一生付き合っても良い奴だと思っているので、これからの時代はコンピュータの時代だと思うので一緒にコンピュータの専門学校に行かないか」 と誘われている。

 

男友達とかに、「もうお前と付き合うのは嫌で」 とか言われた事はない感じで進路の関係で別れるまではなぜか一緒だったりする。

 

もちろん男友達がそうだからと言って、ガールフレンドとか彼女もそうだとは言い切れないと思う。

 

ただ、そういう確認というか、長く続かない人間関係があるか? ないか? くらいは気にした方が良い気もする。

 

そんな感じで4年間というか、正確じは4年生になって就職活動でもする時に、「最初の1年生の18歳で自動車学校に行き、卒業し初心者マークを貼った1年間で、その後のの2年生、3年生で最初のスタート時点よりも成長できたのか? とかを考え、それで自己学習能力に問題はないかなあ~ と面接に応募している。

 

車の運転も、会社の仕事もどちらも行動を記憶して側頭脳に刻まれるような手続き記憶だったりするので、片方がダメでもう片方は大成功というのはないと思うので、どちらかができればもう片方も問題出ない気がするのです。

 

自分の適性などを考え、会社員になっても同じようにできるんじゃないかなあ~ という判断はしている感じ。

 

良く、「車は金喰い虫なので大学を卒業した後に社会人になって車を買う」 なんて言っている人がいるじゃないですか。

 

でも、どうせやるのであれば、18歳の方がまだ脳がしっかりしていると思う若さがあるわけで、なぜ22歳とか25歳とかになってやると考えるのかがよくわからない。

 

たしかに車に乗るのは趣味という事であれば、30歳で始めても良いのかもしれない。

 

でも、大学生時代であればそこに脳に負荷をかけまくるという事もできるわけで伸びしろとかも変わって来ると思う。

 

大学生を含め、学生は、「明日から中間テストなので部屋で勉強している」と家族に言ったりしてそれに集中して勉強するとかしている。

 

そうすると自分で2つ以上の事を同時にできる人なのか? とかわからないと思うのです。

 

でも、車を買い、彼女とかにどこか県外にあるテーマパークまで行こうと誘われた時に車の運転をしながら、自分で組み立てたドライブルートプランの進捗具合を考え、会話もして、事故も起きないし、運転中にタバコを吸っても灰がおじいちゃんみたいにボロボロ落ちないとか、複数を同時にできると自分でチェックできると思うのです。

 

2つ以上の事が同時にできないと、会社でデスクで資料作成などPCの入力作業しながら、会社に掛かってきた電話の応対とかできないと思う。

 

例えば、会社でデスクで電話に出て、それが終わった時にフロアが広い事務所にズラ~っとデスクが並び、みんなも働いていて、そこで、「すみませ~ん。 〇〇さんから電話があったら僕に変わってくださいね~」 とデカい声で言う。

 

そうするとそばのOL姉さんが、「私もお願い」 と言うので、自分が話したらそのOL姉さんに確実に回すとかしないといけない。

 

声が小さいとみんなに聞こえないわけで、声が小さいだけも働けないし、恥ずかしいとか思えばそれも支障が出る。

 

自分が電話で話しているのに、話しかける社員がいるのでそれも聞いていないといけない。

 

新入社員でも電話に出るのはミケタという100回は超えると思うのですが、仕事が終わった夜に、「あれれ、1件ミスった。 伝言を伝えていない」 という1%のミスがあれば、「お前って電話番もできないの、使えないなあ」 と先輩に怒鳴らられる。

 

辞めろと言われ、それでも出社すると心臓に悪そうじゃないですか。

 

電話に出て、最後に上司に今日の仕事が終わりませんでしたと言えば、何をやっていたのと呆れられる。

 

そんな感じだと思うので、最初に面接に行く段階で自分に合わないと思えばわざわざ入社せずに電気工事士のような1人で仕事をする方を選ぶ方が幸せではないかと思うのです。

 

たまたま車の運転というものを使った方がそういう適正を自分で判断しやすいだけではないかと思うのです。

 

脳に負荷がかかったら、それに耐えられないとストレスで精神を病むとかある。

 

そういうのって学生時代にアルバイトをしただけではわからないと思うので1つの指標として運転を使っているだけだと思うのです。

 

自動車学校を出て、そこから運転技術がそのままという感じであれば、自己学習能力は低いと思うので、入社したら講師が教えてくれるような会社を目指すしかないと思う。

 

厳しい会社だと、イチイチ丁寧に教えてもダメな人はダメなわけで、できる奴は教えられなくてもできるようになる。

 

みたいな考え方をしていると思う。

 

そもそも私三之橋も大学を卒業して新社会人デビューして、会社員となったのですが、「その仕事は誰に教わったのですか?」 と訊かれる事があるのですが、新卒入社してから上司に何か教えてもらった事はない気がする。

 

最初に上司が接客で来客の対応をしていて忙しいので上司の高級車のキーを渡され銀行廻りをして大金を運んだりする仕事だった。

 

上司の代わりなので光栄と言えば光栄なのですが、そもそも大金を運んでいると強盗にでも遭えば瀕死の重症となる。

 

入社してお局様界大ボスのおばあさんが同じ課にいたので即日虐められた。

 

そのおばあさんがやっていた取引先の管理をやる仕事も引き継ぐ事になった。

 

それで来客したお客様と言うか、取引先と接客するとかもしていくのですが、そもそも挨拶の仕方とかも習った事もない気がする。

 

そもそも電話応対とかも習っていない気がする。

 

後は、会社のシステムを組み、銀行の審査を受けるという仕事が回った来た時にシステム部の最高責任者の部長がメチャ嫌がり、「三之橋君どう、君でもそのくらいできるよね~」 と無茶ぶりされてやる事になり、仕事はいっぱい抱えていたのでプログラマーも雇い部下が増えただけだったのですが、それもやっていた。

 

システム部の部長が、「僕だったらこういう風にするかな」 とか少しでも教えてくれのか? と訊かれたら、「ゼロです」 としか言えない。

 

それで審査にも通過した。 例えるなら社長室のテーブルに10億円くらい現金をドンと積んだ感じだった。

 

メインバンクをメガバンクに乗り換えるというプロジェクトを成功させてしまった事で会社がお祭り騒ぎになっていった。

 

私三之橋が退職して数根で莫大な損害が出て100名以上が仕事を失っている。

 

それで私三之橋は、”座敷童みやいなヤツ” とか呼ばれるようになったのです。

 

たぶんね、人はどこかの会社に入ってそこで高級車にでも乗っている、仕事ができる人という上司がいれば、何かその人が部下である自分に対して仕事のやり方を丁寧に教えてもらえるようなものをイメージすると思う。

 

でもね、そういう仕事ができる人というのは、自分と同じ種類の人を部下にするだけの話なので、何かを教えてくれるわけではなくて、ただチャンスに溢れているだけ。

 

私三之橋の場合、入社してすぐに同じ課にシステム系のデスクとかもあり、システム部部長には、「三之橋君、今日仕事が終わったらそこの角打ちでいっぱいやろうぜ~、僕が奢るから」 と誘われた。

 

その人の話では、高校生の娘さんと大学生の娘さんがいて、家には女性ばかりなので家で飲むのはつまらないらしい。

 

それでもう娘さんが大学生になったので誰かと結婚するとそのご主人が仁節初の息子になるので、こんな風に仕事が終わったら2人で待ち合わせして一緒に飲むのが夢なんだと話していた。

 

いつも毎週1回とかは最低でも角打ちで飲んでいたのですが、仕事の話はしないのでシステムの話とかした事がない。

 

そんな感じで、一緒に飲んだりした間柄で推察した時に、後何年かで定年退職するというので、さすがに銀行に自分の作ったシステム尾出すのは嫌だろうなあ~、 というのはわかった。

 

もう何か訊かない方が良いと思うので、相談しない方が良いかと考えた。

 

大学生が会社員となりルーキーなのに、会社のシステムの設計とかやった事ある人なんていないと思う。

 

銀行のシステムは、俗ん言う”システム屋” さんという、ざっくり言えばコンピュータメーカーから派生したスペシャリストが作っているので、そこに審査を受けるというのは嫌かなあ~ と思う。

 

『この前出していただいたプログラムですが、あれはちょっと酷かったです』 と言われるとマズイ。

 

でも、”ベストエフォート” という、自分d良いものをまず作ってみてください。

 

という審査基準が曖昧な感じなので、そこをどう推察するかも考えないといけない。

 

システム系の人達に、システム系の人が作るようなものと同じものを出せば、「このくらい誰でも作れるよね~」 で終わってしまいそうじゃないですか。

 

そこでワンランク上かな、みたいな人間行動分析からの視点でこんなのを作ってみました~ という独創的なものを組み込んだ。

 

会社に何人かそういうシステムのスペシャリストがやってきて、『見た事がないものが数点あり作った人に説明を聞きたい』 とプログラマーの人が、「僕は三之橋さんに言われた通りにやっただけ」 と答えていた。

 

そんな感じで審査に通り、メインバンクがデカいメガバンクに変わると、もう将来簡単に倒産しないような、無尽蔵にお金が出てくるという感じになった。

 

「ルーキーさは3年持たないと思う」

 

そんな感じで新入社員はみんなそう考えていると思う。

 

高校を卒業し、新卒入社でメチャカワイイ女性が入社しても、最初はカワイイというのがあるので、仕事でチョイミスした時でも、『〇〇さんは、良いよ。 まだ新人さんだし気にしないで』 とか言われる。

 

でも、3年も経つとその可愛さに陰りも出てくるし、「〇〇さん、もう入社して3年もなるわけでもうちょっと頑張らないと」 とか変わっていくじゃないですか。

 

男性の場合はもっと厳しくで、3年以内に自分の存在価値を出していかないと、配属とかになりそうじゃないですか。

 

そんな感じ、仕事ができる人を上司に持つと、チャンスだけは回ってくる。

 

それまで40年くらいお局様界大ボスのおばあさんが大ボスでいられたのは、取引先の管理という仕事をしていたからで、その仕事は私三之橋が引き継いだ。

 

『みなさん~、取引先で何かあればこのセンター長の私三之橋まで言ってね~』 みたいな感じ。

 

ちなみに、「取引先は全部記憶しているの?」 と訊かれれば、数が多すぎて覚えられないと思ったので覚えてもいない。

 

事実上一般社員が昇れる最高の仕事みたいなものを手にしたわけすが、順風万端でもなかった。

 

それはお局様界大ボスのおばあさんは、たぶん自分の仕事を三之橋が奪うと直感した感じで入社して即日虐められた。

 

そういう経験をして学んだ事は、どこかの上場企業とかに転職などをして入社し、そこで課長とか役職も上の人の仕事を引き継ぎするというシュチュエーションでは、前任者は、協力前面拒否という感じだけでなくて、虐められるとかもあったりするという事。

 

そんな感じなので、仕事はどう覚えたの?  誰にどう教えてもらったの? とか訊かれるのです。

 

私三之橋の場合は、大学生時代に入学式の日に国産高級車の新車に乗っていた子と出会い、その子がこういう新車にでも乗って効率よく運転技術をマスターしていけば、会社員になった時に安泰だとか言っていた事でその研究をしただけ。

 

伸びしろの上限まで最短コースでどうやれば到達するのか? とか考え、実際に公道でポルシェを後ろからパッシングして煽るとかやってしまい、警察署長の所に連れて行かれて、「お前調子に乗っているので逮捕しても良いんだぞ」 と叱られている。

 

自分の理論が正しいのか? という検証でそこまでやる人なんていないじゃないですか。

 

たった1回やらかせばそこで即死か、一生車いす生活になるだけだったりする。

 

そういう操作にこだわるのには理由があって、自分が運転していてそれがもういっぱいいっぱいだと、助手席の彼女の話とかもきちんと聞けないという、余裕のなさが出ると思う。

 

彼女が、「ねえ、今度の日曜日にあここにできたあのテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ~」 と言ったら、私三之橋の場合は、根がグ~たらなので事前にどういう道を走るとか一切調べない。

 

朝早く起きて洗車して、彼女の家とかに迎えに行く。 やっぱり洗車もしていない車でドライブに行こうよ~ みたいなものって、夫婦とか家族とかの関係だとそれはアリかなと思うので、別の結婚もしていないわけでマナーみたいなもので洗車をしていくとか、綺麗な洋服を着ていくとかは心がける。

 

後部座席に置いてある読売新聞とか新聞を購読していると地図本をもらえ、それを開いてチャチャッとドライブルートプランを組み立てる。

 

昔は新聞を後続していると1年に1度とか「九州地図」 みたいなその地域の地図本がもろえ、カーナビのない時代はそういう地図がもらえると喜ぶ人が多いので年間プレゼントみたいになっていた。

 

買うとそれなりに高いので、最新地図を車に積んでいた。

 

後はコンビニで福岡市内商材地図とかを自分で買って車に積んでいた感じ。

 

ドライブとかって渋滞するとあるわけで、完璧に予想なんてできないのでたたき台として1つのドライブルートプランをチャチャッと組み立てて、一気に走り、後は渋滞した現場で調整とかを考えないといけない。

 

目的に到着できれば良いというものではないと思う。 彼女とかガールフレンドとデートみたいなものだとスムーズにテンポ良くテーマパークに到着しないと面白くないじゃないですか。

 

例えば、高速道路を走っていて、「今100km/hで走っていてこんな感じなので、この分だとランチを食べるのは〇時〇〇分頃かなあ~、 それだと彼女的には面白くないと思うので巻いていく方が良いと思うので120km/hペースで行くか」 とか調整する。

 

当然、車の運転でその120km/hで走るのがその人の限界であれば危険なのかもしれないし、余裕がなくなり彼女との会話もきちんとできなくなるのかもしれない。

 

そこでスピード狂というハイスピードで走って白バイ景観にも怒られたという経験での場数が行きてくる。

 

1回とか2回とかではない、その場数の多さから、「120km/hで高速道路を走ると余裕だなあ~」 みたいに感じる。

 

昔F-1レーサーだった人が、ドライビングスクールを開校したとテレビに出ていた。

 

人はごく普通に自動車学校を出て、そこからごく普通に運転していると車の限界とかを知らないので、いざという時に急ブレーキを踏んで事故で死んだりする。

 

ドライビングスクールでサーキットのような私有地でアクセルを床まで踏むとこういう加速感でとか、パニックブレーキを踏んだらこうなるとか、そういう経験がないとダメなんだと言っていた。

 

そんな感じ。

 

自分の運転にどこか余裕がないと、すべてにしわ寄せがいく。

 

自分が運転だけでもういっぱいいっぱいだと彼女が、「昨日はこんな事があったの」 と話した時に話を半分も聞けていないようになり、食事とかしている時に話して、「さっき話したじゃない?」 とか怒られる結果を招くじゃないですか。

 

話を聞いていないと思われればそこから話してもどうせ聞いてくれないとなったりするじゃないですか。

 

人の話を聞くというのは重要。

 

例えば、会社員となり自分のデスクでお客さんと電話をしていて話している時に、同じ会社の人が、「あれはこうしておいて」 とか自分に言ったら、「わかりました」 とか言うじゃないですか。

 

でも、その頼まれた用事ができないと、言った人は、「あの三之橋は電話している時に話をすると絶対に聞いていないので言わない方が良いぜ~」 となりそれが社内に伝播していく。

 

例えば、大学生の男性が、付き合っている彼女が有名大学に通っているとか、空気を読める人であったとします。

 

「今彼氏が土地勘のない道路を運転し、どこで曲がろうかと考えていると思うので、気が散らないようにしよう」 みたいな人だったら運転していて楽じゃないですか。

 

でも、その場合、社会人になった時に困るだけのような気がする。

 

もしも、彼女が無計画な人だと、友達が行って良かったと言う秘境の温泉に行きたいとか言い出して、そのまま遭難したりする。

 

カーナビとかない時代に山道でどんどん暗くなり周りに車が走っていないと、「うわっ、ヤバいなあ、どう見ても遭難しているし、ガソリン残量もヤバい事になっている」 みたいに死にそうな気がするとかあるじゃないですか。

 

車の運転をまったくしない、というか免許も持っていなければ、最初から自分には無理と考えている彼女を乗せて遭難すると、もう自分ひとりでそこから抜け出すしかない。

 

そんな感じ。

 

大人になって会社員とかになり、上手くいかない人はなぜか? 「俺には才能がなくて」 とか言ったりする。

 

でも、違うと思いますよ。

 

私三之橋の場合でも、才能なんかこれっぽっちもなくて、小学生のチビッ子時代でも行きたくもない塾に行かされていた。

 

そこで塾長が、『人間には法則がある』 とか、人の脳細胞は大人になると凄い勢いで減っていくとか話をしていた。

 

人間の体というのは、負荷がかからないとどんどんダメになっていく。

 

例えば、私三之橋は歩く事ができない、というか立つ事ができないというのも経験した事があるのですが、病院に行った時にパンツ1枚の姿になり、寝た後に、「立て」 と言われ立ち上がると、何とか繰り返し、『やっぱりですね。 三之橋さんは立てと言われたら足がブルブルと痙攣し立てるじゃないですか。 普通はアスリート選手でもその痙攣は限界を表しているので立てないんですよ。 私もこの状況で立てる人は初めて見たので、入院して寝たらダメですよ』と専門医に入院希望と言ったら拒否されてしまった。

 

入院をしてベッドで寝ていると筋力が落ちるだけですと言われる。

 

それと一緒です。

 

人は運動もせずに1日中家の中に引きこもり、コンピュータゲームだけやっていれば、足腰とか弱っていくだけで損する。

 

それと一緒で脳も負荷がかからないとダメになっていく。

 

18歳の大学生だと脳に負荷をかけまくっても死ぬ事はないのできちんと負荷をかけまくっていた。

 

車の運転をすると男性はタバコを買いに行くのでも車に乗って近所のコンビニまで行き歩かない人がいて、足がどんどん弱っていく。

 

でも、私三之橋はタバコを買うのはウォーキングに出かけた帰りにコンビニで買っているように歩くというも日常でやっていたりする。

 

そういう習慣というのは、嫌々行かされた塾の影響だと思うのです。

 

運が立って歩けなくなり、専門医をいくつか訪ね、そこにはプロ野球選手のようなアスリート選手とかもいっぱい来たりするのに立てたのは三之橋1人だけだったりする。

 

それも、塾に通ったりしてサバイバル訓練とかあった事のおかげなのです。

 

凄いピアニストがいて、絶賛されていても、要は幼少期から家に立派なピアノがあったり専属の講師がいたおかげでだったりするじゃないですか。

 

そこに気づけるかどうか? だと思うので、やり方次第だと思うのです。

 

例えば今会社員となったばかりの人がいて、上手くラインに乗っかれないで焦るとかあれば、やり方を見直す方が手っ取り早いというお話なのです。

 

基本脳は、おじいちゃんになっても鍛えるというのはできるといわれていますが、さすがにその年までやった事もないと現実としては無理かなあ~ と思うので20代くらいであれば一気に好転できると思ったりはします。

 

まあこんな話をすれば書店でハイトゥ本とか買って読む人が多いのですが、本を読んでもそれは頭の中の情報が増えるだけであまり意味がない。

 

そんな事をするくらいであれば、ワンデー彼氏に応募して、何の人間観海もない女性と会い、その子ノ1日だけ彼氏になってみて、その1日だけ真剣にどうすればその子の小さな夢を叶えられるのか? を考え続けるという1日でも過ごした方が良いと思う。

 

上方はいくらインプットしても、アウトプットできないと意味はない。

 

インプットするというのを止めて、アウトプットするという練習を繰り返す方が良いと思うのです。

 

トレーニングデイというのは、何かそれが辛いものみたいに思うかもしれないのですが、そうではない。

 

車の運転でいえば、免許を取ってわずか1週間で素人臭さみたいな、見られた時に意外ときちんと運転できるようにまで到達できるわけで、そこで、「俺はもう運転できる人なんだ」 と思ってしまう人が多いと思う。

 

私三之橋は、そこまでは誰でもやれると思うので、そこから何度もその運転を繰り返し、日本刀を作る刀鍛冶のように何度も火に入れては打ち直すとか繰り返すような感じで、ディティールにこだわっている感じ。

 

彼女にあそこに行こうよと言われ、1回やってみてそれが大成功という結果であれば、自分でそれは得意なんだと思う人が多いと思うのですが、1週間に1度、年間50回とかだと4年で200回とか繰り返す感じ。

 

ワンデー彼氏募集に応募して、20歳の高校を卒業し会社員として働いているという女性と1日ドライブに行き、それが上手く行くと自分はそういうのが得意なんだと思い込む人が多いと思う。

 

それも、1日だけたまたま成功できただけかもしれないし、祖の女性との相性が良かっただけかもしれないので、メンヘラ女性と出会うまでとか、場数にこだわる感じ。

 

同じクラスの大学生が、年間5,000km走ると言っていたので、そこはざっと10倍年間5万kmペースでやる、みたいな事実上の限界みたいなレベルでやる感じ。

 

大学生でわかるのは、卒業し会社員となった時に上手く順応できないと面白くないとなり、それを周りの誰かが教えてあげるというのは無理かと思う。

 

上手くいかない人って、誰かがアドバイスしても聞かない感じがあったりして、「私はそうは思いません」  とか言ったりして教えても時間の無駄になるとかあるので、ハブられてしまうとかになる。

 

最初に躓けば、転職してもまた同じ結果となるとかあるわけで、躓かない方が良いというのはある。

 

大人になると自己責任となるという感じ。

 

例えばどこかの上場企業に有名な大学を卒業した人が入社する。

 

その新卒入社した直後に、適用障害という感じで発達障害みたいな事をわかり、別室に連れて行かれ辞めさせられる人はいたりする。

 

警察学校を卒業し警察官となり配属された人が、交番で上司に報告書の書き方をいつもダメ出しされて、支給されていた拳銃で上司を撃ち殺した事件も遭ったじゃないですか。

 

全国各地で、どこの会社でも入社した人に仕事でもちょっとやらせた時に、あまりにも出来ないという結果から辞めさせるしかないとかという判断になり、上司とかが話したりして辞めさせる家庭で、「私はそんな人じゃない」 と認めずにもめるとか、そういうケースもあるじゃないですか。

 

私三之橋の場合は、そういう言われた経験はないのですが、大学を卒業し入社した会社で会社医1年生となった時に、高校を卒業して新卒入社で同期入社となる女性がいた。

 

1か月後に配属された上司が、私の上司に相談し、別の課に配属された。

 

1カ月後にその配属された上司が、私の上司に相談し、また別の課に配属された。

 

OL姉さんとして制服というかユニフォームを着て、その新人時代に1カ月とかで配属された課の責任者が、「あんな子は要らないです」 みたいに相談しているとかは見てしまった。

 

1度そういう事が遭った時に、押し付けられた課の責任者となり上司でもある人が、「うちでもあの子は要らない」 と言って配属になっていた。

 

3回目の課では、おじいちゃんみたいな人の好さそうな人が、「私の方で引き取ります」 みたいに言ってくれた事でその子は辞めさせられずに済んだ感じだった。

 

高校生や大学生だと、「私は会の会社が給料が良いので入社したい」 みたいなそこで自分が失敗しないでやれるイメージではないかと思う。

 

でも、夢は具体的な方が実現しやすいと習った人はちょっと違っている。

 

私三之橋の場合だと、入社して上司の仕事に同行し運転でもする事になったら一気にABCランクに仕分けされる時にいきなりAランクを目指す。

 

OL姉さんの多い会社で、「今度入社した新入社員の三之橋は最悪だよね~」 とか言われないようにするとか。

 

たぶん、人がどこでどのようなポイントで躓き気づかないとか、そういう失敗を基準にモノを捉えているだけだと思うのです。

 

例えば、高校生の時に頭のおかしな人に虐められて、無実の罪を着せられ退学になり、行き場を失って首でも吊るぞ~ みたいにやられ、世の中にはそういう人間がいるというのを学んだ感じ。

 

それはどこか自分にもその人を見た時に、「気持ち悪いなあ」 みたいに距離感を保とうと考えたとかそういう悪いところもあった気がするわけで、必ずしもアローンスタートは得意ではないという自覚があると思う。

 

たぶんそれで最初に会社員の世界に飛び込むという前に、「こういう感じで失敗する人がいるぞ」 みたいに失敗する事が前提で普通の人と真逆の視点で入るというのがあるのかなあ~ と思う。

 

例えば、福岡空港から台湾に行くとか、香港に行くとかで飛行機に乗ると割と小型な旅客機で離陸後に一気に高度を上昇させようとするじゃないですか。

 

高度が低いところよりも高い方が安定して飛べるとか燃費が良くなるとかあるので最初に安定を目指すと思う。

 

そういうイメージで最初にまず安定をする方が良いと考えるので、そうなるのかと思う。

 

どこかの会社に入った時に、「俺様はこんなに仕事ができるんだぞ~」 みたいに仕事にのめり込み、それって凄い快感を得るようなものですか? と訊く人もいるのですが、たぶんそんな感じではない。

 

例えば、誰かに虐められ首でも吊れとか言われた時に、人は2つの選択肢しかないと思う。

 

追い詰められた動物のように諦めるとか、自殺する人と、そうでない抗う人。

 

1度抗うとたぶんそれが習慣になってしまうだけだと思うのです。

 

要は諦めの悪い性格という感じだと思う。

 

高校生の頃に普通の人が長い人生の中で1度も経験しないような虐めとかに遭って、「これは場所の問題だ」 と私三之橋はそう考えたのでどこかに転校してやり直そうと考えた。

 

でも、他にもいろいろあって悩んだりしたのである日占いに行って見た事があるのです。

 

そうしたら、『お前は天才なので、自分が一瞬でわかった事を周りの人がわからないのを見てイライラするだろ? 相当気が短いので、ストレスから精神を病んで自殺するか、喧嘩で死ぬかで、10代で死ぬぞ』 と言われた。

 

場所に問題があるのではなくて、お前に問題があると言われたのです。

 

お前は何かが見えるのか? 聞こえるのか? 頭に浮かぶのか? 普通の人が理解できない事がわかるとかあるだろ? 守護霊が囁くのか? 何かそういうものがあって、周りの人間みたいに時間をかけずに判断する。

 

何かそういう人と違うというの見た人が絡みたくなるので、人によく絡まれるだろ?

 

謙虚さがなく、人と同じような努力もしない。 要はお高く留まっているみたいに見えるだけの話なのだ・・・

 

そんな感じでボロクソ言われてしまった。

 

怒りは自分の運気を下げるだけ。

 

ATMで前の操作が遅いとかでイライラするのでなくて、普通の人なのだと考えろ。

 

そんな感じです。 そこから大学生になった時に、今までの人生のやり方を見直した方が良いかと、反転させたのです。

 

自分が付き合って楽に感じるスーパー特待生の男友達に頼るという性格を真逆に反転させて、運転できない彼女とかガールフレンドとを乗せて、「運転はできなくても大丈夫だよ、俺に任せておけ」 みたいな感じ。

 

運転ができない感じでワンデー彼氏募集をしている女性に応募し、「運転できなくても大丈夫。 行きたいお気に入りのドライブコースがあれば、俺が自分の車で連れていくよ」 みたいな感じ。

 

旅行する時に友達が電車の時刻表を見て、「俺が先にJRのこの電車の〇両目に乗っているのでその電車が三之橋の家から1番近い〇〇駅に〇時〇〇分に来るので乗ればOK」 とか電話で言われ、それだけやれば後は友達が全部やってくれて楽ちんだった。

 

そんな感じで私三之橋は高校生時代にJRの時刻表も自分で見た事がなかった。

 

それで大学生になった時には、彼女とかが行きたい場所を言った時に、「地図の見方もよくわからないがやっていれば覚えるんじゃないかな」 と自分で地図本を開いてドライブルートを組み立てるようになった。

 

それまでは友達が、「次の選択科目はこうしようぜ、合わせようぜ」 と言われ、それに合わせるだけで楽ちんだった。

 

それも大学生になり1人ボッチになった時に、みんなが運転技術がこれから先の人生を左右するとか言ってやっていたので、自分でどういうトレーニングをしようというプランも考えた。

 

それは、軽い気持ちで占いに行った事でそうなった感じ。

 

女子高生の話では、占いに行くと自分の人生を励ましてくれるとか、お金を支払うので相手が喜ぶ事を言ってくれるのでハマると言っていた。

 

それで、「三之橋さん、あなたの人生は安泰ですよ」 という感じでおだててくれ安心できるのかと考えて行ったら、「お前は10代で死ぬぞ」 と言われてしまった。

 

その時は気にしないようにしたのですが、18歳の大学1年生になったら、もう余命1年かな、自分の人生に陰りも出てきたと1人ボッチのアローンスタートでそう感じ、入学式の日に国産高級車の新車に乗っていた子に出会い、車の運転が重要とか知らなかったので、慌ててやった感じだった。

 

自分が戸惑った時、ふと小学生の頃の塾長の言っていた人間には法則があるという事が頭に浮かび、車の運転とかできない人がいるとは思わなかったので、ラストチャンスと考えたのだと思う。

 

そんな感じだったので、真剣にやってしまい、その結果人生が好転しただけだと思います。

 

例えば、大人が無断駐車でもやらかしますと、人はその被害に遭い、『いったいどんな育ち方をしているんだ~』 と思わず言ったりするじゃないですか。

 

あるいは、世間を騒がした事件を起こした時に、お父さんがテレビニュースに、『もっと良い人になってほしい』 とか言ったりしているのが報道されるじゃないですか。

 

やらかした本人ではなくて、親の育て方が悪いという感じだったりして、人が失敗するというのは才能ではなくて育ち方という感じだと思うのです。

 

私三之橋の場合、小学生時代に自分で行きたいとか言った覚えもない塾に行かせられ、そこでは塾長が、「お前らそんな事では大人になった自分が困るだけなんだぞ」  と言っていた。

 

というか、まさに言いたい放題罵るとかなので、チビッ子が重度の精神分裂病になったりして来なくなり、ダツラク者が多かった。

 

私三之橋のように、根がグ~たらな人というのは、精神病院とかで壁をボ~っと見ているような人とか、そこに誰もいないのにその人には見えている感じで1人で誰かに向かってしゃべる人とかを見ると、『自分が可哀想なのは嫌かなあ~』 と思うので、塾長に言われないようにするのです。

 

言われないと壊れないわけで、そうすると、「あの頑固ジジイの事なのでここを指摘するのではないか?」 と考えるのです。

 

お金を支払って怒られて、それで精神分裂病になったら自分が可哀想じゃないですか。

 

一説によると虐待された子供は、お父さんとか折檻する人に気に入られようとするといわれている。

 

それと同じようなものかなあ~ と思うのですが、審査する人の頭のパターン解析をする感じ。

 

会社員となり、上司ができてその上司を見た時に、『この人はこういう事をされるとイラっとするタイプで、こういう風にすると怒るとかでなく受け入れるかな』 とかを読み取る感じ。

 

普段からダツラクする人が多い塾とかに通ってダツラクしないと、「意外とイケそうな気がする」 と思ったりしてしまう感じ。

 

 

それでうまくいく感じ。 人はわからない事でもあれば訊けば良いと考える人もいるのですが、何でも訊くというのは何も考えていない人の特徴なので相手が耐えきれなくなる。

 

じゃあ、まったく訊かないとそれも問題となる。 大人になってわからない事も自分で訊けないと残念な人でしかないし。

 

大人になった時に、「俺は才能がないので」 とか嘆く人は珍しくないのですが、そもそも才能とは違っていて、育ち方の問題なので自分で環境を考えれば良いだけの話です。

 

例えば、私三之橋は突発性難聴になり、同じ病気をした人からのアドバイスに、「音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧め」 と言われ30プリウスの後期型を中古で買っている。

 

普段病気なんてしないのにいきなり難病とかを経験し、そんな時にヤレた車でも乗っていれば自分で自分が可哀想に思うので、Tバリュー認定中古車で外装磨き直しとかの中古車を買っている。

 

「難病になって可哀想な自分がいて、でも車は可哀想でもないと思うのでバランスが取れ、その内的を捉えて治るんじゃないかな」 と考え、実際に治っている。

 

芸能人が突発性難聴になると活動休止の記者会見を開き、ワイドショーに専門医が出てきて、「治る人は2割もいない」 と言うじゃないですか。

 

私三之橋はあれを聞いて、治る人の1割に入れれば良いのかと思ってしまった。

 

そんな感じでイケそうみたいにすぐに思ってしまうが、失敗する事を前提にはしていない。

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車を買い、それで人生が好転するという理論がわからない

2024-04-13 14:27:06 | 車所有でわかるもの

車は金喰い虫なのでわざわざそれを買って載る事でどういうメリットがあるのかが理解できない。 という人もいらっしゃるのでその話の続編です。

 

私三之橋が大学生となり入学式の日にもう国産高級セダンの発売されたばかりのピッカピッカな新車に乗って来ている子がいた。

 

エグゼクティブカーとか、ハイソサエティカーとか呼ばれていて、デートにはこんな車で行かないと恥ずかしいぜ~、みたいな高級車だった。

 

なんとなく気になり、たまたま同じクラスの子なのでひょっとしたらお父さんとかお兄さんの車かもしれないので訊いてみた。

 

「俺はさ~、4年後にはどこかの上場企業で営業車にでも乗るつもりなのでその時に困らないように今こうやって乗って大学への通学で公道で実践練習しているだけ」 みたいに言っていた。

 

大学生になり、それまで暮らした実家を離れ県外の土地勘もない友達もいない所に引っ越すというアローンスタートを経験した人にしかわからないと思いますが、大学生になってそこで誰も友達がいないので声掛けでもしていかないとずっと1人ボッチが続いてしまう。

 

翌日から、「ねえねえ、あそこの人が昨日の入学式に新車の高級車で来ていたのは見た? あなたももう免許持っていたり、車を買って持って乗っていたりするの?」 みたいな感じでヒアリング調査していった。

 

驚いた事にもうみんな免許も持っていて、車も普通車サイズの中古車をお父さん名義でローンで買って持っていた。

 

当時18歳は未成年で親の同意書がないと車が買えないとかがあり、それでお父さん名義でローンで買った人が多かった。

 

わざわざ新車を買っても大学生時代に故障もしないわけで、自動車保険は21歳未満は割増料金となるし、車両価格で保険料も跳ね上がるので支払いがしんどくなるので中古車で普通車サイズがほとんどだった。

 

どこかの月極駐車場に無段駐車して110番緊急通報されPC派遣要請でもされれば、それはパトカーがやってきて、所有者に連絡がいくわけで、子供が何かをやらかした場合、事故でも親に連絡が行くようにお父さん名義が多かった。

 

「もう大学生で18歳になったわけで車の運転くらいきちんとできないと笑われるし、その運転がきちんとできるようになればその後の社会人になった時に差が開き、人生が好転する」 みたいなことをみんなが言っていた。

 

後は、「車の運転免許証ってバカでも誰でも取得できるしくみなので持っているだけではただの紙切れに過ぎない。 初心者マークを貼って1年間1人で公道を運転してみて、さすがに自分には合わないと思えばそこで運転やめるでしょ?」 と言っていた。

 

ざっくり言ってしまえば、自動車学校で教官が助手席に乗り、そこで運転が上手くできたとか、上手くできないとかで一喜一憂する人がいるが、そこはまったく重要ではない。

 

自動車学校を卒業した時点では、全員平等に横並びのスタートをするわけで、そこから差が開くという感じでそこが重要なのだと言っていた。

 

例えば、今あなたが片側3車線の道路の真ん中の第2通行帯を道なりにまっすぐ走って彼女を乗せてドライブしているとします。

 

交差点で左の第1通行帯を走っている少しだけ斜め前という車がいきなり自分の第2通行帯に寄せるように寄ってから、左折するとかがあり、助手席の彼女が、「きゃ~っ、びっくりした~」 と言ったりする。

 

左折をする時に脱輪をしたとか、そういう感じの苦手な人がやる感じの癖みたいなもの。

 

誤解があるとマズイのですが私三之橋でも屋根なし月極駐車場に帰る時に車2台が離合できる道路幅の幅員の方から左折で侵入するので、その際に右に寄せてから一気に左折侵入するとかはある。

 

そうしないと1度で綺麗に曲がり切れないという、90度転回する事ができないからそうするだけの話。

 

ごく普通の交差点で左折する際にわざわざ右に寄せてから左折するというのはやらなくても良いようにそういう風に道路が造ってあるのです。

 

「ここは1度右に寄せないと曲がり切れないかな」 みたいな区別ができない人だと左折する際にどこでもかしこでも右に寄ってから曲がるとかしてしまい、それは白線の車線を越えて寄せるとかするので、右の車の助手席の彼女はぶつかるかと見えてしまい驚く。

 

ザックリ言ってしまえば、そんな下手くそ感溢れる運転をしてしまう原因というのは、俯瞰(ふかん)視ができず、自分の左の後輪がどこにあるというイメージができないからそういう運転をしている。

 

あるいは、いつも1人で車に乗る事で誰も同乗者がそのやらかしているというのを指摘しない事で本人は、「俺って車の運転は問題無くできているなあ」 とメタ認知のように自分の行動が見えないからそういう事態に陥ってしまっているのだと思う。

 

例えば、私三之橋は、アローンスタートで大学生になっていたが、すぐに男友達ができていき、そこで一緒に自動車学校に通った子からバディ・システムを組もうと言われ一緒に大学に車で通う事になった。

 

今日私三之橋が自分の車で友達の子のお父さんの会社に車で行き、そこに来ている友達を乗せて、三之橋が運転して大学を往復し、また会社で別れる。

 

翌日はその男友達の車で行くのでまたお父さんの会社までは三之橋が自分で運転していき、車を倉庫に格納してから友達の車に乗り、友達が運転して大学に往復するというもの。

 

車の燃費は車種によって違うので交互に自分の車を出せば平等になる。

 

車の運転は、自動車学校を卒業し教官がいなくなり1人になった時に、自分がきちんとできていないのを自覚できずに、変な癖が着く事で一生笑われるような人になる。

 

そこで助手席に座って運転する友達の運転でおかしなところでもあれば、指摘し合えば、2人は運転で変な癖は着かない。

 

相棒は、バカだと意味がないので、私三之橋の友だちは高校生時代に禁止されていたバイクの免許を取り中型バイクに乗っていたと素人でもない感じ。

 

それで大学に行く時とか帰りに、その友達は片側1車線道路とかで斜め前に自転車とかバイクが走っているのを抜くというのが苦手だった。

 

「チッ、何でこんな道を自転車で走るのかなあ~、迷惑だってわからないのか?」 とか言いながら運転する感じ。

 

大学生になり生まれて初めての1人暮らしをした人が、アパートで原付バイクに乗っている住人がいて、1時間に1回とかバイクで出入りする。

 

「たぶんコンビニに行くのだと思うんだけどね、バイクって音がうるさいのでメチャ迷惑に感じるので、もう高校生じゃないのでバイクには乗らない方が良いと思うよ」 と言ったりする感じで大学で仲良くなるとそう言う子は多かった。

 

私三之橋が基本バイクや自転車に乗らないのも、車を運転する大学生の男友達が「自転車なんかにのりやがって迷惑だって気づかないの?」 と言う人がほとんどだったので乗らなくなっただけの話。

 

例えば、いつも1人ボッチだと気づかないのかもしれないのですが、いつも同じ男友達と車に乗ると、「チッ、なんだアイツ、あんなに寄せやがって頭おかしいんじゃないか」 と言うので助手席の私三之橋が左のミラーを見たりして、「あっ、たしかに車間距離詰めすぎだね」 と言ったりする。

 

人それぞれ微妙に違いはあると思う。

 

ただ、忌み嫌うという感じで、「どんな育ち方しとんねん~」 みたいな嫌うポイントって似通っている。

 

車を運転している時に、後続車が自分の車に詰め寄る感じで車間距離が狭いと圧迫感を感じ、そういう運転って空気の読めない精神病の人とかに多いので、疎まれる感じがある。

 

自分の車の前か後ろにちょっと変な人いると思うと落ち着けないものがある感じ。

 

友だちは1回1回口に出すようなタイプだった。

 

運転してストレスを感じるとそこで吐き出すという感じ。

 

山道とか峠みたいな片側1車線道路を走ると、車道を自転車で走っている人がいて、小雨の降る暗くなった19時とかに、「何でレインコートを黒なんか着るんだよ、どんな育ちしているんだ~」 とか言う。

 

友達は、会社経営者の子供でお金には困っていない感じでしたが、アルバイトしたお金で普通車サイズのAT車の中古を買ったのでフィルムがリアガラスに貼ってあり、昼間でも苦手な自転車の追い越しとかで、夜は服装の色味とかもイチャモンを着けていた。

 

たぶんそれで私三之橋も夜にウォーキングとか出かける時に、「雨が降っているのでこういう色味にするか」 とか考えたり、LEDの光るものを装着するかしているのだと思う。

 

友だちといつも一緒に大学に車で行くと、その友達が小姑のようなイチイチ、「あれは残念な人でしょ?」 みたいに言うのでそれで感覚的にわかるようになった感じもある。

 

ちなみに友達は中型バイクとかを運転するのは上手い方だと思う。 後ろに乗せてもらい、たしかに下手ではなかった。

 

でも、友達の運転する車の助手席に乗ると、いかにも車の運転は苦手という感じがした。

 

そういう人って意外と少なくなくて、16歳で簡単なバイクに乗ると、どうしても18歳でより大きな車に乗るという事や操作方法が違うとか、車は路上の歩道に置けないとか制限が増えるとかあるので、そうなる人はいる。

 

車の運転には苦手意識があるという感じで、大人になって随分経った頃にその友達がお父さんの会社で働いているというのをSNSで偶然見た事があるのですが、デカいバイクに乗っていて、車は苦手でとか書いてあった。

 

そういう苦手な人の車に乗る事で、「こういう運転は嫌われるんだ」 とかを学んだ感じ。

 

後はその一緒に大学というのが基本編だとすれば、週末は車の運転とかしない彼女やガールフレンドが、「ねえ、今度の日曜日は新しくできたあのテーマパークに行こうよ~」 と言ったりするのに付き合うという応用編みたいなものがあった。

 

それは自動車学校の教官が絶対に教えないような内容になる。

 

朝早く起きて洗車してから彼女の家とかに迎えに行く。

 

地図本を出して、「えっと、今はここなので県道〇〇号線を走って、この交差点の〇〇〇〇〇ので右折して国道〇〇号線に入って、往きは時短で一気に高速に乗らないとダメだと思うのでこのインターから乗って」 みたいにドライブルートプランをチャチャッと組み立てないと走れない。

 

カーナビもないし、携帯電話もない時代は、車を持っていない大学生とかいないくらいみんな車に乗っていたので渋滞も酷かった。

 

大学生になった頃にお父さんとお母さんがお正月なので佐賀県の祐徳稲荷神社までお参りに行くと言って、私三之橋は出かけたくなかったので家でトラック野郎とかの映画を観ていた。

 

夜19時とか暗くなった頃に帰って来て、「今日は凄い渋滞に遭って遅くなってくたびれた~」 とか言っていた。

 

車というのは、テレビドラマで主人公が乗っているシーンがあり、行きたい家の真正面の道路に停まり路上駐車するとかで、それは見ている子供とかが、「車って便利そう」 とか思ってしまうじゃないですか。

 

でも、自分が大学生になって運転すると住宅街とかどこでも路上駐車禁止の標識があり、駐車場を探すだけでも大変だったり、乗っていると週1の洗車では足りないので洗車するというのも最初は慣れるまでに時間がかかった。

 

大学に行くと雨に遭い、汚れるとかもあるわけで、途中で友達が「今日ちょっとあのコイン洗車場で洗車したいので付き合って」とか言われた時に晴れた日の午後に高圧洗浄機で洗浄し拭き上げるとWAXをかけるとか手伝いと暑い。

 

肉体労働者のような感じ。

 

車の運転をするまでは、もっと楽しいイメージだったのに、いざ乗るようになるとしんどいものもあったりする。

 

その1つに土地勘のない、知らない道を走ると疲れるとかがあり、頭を使わないと凄い渋滞にハマったりするとかもあったりした。

 

地図の見方とかも自動車学校で教えていなかったと思うのに、彼女があそこに行きたいとか言えば、自分で頭を使ってどういう道を走るとか組み立てないといけない。

 

街中とかって車の速度計が40km/hとかになって走っていても平均移動速度は20km/hとかなので、1時間に20kmしか進めないとかがある。

 

高速道路だと信号機のない一方通行道路となるので速度計が100km/hとかだと1時間で100km進めるとかある。

 

後は知らない田舎道だと急に小学生1年生が飛び出すとかもあるので一瞬で急ブレーキも踏まないと事故になるとかもある。

 

「目的地に着けば良い」 というものでもない。

 

彼女とかガールフレンドが、「あそこのテーマパークで遊ぼうよ」 みたいなものだとそのデートがどうすればうまくいくとか、彼女が楽しかったと言うのかというものも考えないといけない。

 

例えば、運転しない免許も持っていない彼女でも、「彼氏が運転中もたつく」 とか、「彼氏が運転中上手くいかないとおじいちゃんみたいにグズグズ独り言を言う」 とかあれば、あまり一緒に遠出したくなくなると思う。

 

私三之橋の場合は、平日大学に一緒に行く男友達が運転してハンドルを握ると、おじいちゃんみたいに独り言を言う感じで、渋滞にでもハマると嘆く、みたいなちょっと助手席で見ていると会話でも気を使う感じがあった。

 

2つ以上の事を同時にやるのが苦手に見えるので、気を使う感じがあった。

 

たぶんそれで私三之橋の場合は、自分が運転するとグズグズ言うというのがないのだと思う。

 

反面教師みたいなものなのかもしれない。

 

アメリカ映画でも観ていると、「俺は自分の事を嘆くような奴が1番嫌いでね」 と言う台詞とかがあって、酒浸りの主人公がそう言われるとかあるじゃないですか。

 

映画の影響なのかもしれませんが、彼女とかガールフレンドが、「あの秘境にあるという温泉に行ったという友達がいて、教えてもらったところに行きたい」 という所に向かって走っていて遭難したっぽいという時でも意外とグズグズ言ったりしない感じがある。

 

よく言われることわざのようなものに、一緒にいる友達が優れていると残念な方はそれに頼るので実際は損しかしないと。

 

例えば、身体障害者の弟とか妹がいるとお兄ちゃんの方はその子の分まで頑張らないといけないので脳が急激に発達すると言われているとかあるじゃないですか。

 

自分が運転免許証を取得したばかりの大学1年生の18歳という運転1年生の初心者マークを貼った時に、大学に同じ運転する男友達と一緒だとどこか安心できるものがあるわけで、週末に車の運転の免許もないし運転もしないし、遠慮もしないという彼女とかガールフレンドを乗せて県外とかに遠出すると負荷のかかり方というのが極端に増えるので、理論上は急激に脳が発達するような成長をすると考えられるじゃないですか。

 

世の中には、彼氏の事を考え、その視点でこういう彼女が良いと思われるかな? みたいに考えるとかしている女性もいる。

 

例えば、「先週もあそこに遠出したので、彼氏はそのガソリン代とか高速代も出しているので、今週は近場にしよう」 とか金目の問題を考えるという女性もいる。

 

でも、そういう感じでないと、ノーテンキな人みたいな感じだと、自分がしっかりしないと遭難するとかそういう感じになるじゃないですか。

 

例えば、私三之橋の場合は、高校生時代にはスーパー特待生の子が友達でいつも一緒だった。

 

「こいつ天才じゃないか」 みたいな子と一緒だと、「今度の授業では選択なのであっちにしてまた一緒にしようぜ」 と言われれば、天才なだけに、「わかった」 と言えば済んだ。

 

テレビの歌番組に出てくるアイドルグループがいて、熱唱する人の隣でギターでも持ってそれっぽい人を演じるだけの人がいると思う。

 

そういう楽な人世をやっていたという、楽をしてしただけな根がグ~たらな人だったと大学生になった時に気づいてしまった。

 

飲み会で飲みすぎて駅とかでふと目覚めた時に会社から支給されたノートPCが紛失したとかりする人がいるじゃないですか。

 

友達と別れた時に、まるで飲み会でどこかに魔法の杖を忘れてしまい、一気に何もできなくなってしまったかのような自分がいた。

 

理論上でいえば、それまでの立ち位置を反転させてしまえば良いと思うので、車の運転でもその辺は意識しただけかなあ~ と思う。

 

どうせ車の運転の練習をしないといけないのであれば、反転させても良いのではないか?

 

車を運転する練習で、口の良い、グズグズ言わないような友達を選ぶ人もいるでしょうし、彼女とかでも自分から見て都合の良いできた女性を選ぶ人もいると思う。

 

私三之橋の場合は、大学生になった18歳でアローンスタートになり、1人ボッチになってしまった時に、少しだけ普段考えない人生について考えた。

 

なぜか?

 

と訊かれれば、子供時代のサバイバル訓練でも何も考えずに行動し遭難する人とかいるじゃないですか。

 

これからどう進むのか? という方向性とかは考えないといけない。

 

厭らしい話になるかと思うのですが、大学の入学式で国産高級車の新車に乗ってきていた事が、「俺は勝ち組で高校生時代にアルバイトで稼いだ300万円であの新車を買ったので、それが3,000万円とかになって返ってくるんだ~」 みたいな事を言っていた。

 

強欲と思われるかもしれませんが、「あの人の10倍やっておけば3億円か」 と思ってしまった。

 

そもそも大学に入るのに受験勉強しない推薦の付くような人の頭の中というのは、ぶっ飛んだ感覚だったりすると思うのですが、それが自分に取ってできそうか? とか難易度はイチイチ考えない。

 

なぜ、その子なのか?

 

と訊かれれば、大学生になって現場で話してみた時に、1番具体的に自分の事をわかりやすく説明していたので、18年生きてきた直感のようなもので、1番夢に近づいている人かなあ~ と判断した感じ。

 

他の子とも話したり、その子の住む下宿とかアパートとか、賃貸のワンルームマンションに行って話しもしたりした中で、どこか誰かに言われたので俺は車を買って持っているみたいな人がほとんどだった。

 

理由の1つに土地勘もないところで人生初の1人暮らしをした時に、他にもやる事があるわけで、道も知らないとどこに車で行くという問題があった。

 

多くの大学生は土地勘がないという理由で大学に斡旋してもらったアパートなど大学そばに住んでいるので、そういう問題に直面する。

 

でも、高級車の新車に乗っている子は、「俺は毎日の通学で離れたところから車で通う」 と言っていた。

 

同じクラスの子にまずヒアリング調査をした時に、みんな普通車サイズの中古車とかに乗っていた。

 

「軽自動車やコンパクトカーに乗れば自動学校で使った教習車よりダウンサイジングするので運転はしやすくなるので、それだと自分できちんと運転できないのに、”運転が上手いような錯覚をする” じゃないか。 それだと意味がないよね~」 と言っていた。

 

受験勉強をやって浪人もせずにストレートで大学生になれる人というのは、バカでもなかったりする。

 

そのような人達が口にしていたのは、車の運転というのはその人自身は一生けん命運転していて、自分では何も問題がないという風に見えて、実際は後ろの車の人から見て、おかしな運転になっているのに気づかないという問題であった。

 

小学生の頃に体育の時間に先生がみんなの前に立ち、「それでは先生が体操するのを見て、見よう見真似でみんなも体操してね~」 と言ったりする。

 

自分よりも前にいる子がみんなとズレているとかを見て、笑いが止まらないとか経験するじゃないですか。

 

”空間認識機能” が低いと、自分では周りの子と同じように行動しているつもりで、実際はズレているような人がいる。

 

「先生の体操を見て、真似てね」 というのは小学生でも簡単にできる子が多いと思う。

 

でも、「公道に存在している周りの運転がきちんとできる人と同じようにきちんと運転してね」 と言われた場合、見本がよくわからない複数とかになるので、さすがに真似るのは難しいと考える。

 

自動車学校に通い普通自動車運転免許証を取得し、ローンで中古の普通車サイズの車を1人で空いた時間に公道に出て見て、運転し変な癖が着く。

 

その後で大学で知り合った子を乗せてバス停とか駅まで送るとかをした時に、送ってもらった側の子が、「あの子は運転下手くそみたいなので、事故でも遭うと面倒だし乗らない方がマシか」 と判断し、乗らなくなっていく。

 

男友達同士という、友達関係が成立してあれば、「おい三之橋、お前の運転酷いぞ」 と口に出して言う事はある。

 

でも、そこまでの仲でない知人というような感じだとわざわざ口に出して言ってしまい、相手を怒らせるとの結果を招くと大学で同じ講義を受けるのに顔を合わせづらくなるだけと判断して言わない子は少なくないと思う。

 

そういうものがあるので、バディ・システムを組むという、同じ免許を取ったばかりの運転1年生同士が今日は俺の車で俺が運転して大学に行って帰る。 明日は友達の車を友達が運転し大学に行って帰るという風にしたりしている。

 

自分が運転していると不慣れさから、いっぱいいっぱいとか、テンパっていてとか、気づかないような事がある。

 

でも、さすがに助手席で横に座って、運転席で男友達が運転するのを横で見ていれば、酷いと余程鈍くない人であれば気づいてしまうじゃないですか。

 

『車の運転が上手い人と、下手くそな人との違いはどこから差が着くのか?』

 

と訊かれたら、習慣性、友達がいる人とそうでない人の違いだけではないか。

 

自分が、「あっ、俺はこの車1台しか通れない狭い路地で曲がるとかちょっとできていない人だなあ~」 と友達や彼女とかをアパートとかマンションに送り迎えすると気づくじゃないですか?

 

例えば、男性がガールフレンドとどこかドライブでもした場合に、夜遅くなった深夜とかに女性を駅まで送って降ろすとかして、その子が家に帰る間に痴漢とか強盗にでも遭うと面倒な事になるので、面倒くさくても送って行くとかあるじゃないですか。

 

自分の家から渋滞して片道1時間くらいの離れた場所だと送り迎えするだけで2時間という時間や無駄なガソリンを使う。

 

大学で友達に、「今日は俺のマンションに来いよ」 とか言われると車を置く場所も考えないといけない。

 

今の時代だとデカい賃貸マンションに来客用コインパーキングがある物件とかありますが、昔はそういうのも少なかったので、下宿をやっているおばさんに車を置かせてとか相談しないといけないとかあった。

 

わずか初心者マークを貼った1年間だけでも、相当な場数の差が生まれると思う。

 

自分がワンルームマンションに住んでいて、そこに住人用の月極駐車場がある場合、日曜日に、「今日はバイトもないので、前から行きたかったあのショッピングセンターに買いものに行くか」 みたいになって、自分の走りたい道路を選定して訓練というか、運転の練習ができるじゃないですか。

 

でも、友達がいれば、「悪いけど、今日はバイト先まで送ってほしい」 とか、そもそもその友達のアルバイトしているお店とか行かないわけで、どう走るとかという道もわからないのに送るとか迎えに行くとか無駄が発生する。

 

自分1人だけで車の練習をする場合、「俺はまだ初心者だし、住宅街の狭い路地は苦手なので走らないでおくか」 という選択肢がある。

 

でも、友達が、「バイト先に行くのにこの住宅街の狭い路地を一気に走りぬける方が時短で」 とか言うわけで道も選べないじゃないですか。

 

「ちょっとあの駅前で降ろしてほしい」 とか言われ、デカい駅前の混んだところで降ろす。

 

「ちょっと実家に帰るので、空港まで行って」 とか言われ、「タクシーじぇねぇ~よ~」 とか思う事ってあるじゃないですか。

 

コンサート会場とか混みすぎて泣きそうな気がするとか、あるじゃないですか。

 

病院に送り迎えしてとか言われた時に、結婚したら子供でもこういう風に病院に連れて行くのだろうかとか考えるじゃないですか。

 

たぶん車の運転はそういう風に誰かに無茶ぶりされるような人だと、やるしかない、という事でやる事になるわけで、「俺はまだ免許取ったばかりの初心者なので」 みたいな言い訳ができないと、実践するという数の多さから上手くなると思うのです。

 

後は車の運転というのは大学の通学で今日走った道路の環境と明日は違うという予測できない事で空気を読みまくらないとスムーズに走れない。

 

今日走って余裕に見えて、明日同じ道路を違う時間帯に走ると渋滞の仕方とかが違っているとかある。

 

大学を卒業してどこかの上場企業に運よく入社できた会社員1年生になった時に、「これは三之橋さんの社有車のキーなので好き勝手自由に乗ってね」 とキーを渡す事はまずない。

 

社有車でも運転させて事故は所有者・使用者に連帯責任が及ぶので上司が仕事に同行させる時に、自分の車を運転させて、「道が俺が教えるので言う通りに走らせて」 とか言われる。

 

ある企業では、「そこ首都高に入って」 と言ったら、合流する際に「ぶつかる、怖い」 と急ブレーキをかけてしまった。

 

「〇〇君、こんなところで止まってしまったら、この先どうやって本線の合流できるかな? とかを考えずにブレーキを踏んじゃったの?」 と上司が血管が浮くような顔で言ったらしい。

 

都内の1流大学卒だったので、「運転できるよね?」 と最初に訊いた時に、「はい」 と言われ、まさか首都高で車が多いとかで走れないとか上司も想像できなかったそうです。

 

都内だとよく首都高は怖くて、誰かの運転する車に乗った時に見てしまい、「私は首都高とか無理です」 と言う人は珍しくもない。

 

でも、友達がいたという人だとそういう事が起こらない感じで、上司が雪が降りまくりの道路で一緒に出掛けるので運転して、と言えばやるしかないわけで、意外と出来たりする。

 

そういう結果というか、差が出る感じだと思うのです。

 

今の時代は、カーナビとかスマホとかがあるので、それで錯視とか思い込みが起きやすいと思う。

 

例えば、「ねえ、今度の日曜日はあそこにできたテーマパークに行こうよ」 と彼女やガールフレンドが言う。

 

正直行きたくない。

 

普段から朝から晩まで暇なので日曜日くらいは昼過ぎまで寝て、テレビでも観ていたい。

 

後は土地勘のない道も知らない道路を走ると疲れるじゃないですか。

 

地図本を出して、チャチャっと自分で走るドライブルートプランを組み立てないといけない。

 

車を運転していて、いつも計算通りに行くという事でもない。

 

目的地のある高速インターを降りると渋滞に巻き込まれるとかはざらにある。

 

その長い渋滞路の運転席で、「ねえねえ、あそこで県外ナンバーの地元じゃない人達がみんな右折しているので、地元の人しか知らないような裏道じゃないかな?」 とか助手席の彼女に相談したりして、「行ってみようか」 となる。

 

そういう推察みたいなものがないといつまで経っても目的地に着かないというのがある。

 

今の時代カーナビに目的地をセットして走ると最初の目的地到着予定時間がズレだしていくじゃないですか。

 

あんな感じで平均移動速度とかも予測できないものがあり、「彼女があそこに行きたいと言って、今までの経験値から判断するとこのくらいの時間に着くと思うので、あの辺でランチにするか」 みたいに経験値がモノを言う世界だったりする。

 

想像してみてください。

 

男性が大学生になり、アローンスタートで土地勘のない場所で1人ボッチみたいになり、アルバイト先で女性と知り合い、特別カワイイ子とかでない普通の子に、「ねえ、今度あそこに行ってみない?」 と誘われたとします。

 

そんな場合、私三之橋の場合だと車の運転が不慣れで、みたいな理由を考えずにとりあえず自分の車を運転して行くかなあ~ と思う。

 

それはその子に気に入られたいという積極的な理由ではなくて、「職場で気まずくなるのは嫌かな」 みたいな消極的な理由でそう思ったりする。

 

後は、”チャンスかな” とか思う。

 

その女性と付き合い彼女になって欲しいとかでなくて、22歳とかで会社員になってからやろうとか、30歳になって挑戦しようとか考えてもそれでは遅いと思う。

 

18歳という脳がまだ若い年齢であれば、不慣れな事でも慣れるのは早いと思うので、誰かと知り合い誘われたというタイミングが重要だと考える。

 

でも、そのアルバイト先の女性と一緒にどこかに車で出かけるというのも、”両刃の剣” だと思う。

 

それは、いくら車の運転免許を取得ばかりの初心者であったとしても、デートみたいに一緒に出掛けて、それがその女性の期待したものを下回れば、「三之橋さんってもっと器用な人に見えたのに、一緒に出掛けてしまってつまらなかった」 みたいに残念な人に思われれば、結局アルバイトに行った時に気まずさは出ると思う。

 

そんな感じになると思うので、結局自分が終始ずっとそれがどうやれば上手くいくのか? を1日朝から晩まで考え続けることになり、「これが俺のベストエフォートです」 みたいに頑張るしかない。

 

良く言うじゃないですか。 ”考えるというのも、2つの考えるがあり、1つは諦める理由を考える人と、どうすればそれがうまくいくのかを考える人がいる” と。

 

ただ、「失敗するとカッコ悪いので」 という風に考えれば、それは最初から行かなければ失敗もなければ成功もない。

 

でも、、「成功もない人生はどうかなあ~ と思うのでとりあえずやってみて、それで失敗もしないようにするか」 みたいな感じでやる。

 

ひたすらそんな感じで挑戦し、どうすればうまくいくのかを考え続けると、それは何もやらなかった1度も失敗もしなかった人と比べると、場数では凄い差が出てくると思う。

 

結局そのように、どうすればうまくいくのだろうか? みたいなものを考え続けるような事をやっていた人というのは、大学を卒業して、新社会人となり会社員1年生となった時に、潮目の変わった環境でも、どうすればうまくいくのだろうか? みたいに考えると思うので結果が良くなるだけではないだろうか。

 

『あくまでも私三之橋の場合はこういう感じだった』

 

というお話ですので、すべての人にそれが当てはまるとも言えないとは思う。

 

ひょっとしたら、車の運転がまったくできないというか、運転しないけれど俯瞰視でものを見るとかが上手い人がいたり、車の運転とかにまったく興味もない感じで会社に入社したら仕事が凄くできる人がいたりするのかもしれない。

 

私三之橋の場合は、大学生時代に、「俺は車の運転がどうしても苦手で」 みたいな人とか見た事がない気がする。

 

大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になった時に、同期入社で一緒にその会社に入ったという人の中に、「俺は運転だけはどうしても苦手で」 なんて人もたぶん見た事がない。

 

たまたまそういう人生だっただけなのかもしれない。

 

ただ、凄そうな国立大を卒業しどこかの上場企業に入社できたという人で上手く馴染めないような仕事ももらえないとか悩んでいるような人がいて、相談された時に、車の運転も大学生時代にきちんとやっていない事で、自分がどういう立ち位置なのかをきちんと見えていないように見える人がほとんどだったと思うのでそう書いているだけなのです。

 

人は大学を卒業してどこかの会社に入社して会社員1年生になると、そこで、「俺はあの凄い難関大学を出ている」 みたいな社員を見たりするし、その人から見て格下となる大学を出ている人がその凄そうな人よりも出征するとかも見たりする。

 

難関大学を出たという人が社会人になって躓いた感じを見た時に、翌年にその人が何か自分で調整しているとかは見た事がない気がする。

 

「それはなぜか?」 と訊かれても本人ではないので想像みたいなものになるのですが、会社の中でみんなとうまくやるとか、ラインに乗っかるとかというのは、俗に言う、”目には見えないような非認知能力” だからではないでしょうか。

 

一般的には幼稚園生になった頃に家から通い出して、そこで知り合った同じ年齢の男友達と遊んだりする。

 

その子の家に行き遊んだり、その子のお兄ちゃんとか妹がいたり、その子のお母さんと何かを話したりする。

 

男の子だったら、同じ男友達の子の家に行き、お母さんと話しをするとか、何か訊かれるとかあるじゃないですか。

 

子供は感受性が高いので、その家のお母さんにちょっと嫌われているとか、何かを感じるとかあるじゃないですか。

 

小学生1年生になった場合、そこで同じクラスになった子と遊ぶようになり、1年間とか2年間とかずっと遊んだりしてその関係がクラス替えとかまで続いたりして、新しい学年になり新しいクラスになったらそこで、それまでの成功体験のようなものを引きずる感じでまた誰かと友達になるじゃないですか。

 

たぶんその成功体験のようなものから成り立っていると思うので、誰かと知り合い仲良くなるという面では、ワンデー彼氏募集に応募してみるとかのような、まったく何の人間関係もない女性と知り合ってそのままドライブに行くとかで1日会話が持つのか? みたいな成功体験を積み重ねるようなものが重要ではないかと思う。

 

ただ1日だけの彼氏を演じるという部分では、特にこれといって人間関係もない人、女性という異性とかと仲良くなる練習みたいなものだと思うので、それとは別に1度仲良くなった男友達と大学生時代に顔を合わせ続けるという、関係が持続するという成功体験も必要だと思う。

 

世の中にはいろいろな人がいて、男性でも、「良く知らない男性や女性と仲良くなるのは早いけれど、知り合った人がその人の嫌な面を見て離れるのも早いという事もある。

 

それとは真逆で、なかなか新しい人間関係を構築するのは苦手という男性がいて、でも、1度仲良くなるとその関係が何十年も続くような深い付き合いが得意という人もいたりする。

 

仕事で知り合うという、1つの会社で働く仲間みたいなものは学生時代とは違って、仕事のやり方とかを見て付き合うみたいな仕事を中心とするような感じがあると思う。

 

学生時代にイケメンでモテたという人でも、会社員となったらそれだけでOL姉さんに仲良くしてもらえるとは言えない。

 

学生次代だと、「三之橋君てカッコいい」 みたいなものかもしれない。

 

でも、会社員だとその会社で上司に信頼されている1人前に見えるとか、半チャンみたいな半人前に見えるとか、何かで区別される感じだろうか。

 

何か学生の頃とは違う感じ。

 

学生時代は、自分と同じ年齢の人と一緒という感じで、会社員になれば年齢層の幅とか一気に変わるので、学生時代にリーダーだった人が必ずしも会社でリーダーに向いているというわけでもない。

 

学生時代に同級生からの評価が高かった人が、会社ではそうではないという事もある。

 

最初に躓くと、そこから修正するというのは困難だと思うので、大学生時代がラストチャンスみたいな感じでやるしかない。

 

車の運転は、車を安全に目的地に向かって走らせるという他に、同乗者と会話したり、自分でチャチャッと組み立てたドライブルートの進捗具合を管理したり、2つの錠の事を同時にできないとダメだったりするので、1番わかりやすいのではないかと思う。

 

自動車学校で教官が教えてくれるのは、車を運転するという最低限の事くらいで、後は卒業した後に各自が実践で覚えていくしかない世界なので、当然運転が上手くなったという人もいれば、そうでない人もいる世界。

 

私三之橋の場合は、根がグ~たらな人だと自分で思うので、1人で運転の練習をしようとは思わないタイプなので、大学に友達と一緒に行くとか、プランニングで予定とか相手がいるので休めないとか、そういうスキーム(仕組み) でやっていた。

 

ことわざのようなものに、「どんな人でも1年とか2年なら頑張れる」 というのがあるように、1つの事をずっとやるというのは、モチベーションをどう保つのか? みたいなスキルがないと長続きしない。

 

車の運転が苦手な人は、「いつものスーパーへの買いもの」 みたいな、自分のテリトリーの中だけちょっと短い距離だけを運転したりする。

 

例えるならば、「それって高齢者のおじいさんとかおばあさんみたいなパターンじゃないの?」 みたいな安全というか、安心できる範囲内で運転している。

 

そういう部分だけでは仕事に使えない。

 

自分でどういうドライブルートを走り、渋滞Hどうで、到着したらどう仕事をするのか、そんな感じでいろいろなものを組み合わせて、合理的にやらないと仕事が終わらない。

 

学生の時は、「明日から中間テストなので部屋で勉強する」 と家族にでも言えば、それだけに集中できるじゃないですか。

 

でも会社員になれば、自分の仕事をノートPCで作成しながら、同時にかかってきた電話にも出ないといけないとか、いろいろなことを同時にやり、それで1カ月の月末が来た時にすべて終わるみたいな目標完全遂行能力がないとダメだったりする。

 

そういうのに向いていない人もいて、それって大学生時代に車の運転でもすれば気づきそうじゃないですか。

 

大学生から見て、自分のその後野人生というのは見えないと思う。

 

私三之橋のいつも大学に一緒に車で通う男友達が、会社経営者の子供で、頭は賢い人だった。

 

お金はジャブジャブ持っている家に生まれ、普通車サイズの中古車を買い、アルバイトをしながら返済も、AT車を買って乗っていた。

 

私三之橋がクラスの子にヒアリング長をしてその過程で、「車の運転の上達になるコツは、①自動車学校で使った姜数社と同じサイズを変えない事。 ②新車を買えば大学生時代に故障しないのでメンテナンスが覚えられないし自動車保険が高くなるので中古を買う事。 ③意外とこれは気づかない人がいるけれどATではなくMT車であること」 と地元の子が先輩から聞いた話を教えてもらったのに、AT車を買っていた。

 

片側1車線道路を走っている時に、左側に自転車で走っている人やバイクで走っている人がいると、それを横から抜く時とかに苦手な感じだった。

 

よく勘違いされる人が多いのですが、自分が軽自動車など車幅の小さな車だとそういう風にはならないで済む。

 

訊かれたりするから、私三之橋の場合は、大学生になった時に入学式からもうみんながやっていたので真似ただけと書いてある。

 

真似るだけで結果は出ないと思うので、①基本ドリル、②応用ドリル、③超応用ドリル、みたいな複雑なトレーニングをしている。

 

自動車学校で鬼教官を指名し、怒鳴られまくる。

 

普通の人は、怒鳴られるというのは避けたいと考えると思う。

 

でも、最初に運転してそこで、「お前はここがダメなんだよ」 と怒鳴られれば、少なくともその言われた事は忘れない感じで記憶するので、一生運転が残念って事はないかな? と考える。

 

最初に不慣れさから誰でも失敗するとかあると思うのですが、その上手くいかない感覚とかを忘れないように努力はしているじゃないですか。

 

才能とかはない。

 

何かを上達する人とそうでない人との差は、自覚できるかどうかの差だったりすると思うので、自動車学区に通いそこで優しそうな教官を選んで、「三之橋さんは運転上手いね、才能あるんじゃない?」 みたいにおだてられるというやり方だとダメだと考えたりする。

 

自分で根がグ~たらな人だと思うので、自分1人で運転の練習をしないと思うので、大学に一緒に行こうと誘われた時でも「OK]]  みたいにバディ・システムを組んでいる。

 

「ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 と彼女とかガールフレンドに誘われた時でも、行くたくはないなと思うのに、基本それも、「OK」 と言って運転している。

 

その2つだけでも同じ大学生の中でも走る距離数とかはトップレベルという感じ。

 

ガソリン代や高速代とか、普通の大学生だと支払えない気もする。

 

金目の問題以外にそのくらい走ると疲れるとかもあるわけで、その状態で大学の講義に出るとかもしんどい。

 

努力って、人並みにやると報われないだけとなるので場数とかの差では極端に数が違っている。

 

土地勘のない県外の秘境の音声を目指し遭難しただけという時に泣きたい感じなのに泣いてはいなくて、自分で抜けだしている感じ。

 

 

 

大学を卒業し、どこかの会社に入って働き、その後お父さんの会社に入って重役となっていた。

 

「俺は絶対に親の世話になんかならないぜ」 みたいにいきがっていたのに・・・

 

一方、私三之橋は真逆でした。

 

ある日大学に向かう運転していた時に道路に白バイが何台も出てサイレン鳴らし道路封鎖をされてしまった。

 

警察署長のところに連れて行かれる時に、白バイだけでも10台とかあった。

 

道路の制限速度のざっと3倍で走っているので逮捕しても良いんだぞ、と警察署長に言われている。

 

運転免許証を差し出し、身柄を確保されたという感じで犯歴照会をされる。

 

戻ってきた部下の人が、「こいつ何も出ないそうです。 それどころか関わらない方が良いみたいですよ」 と署長にささやいていた。

 

友達は、高校生時代に中型バイクとかに乗っていて、でも大学生になって車に乗り換えると操作法網も変わるし、サイズがデカくなるので順応できない人がいる。

 

その典型的な感じであったのに対し、私三之橋は変幻自在にドリフトするとかそんな真逆だった。

 

大学を卒業し会社員となったら歓迎された感じでそこも真逆。

 

一説によると商売人のお父さんとかはわが子が就職できないとかそういうのを見たらショックを受けるといわれている。

 

例えば、昨年長野の市議会議員議長の息子さんが監禁して皆殺しで猟銃を打った殺人事件とかあったじゃないですか。

 

自分の子供が大人になり、どこかの会社で一人前みたいになっていないと親はショックを受け、「俺の育て方が悪かったのか」 となる。

 

でも、私三之橋は意外に見えるかもしれませんが、「お父さん、助けて」 とか言った事がない。

 

高校生時代に頭のおかしな人に目を着けられ、無実の罪を着せ学校を辞めさせて首でも吊らせようという事件があり、その被害者という時でも、「お父さん、助けて」 と言っていない。

 

自分で何とかする。 という事ができたりしている。

 

そこが重要でお父さんがいないと何もできない人は存在している。

 

会社で働いた時に、どこかの凄そうな大学を卒業した人がいて、「俺は上司に気に入られない事で出席できない」 と感じ、会社員の世界を諦めるケースもある。

 

そういう人が自分で修正できるチャンスはないのか? と訊いたりするので私三之橋は、大学生時代に入学氏の日からみんなが車の運転とかやっていたと書いているだけ。

 

ただ、真似るだけではダメだと思うので創意工夫はしている。

 

例えば、私さんん端の場合は、自動車学校に行く場合でもわざわざそこで1番の鬼教官を指名して怒鳴られまくりの日々でした。

 

『なぜわざわざそんな事をしたのですか?』

 

と訊かれれば、自動車学校で教官が隣に乗っていればできたという事でも、卒業して1人になった時にできないとかってあると思うのです。

 

それまで隣に教官が乗っていれば、安心して運転ができ、自分が見落としができなくても、指摘くれるじゃないですか。

 

でも、その人ができなくても指摘されれば、そこをミスったとわかるじゃないですか。

 

いなくなり、1人で運転するのがいっぱいいっぱいだとミスしても気づかないで変な癖になるのかもしれない。

 

最初に自分でどこがダメなのか? を洗い出しするというのは技術的に難易度が高いので、あえて最初に怒鳴られて、嫌な感じで記憶してその指摘された部分をきちんとできるようにすれば、ぱっと見それは誰かを乗せても下手くそには見えないで済むと思うのです。

 

でも、普通の人はそうしないと思う。 不慣れなスタート時にあれこれダメ出しされると凹んでしまい、運転に自信を持てないようになると考え、うそでも良いので優しそうな教官に、「三之橋さん、運転はほんとに初めてですか、上手いですよ」 と褒めて欲しがる。

 

結果にコミットしたものではなくて、感情論を優先するのでそうなり、結果、運転はそれほど上達しないと思う。

 

私三之橋の場合は、人間行動分析というものなどで評価され推薦とかで大学生になっている。

 

そういう人というのは、入学式で車の運転をきちんとできればその後野人生は好転すると言われ、みんながやっていれば、クラスの子にヒアリング調査したりして、どういう車に乗っているとか、どういう練習をしているとかを訊いて廻る。

 

その人の運転する車に乗せてもらうとか、その人の住むアパートに行くとか、、そこで得たものからパターン分析してどういう練習方法が良いのか? を考えるのです。

 

特別そういった人間行動分析をやっていないという普通の人と、そのスペシャリストみたいな人とでは、組み立てる練習方法とが違ってくると思うのです。

 

「こういう練習をすれば伸びしろの上限まで最短で到達するのでは?」 みたいに考えるとその練習をして、検証しないと意味がない机上の人となるので公道でハイスピードでぶっ飛ばし、警察署長の所に連れて行かれたりする。

 

車でドリフトしているのを見て憧れた若い男性が1回真似て失敗し小学生の下校の列に突っ込み、死亡した事故でただの人殺しになったニュースとかあるじゃないですか。

 

理論を学んでも、それが現実にできるとは限らない。

 

三の橋という人はちょっと人間行動分析とか凄いみたいなので入学させちゃいますか~ となる。

 

でも、そういう人は最後に就職活動でもやった時に結果が期待外れだと、「残念なヤツだったね」 で終わる。

 

就職活動でも自分で内定を勝ち取り、卒業して会社員となった時でも三段跳びで階段を上がる小学生のガキのように突っ走らないといけない。

 

ごく普通に平々凡々と生きていて、受験勉強でも自分でやって試験に合格した場合というのはそういうプレッシャーみたいなものはもっと薄いと思う。

 

証明できないと、『アイツ嘘つきじゃ~ん』 みたいな散々な貶され方になるのかと思う。

 

たぶんその辺の自覚というのは普通の人とは違っているかなあ~ と思ったりする。

 

私三之橋の場合は、小学生の頃とかに商売人の子供とかが多く通うような塾に通っていました。

 

そこでは経営者の塾長が、脳の加齢の問題とかをチビッ子に言っていた。

 

例えば、18歳の高校を卒業し働いている子とかに、「脳が年を取るとどんどん脳細胞が死んでいくので若いうちからその辺を考えないと将来路頭に迷う人生になるぞ」 と言う。

 

でも、18歳の子の友だちは18歳だったりして、高校生の頃にバカちんだった人でもその年齢だと仕事にありつけるわけで、路頭に迷っている人が身近にいないので言われてもそれがわからないじゃないですか。

 

でも、10年後とか結婚とかのきっかけで転職すると仕事を覚えられないとかに陥っている事がある。

 

いつもドイツ製の高級車に乗っていた塾長にドライブに連れて行かれ、「さあ、三之橋今日は買いものテストだ」 と言ってメモにカレーライスと書いて材料を書いて〇〇人分とか書いて渡される。

 

スーパーのお客様駐車場で、「行ってきます~」 と挨拶してから、『塾長はルール説明で誰かン手伝ってもらってはいけないと言わなかったのでここは援軍を継がってしのぐか~』 と考えながらあ店内に入って行く。

 

お肉売り場でマダムみたいな人を探して、「すみません~、お母さん、カレーにはカレーにちょうぢ良いお肉ってあるじゃないですか? そのちょうど良いお肉ってわかりますか」 と声掛けする。

 

そんな感じでメモを見せて、お買い物を手伝ってもらい、お礼を言って別れ、いかにも1人で買いものして来ました~ って感じで塾長の高級車に戻る。

 

メモとか見せると、「達筆な字で書いてありますね」 と褒められる感じがあるので、たぶん人に見せる事を意識して見せられた人が変な人ではないと直感するのだと思う。

 

自宅にご主人の部下でも連れて来て、料理を振る舞うような事をやっていそうな人だとそのメモを見てちょうど良い買い物ができるのではないかと推測する。

 

塾長がお題を出して、その目標をどうすればうまくできるのかを自分で考えないとその日の夕食時とかで、「今日は三之橋に食材を買い物に行かせたら買いもの1つまともにできない奴なのでこんな料理になってしまったじゃね~か」 とみんなの前でバカにされる。

 

さらし者にする、みたいなものってたぶんその人が自分ではそのようにできないという自覚がない事でそういう失敗をしていると考えられるので、その事がわかるように教えてあげているのだと思う。

 

お金を渡され、とりあえず1番上等なお肉でも買って行くか~ みたいにやれば、それは経済感覚のないバカとか言われる。

 

買いものに掛かった時間が遅いと状況判断能力が悪い事が原因で、その行動の遅さがいつか致命傷になる。

 

塾長のやるテストは、基本1人ではできないようなものが多いので、誰かに助けてもらうという援軍をその場で自分で調達できないと合格ラインには到達しないので、対人スキルがないと連続不合格にしかならない。

 

小学生は暇じゃないので普段スーパーで夕食の材料とか買ったりしないじゃないですか。

 

塾長は大人気の塾を経営しお金にはどう見ても困っていないので、小学生の視点では1番高い食材のお肉でも買えば合格になりそうな気がする。

 

でもそうではない。 カレーライスを食べた時に、「このお肉はちょうど良い」 と夫婦で言ったりするのでその記憶から好みを考える。

 

塾長に連れて行かれた初めて入ったスーパーで、いかにもその店で普段から買い物をしていて、かつご主人が家に部下でも連れてきて、料理を振る舞うというマダム、みたいな人だと、「あのお肉を使ってみてちょっと硬かった」 とかを感じているのではないかと推察する。

 

料理というのはたぶん自分の家族にだけ作るという主婦だと自分の思うがままに作れると思うのですが、ご主人の部下だと上手くできないとご主人に恥をかかせることになると思うので毎回おひとり様反省会をしていると考えられる。

 

成長する伸びしろとして、いつも同じ家族に適当に料理を作る人と、ご主人が家に部下を連れてくるんで作るという人では、相手の、”誰に” という部分が違っていると思うので、当然伸びしろもそういう人の方が高い気がする。

 

塾長がお買い物テストをすると言って、メモにカレーライスとか材料とか〇〇人前とか書いてあると、普通の家庭は4人家族だったりして人数も多いとかの普段やっていない人が多いとも考えられる。

 

つまり援軍を呼ぶというシュチュエーションで、誰でも良いというわけではないと思う。

 

そんな感じでも苦行完遂能力みたいなものがないと、当然、「おい三之橋、何やっているんだ」 と叱られる。

 

私三之橋の場合は、『おい三之橋、この買いものはお前がほんとにやったのか? おかしいなあ~、お前にこういう買いものができるなんて信じられないぞ~』 と塾長に言われ、「何でですか。 僕は普段からお母さんの手伝いでいつもスーパーとか行っていますよ~」 と言い返す感じ。

 

塾長ってぱっと見はどう見てもおじいちゃんなのですが、頭の聡明さみたいなものはどこかの1流企業の40代部長みたいな感じで記憶力とか判断力はずばぬけていた。

 

後は、『人間には法則があると思う』 とか口癖のように言っていた。

 

たぶんそんなチビッ子時代の環境で育ったので、大学の入学式で国産高級車の新車に乗っていた子と出会い、みんなが車運転がきちんとできるようになれば会社員になった時に成功間違いなしみたいに言ってやっていたのを見た時に、練習方法とかを訊いたり、乗せてもらって結果を見たりした。

 

ロールモデルとして参考になる人もいれば、そうでない人もいると思うので、公立を考えて自分専用のオリジナルの練習メニューを考えたりするのだと思うのです。

 

厭らしい話になると思いますが、小学生のチビッ子時代に大人気の塾長がいて、お金に困らない感じで、ドイツ社の高級輸入外車に乗っていて、合理的な造りが良いと言って、なぜか、「あそこがダメだった」 と買い替えていた。

 

上から目線でモノを言うとかあるのですが、たしかにその自信に溢れていた感じで頭もおじいちゃんに見えずボケとかとは無縁の人だった。

 

小学生のチビッ子なので、「このおじいさんのやり方を真似ておけば自分もおじいさんになるまで何か安泰ではないかなあ~」 みたいなノリで真似ている感じだと思う。

 

例えば、高校生の頃に頭のおかしな人に虐められ、無実の罪を着せられて退学となり、行き場を失い首でも吊るぜ~ とか言われたりやられた時に、普通はそのくらい惨劇に遭うと自殺しちゃうのかもしれないじゃないですか。

 

でも、その前の小学生時代に塾とかで訓練をしていたというトレーニングデイがあったので、乗り越える事ができたりした感じで、才能とかではなくて環境に助けられただけだと思うのです。

 

大学を卒業し新社会人デビューして、会社員1年生になった時に怖い程上手くできた気もしたりしたのですが、それも才能ではなく塾長が教えていた事をどこか覚えていたとかの結果でないかと思う。

 

会社員としてどこかの会社で働いていると、自分よりも凄そうな国立大学を卒業したという人から、「三之橋さんっていつも仕事がたくさんあり、その仕事はどうやってもらうのですか」 とか相談される側の立場になっていたりするのですが、頭が賢そうに見えた塾長を真似ているだけではないかなあ~ と思う。

 

車の運転でも初心者マークを貼って頑張るぞ~ と思った大学生でも、そのモチベーションって長くは続かないで、結果攻略できるという領域までいかないと思うのですが、私三之橋の場合は、支持線をどう入れるとかそういう事しか考えていないと思う。

 

私三之橋の場合は、人の話を良く聞いている方だと思うので、最初に車のサイズは変えないとか訊いていたので実際に普通車しか買った事がない。

 

世の中には運転が不慣れで上手くできないと彼女とドライブに行った時にバック駐車でも上手くできないとか、狭い住宅街の路地を走ってブロック塀に接触せずに曲がると離合できないとそれを見られると恥をかくという事で軽自動車に乗るとかで車幅の小さなダウンサイジングで誤魔化すという人は少なくないと思う。

 

でもそれって、本来自分ができていないというのを自覚できるチャンスなのに取り繕うという手法で自覚できなくなり他の事でも勘違い野郎となるだけと聞いたのでやっていない。

 

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車を所有してみてわかる、声掛けなど

2023-12-13 16:46:30 | 車所有でわかるもの

大学性になった人とかが、『車を所有するのはお金がかかるだけだし、それを買って何がわかるの?』 みたいな点に関してのお話になります。

 

若い年齢の18歳とか20歳とかの人から見て、車というのはとりあえず普通自動車運転免許証を取得しておけば、わざわざ買う必要性もないのでは? という意見もあったりします。

 

車というのは、わざわざ21歳未満の自動車保険でも割増年齢になる時にこそ所有した方が良いかなあ~ と思います。

 

 

上記は12月13日の水曜日にコイン洗車場にて高圧洗浄機で水洗いして、作業ブースで拭き上げてから今時流行っているグラフェンコーティング剤をサッと塗った後の家族の車です。

 

ちょうど1週間前にグラフェンコーティングを施工したのでまた晴れたのでやっておくか~ と洗車してコーティングしいて、その後はおひとり様ドライブでいつもの香椎照葉を走って屋根なし月極駐車場に帰りました。

 

月極駐車場というのは、事前に契約し、事前に承認を得た車両を自分に貸し与えられた場所に保管し24時間自由に出し入れる車両に特化した保管権のみだったりします。

 

まあ、そこで本来は作業する権利は持っていない事になるのですが、古家を解体してできたにわか月極駐車場で、地主さんから現在のデカい屋根付き月極駐車場の工事が終わったらもう土地を処分すると聞いていたりするので、「5分程度サッとグラフェンコーティングを塗っておくか~」 とやりました。

 

その作業していると、隣にあるデザイナーズアパートから出て来た若いママさんが、ベビーカーを外に出そうしていて、そこに小っちゃな赤ちゃんが乗っていて動かすと泣く感じであやしていました。

 

「参ったなあ~、5分ルーフとかにサッと塗って帰るつもりだったので、普段より壁から20㎝くらい多めに離して駐車したので、作業終わってガソリンエンジンを始動して駐車するとまた泣いてしまうかなあ、後で移動しに出直すか」 と思って、後部座席に暑いので脱いでいたマウンテンジャケットを出して羽織りました。

 

若いママさんが来て、『すみませ~ん、ちょっと下に下ろすのを手つだttえもらえませんか~』 と言われたので、、「わかりました。 こっちを持てば良いですか?」 と言って、、ベビーカーを抱えて50cmくらいあげて段差を超えて月極駐車場の中に下ろしました。

 

『ありがとうございます~』 と若いママさんに言われ、「やった~、出かけたのでこれで車を駐車しなして帰れる」 と思い、家族の車を駐車し直して壁の方に寄せて帰りました。

 

月極駐車場の利用をするというパターンが車を買ったりした人には多いと思いますが、そこで誰かほかの利用者とかに声を掛けられないという人もいたりします。

 

例えば、高校を卒業したばかりのような18歳の女性であったり、生まれたばかりのような小さな赤ちゃんのいる若いママさんとかですと、そこに知らない男性がいた時に、声掛けしない傾向にあると思います。

 

うっかり声をかけた事で知り合い見たいになり、付きまとわれる嫌じゃないですか。

 

そういうのがあると思うので、若い18歳の大学生1年生の男性とかでも、アパートに住んでそのアパートに住んでいるほかの住人と話した事とかないという人がいたりする。

 

たぶん、隣のアパートから私がチョクチョク車を拭いているとか見たりして、今日は作業しているのを見て、サッと終わったので帰るかあ~ というのを見て声掛けされたのだと思うのです。

 

大学性1年生で土地勘のないところに引っ越して、アパートとか賃貸マンションに住み、そこで車も月極駐車場に保管したりして、声掛けされないという場合、ぱっと見で何か変なあまり関わり合いたくないように見えていると思うのです。

 

そういうのって、大学生とかの学生時代に自分が声掛けされる人なのか? 声掛けされない人なのか? というのが社会人になる前にわかった方が得だと思うのです。

 

もしも、声掛けされない人だと、人当たりという面ではそんなに良くないように第三者に見えているという事になると思うので会社員になって何かフロントに立つような接客とかをしない方が良い気がするのです。

 

例えば、福岡市内で生まれ育った人が都内にある大学に通う為に東京に引っ越すとか、宮崎とか長崎で生まれ育った人が高校を卒業して福岡にある会社に就職する事になり引っ越すとか。

 

生まれ育った所にある実家を生まれて初めて飛び出して土地勘のない知らない場所に引っ越すという、ちょっと都会に出るという場合。

 

知らない人もいると思うので書いておきますと、人は学生時代に一緒だった友達と遊ぶとかがある。

 

高校を福岡市にあるところに通っていて、就職でいきなり東京とかになってたった1人ボッチで引っ越したりした時に、たまたま同じ会社で働く同期の同じ新入社員が居た時に、『今度の日曜日に新しくできたあの話題のお店に一緒に行かない?』 と誘ったりした時に、「ごめん、日曜日が高校の時の友達と会う事になっていて」 みたいに一緒に遊ぶとかが難しいとかあったりする。

 

福岡市内にずっと住んでいた人が高校を卒業して、東京にある大学に通うという事で引っ越した場合、その大学で同じように地方から出てきた1人ボッチのアローンスタートになるような境遇の似た人と友達になるというのが1番楽だったりする。

 

その大学でできた友達が、同じ東京にある会社に働く事にでもなれば、その関係は続きやすい。

 

ただ、会社員になった時にそこで友達になるというのは難しい感じはあると思う。

 

そんな感じで、仮に東京という土地をテーマにした場合、東京以外からそこに1人ボッチで引っ越してきて、アローンスタートになった時に、賃貸マンション等に住んでも、その同じマンション内に住む住人と誰とも話をした事がないという人もいる。

 

そんな場合に、『ここは大都会の東京なのでこんな感じが当たり前なんだ』 みたいに取って付けたような事を言う人はいたりすると思う。

 

でも、妊婦さんとか、赤ちゃん生まれたばかりの若いママさんとか、世界中どこにもいるじゃないですか。

 

例えば、宮崎とか長崎で生まれ育った女性がいて、今は福岡市内のアパートに住んでいるとします。

 

生まれ育った町ではないので、近所に誰か仲の良い友達がいるとは限らない。

 

そんな時にアパートの窓からたまたま月極駐車場が見え、そこでよく乗り降りしている男性を見たりしたとします。

 

ちょっとベビーカーを段差があるので一緒にちょっとだけ持ってもらえませんか? とか言われる。

 

その女性から見れば、自分の住んでいるアパートから出てきて隣にある月極駐車場でよく見かける男性にうっかり声かけして、その人が変な人だと引っ越していく事になると思うので、出産とかでお金かかったのにさらに借金が加速する事になると思う。

 

男性で車に乗る人という事だと、その辺は二極化していると思うのです。

 

誰か知らない人に声掛けされたりして、『ちょっとだけ手を貸してもらえませんか?』 と言われたりする人か、そうでないか、みたいな分かれ方をする。

 

そんな感じだと思うので、車を買って普段乗っていて、そういう声掛けされる人かどうかはわかると思う。

 

もしも、まったく誰からも声掛けされない場合、それは会社に入社して女性のOL姉さんの部下でもできたりした時に、『あの人とはちょっと話がしづらくて』 みたいに敬遠されるだけなのかもしれないじゃないですか。

 

私だったら、まず会社員になったら、OL先輩姉さんと話してみて、そこで問題がないか? をチェックすると思う。

 

異性の女性でかつ先輩という、高校を卒業して入社し10年とかその仕事をしてきた27歳くらいの人と普通に会話できれば、ホッとするじゃないですか。

 

最初に入社した会社で、お局様界大ボスみたいなおばあさんがやっていた取引先の管理という仕事を引き継ぎさせてもらえたのも、人当たりが悪ければそんな仕事を上司がさせないと思う。

 

俗に言う、”人当りの悪さ” みたいなものがあれば、どんなに凄い大学を卒業できていたとしても、どんなにその仕事で専門知識を有していたとしても、わざわざ会社が代表として何かの交渉とかの場にその人を送り出すという事はないと思う。

 

大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生となった時に、すぐに上司がいつも接客で忙しい人だったので、『俺の代わりに俺のこのバッグを使って、俺の仕事用に高級車のキーを渡すので銀行に行って来てくれ』 と仕事を任された。

 

OL先輩姉さんには、心配され、強盗にでも遭ったら瀕死の重症を負うとかそういう仕事だよ~ とアドバイスされたりしたのですが、そもそも上司の人は頭が悪い人ではないので、わざわざ自分の代わりに部下を行かせるというシュチュエーションでは、人当たりの悪いとかの人は行かせないと思うのです。

 

それまで学生だった人が社会人、会社員になった時に最初に検証しておきたいのは、その人当たりの部分かなあ~ と思うのです。

 

もしも、人当たりという部分で上司が難色を示すという場合、それはどこか違う会社に転職しても同じような傾向にあると思うので、自分の仕事内容とかを見直した方が良いと思うのです。

 

大学を卒業して新社会人デビューして、どこかの上場企業に入社できて、10年働く。 あるいは20年働く。 自分ではもうベテランかなあ~ みたいな感じに思っていて、会社で問題でも起きてその交渉の場に出向く事になったとする。

 

『えっ、あの三之橋を行かせるのですか~~~』

 

みたいに社内で誰かが言ったりして、ペンディングになったら、その時ショックを受けそうじゃないですか。

 

男性の場合、付き合っていた彼女と結婚してその奥さんのお母さんとかお父さんに、『今度の親戚の葬儀にはアイツは連れてくるなよ~、恥ずかしいし』 みたいに家族になったのにハブられるとか男性の場合はあると思うのです。

 

会社員の世界って変わっているので、社内にメチャコンピュータの専門知識があるような人がいるのに、『あんな人と話したくないし』 みたいな理由でお仕事が廻ってこない人がいたりするじゃないですか。

 

本人は自覚していないと思うのですが、ちょっと言い方が上から目線とかに見えたりして、それが原因で干されてしまっているような人がいる感じ。

 

逆に言えば、そういう人当たりの悪さを持っていなければ、仕事とか山のように廻ってくる世界だと思うのです。

 

イタリアだったかことわざのようなものに、『良い靴を履くとその靴が素敵なところに連れて行ってくれる』 というのがあります。

 

でも、私が大学生になった時には、その真逆みたいな人たちと出会ったのです。

 

例えば、『車の運転技術をきちんと身につけるとその後の人生は大きく好転する』 みたいな台詞を言って、入学式の日にはもう普通自動車運転免許証を取得して、普通車の中古車をローンで買って乗っていた。

 

田舎で免許を取るのは楽で、車もお父さん名義でローンを組み、お父さんが、『〇〇、もうお前も大学生なので車の運転くらいきちんとできないと笑われるぞ~』 なんて言って免許を取った子供に運転させて、隣の助手席でお父さんが特訓したりして県外に引っ越して来たりしていた。

 

『友達ができないとマズイんだ』 みたいな感じで大学に斡旋(あっせん) してもらった大学そばにある下宿とか、アパートや賃貸マンションに住んでいたりする人ばかり。

 

ざっくり言えば、それって自宅というホームから大学まで、半径1kmも1日に移動していない暮らしだったりする。

 

お父さんとかが、『まずは大学の生活に慣れる事が重要で』 みたいに潤沢な仕送りを送金して、アルバイトもしなくて済むような人も少なくなかった。

 

『俺はもう車の運転もヘタッピーじゃないぜ~』

 

みたいな感じで、準備とかも完璧~ 

 

そういう感じなのに、普段の日常生活の暮らしでは、朝起きて、ホームそばにある大学まで歩いて行く。

 

お父さんであったり、おにいさんであったり、先輩であったり、同級生であったり、誰かに、『車の運転くらいはできるように大学生時代にはやっておいた方が良いぜ~』 なんて言われるので、とりあえず免許を取ったり、普通車サイズの車を買ったりする。

 

でも、いざ買ってみたら、行くところがないという問題に直面したりする。

 

今のようにカーナビもない時代というは、土地勘のない道を走るのもしんどいというものがあり、大学そばに住んで歩いて大学まで行くと乗る機会もない事になってしまう。

 

私が大学入学式の日に国産某高級セダンの新車に乗っていた子はその辺も考えていて、遠くから車で通学するという風にしていたので、私も真似ておいた。

 

そんな感じで、大学生になった途端、もう免許を持っていて、普通車の中古をローンで買って持っていても、そこから先にどういう風にそれに乗って上達するのか? というシナリオが自分で書けないと前に進めないとかある。

 

車を買っても、そこから先に進めないとかもわかったりするとかあると思います。

 

自分がガンガン目標に向かって前に、前に進めたら、それは大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生になった時でも同じような感じで前に進めそうじゃないですか。

 

大学性になり、車を買ってみて、一緒に乗って出掛ける人がいない。

 

それはなぜそうなるのか?

 

車という狭い車内では独特の雰囲気があり、大学生が通学で1時間一緒に乗るという場合でも、あまり好きではない人と同じ車内で一緒というのはしんどさはあると思う。

 

男性の場合だと、アルバイトとか何か知り合った人たちがいて、『一緒に俺の車であの心霊スポットでも行こうぜ~』 とかになっていざ乗ってみたらそんなに楽しくなかったりして、2回目は無かったりするじゃないですか。

 

車を買ったり、それに乗っている事でもしもそういう結果になったりすれば、それは大学生4年間のうちに修正できるだけやっておかないと、たぶんどこかの会社に入れても似たような結果となると思う。

 

今小学生などが全体の3%だったか? 不登校の生徒がいたりするとニュースで報道していました。

 

その原因というのは、”対人関係” でそうなっているという事で、『仲間外れにされたとしても、それは大した事じゃないよ~』 と教室で教えていて、それを聴いた小学生のチビッ子は、「大した事ではないと今回教えられた事でずいぶん楽に考えられるようになった~」 とテレビの中で言っていました。

 

でもね、そういう教え方をすると、本質的には何も考えないようになり、その問題をずっと抱えたまま50年とか生きていくことになると思うのです。

 

例えば、生まれて初めて親元の実家を離れて1人暮らしを始めて、たった1人ボッチという、それまで高校生時代に一緒だった友達もいなくなった環境下でアローンスタートとなる。

 

『俺は初めてのアローンスタートで、まあこんなものかと思う』

 

みたいに上手くいかない結果が遇った時に、それは初めての経験なのでこういう結果でも仕方ないと思うという風に考える人と、

 

『俺が上手くいかなくて、でも周りを見ればうまくいっている人もいるわけで、それは俺のやり方のどこかに修正した方が良い所があるのだと思う』

 

みたいに2つの考えるというのがあると思うのです。

 

大学性になって上手くいかなかった現実をどう受け留めるのか? でその後の人生は変わると思う。

 

もしも、大学生時代に上手くいかなくて、自分のせいではないと考えてしまい、それがその人のスタンダードになれば、大学を卒業して入社した会社の中で、その考え方が受け入れられないのかもしれない。

 

社会人の場合は、血縁者でも何でもない人達になるので、無理にその人に働いてもらわないといけない理由がない。

 

後は車の運転をしていると、”出会い頭” というシュチュエーションがある。

 

彼女を乗せて土地勘のない道路を走って目的地のテーマパークに行く時とか、路地に入った時に反対側からも同時に車がきて出会う。

 

一瞬でその人がどういう風に動きたいとか、動こうとしているという動態予測ができないとぶつかるとかある。

 

全然会った事もなければ、名前も知らない人が目の前に飛び出て、どういう風に動こうとしていると予測できないとかあれば、それは会社に入って上司の考え方とか動き方が予想できないとかの結果を招くと思うので、それも大学生時代に修正しておく方が良いと思ったりする。

 

 

 

 

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