ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

工事中の月極駐車場を通り抜ける人達

2023-10-31 20:27:49 | 月極駐車場

今日は、月極駐車場を通り抜ける人たちがいました。

 

10月10日から、「今月いっぱいで壊す作業を終えればと考えています」 とゼネコンの人が工事の案内書を持参され、郵便受けに入れずに手渡しされました。

 

今日は月末なので、一旦予定まで終了し、その目視点検や視察がある感じかなあ~ と思っていました。

 

そんな時、路地から歩いて来たカップルが手をつなぎ、立ち入り禁止危険とか看板あるのに工事している月極駐車場の中を通りぬけていました。

 

「あ~っ、認知症だね~」

 

と思ったりしました。

 

こんな話をすると、まだ20歳くらいなのでさすがに認知症はあり得ないのではないか? と言ったりする。

 

でも、人間の場合ですと、認知機能が落ちると真っ先に自分のしている行動が見えなくなる、メタ認知のようになるみたいですよ。

 

先日ニュースで報道された高齢者ドライバーは、高速道路を5kmとか逆走していました。

 

でも、本人に取材した話では、いつものように近所に買い物に出かけたつもりで、なぜか高速道路を逆の出口から侵入して、いつもの景色を見て走って運転したという記憶で、なぜ高速道路に出口から入ったのかも覚えていない。

 

運転している時に、追い越し車線を1台だけ逆走していたのに、「いつもの景色だったので逆走をした記憶がない」 と言っていました。

 

ほかのニュースでは、40代とかの人が酒を飲んだ後に家電量販店に入って行き、陳列してあった商品を床に投げつけていくつか壊して逮捕されたような話もありました。

 

「いくらお酒を飲んだからといって、そこまでおかしくなるとかあり得ないでしょ?」 という人がいる。

 

でも、車の運転では、飲酒したら運転するな~ という飲酒運転があり、福岡県民条例では飲酒運転の可能性が考えられる運転を見たら福岡県民は110番緊急通報する義務があるとなっているじゃないですか。

 

お酒を飲んだだけで運転していて人を轢き殺してしまった~ とかあるわけで、それで飲酒運転禁止という風になっていて、やればそれは現行犯逮捕されている。

 

例えば、今大学生の人がいるとします。

 

「もうあと4年で社会人になって会社員とかになるので、いったいどういうスキルがあれば会社員をやっていけたり、結婚して家庭を持つとかできるのだろうか?」 と不安になる人もいたりする感じですが、大人になって必要なスキルというのは、上司とか同僚が見て、その人が1人できちんと行動できるかどうか? だと思うのです。

 

現在は18歳でも成人となっています。

 

お酒も飲めないし、タバコも吸えないのですが、法律上は成人とみなすという感じ。

 

大学生1年生の18歳だと、「もう18歳の成人なので」 という感じになり、立ち入り禁止という看板があるのにそこを通るとかという行動があれば、それはその人のお父さんやお母さんが聞いても、「あんたバカじゃないの~」 となると思うのです。

 

たぶんその人の脳が、お酒を飲んでいなくてもすでにセーフモードのように、ポンコツな動きをしている事で、頭がどこかポ~っとなっていて、やらかしてしまい、それは工事人の人が叱らない限りはおそらく自分で気づかないと思うのです。

 

例えば、道路でボール遊びをしている子供がいて110番緊急通報して警察官から注意してもらった。

 

あるいは、スケボーを持ったグループが遠征してきたのでそれも110番緊急通報して警察官に注意してもらった。

 

その後どうなったの?

 

という部分では、子供は脳がまだしっかりしているので、注意された事で来なくなるという是正してもらえた感じ。

 

でも、大人は認知機能が低いと脳がセーフモードでしか動いていないようなものなので、セットで記憶力も悪いので注意しても覚えていない。

 

認知症の暴走死亡事故などの件で、「車の運転は運転免許証を持っているだけではダメで、運転に必要な判断力と記憶力を有していると認められる必要がある」 と警察庁のウェブサイトにも書いてあるとワイドショーでも言っていた。

 

判断力と記憶力ってセットだったりするので、運転に必要な判断力に疑問があると、普通は記憶力も悪くなっていて、注意しても覚えていない。

 

ざっくり言えば、「それって認知症のおじいさんやおばあさんと同じ特徴じゃん」 となる。

 

ことわざのようなものに、”うつ病と認知症はプロの医者でも見分けがつけられない” といわれています。

 

じゃあ、どこで線引きしているのか? という部分では、「まだ年齢的にはうつ病で良いのでは?」 みたいな分け方をしているような感じなので、うつ病と診断された人は年を取ると必ず認知症のようなボケ方をすると考えられる。

 

「それじゃあ、僕は今大学生なので、どういう方法がそのような沼にハマらずに済むの?」

 

みたいに訊かれた時に、一緒に行動する人が1人できちんと行動できている人であれば、良いだけの話ではないかなあ~ と思うのです。

 

夫婦でも、パートナーというのは、それぞれの欠点を補えるスキルがある方が良いと言ったりするじゃないですか。

 

男性が男友達と一緒に遊ぶという場合でも、あまりに自分と似た人と遊ぶと、どっちも認知機能が低い人たちだったという事はざらにあると思うので、「アイツは自分とこういう違いがある」 という友達と一緒に大学に行くとかすれば、自分が気づかない事でも指摘してくれるので、大学を卒業するまでに変われるのではないかなあ~ と思うのです。

 

「アイツはなんとく俺とウマが合うので」

 

みたいに自分が感覚的に好きというので友達を選ぶとかしていると、自分もその友達も認知機能が低かったとなるのかもしれない。

 

友達がいれば気づかないというとかはないと思うのです。

 

例えば、私三之橋の場合は、高校生の頃の卒業まじかに、「俺はお前とは一生付き合っても良いと考えているので、これからの時代はコンピュータの時代だと思うので俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか」 と誘われた。

 

その友達は1回1回、友達になる人の事を自分なりに将来も付き合うべき人か、みたいに考えていたみたいでした。

 

でも、私三之橋は大学生になれたという事で別れてしまった。

 

大学生になった時に、一緒に飲まないか? と誘われ行った。

 

その時に、年上の彼女のアパートに住んでいるので、どうしてもお前も泊まっていけよ~ と言われた。

 

まあ、彼女に会って欲しいとか友達とかではあるじゃないですか。

 

お母さんが呼んでいるから家に来いとかそういうのと同じ感覚で断る方が悪い。

 

それで、「年上の彼女ってどんな人かなあ~」 と綺麗なお姉さんを想像してしまった。

 

夜中にタクシーに乗ってそのアパートに向かったら、お姉さんが出てきて、「今何時だと思っているの~。 もう先週も大家さんの家に誤りに行ってきたばかりなのに、何をしてくれたの~」 と怒鳴られた。

 

友達の彼女に初めて会うというのは、夜中3時を過ぎてしかも彼女のアパートというのは十分変な話であると思う。

 

でも、そういう綺麗な話ではなくて、彼女がキレてしまった。

 

「君たちさ~、いったい親にどういう育ち方をされれば、そういう迷惑な奴になれるのよ? 正直な話育ちが悪いよね~」 と真顔で言われ、なぜか自分たちは正座して聴かされていた。

 

話はエスカレートする一方でエンドレスという感じで、「そもそもその友達が酒を飲んで酔っ払って、私がいつも迷惑になっているのは、お前が一緒に誘われた学校に行かなかった事でこうなったのではないか~」と叱られた。

 

お姉さんの長い、長い話を要約すると、元々こういう風に負の連鎖が起きてしまったのは、お前三之橋の責任ではないのか? その自覚とかないのかよ~ という話だった。

 

そもそも、大学生1年生は未成年なので、その年齢の彼女の人が、彼氏がいつも酔っぱらって私のアパートにデカい声を出して部屋に来る過程で周りの住人からの苦情で、大家さんに「もう出て行ってほしい」 と懇願され、「もう2度と、2度と騒がないようにさせますのでどうぞ今回だけお許しを」 とお願いした。

 

その後、「もうこれで安心だ」 と思った後に、あのバカ野郎どもがやってきてしまい、「もう全部台無しじゃないの」 と怒られたりしても、そもそも私三之橋は初めて行った第1回目で怒鳴られたわけで、「何の話かもよくわからない」 という感じ。

 

なんとなくわかるのは、その友達が毎晩お酒を飲み、酩酊状態となるので、彼女がその迷惑な行為で周りの住人や大家さんに謝罪しまくっていたという事くらい。

 

自分の人生が上手くいっていない人がいて、その人は自分はこれぽっちも悪くないというような話をされて、それは全部三之橋お前のせいだ~ と言い切っていた。

 

自分で自分がもう見えていないような人に見えてしまった感じ。

 

その上手くいかないのは、やり方の問題ではないかなあ~ と思ったりした。

 

お酒を飲んで、ちょっと飲んだというよりもう3時過ぎていたくらいなので飲み過ぎている。

 

「ちょっと静かにしてよ。 私は大家さんに謝罪に行ってきたばかりで迷惑です。 あとこの話はお酒を飲んでいない時に話そうか」 という方が正解ではないかなあ~ と思う。

 

綺麗な話ではないと思う。

 

その友達の彼女となる、チョイ年上のお姉さんは友達と付き合っていて、いつも酩酊状態のように飲んで大声を出してアパートに帰ってきてしまい、たぶんその酒癖に迷惑しているのだと思う。

 

その友達が誰か知り合いといる場合、「私は彼と付き合い、こういう迷惑をされています」 とはいちいち言わないと思う。

 

何かその友達から聞いた話の中に、「あの三之橋というやつは高校生の時に学校でいつも一緒だった友達なので、仲が良いので身内みたいなものか」 という判断をされているような気がするので、そこは正解のような気がする。

 

やり方の中に、”正解” の部分と、”不正解” の部分が混在している事できっと上手くいかないのだと思う。

 

そんな感じだったりすると思うのですが、人は外面よく付き合う人もいれば、もうドロドロな話をする人もいる。

 

例えば、私三之橋の場合は大学生となり、1年生でそばのマンションに住む子の部屋に入り浸っていた。

 

夏休み明けにその子の部屋に行ったら、コンビニで弁当を買って食べた後に、1つの袋に8種類の薬が入っているというのを飲んで、「1人暮らしを始め、好きなものばかり食べていたら病気になり、大学病院は治療費が無料なので検査したらもう一生治らないと言われてしまった」 と話し、驚いてしまった。

 

大学で同じクラスの子にはそういう話をしていないみたいで、静かに1年生が終わる頃に大学を退学して実家に帰っている。

 

大学1年生の終わりに、「君たちが取得した単位から想像した時に、おそらく4年で卒業はできない、残念な人達だと思うので励ます残念な人達のパーティー」 というのがあって、その招待状を友達ももらったと言っていたので、「2人で出席するか」 と軽く考えたら、友達がなんと退学してしまい、1人で行く事になってしまった。

 

世の中には残念な人達で溢れている。 なぜそのようになっているのを考えた時に、誰もその現実を指摘する人がいない事で自覚できないからそうなっている。

 

そんな感じなので、大学に授業料を支払ってくれたご両親の事を考え、人としての礼儀として、残念な人に直接、「あなたたちはスジ読みもまともにできない残念な人達でおそらく自分では4年で卒業できない事も気づいていません」 と説明してあげるよ~、みたいなパーティーでした。

 

残念な人達に、直接顔と顔を突き合わせて、その残念さを指摘してあげるよと招待されると、「もう大学を辞めさせていただき、これからは心を入れ替えて一生懸命働きます」 となる人がいたりする。

 

恐ろしい事にそのパーティーの招待状は実家の方に郵送されるシステムで、親が呼んでそこでもう大学に通っても意味がないと判断したりする人がいて、1度招待状を受け取った人は棄権は認めないシステムでパーティーに来なかったらマズイ事になるという感じでした。

 

大学生にあまり興味がなくて、いつも一緒の子と同じ講義をチョイスしていた。

 

その友達が病気になり、同じパーティーに招待されていたのは、同じ講義を受ける事でその子がどうも計算を間違えてしまった事で私三之橋も連動していた。

 

大学生となり、講義と講義の間に空き時間ができれば、友達と同じ講義にしておけばその空いた時間も一緒になるという安易な作戦を取り、2人共計算がズレてしまい、残念な人を励ますパーティーに招待されたりした。

 

友達とかが本音でしゃべってくれたりした事で何かを学んだような気がする。

 

結局友達がいるか、いないか、みたいなもので何か人生が分かれていくのではないかなあ~ と思ったりする。

 

友達と久しぶりに会うことになり、お酒を飲んで、夜中3時過ぎにタクシーで友達と行ってしまい、そこで予想もできない展開となり、その友達の彼女に激高されまくる。

 

その時の顔を見てしまった事で、何かを記憶したりするのかなあ~ と思う。

 

大人になって上司とか先輩が、「これから俺の家にでも行くか?」 とか言われた時に、「もうこんな時間なので行くのはご家族の方から見れば迷惑になるのでやめておきましょう」 と私三之橋は言ったりする。

 

「こいつ意外とまともだなあ」 と先輩が思ったりするらしいのですが、18歳の頃からそういうシュチュエーションで誘われて行って歓迎された事は1度もないだけの話です。

 

大人になって会社員となり、そこでお酒が原因で失敗する人がいると言ったりする。

 

でも、私三之橋はそういう失敗がないのは、それ以前の大学生時代に友達がやらかしまくるとかを見てしまった事で、そういう失敗があるというパターンを知っているだけだと思うのです。

 

認知機能の低いって電話とかも苦手だったりする。

 

ある会社で、ボスが外から出てきた電話に新卒の有名大学を出た女性が出てしまったらしい。 「〇〇〇〇株式会社の〇〇です」 と言ったら、ボスが、「〇〇です」 と名前を言った。 

 

「失礼ですが、どちらの〇〇さまでいらっしゃいますか?」 と言って切られてしまい、会社を辞めさせられたそうです。

 

たしかに、小学生3年生くらいの子供でも、社名を言わなかったのは言い忘れたとかでなくて、あえて言わないだけの理由があると感づくのではないかなあ~ と思う。

 

もう大人なので、同じ会社の社員とみなして、「お疲れさまです。 私は最近入社しました〇〇と申しますのでこれからよろしくお願いします」 と会話に挨拶を挟み込むかなあ~ と思ったりする。

 

「ボスは良い人なんだろうなあ」 と思ってしまった。

 

大人になるとわかる話になるのですが、物事をハッキリ言うという人は悪意のない人に多いと思う。

 

誰か出張で来ている人がいて、社内である若い大学を卒業したばかりのような人を見て、「仕事でGショックの腕時計をはめるなんてお前バカなの?」 と言っている光景とかざらに見たりする感じ。

 

「TPOもわからない、お前って空気読めない人なわけ?」とか言われる。

 

会社員の世界って、大学を卒業して1年生の時には1番下となるわけですが、翌年には2年生という感じになるので、同じ課の後輩とかに指導もできないといけなかったりする。

 

人によっては、「私はもう30歳なので」 とか、「私はもう40歳なので」 とか、「私はもう50歳なので」 みたいに自分の年齢とかを意識して、若い人と同じことをする年齢ではないので、注意をすることもできないとダメと注意する人はいる。

 

例えば、20代の若いOL姉さんが集まり、「〇〇さんが結婚する」 とかそういう話題で、「えっ、そうなの~」 と話していると、「はい、みんな仕事してね」 と50代のお局さまが注意するような声かけをするとかある感じ。

 

人が嫌がるような事を言ったりできるかどうか? というのも重要だったりする。

 

例えば、30代の人が出張で来ていて、そこで事務仕事をするとかでデスクを借りたり、時間を調整して打ち合わせの取引先に行くとかあるので、直行直帰ではなくてそこの支店とかに寄るとかある。

 

その時に「君、年はいくつなの? 新入社員なのか? そうかもう2年目か、仕事でGショックの腕時計をはめてお客さんのところに行くとか空気読めないくらい頭悪いの?」 と2年目の社員に叱っていたりするとか、そういう光景は目にする感じ。

 

その人から見れば、部下でも後輩でもないような感じであるものの、広い目で見れば同じ会社の先輩となるわけで、気づいた点として、「ここはおかしいでしょ?」 とか注意したりする感じ。

 

大学生が社会人となり、会社員1年生になった時に、『言われたらもう終わりですから』 みたいに気を付ける感じ。

 

男性であれば、髪型とか髪の毛の長さとか、スーツとか、バッグとか。

 

いつも同じ格好のスーツばかり着ていれば、『あなた発達障害ですか?』 とか言われる人もいる。

 

周りの人を見て、そこに存在する法則のようなものを自分で感じ取り、「スーツはこういう頻度が着替えている人が多い」 とかを見て合わせていく感じ。

 

見えていないような人がいれば、『周りの人を見よう見真似で働いてね』 と言われる世界なので、周りの人の10分の1とかの仕事しかできていないとかで、本人が気づかないケースがある。

 

例えば、新入社員とか、転職で入社したばかりだと、電話とかに出て、「〇〇部長、〇〇〇〇の〇〇さんから3番です」 とか電話を回さないといけないとかある。

 

全国展開している会社だとあちこちの支店の人間がなぜかやってくるので、顔を見てわからない人に電話を取り次ぎとかもしないといけない。

 

そんな感じでやっていると、『君、声が小さいよね? ハッキリしゃべれないのか?』 みたいに言われる人もいる。

 

電話対応もそうですが、まったく知らない人からかかってきた電話に出て、怒らせてしまい、「〇〇さん、ちょっと代わってください」 と丸投げしてしまうとかもあったりする。

 

大人なので、「あの時はこういうところが良くなくて、本来代わってもらうようなところではない」 みたいに自分で考えていかないと、成長できない。

 

同じ会社の社員が外から電話をかけて、声が小さいとか、何を言っているのかよくわからないという不快さを感じると、『当然お客様から電話をした時に○○という社員が出る事によって、みんなもっと不快感があるはずで、会社が損している』 という考え方はある。

 

来客でもそうですが、内勤職であった場合、そこの会社にお客さんはやってくるので、接客の対応もできないと、「あんな人があそこのデスクに座っているとお客さんがイラっとするのでもっと奥にひっこめろ」 みたいなものもある。

 

私三之橋の場合は、大学を卒業して入社した会社で、お局さま界の1番のボスみたいなおばあさんがいて、その人に何か言われるとみんな「はい」 としか言えない感じでした。

 

やっていた仕事が取引先を管理する仕事だったので、どこかリスペクトされているような感じがあった。

 

その定年をオーバーしていたおばあさんの仕事を引き継ぎするのは三之橋という事で、虐められまくりでした。

 

その人が40年チョイとかやっている仕事で、本人から見れば、「あんな若造の三之橋にできるわけがない」 と思ったりするのは仕方のない事でもあると思う。

 

そのお局様界大ボスみたいなおばあさんは銀行廻りとかしていないのに、あの三之橋は入社して銀行廻りをしていて、おもしろくもないとかあったと思う。

 

その仕事を引き継ぎ特に問題も起こらず、転職する為に辞めて行く事になった。

 

会社の人から見て、「えっ、あんなに成功したのに辞めてしまうってお前頭大丈夫なの?」 と言われた感じで、辞める理由がわからないと言われた感じ。

 

こういう言い方が良いのか? まではわからないのですが、自分の可能性みたいなものを確認したかったというのがその会社に入社した理由だった。

 

お局さまもいない会社で働き、そこで5年とか働いて、「これが会社員のすべてでそれを経験した私は転職しても無敵なのかもしれない」 みたいに思い、でも2社目でお局さまとかがいて、対処できないとショックを受けるじゃないですか。

 

1社目というのは、自分が想像して1番難易度が高い会社にしておこうと考えたので、入社してすぐに役員の認知症みたいな人に杖で頭を狙われてしまっている。

 

自分の想像を超える難易度だった気がするのですが、なんとかできてしまった。

 

それでもっと難しいとか知らない世界に挑戦しようと思い、まぐれ当たりかもしれない仕事を捨ててしまった感じ。

 

その仕事をシステム部の責任者の部長が、「三之橋君、君のやった仕事なんて誰でもできるくらい簡単なので俺が全部やるので心配しなくて良い」 となぜか自ら引き継いでしまった。

 

1年目から凄い苦情がきたらしい。

 

私が見たことではないのでその話は後で別の記事にでもする方が良いと思うのですが、会社員の怖さというのはそこかなあ~ と私三之橋は思うのです。

 

昔からある、自分が生まれる前からその会社があり、そこに自分が入社して、それまでの取引先の統括するような仕事とか、銀行廻りとかをやる。

 

その時に銀行であっても、取引先であっても、「今度の担当の三之橋という人はちょっと」 という風になる事があり、取引先が離れていくとかがある。

 

入社してすぐに短大を卒業したという可愛い女性が部下となった。

 

その場合でも、「あの三之橋と一緒に働くのはちょっと」 とかもあったりすると思う。

 

先輩が働いているようなチームに三之橋が入っていった時に、干されて終わるとかそういうのってあると思うので、会社員ゲームに参戦した時に1番知りたいのはそのやり方で通用するかどうか? というのが知りたい。

 

共生というシュチュエーションで、誰か人と一緒に長い時間を過ごすという時に、人が離れていくだけの人なのか、人がくっついてくるような人なのか、というのが知りたい感じなのです。

 

会社員1年生になった時に、同じ会社のお父さんくらい年の離れた人が、「三之橋君、仕事が終わったら一杯やろうぜ~ 奢るから」 と言われ誘われたら、たぶん会社を変わっても、そういう人生だと思うのです。

 

会社員となって、人生初の部下がメチャ可愛い子だった時に、一緒に仕事をして笑っていれば、たぶんその後もそういう人生だと思うのです。

 

中学生になると学校に来なくなる友達がいたりする。 高校生になった時にバッタリ会ったら、「久しぶり、俺の家に来る?」 と誘われた。

 

ある友達の家は、会うとよく引っ越していて、「ここが今の俺の家」 と言っていたので賃貸マンションとか、一戸建ての家だったりする。

 

友達のお母さんに挨拶してその子の部屋に行くと、凄い高そうなデスクトップPCがあり、「1,000,000円くらい」 と言っていて、コンピュータゲームソフトがたくさんある。

 

「それ使って良いよ~」 と言われ、その子にとっては宝物だと思うので、「良いよ」 と言ってゲームはしなかったりする。

 

引きこもり何年生かわからないのですが、家の中で人生の大半を過ごす人は高価なものが置いてあったりする。

 

大学生が車の運転免許を取得して、普通車の中古車をローンを組んで買い、自動車保険が高額になるとマズイという理由などで100万円いかないくらいの〇〇万円とかが多いのに、高校生の年齢でゲームするだけのPCが100万円という感じで驚いてしまった。

 

大人になった時に、勤めている会社の社長の家に呼ばれたりする。 自社ビルの上の階に自宅があったりするので、仕事中に呼ばれたりする。

 

和室の部屋に高そうな仕立てたスーツがしわにならないように壁にハンガーでかけてあり、布団が敷いてあって、すててこ姿の社長が布団に座っていて、「俺は仕事をするのが好きじゃないから」 と言ったりする。

 

高校生くらいの頃に引きこもりの子の家に行くと、「あの人は好きじゃないし」 とか言ったりするのと似ていて、大人になると社長が、「あの子は可愛いよな~」 とか似たような話をしていると、どこかホッとする感じ。

 

人間には法則があって、嫌いな人をわざわざ自宅に招きいれるとかはしないと思う。

 

会社員になった時に、上司が『俺の車で銀行に行ってきて』 と言われキーを渡されると、「〇〇部長という上司から見た視点で、自分はそこまで嫌われていないか」 みたいに思えるのでホッとする。

 

入社して上司の住んでいる高級分譲マンションとかに行ったりして、どこかホッとする。

 

ストーカーのようなものではないので、「あの人はこんな家に住んでいたのか」 というのはあまり興味がない感じ。

 

小学生になった頃に、幼稚園生時代から一緒の友達がいて、お金持ちにしか見えないのですが、意外とその子之お母さんは嫌いなタイプが家に来た時に、家の中には入れないとよく周りの子が言っていた。

 

そういうイメージから大人になった時に、『俺の新築で建て直した家に来いよ』 とか会社の先輩に誘われて行くとかするとホッとするような感じ。

 

後は、『俺のオヤジから小遣いもらったのでこの1,000万円を預かっていろ』 みたいな先輩もいたりする。

 

大人になって、結婚もしていて、子供もいるという人が、自分のお父さんから1,000万円も小遣いをもらっているのはどうかなあ~ と思ったりするわけで、それをわざわざ隠さないというのは、嫌われていないのかなあ~ と思う。

 

会社に入ると派閥みたいなものがある感じで、ある日、『〇〇支店の〇〇が家を買ったのでプラズマテレビでもみんなで贈ろうと思ったので、お前も出すだろ?』 とか言われ、「いくらですか?」 と私三之橋が訊くと、「とりあえず3万円」 とか言われるので財布を持ってきて支払った。

 

恐らくこれからの人生でその人の家とか絶対に1度も行かないだろうなあ~ と思うのに、新築祝いとかでお金の集金がある。

 

『今度は、〇〇支店の〇〇さんが高級輸入外車を新車で買ったお祝いを贈ろうと思う』 とか言われたりする。

 

ある日デスクで仕事をしていて、「なにしていたの?」 と先輩が訊くので、「〇〇さんが家を建てたので祝いを贈るとかで3万円支払ってきた」 と言うとその先輩は入社して以来1度もそういうのを支払った事がないと言っていた。

 

それで先輩に、「〇〇さんにお祝いの話をしたらお金とか支払った事がないと言っていましたよ」 と話をしたら、『お前さ~、嫌いな奴からプレゼントされて嬉しいか? 仲間からプレゼントされるから受け取るんだよ』 と言われた。

 

ある会社に転職したら自分より半年前に転職したという先輩がいて、『三之橋君、君は入社したばかりで知らないと思うのだけどね、この会社はお中元とか上司に贈るのは会社の規則で禁止になっているから気を付けた方が良いよ。 俺は○○さんとかにお歳暮を贈ったら、”会社で禁止なので” と言われ送り返されてしまったから』 と教えてくれた。

 

それでお中元とかお歳暮を贈らないでいたら、ある日先輩に、『俺は三之橋からお中元がこないのでショックを受けた』 と言うので、「入社した時に○○さんからお歳暮を贈ったら会社の規則で禁止だとxxさんが送り返して注意されたと言っていたので」 と言ったら、『それは嫌いな奴から何か自宅に送ってくれば全部送り返すのは当たり前の話だから』 と言われた。

 

それで会議をしているところにノートPCを持っていき、「この前ビールが良いと言われたので、これを自宅に送ろうと思うのでこれで良いですか」 と見せてからネットで注文していた。

 

上司のお中元は小学生とかの子供が受け取るので、発送人名は、「部下の〇〇」 と指定する。

 

宛先は、「〇〇株式会社〇〇支店長さま」 みたいにしておくと小学生の子供が「お父さんが偉い人なんだ」 と思って教育になるらしい。

 

学生だった人が、新社会人デビューして会社員1年生になった時に、会社は複雑な人間関係で馴染めず・・・ と辞めていくとかあったりする。

 

誰かがマイホームでも買うと、『あなた会社の人から豪華なプラズマテレビが届いたみたい』 と奥さんがご主人に行って、そのご主人が、「俺はそんな祝いは要らないって言ったのにアイツらが買ってしまったみたいで困るよな~」 と言ったりする感じ。

 

平等性とか、虐めとか差別という部分を考慮した場合、社内で全員平等に割り勘にすべきかなあ~ と思ったりするのに、一部の社員からの贈り物みたいになっている。

 

その派閥のようなものは、そもそも入会申し込み用紙などは存在していない。

 

家を買った奥さんが、『主人の会社の人たちから豪華なプラズマテレビをお祝いにいただいて』 と誰かに言えると、たぶんそのご主人と結婚して良かったとホッとするのかなあ~ と思う。

 

たぶん自分と同じ種類かどうか? みたいな感覚で人がグループになるような感じでしょうか。

 

どちらかといえば小学生のガキが、「アイツは嫌いだよね~」 みたいに偏りができてしまうのと似たような世界。

 

小学生の頃からテストの成績がよくて、学校では特に虐められなかった人が一流大学などに行き、卒業して会社員になるとそこで人生初めての虐めに遭うとかがある。

 

例えば、三之橋という大学に友達と同じ車に乗って通い、週末には彼女とかガールフレンドとドライブに行っていたとします。 「アイツは面白い奴」 とかだったとします。

 

でも、社会人、会社員となった時に、それまでの面白い奴というだけでは評価されなくなる。

 

学生時代に付き合っている彼女がいて、特に問題なく上手くやれていると思っていたのに、社会人になって結婚でもした時に、その奥さんのお父さんとかお母さんとか妹までもが、『何であんな人と結婚したのだろうか』 と思ってしまったりするとかある。

 

大学生だった人が卒業して、新社会人デビューし会社員となった時に、それまでの自分の実績みたいなものがあてにならないような潮目が変わる感じがあると思うのです。

 

それまで学校のテストで100点とか高得点を取っていた人でも、その実績というのは一緒に働く同じ会社の同じ課の同僚とか先輩にとってはどうでも良い事だったりする。

 

それまでその人が、学校の中では人気者だったりした実績とかも、同じ会社で働く人から見れば、過去の話という風になる。

 

かつては「飯能のビバリーヒルズ」ともほめそやされた、美杉台ニュータウン。自分が育った住宅団地を恐怖のドン底に突き落とした斎藤容疑者の事件飯能3人殺害事件というのがあります。

 

近くに住む60代の女性はこう語る。

 

「私の娘が1学年下なのでよく覚えていますよ。このニュータウンは平成元年(1989年)に一斉に建ち始めたので、その頃に引っ越しされてきているはずです。昔はご両親と、2歳年上のお姉さんと住んでました。
小中学生のころはサッカーが得意で、長髪で、学校でもモテる方だったみたいです。最後にお見かけしたのは半年前くらいですかね。頭髪や容姿に昔の面影は感じられなかった。そのときは、何年も前から放置されていた庭の手入れを、業者に頼んでいたみたいです。」

 

2022年12月に起きた孤独な人が起こした殺人事件では、逮捕された犯人とされている人は、子供時代は凄くモテまくり、近所に住む娘さんのいる家庭のお母さんの証言では、「うちの娘もカッコいいと好きだったような人でした」 とテレビニュースとかの取材でそう証言されていました。

 

そのような感じで、学生時代に凄いという風に周りの人が見えていた人でも、社会人となった後に転落していくような人がいて、特に珍しいという感じもなかったりすると思うのです。

 

2023年5月25日の長野県中野市の立てこもり事件でもそうだと思いますが、子供時代とかに問題なかった感じの人が社会人になった時に躓くという事は、そう珍しいものではない。

 

イメージのようなもので言えば、下記のようになります。

 

私三之橋のファンレターに、小学生の頃に、『私は学校が楽しくて仕方ありません~。 ひょうきんな三之橋君が授業中にみんなを笑わせてくれて楽しくて仕方ありません。 この前はテレビを観ていたら三之橋君が出ていてインタビューに将来は音楽家になりたいと言っていたのを見て驚きました。 運動会でスタートランナーで走っていたかと思えば野球でホームランを打っていたりしていつ休んでいるのかわかりませんが、体を壊すと私も楽しくないので頑張ってくださいね。 草場の陰から応援しています』 と書いてあった。

 

何か家の事情で家庭内では面白くないような人で、「人に頑張れとか言う前に自分が頑張れよ」 と返事出しておきました。

 

中学生とかの時代に、『私は三之橋が彼氏なら付き合っても良いよ』 なんて感じで告白されたとします。

 

でも、大人になって会社員1年生になった時にそういうのがもしも無くなっていればショックを受けそうな気がするじゃないですか。

 

一説によると、子役で成功した人は大人になった時に上手くいかなくり、精神を病んでしまうといわれていたりする。

 

若い女性でも23歳とかでメチャ可愛いOL姉さんという人だったのに、その時が人生のピークで堕ちていくかのような人生になり、軽く見積もっても、”うつ病” とかになるといわれていたりする。

 

理屈で言えば、人生というのは若い頃にピークがあり、そこから堕ちていくみたいな感じになると本人にとってはそれがしんどいと感じる人生になる。

 

たぶん、小学生くらいの頃にモテるとかあった人だと、大人になり会社員とかになった時にその変わった潮目に対して上手く追従していく事ができないと、修正できない自分の人生が20年とか経つと、それに耐えられなくなって、1度ぶっ壊そうみたいになって誰かを殺害してしまうような事件でもやらかすのかもしれないと思うのです。

 

そういうイメージから、「自分の人生がどこがピークみたいなものでなくて、フラットにしておけば精神を病む事とかないような気がする」 と思ったりするのです。

 

人が躓くターニングポイントみたいなものとしては、学生を卒業した新社会人デビューし、会社員1年生とかが1番多いと思うのです。

 

よく変な人がいた時に、「あの人は会社とかできちんと働い事がないので、何もわからない人なの」 とか言われている人がいたりするじゃないですか。

 

大学生時代によく起業をすればお金持ちになれてその後の人生が楽勝になるように言う人がいらっしゃるのですが、膾炙員になる時期にわざわざどこかの会社に入社して働くというその経験が重要なのを理解できていないからそういう言ったりするのだと思うのです。

 

例えば、YOUTUBEでもそれをやってお金になり、「もうアルバイトするとかバカらしく感じるので1度もアルバイトした事がない」 と言う人がいたりするじゃないですか。

 

たしかに、お金の為だけに働くのであればそういうのも一理あるのかもしれない。

 

でも、お金以外の部分も重要だったりすると思うのです。

 

自分的には、学生時代に人当たりとか良かったと感じていた人がいて、いざ会社員になって大勢の人が働く職場で働いてみた時に、お父さんのような年配の人にはまったく通用しない人当たりなのかもしれない。

 

あるいは、OL姉さんがたくさん働いていて、その職場に内勤職で勤めたら疎まれる結果なのかもしれない。

 

自分では人間関係の構築が得意だと感じていた人が、取引先とかに、「担当を代えてほしい」 と言われるのかもしれないし、上司に疎まれるのかもしれない。

 

自分では自信があったのに、新しく入社した女性が部下となった時に、「三之橋さんはちょっと、もう会社辞めます」 と言われるのかもしれない。

 

自分が起業した会社で働くのも、自分のお父さんの会社で働くのも、そこにはお局さまとかいないと思うのです。

 

自分が何の血縁関係もない会社に就職して、OL姉さんに、『三之橋さんのお父さんは仕事何しているの?』 と訊かれたりすれば、「生活保護受給者で貧乏です」 と言ったり、「僕にはお父さんがいなくて母が1人でパートに出て育ててくれました」 と言ったりして、それでも良いので彼氏になってと言われたりするから意味があると思うのです。

 

例えば、お父さんがたまたま会社を経営していて、それがお金持ちだったりして、たまたまそこに生まれた運の良さみたいなもので何も努力しなくてもオートマティックに社長になれたりして、全員がイエスマンとかだとつまらない人生かなあ~ と思ったりするのです。

 

もしも男性がいて、『あなたのお父さんの会社とかお金に興味があるので彼女になってあげても良いわよ』 とか言われるとたぶんショックだと思うのです。

 

お父さんの会社があるという人が、大学を卒業してそこで働くとその会社の世界の事しか見ないとかあると思う。

 

起業した人が自分の会社で自分の好みの女性を秘書とかにして働くと、楽だったりすると思う反面つまらなそうな気がする。

 

よくワイドショーとかにも、お父さんの会社の中の世界だけで生きているような人がやらかした事件とかが紹介されたりするじゃないですか。

 

『あの人は世の中の仕組みの事を何も理解できていなくて、こんな日常でした』 みたいに社員が暴露して全国ネットでテレビで紹介されて、「どれだけ空気が読めない人なんだろう」 とコメンテーターの人がバカ呼ばわりしている。

 

大学生とかになった人は、卒業した後の進路では、赤の他人の会社とかに入社して会社員ゲームという、最も危険な遊戯に参加するのが1番お勧めになると思うのです。

 

そこでもしも上手くいけば、自分の使う方程式のようなものが合っているという事になるので、1番躓く人が多い世界だと思うので、その後の人生はその方程式で乗り越えられるのではないかなあ~ と思う。

 

会社って変わった世界観だったりするので、その会社に入社した事で自殺したり、精神病んだりしている人がいたりする世界だったりする。

 

『どのくらい攻めるの?』

 

という部分では、自分が内定とかをいくつかもらった候補の中からもっとも難易度が高そうな会社に入社すれば良いのかと思う。

 

人間は、攻めている時には負荷がかかっても精神を病んだりしないのに対して、逃げる時には精神を病むとかあると思うので、攻めておく方が失敗とかしなかったりする。

 

ダツラクしていく人を見て、自分がダツラクしない時に、学んだ感じでしょうか。

 

潮目が変わる時に、攻めるという時に、認知機能が必要になると思うので、それがダメだとさすがに読めないという結果となると考えられるので、20歳とかでそうなると残り50年ずっとそんな感じが続くとしんどいのだと思う。

 

でも、そこで上手くいけば、ほかのターニングポイントはもっと難易度は低いと思うので困ることはないと思う。

 

子供時代の学生時代というのはいつかは終わりが来て、社会人として大人として会社員とかになっていく。

 

そこで躓く人というのは多いと感じるのですが、最初に攻略するのは可能だと考えている人とそうでない人で運命が分かれて行くだけではないかなあ~ と思うのです。

 

その人の習慣からくるような、モノの捉え方みたいなもので結果が変わるだけの話かなあ~ と思うのです。

 

例えば、私三之橋の場合だと小学生時代のチビッ子の時には塾に通っていた。

 

塾長のおじいさんが、『おい三之橋、お前は畳のヘリを踏んでバカなのか、そんな事も知らないのか』 と叱られたりしたことでヘリを踏まなくなっただけだと思うのです。

 

作法のようなもの、礼儀のようなものに異常に厳しい夫婦という感じでした。

 

食事とかでもうるさい感じでした。

 

お寺の修行でもそうですが、畳のヘリを踏むと叱られる人を見たりする。

 

そういう経験をしていると大人になった時に言われないようにたぶん無意識で行動していると思うので、ぱっと見育ちの良い人に見えてしまうのだと思うのです。

 

お父さんや、お母さんや、兄弟や、親戚のおばさん、祖父や祖母、どこかのお金持ちの家とかで食事をした時とか、そういうシュチュエーションで指摘された事もない事。

 

でも、塾長のおじいさんは目が良く見えるみたいで、『お前は足元を見ているようなつもりで実際は見えていないので気を付けろ』 みたいに言われて、その言われた事を覚えていたりする。

 

大人になった時に、とある病院の待合室の椅子で身なりの良いおじいさんに声をかけられた。

 

『過去に1度立てないような大きな事故に遭われた事がありませんか?』 と言われた。

 

最初は頭のおかしな人かなあ~ と思ったのですが、そのおじいさんはずっと医者をしていてその日はたまたま付き添いで来ているとかで、1度歩けないような大けがをした人が歩けるようになった時にやるような感じで、あなたは椅子から立ち上がる時であったり座る時に右足を庇っているように見えたという話でした。

 

何かそういう歩けなくなった人を歩けるようなリハビリのような仕事した人だけが気づくような癖のようなものと同じパターンでやっているような話でした。

 

そういう仕事をした人だけ気づくような癖があなたにある・・・

 

まあ、病院にいる時にはあまり知らない人に話しかけられたくない気分だったりするので、どこかの病院で昔会った事があるのかなあ~ くらいに思った。

 

何かそういう普段自分では気づいていない癖みたいなものを全然知らないような人から指摘されると意外と覚えていたりする感じ。

 

たぶん、誰にでも自分で気づいていない変な癖みたいなものってあると思うのです。

 

例えば、どこかの上場企業で内勤職の管理職をしている人でも、血縁者でもない人達が集まり、一緒に長い時間を同じ空間で過ごしているとした時に、その要件というのはシンプルに、共生していて疎まれるような癖とかがないというだけだと思うのです。

 

その習慣というのは、たぶん小学生1年生の時とかに友達の家に呼ばれて行き、とんでもないようなお金持ちの家だったりして、その友達のお母さんに何か訊かれたりするという感じでケーキとかごちそうになったりしていた経験かなあ~ と思うのです。

 

幼稚園生の頃とかでも、幼稚園が一緒の男友達の子の住む団地とかに行くと、お母さんと挨拶したり、お母さんと話すとがあると思うのです。

 

例えば、私三之橋の幼稚園生時代に一緒だった友達は、男の子3人兄弟で、全員が喘息という病気でした。

 

幼稚園に行った時にその友達が休んでいて、その日幼稚園が終わって帰ると、その子の住む団地に行って、「今日は〇〇君が休んでいたので様子を見に来ました」 とお母さんに言う。

 

お母さんはパートの仕事を休んで、家に居たりするので、お母さんと話すとかがある。

 

「明日は遠足なので休まないで行こうよ」 とか言ったりする。

 

『子供の仕事は友達と一緒に遊ぶ事』

 

と言ったりするじゃないですか。

 

メチャ貧乏そうな家に住んでいる友達もいれば、普通の友達もいれば、お金持ちの友達もいて、それらの家に遊びに行き、何かを学んでいく。

 

チビッ子の場合は、お母さんがわが子と遊んで欲しくない友達とかがいれば家に呼ばないとかあると思うので、呼ばれてお母さんがケーキとかごちそうしてくれるとかで疎まれていないとかわかるじゃないですか。

 

後はアメリカとかでは、最初に境界線を越えると撃たれるとかを教わるじゃないですか。

 

誰かの一戸建ての家があり、私有地に1歩入ってしまえば、いきなり撃たれるとかある。

 

家の敷地内に夜とか誰かが入ったりすれば、強盗とみなして発砲するとかがあり、チビッ子がうっかり家の敷地内に入って撃たれて死んでしまっても、撃った方は何も悪くない防衛権を行使しただけとなる。

 

アメリカだと、一戸建ての家とかにアポなしで訪問してインターフォンを押したら、911の緊急通報でPC派遣要請でパトカーがやってきて、『この家の住人から来て欲しくない人が家に来たと通報がありまして、会う事は希望していないので立ち去るように』 みたいに警告されるとかある。

 

日本人の感覚だと義務教育でもそういうのは教えていないと思うのですが、アメリカだと家はその人の聖地のような特別な存在だったりするので厳しく境界線とかを教えてくれる感じがある。

 

たぶん、アメリカで教育を受けた事があるような人は、大人になった時に知らない人に行った時に一瞬で防犯カメラとかをチェックして、「立ち位置はここかなあ」 と考えたりしてインターフォンを押すとかやるのだと思う。

 

私三之橋が大学を卒業して新社会人デビューした会社で、会社員となった時に、お中元とかをお届けするという仕事がありました。

 

企業ではデパートとかで買ってきた、というか百貨店で外商の人に注文して会社に届いた商品があり、わざわざそれに特注の熨斗紙とかで包装して、その会社の社員が自宅に社有車で訪問してお届けする感じなので、たぶん新入社員の仕事ができるのか? という実践テストで、”訪問するスキル” みたいなものを試しているのだと思うのです。

 

私三之橋の場合は銀行の○○支店支店長の自宅とか、そういうリストにズラ~っと個人情報が書いてあったので指定された荷物をその自宅にお届けしていました。

 

銀行頭取の自宅の場合、高台とかに住んでいるのでデカい車で行くと離合するのも大変なところだったりするのですが、「防犯カメラはあそことあそこと、そうすると立ち位置はこの辺か」 という感じでやってインターフォンを押して、「お中元をお届けに来ましたので受け取りだけお願いします」 と伝えた。

 

受け取りだけしてもらって次に行きたいと思ったりするのですが、しばらくしてお手伝いさんみたいな人が出て来られ、渡そうとしたら、『奥様がお会いになられるとの事でこちらにどうぞ』 と案内されてしまった。

 

『土いじりをしていましたのでこんな格好でごめんなさいね』 と頭取の奥さんが挨拶され、1時間とか園芸の話をされて最後に、「もうそろそろ帰らないといけませんので」 と中断したら、手塩にかけているような高そうな鉢植えをお土産にいただいてしまった。

 

「うわっ、こんなのをどうやってもって帰ろうか、花屋さんでバイトしておけば良かったなあ」 と思いながらその日は会社に直帰した。

 

その鉢植えを持ってデスクのある所に行き、上司が、「何を持っているのか」 みたいな目で驚かれたので、「〇〇〇〇銀行頭取の自宅にお中元をお届けして、受取だけお願いしますとお手伝いさんに言ったら園芸をされていた奥さんのところに案内され話をした結果、お土産にこれを持って帰るようにと言われましたので会長に渡していただければ」 と私三之橋は言って渡しました。

 

『えっ、お前家に上がったの~』 みたいな感じで上司は笑っていました。

 

たぶん、銀行頭取の自宅とかってお手伝いさんが優秀なのだと思うのです。

 

その人が呼んでもいないのに自宅までわざわざ来やがって~ みたいな人をパッと見た時に、『これは奥様が会った方が良い気がする』 みたいに仕分けをされ、案内されたのだと思うのです。

 

例えば今大学生の人がいて、『へっへっへっ~、俺様はあの凄い大学に一発で合格して優秀な勝ち組な人間なので将来は安泰だ~』 みたいに考えている人もいると思うのですが、テストで100点を取れる人であっても、訪問するスキルとかがないとテストで判断されれば、一生大変だと思ったりするのです。

 

たぶん、ある日いきなりの実践テストみたいなもので、判断しているだけだと思うので、誰もそのやり方を教えてはくれないので、そこで落ちてしまえばもうその会社では一生チャンスないのかもしれません。

 

例えば、上司の〇〇部長という人がいて、その人が運転する会社の黒塗りのデカい車に乗って同行し、『次は〇〇〇〇銀行の頭取の自宅にお中元を持っていきます』 と言いながら部長が運転し、『このような面して道路の幅員が狭いとここに路上駐車して』 とか解説してくれて、『防犯カメラがあそこにあって、あそこにもあるので立ち位置はここが良いと思う』 みたいに解説してくれて、やり取りを横で見ていてと言われれば、それは楽じゃないですか。

 

でも、現実はそうではない。

 

事前にそういう話をして事前準備でもされると意味はないので、社会人という事はもうそのくらいできないといけないかなあ~ みたいにやらされる。

 

たぶん、銀行の頭取の奥さんとかがその辺は実践テストされている可哀想な三之橋さんという人に、何か大切に育てている高そうな鉢植えをプレゼントしてくれて、『私は三之橋さんをフォローします~』 みたいにしてくれたのだと思うのです。

 

その高そうな鉢植えが会長の自宅に届いてお手伝いさんとかが、『三之橋という新入社員が〇〇〇〇銀行の頭取の自宅にお中元をお届けに行ったらお礼にとこちらをもらってきました』 とか報告される。

 

そうするとたぶん、会長とかが、『三之橋は使える人間だ~』 みたいに思ってくれたりして仕事が回ってくる。

 

そんな感じかなあ~ と思うのですが、私三之橋の場合は実践テストだとかそういうのはたぶん意識していない。

 

自宅なので、呼んでもいない人がアポなしでやってきて、でも世の中にはそういう人はいたりするので、サッと済ませてサッと帰ろうという風にしか考えていない。

 

自分が逆の立場だとこれは嫌かなあ~ というやり方はしない感じ。

 

頭取の自宅の門が開いていたので何も考えない人だと車で敷地の中に入るとかやりそうな気がする。

 

でも、友達でもない人がいきなり敷地に入るのは、アメリカだと怖さを感じる奴が来たとなる。

 

敷地の境界線の外にデカい車を路上に駐車して、デカいダンプカーでもきたら離合できないとか起きるかなあ~ と思うので動かせるようにエンジンをかけたままにしていた。

 

なぜか? と訊かれれば習慣でしょうか。

 

ことわざのようなものに、「自分の事しか考えていないように見える人は、人生詰んでいると自分から教えてくれている」 というものがあります。

 

会社の仕事で、「おい三之橋、今日からお中元を配ってこい」 と言われた時に、それはただお届けすれば終わる簡単な仕事だ~ と考える人もいれば、お届けする際に何か余計なことを考えてしまう人もいる。

 

普通は習慣からきている行動、手続き記憶のようなものだと考えるのが妥当かなあ~ と思うので、「この人は簡単に敷地に入らないで、広い幅員でもないのにデカい車の車幅を計算しているかなあ」 みたいに見えたりして、「会った方が良い人だと思う」 とお手伝いさんが奥様に助言されたのかと思う。

 

奥さんが趣味の園芸の話をされた時に、その話題でしか話していない。

 

例えば、銀行の頭取の奥さんだと、「弊社の融資をよろしく」 とか何か仕事の話でもしそうじゃないですか。

 

でも、私三之橋の場合は、お金の話とか一切していない。

 

何かお中元という商品をお届けするという事を頼まれただけなので、お届けすればそれで良いと思う。

 

何かを見返りにその商品を買ってきて、プレゼントするという場合に、百貨店に配達してもらえば済む話じゃないですか。

 

でも、そういうやり方は社交辞令という感じになるので、それでわざわざ黒塗りの買ったばかりのピッカピッカな新車でお届けしているのだと思う。

 

特に見返りとかそういうのを期待していないので、最後にプレゼントを渡されただけなのだと思う。

 

どこかに訪問できるというスキルがないといけないと思うのですが、逆に、”お客様を迎えるスキル” みたいなものもあるのでそれも実践テストがある。

 

どこかの会社が営業とかに来てくれると自分が出向かないで済むので効率的じゃないですか。

 

でも、人間の法則として、「あの会社の担当者とはちょっと」 みたいな理由で、普通は疎まれるとお客様が来ないという感じになるじゃないですか。

 

でも、お客さんがやってきて、楽しいそうに笑っているのを見てしまうと、「アイツはお客さんを迎えるスキルもあるようだ」 という評価になったりする。

 

お客さんが多い会社はたぶん倒産などもしないと思う。

 

あとは、何かわからない事があったりした時に誰かに訊くという事になるので、”援軍を呼ぶスキル” とかもあるのでそれも実践テストはあると思う。

 

例えばある日上司が、『こういうことをやりたいんだけど』 みたいに言うので、「それはどういう風にやれば?」 と私三之橋が訊くと、『知らん』 と上司が言うので、「わかりました、調べてみます」 と私三之橋は言う。

 

どこかに電話していると誰かがやってくることになり、ある日接客しているのを上司が見ればホッとするのだと思う。

 

例えば、世界的に見ても凄い企業に勤めている後輩に電話して、「上司にこういうことをやりたいと言われたので調べてみて」 と言っておくと、その後輩が調べてくれて誰かと会う段取りをつけてくれて会社に来てもらうようにしてくれるとかあるじゃないですか。

 

「グーグル先生に訊いてみる」 とかそういうやり方だと時間がかかるので、人を介してサッと手配して誰かに会えば、1歩進めるとかが早い。

 

「〇〇〇に勤めている後輩に相談したら手配してくれました」 みたいに会社に来てもらって会っているのを上司が見れば、『あいつに任せておけば安心か』 みたいに思ってもらえたりする。

 

「グーグル先生に訊いてみました」 と言えば、『アイツには人的インフラがないのかなあ』 と不安になるのかもしれない。

 

会社というのは、人を雇うというシュチュエーションで、①訪問するスキル、②お客さんを迎えるスキル、③援軍を呼ぶスキル、など全部いくつあるのかもよくわからない感じでスキルのある人を雇った方が仕事が楽になる。

 

例えば、コンピュータのスキルでも、その人を採用する時に、『あなたは〇〇〇〇〇に関して知識はどうですか?』 と訊かれた時に、「前社ではそれはやった事がないのですが、必要であれば援軍は呼べると思います」 とか面接で言ったりすることができれば済むじゃないですか。

 

必ずしも知識を持っていないといけないわけでなくて、必要なものはすべて調達します~ と言う回答方法もある感じ。

 

専門知識というのは、特定の分野でスペシャリストと呼ばれるレベルの知識を有していたとしても、入社した会社では特に必要がない知識で、「欲しいのは調達できるくらいのスキルがある方が良い」 という事の方が重宝される。

 

①訪問するスキル、②お客さんを迎えるスキル、③援軍を呼ぶスキルの3点くらいあれば、それまでまったく経験のない業界に転職しても特に困るという事はないと考えられるので、「どこに転職しても使える技術」 みたいな感じ。

 

私三之橋の個人的な考えとして、大学を卒業して会社員になった時に、①訪問するスキル、②お客さんを迎えるスキル、③援軍を呼ぶスキル、④一緒に長い時間を過ごしても疎まれないスキル、みたいなものを持っているかどうかで会社員ゲームをやれるかどうか、みたいなものが決まるのだと思うのです。

 

月極駐車場というのは、たぶん小学生の子供にお父さんが教える場合、「契約をしてそこにお金を毎月支払っているような人が敷地の中に入る場所です」 と教えるかなあ~ と思うのです。

 

 

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洗車したらブログに書くの意味

2023-10-29 12:47:00 | 洗車&コーティング

大学生が洗車でもしたら、それはスマホで撮影してブログ記事にでも書いておくと将来役立つ。 という意味がよくわからないという人がいました。

 

まず、私三之橋の場合は18歳の大学生1年生になった時に、もう周りの人が免許も持っていて、普通車サイズの中古車などを実家でお父さん名義でローンで買ったりして、それを大学に持ち込んでいる人がほとんどでした。

 

車の免許を取って、車の運転をした最初にしんどさを感じたのは、洗車でした。

 

テレビドラマとかで主人公の人が運転して乗っているシーンが出てきて、いつも綺麗だったりするのを見ていた。

 

でも、自分が乗るようになると、「昨日も雨に遭ってしまって汚れているなあ」 と洗車しないといけなくなるじゃないですか。

 

いつも1人ボッチという人なら洗車しなくても良いのかもしれない。

 

でも、私三之橋の場合は、いつも一緒の子に誘われてしまいバディシステムを組む事になってしまった。

 

今日私三之橋の車で友達を迎えに行き、そこで乗せると帰りも私三之橋の車で送って行く。

 

翌日には友達の家に行き、そこで車を置いて、友達の車を友達が運転して私三之橋を乗せて大学に行き、その車で帰って来る。

 

友達の車と、私三之橋の車を交互に出して、それぞれ自分の車を運転する。

 

それはまあ保険の問題とかもあるし、「俺の車を友達に運転させている」 という話を聞くと友達のお父さんやお母さんでも事故に遭うと巻き込まれるのでそれぞれの車を自分で運転するとしていた。

 

後は運転免許取得1年生という素人なので、いつも同じような道を走り、それを同じ素人の1年生の友達がおかしな運転をしていると気づけば教えてあげる事ができる。

 

昨日自分が運転して走って、今日は助手席でその同じ道を運転する友達の運転を真横で見てしまうと、「あっ、俺とはここがちょっと違う」 みたいに自分で気づける事にもなる。

 

そんな感じで、集合場所は、友達のお父さんの経営する会社の敷地の中の奥で合流し、そこに私三之橋の車を駐車して友達の車に乗せてもらい1日保管してもらうとかする感じ。

 

バディシステムを組むと、相棒が素人すぎると何も気づかないとかあるので、友達も私三之橋もバイクとかに乗っていた事でさすがにそこまで気づけないという事はない。

 

という相棒も素人ではあるけれど標識とか見てすでにバイクとかで走っていたという点でそろえてあった。

 

バランスが悪いとダメじゃないですか。

 

片方が運転はぐんぐん上達し、でも下手くそな方がそのままとなるのかもしれない。

 

でも、さすがに友達のお父さんの会社とかに車を乗り入れると、汚れまくりの車で行くと、そこで働く社員の人も、「何だあの汚い車は、社長のバカ息子の車とその友達の車らしいよ」 と思うじゃないですか。

 

私も詳しく聞いた事がないのですが、当時は友達のお母さんが心配するからと思った。

 

息子から友達と1日おきに交代してそれぞれの車で行くとか聞くとずっと1日どこかで車を駐車する相乗りとなり、それはよくスーパーとかのお客様駐車場に1日中駐車したままにしたりして、お店の人の迷惑になる。

 

後はそこに放置していると車に傷が付くとかあるので、「だったらうちの会社の敷地に置けば?」 となったのではないか

 

そういう風に自分の管理下に置いてしまえば、お母さんとかは心配事が減る。

 

「息子はきちんと大学に行ったかなあ」 とか、そういうのはイチイチ訊かなくても会社に何かの用事で行った時に社員の1人にあらかじめ言っておけば、「最近はどうかしら?」 と訊けば答えてくれる。

 

大学生になったら、責任の連鎖とかも理解できていないといけない。

 

例えば、中学生が原チャリを盗んで、友達と2人乗りして事故を起こして被害者が死亡してしまった。

 

そのような場合、運転していた子がすべての責任を負うという事になり、未成年に限っては損害費用等は保護者に請求して良いという事になっているので、運転していた子の父親が、「責任を取らせていただきます」 と首を吊って死んでしまい、保険金で弁償したりしたとかよく新聞に書いてあったりするじゃないですか。

 

さすがに大学生18歳の1年生とかになって、車の運転免許を取得し、運転をし出した時には、もうその車が事故が起こせば所有者のお父さんとかに責任が連鎖するという、そのくらいは理解できていない年齢とされていた。

 

今では18歳は成人となりましたが、昔は大学生1年生18歳は未成年でした。

 

例えば、大学生1年生になった時に、そこで仲良くなった友達のA君がお父さんに高級車とかスポーツカーの新車をポンと買ってもらったとします。

 

『俺は友達なので貸してもらいそれにタダで乗れば、わざわざローンを組んで中古車を買って支払いに苦労せずに済む』

 

そんな風に考える人はいたりします。

 

お兄さんの車を貸してもらえば、とか、お父さんの車を貸してもらえばとか。

 

でも、A君は自分の車のキーを友達に渡して、「乗って良いよ」 と言った時点でその友達のB君がやらかした事の責任を無限代理行為で追認するという意味になり、連帯責任を負う事になる。

 

仮にA君が、自分のお父さんに、「大学で知り合ったB君が車も持っていないので時々貸して運転させてやっている」 と言えば、『お前18歳にもなってバカなのか~。 そのB君が事故を起こせば俺が全部責任追うようなものなんだぞ~』 と怒ったり、あきれたりする。

 

目に見えないような、責任がどうなるとかのお話になるので、理解できない人には理解できない話でもある。

 

大学生1年生の18歳とかになると、同じ大学のC君が見た時に、『俺は、AもBも何もわからない人に見えるので関わらないようにしている』 みたいに周りが離れていくか、距離を取ろうとする。

 

あと、自動車学校を卒業したら、全員平等に横並びで、素人としてスタートする。

 

その時に、『もしも誰かの車に擦ったりするとお父さんに怒られそうなので、広い道を選んで走っている』 みたいな意味のない事を繰り返す人とかいるじゃないですか。

 

恥ずかしいとか、そういう思いをしたくないとか。

 

でも、車の運転をするようになったら1日目とかにはもう家の近所の狭い住宅街の狭い路地を走るとかして、自分がどう失敗するのか? を確認しようとする人がいる。

 

住宅街の車1台しか通れないような路地に左折し、また左折し、また左折し、また左折すると元の戻れるような感じ。

 

もしも、アルミホイールでもガリっとやれば、その失敗で、『俺はイケると思ったのに、たしかにあそこではこういう感覚だった』 とか振り返って、失敗した感覚がどうだったとかがわかる。

 

擦ったりするのは、俯瞰視ができていないという事なので、見え方にズレがどうあったとわかるだけで軽く数百万円とか得できると考える。

 

もしも、自分の見え方にズレが発生していれば、それは22歳の社会人1年生になるまでに直しておかないとずっとズレていると取り戻せないくらいの結果となるじゃないかと考える。

 

自分が、『攻めているね~』 みたいな道を走ると、どうしても手洗い洗車して拭き上げる時に擦っていないか? みたいに目視チェックする事になるので、素人程洗車する頻度が高くなるのです。

 

友達のお父さんやお母さんが、会社に三之橋の車を置いても良いよ~ と言ったりするのは、何か評価されているからだと思うのです。

 

大学入学式の日に、国産某高級セダンの新車に乗って来ている子がいて、お父さんの車かなあ~ と訊いてしまった。

 

「俺はさ~、4年後に大学を卒業してどこかの企業で営業車にでも乗りつもりなんだ。 その時に困らないように今こういう風に自分でアルバイトして買った車を運転しているだけで、そんな事もわからないで生きているのか?」 と言われた。

 

結構言い方としてキツかった感じですが、翌日からはもう免許持っていて、車も持っていたりするの? とクラスの子にヒアリング調査していった。

 

そういうのをたぶん友達が見ていて、「俺と一緒に自動車学校に行かないか」 と誘われた。

 

自動車学校では鬼教官を指名し、怒られまくりだったのも見ている。

 

卒業後に車で大学に行き、講義に出ずにカフェで大学ノートに、「今日現場に出てみて自分が運転しながらそこにある法則性をみつけた。 こんな残念な運転をしているおじさんやおばさんがいたと書いておけば、さすがに自分でそんな運転ができなくなるので、ぱっと見他人が見て、”アイツは運転下手くそだなあ~” と感じる忌み嫌いものをしなくなり、運転は上手く見えるようになるはず。 運転中はメモが書けないので忘れないうちに書いておくので、プライオリティの問題で講義より価値が高いので今日も大学まで車で来たけれど講義に出られなかった」 と友達に説明した。

 

その結果、「俺と一緒に大学まで車で一緒に行かないか」 と誘われたのだと思う。

 

私三之橋の大学生時代の研究テーマは、大学の入学式で出会った高級車に乗ってきている子に訊いてみたら、それがその後の人生を左右するファクターという事を言っていて、運転の技術で会社員生活が楽しいものになるかどうか分かれると言っていたので、伸びしろの上限まで最短で到達する必要がある・・・」 というモノだったりする。

 

MT車に乗ってそれを変幻自在に運転するという三之橋の車の助手席で、その友達が見て、「たしかに運転は上手いなあ」 と思ったりする。

 

友達は、MT車が苦手でAT車に乗っていた。

 

中型のバイクに乗り、MTで足でシフトチェンジして、左手でクラッチを操作するという事ができるのに、車の場合は左足でクラッチペダルを踏み、右足でアクセルペダルとブレーキペダルを操作するので、なぜかそれが苦手でという人が意外と存在している。

 

でも、私三之橋の場合は、それができている。

 

「会社員になった時に、良く知らないOL姉さんの先輩と会話ができないと自分が辛くなりそうな気がするので、ワンデー彼氏に応募してきた」 みたいに私三之橋は言ったりする。

 

車の運転で周りの車であったり人を良く見て運転できないと事故に遭うとかあるので、俗にそれは、”俯瞰(ふかん)視ができるかどうか” というものだったりする。

 

「私彼氏がいないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になって、ドライブに連れて行ってくれる人を募集しています~」 というのをほんとに応募していた。

 

全然何の人間関係もない女子高校生とかとドライブに行く話になり、いざドライブに行ったら車内という狭い空間で会話が噛み合わないと、「ちょっと用事を思い出したので」 と言ってそこで中断となると考えられる。

 

同じ大学に通う女子大生がいた場合、一緒にドライブに行く事になった時に、「三之橋はつまらなすぎ、でもここで中断するとその後大学で顔を合わせるのが決まづくなると思うので今日は最後まで我慢しよう」 とか考えると思う。

 

まったく何の人間関係もないと朝10時とかに待ち合わせして、ドライブして、お昼にランチを一緒に食べたりする。

 

その場合、三之橋のおごりだったりするわけですが、一緒に食事した時に、「この三之橋という人はご飯の食べ方が汚いなあ」 とか、「この三之橋という人は一緒にご飯食べた時に会話がちょっと重たい」 とか感じれば、「お昼からは用事があるので」 と言いそうじゃないですか。

 

でも、1日ずっといて夕食も一緒に食べたりすると、何かそれは合格かなあ~ となるゲーム。

 

「僕は大学生だけど、〇〇さんは仕事何しているの?」 みたいな自己PRとか会話が始まるじゃないですか。

 

ことわざのようなものに、「人生は自己PRの連続」 といわれていたりするので、場数を多く体験しておけば、少なくとも会社員となった最初のOL姉さんとの会話の自己PRとかのやり取りの掴みがハズす事はないかなあ~ と考える。

 

心霊動画とかを観た時に、結婚式の予約までしていたカップルが別れたという人が出てくるシーンがあり、彼女が元彼の事を「あの人こんな癖があって」 とか、「彼は元々オカルトとかに興味持っていて付き合っている時からそれはちょっとと感じていた」 とか話すシーンがあり、「彼氏に合わせていたので大変だった」 とか言うじゃないですか。

 

大学生が社会人となり、会社員となり、OL姉さんが一緒にランチ食べない? と言ったりする。

 

その人と食べたいとかではなくて、1人だと入りづらいお店とかオフィス街に多いからだと思う。

 

でも、1回一緒にランチを食べて、「さすがにあの三之橋と食事するのは、会話も変だった」 となれば、そのOL姉さんは2度誘わないようにして、あとは同僚とかにも、「あの三之橋君と一緒にランチ行ったら失敗だったわ」 とその日のうちに社内に伝播するじゃないですか。

 

新型コロナウィルスの時でも、結婚までしているのでリモートで仕事をするようになったご主人と一緒に過ごす事になった時に、奥さんが、「もう一緒に暮らすのは無理」 と判断して離婚が急増しているじゃないですか。

 

誰かと共生した時に、相手の人がその人と一緒に同じ空間で過ごして、特に忌み嫌うものを感じるか? 感じないのか? という判断でそういう結果が分かれると考えられるのです。

 

ワンデー彼氏も1回やってみて成功だと思っても、それはその人がたまたま相性が良かっただけなのかもしれない。

 

でも、軒並み数多く繰り返していけば、場数の経験則から何かを学ぶとかありそうじゃないですか。

 

会社員になった時に、「あの三之橋と一緒に仕事をすると」 みたいな忌み嫌うものがあれば、それは遠くの人がいない倉庫に飛ばされるとかありそうじゃないですか。

 

そんな考え方を友達と大学に行く車内で話したりする。

 

そうすると友達のお母さんが、「今度家に連れてきて」 と言ったりする。

 

呼ばれたから仕方なく行くしかないのですが、「たしかにあの三之橋はしゃべるのが上手いわ」 と言ったりするらしい。

 

その結果、私三之橋が車で友達のお父さんが社長の会社に行き、友達の車に乗せてもらい大学まで行って夜とか帰るまで会社で車を預かってくれたりするのだと思うのです。

 

私三之橋の父は、木造注文建築業をしていた。 祖父はゼネコンだったりする。

 

でも、いわゆる”身内” となる人は、三之橋の運転練習での話では出てこない。

 

例えば、「父の会社の社員となる人に運転を教えてもらえました」 とかのエピソードは出てこない。

 

全部出て来るのは、何の血縁関係もない、赤の他人ばかりというストーリーなのです。

 

例えば、「父が会社を経営していて、お抱え運転手がいましたので、その人に運転を教えてもらえました」 と言うと、それって生まれた家がお金持ちであったから、その運転ができたんだと感じる人が多いと思うのです。

 

俗に言う、”親ガチャ” みたいなストーリーは、人が忌み嫌う傾向にある。

 

『お父さんが、スポーツカーをポンと買ってくれ、お抱え運転手が教えてくれたので』

 

みたいに言われると、その人に車を運転してもらうと、何か自分もそのお父さんにぶら下がっているようにも見えなくはない。

 

でも、身内の話が出て来ないとそうは思わない。

 

友達のお父さんの会社に車を預けて、でも、賃借料は請求来ないので支払った事もない。

 

希薄な人間関係に過ぎないと思うので、「あの三之橋のやり方ではダメだ」 とお父さんやお母さんが感じれば、それは長くは続かないと思う。

 

お父さんは会った事はないというか、数回どこかで見かけたくらいだと思うので良く知らないのですが、友達のお兄さんとかは大学名聞いて驚くものがあったので、頭の悪い家族ではないと思う。

 

何の検証もせずにそのまま新社会人になって会社員1年生で自分のやり方を持ち込むと失敗しそうなので、赤の他人の会社で試していた感じ。

 

私三之橋が大学生になると、もう周りの子はみんな免許を持っていて、普通車サイズの中古車に乗り、「男性は一生車の運転が付きまとうので、できない程自分が困るだけとなる。 彼氏が彼女を乗せてドライブに行っても、ご主人が奥さんや子供を乗せて温泉旅行に行っても、運転が下手くそだと感じれば奥さんや子供も一緒に出掛けなくなるだけ」 みたいに言っていました。

 

普通に考えると、大学を卒業して新社会人デビューして会社員になっても、上司が、「俺はこういう風に運転の練習したけれど、三之橋はどういう風にやった?」 と運転しながら訊きそうじゃないですか?

 

でも、その上司の人がたまたま貧乏な家に生まれていたり、お父さんやお母さんを事故で無くして1人でその運転をマスターしたという人なのかもしれない。

 

そうするとね、キャスティングボードからお父さんやお母さんは最初に外しておく方が良いと思うのです。

 

「僕のお父さんは会社経営していて、お金もそこそこもっていたので新車を買ってもらいました~」 とか言えば、ずっとその会社に居る間虐められそうじゃないですか。

 

どこかの会社に入り、そこでOL姉さんが働いていて、伝票を入力する時に、「三之橋君は運転できるの?」 と訊かれた時に、「ワンデー彼氏に応募していた」 と話せば、田舎から出てきた女性がいて彼氏がいないという事でご飯も奢っていたのか~ と聞けば、ちょっと良い人に見えるじゃないですか。

 

女性の場合、隣に座る男性社員が電車で痴漢でもしていそうな、誰か女性でもだましていそうに見えるとその距離感で一緒に仕事をすると落ち着かない。

 

でも、ワンデー彼氏に応募してガソリン代も食事代も出していた~ と聞けば、隣にいても緊張しない人に感じるじゃないですか。

 

政治家の人がお金を使って自分の印象を押しあげているのと同じ手法を採用している。

 

昔映画で売れまくったスターが、「映画が売れるのにはどんな要素が必要なのか?」 と質問され、「1に、ストーリー、2にロケーション、3にキャスティング」 と言っていた。

 

ストーリーがダメであればどんなに良い俳優でも売れないし、ロケーションというのは、映画がイギリスのサスペンスドラマであれば、そのストーリーは特に面白くなくても、「私はイギリスの町なみが好きで」 と観る人はいたりする。

 

わざわざ話の途中で、森をドローンが上空を飛ぶ映像を挟んだり、刑事の主人公の車がアクションカメラを地面に置いたものに向かい走るような映像を入れたりしている。

 

「素人だったか、こんな映像は撮れないよね~」 みたいなスペシャル感のある映像を入れていたりする。

 

そういう法則で、「ストーリー性が重要」 というのも採用している。

 

私三之橋が車の運転を習得するという話を聞かれた時に、「こういう論理性でこういう事をやっていました~」 と話すと、「なるほど、それは良いアイデアだね」 とか何か共感でもしてもらえそうなストーリーになっている感じ。

 

何か行動をする時に、報告をする事を前提にやるのと、誰にも報告をしないというのでは、結果が違ってくると思うのです。

 

「さあ、免許も取ったので車の運転技術を高める結果を目指すぞ~」 みたいになった時に、何も考えずに近所のスーパーに行くとか、買い物だけを繰り返してもあまり結果は良くならないかなあ~ と考える。

 

やはり人を乗せて走ってなんぼではないか?

 

乗ってくれる人が、「あの三之橋とずっと一緒だと疲れるので一緒に車で行かなくなった」 みたいな結果になれば、それは修正した方が良い点がある事になる。

 

どうせやるのであれば、それは論理的にそのやり方で良いのかを考え、同時に誰かにやり方を話すという前提に、自分でストーリーを考えてみてからやる方が結果は良くなる気がする。

 

そういう感じでやっただけなのです。

 

そのストーリー的にいえば、車の洗車というのは、「とにかく汚れたと感じたら洗車をするかな。 特にどのような頻度でやるとかは想定していない」 という回答が1番多いのです。

 

アンケート結果で1番多いというのは、たぶんそのやり方をすればするほど、どこか貧しい人生になってしまいそうな気がする。

 

メチャ汚れた時に洗車すると、1回あたりの洗車時間とかが長くなるだけかなあ~ と想像する。

 

そうするとね、1つの事に時間を掛け過ぎるような癖となり、会社とかに入った時に、「あの新人の三之橋って仕事が遅いよね~」 みたいになり、最初の段階で撥ねられてしまうかなあ~ と思ったのです。

 

例えば今大学1年生の人がいて、自動車学校を卒業したばかりで、「これから横並びでスタートとなるわけでどういう風に自分で練習しようかな?」 と考えているとします。

 

その場合は、「大学4年生を卒業し、新社会人デビューして、会社員1年生になった時に最初に上司に与えられる仕事は、上司の息子さんに運転を教える事だ」 みたいな想定で、考えると良いと思うのです。

 

私三之橋の場合は、会社員となり上司が仕事で出かけるので一緒に行こうと誘われ、ドライブのように走っていると、上司が都内にある某大学生時代に、半年に1度中古車を乗り換えていたと話していた。 1台の車に乗り続け、それが自動車のすべてだと思い込みを防いでいたような話をしていました。

 

『三之橋君は、何台くらい乗った事があるの?』 と訊かれた。

 

「公道を走るのに、周りの車がどういう加速をするとかがわからないと、飛ばすとか危険なだけなので、バイクとか、軽トラとかトラックとか、軽自動車、コンパクトカー、友達の新車で買ったBMWの1番高い7シリーズの外車とか、基本は公道で見かける乗り物は全部の種類を乗った気がします。 後は、福岡の人とか雪道を走れないとバカにされるとか聞いたので札幌まで飛行機で飛んでレンタカーでチェーンを装着したライトバンとか借りて札幌市内をただ走るとかして、夜は食事を1人で外でしたくないのでルームサービスでいつもお寿司セットを食べて寝て、翌朝飛行機で帰ったりした・・・ 全部で何種類になるのか覚えていません」 と言ったら運転していた上司が楽しそうに笑っていました。

 

そんな感じで、上司とかが、「俺はこのくらいやったけれど」 と話して訊く感じ。

 

役員面接で、「三之橋さんは、車の運転はどうですか? 自信ありますか?」 と訊かれた時に、「車の運転は自動車学校に行き、やはりお金を出す以上は講師のような人ではない先生のような人に教わらないと意味がないと鬼教官に怒鳴られまくりでしたので最初は凹みまくりのスタートでした。 それで自分で伸びしろの上限まで最短で到達する方法を考えましたところ、ある日警察署長のところに連れていかれ、”お前逮捕しても良いんだぞ” と叱られてしまいました。 でも、ご安心ください、逮捕された事も収監された事もありません。 修羅場の1つや2つくぐらないと上達できないものもあるわけで、その経験が貴社できっとお役に立てそうな気がします。 飛行機に乗った時にアナウンスで、”本日の機長は〇〇〇です。 飛行時間2万時間を超えるベテランですので御安心ください” とか言うので、不慣れさは時間でなんとかできると場数は増やして年間5万km、4年でざっと20万km程走っておきました。 上司の人を想像した時に40歳くらいで、もう20万kmくらいは走っていると考え、横並びでスタートできるようにまで調整しておきました」 と説明したら、役員の席に座っていた人達が楽しそうに笑っていました。

 

そんな感じでほんとに質問されるとかあるのです。

 

例えば、どこかの有名な国立大学に合格して、その大学生時代に軽自動車に乗って近所のスーパーに買い物に行っていたとします。

 

面接で、「車の運転はどうですか?」 と訊かれたら、「はい、大丈夫です」 とか答えたりするじゃないですか。

 

悪気はないと思うのですが、その人の「車の運転」 という認識のイメージでは仕事でもスーパーに行くのと同じでしょ? みたいな感じだったりする。

 

お父さんが車を持っていなくて、タクシーにでも乗った時のイメージとなる人もいたりします。

 

私三之橋の場合は、スピードスターという感じで、警察署長には叱られてしまいました~ と言う感じですが、意外と喜ばれるのです。

 

なぜか?

 

例えば、どこかの会社の御曹司みたいな感じで生まれた人というのは、「とにかく良い大学に行かないとすべてが台無しになるのよ」 みたいに、お坊ちゃま学校にお抱え運転手の車で通ったりして、家庭教師がいたりして、とりあえず1流の有名な大学に合格したりする。

 

たぶん、18歳の大学1年生でその潮目が変わるのだと思うのです。

 

自動車学校に通い運転免許証を取得する。

 

車の運転をしてみて、MT車の運転で左足でクラッチペダルを操作し、左手でシフトレバー操作し、右足でブレーキペダルとアクセルペダルを操作し、右手でステアリングを操作する・・・ みたいにそれぞれの手足で操作すると、「うわっ、これはちょっと俺にはできないぞ」 となる人がいる。

 

昔、車の運転免許は自動車学校に行ったりした時に教習車は普通車サイズのMT車しかありませんでした。

 

右足で少しアクセルを踏みながら、左手でクラッチを滑らせる感じでつなぐ。

 

そう説明されても、それは実践を繰り返してその感覚を覚えていくしかない。

 

私三之橋の大学に一緒に行く友達も、中型バイクとかでは乗れるのに、普通車とかの運転でMT車は苦手という感じで、AT車の中古を買って乗っていました。

 

車の発進時に交差点で自分が先頭になっていて、左足で踏んでいるクラッチペダルをサッと滑る位置で接続して発進する。

 

というシュチューエーションで、上手くできずにエンストでもすれば恥ずかしいとなるし、何度もそういうのが続くと「車の運転は難しい」 と感じてしまう。

 

AT車に乗り、「右足だけで操作する」 という方法にすれば脳の負担も減る事になり、「それはできた~」 みたいな人がいる感じ。

 

小学生くらいのチビッ子時代から参考書でも読んで理解し記憶して、学校のテストでは90点とかで安定していた~ というのは、どちらかといえば記憶力というもので生きてきただけかなあ~ となります。

 

でも、車の運転を実践してみた時に、「うわっ、俺の運転手ができているのでもっと簡単だと思っていたのに、こんなに難しいのかあ」 と感じたりする。

 

普通に考えた場合、偏桃体の発達に問題でも起きているのかなあ~ と考えると思うので、「大学卒業後はどこかの企業で働くのは危険」 と判断されて、就職した事がないという人が実在している。

 

「あの福岡では有名な会社の〇〇〇〇の社長の息子は、俺の同級生で同じ会社で働いた事があるけれど、ほんとに仕事できない人でした~」 とかそういう人が出ると、会社の評判が落ちるという損失しかない。

 

ある会社で、社長の子供が男の子5人とかいた時に、5人全員有名な大学まで行ったけれど、就職した事がないとかほんとにあるのです。

 

とりあえず子会社の方で修行させて、運転手をつけて運転させずに、みたいに失敗をしない事が成功という感じでやっているパターンが存在する。

 

仮にもしも、その人が面接する時に、「車と車の間をすり抜けて走っています」 みたいな人がいると、たぶん、『こいつは神っているなあ』 と見えるかなあ~ と思うのです。

 

会社の面接とかって、社長が自分から見て真逆な人間とかを採用したりするじゃないですか。

 

自分と同じタイプとか社内にたくさんいたりするので、わざわざ欲しい人材でもない。

 

例えば、生命保険のセールスのおばちゃんみたいな仕事を想像してみてください。

 

私三之橋の家の前に、デカい屋根付き月極駐車場があるのですが、A社という生命保険会社の管理職の人が会いたいと言って自宅にやってきた。

 

家の前の駐車場に無段駐車でもされるとマズイので、「今日はお車で来られたのですか? ちなみにどこに駐車されましたか?」 と訊くと自宅前の道路の幅員がデカいので駐車禁止となっている公道に駐車しハザードを点けたまま1時間とか話していました。

 

別の生命保険会社のBさんという営業所所長が会いたいと言われ自宅にやってきました。

 

同じように、「今日はお車で来られたと思うのですが、どこに駐車されましたか?」 と訊くと近所のお店のお客様駐車場に駐車して2人で歩いて来たと言われていました。

 

生命保険でも、火災保険でも、できればその人の自宅に伺ってという会い方を好まれる傾向にあるので自宅に電話もして来られるのですが、私三之橋の調査では、自宅前のデカい屋根付き月極駐車場に無断駐車した事例は1件もありませんでした。

 

でも、どこに駐車するのか? というのは十人十色のようにかならバラバラの結果でした。

 

例えば、大学生時代に中古で軽自動車でも買い、スーパーの買い物に行っていたとします。

 

たまに、彼女とデートでドライブに行く事はあったとします。

 

それって、駐車する時に全部お店とかが用意したお客様駐車場に駐車しただけの経験ではないかなあ~ と思うのです。

 

社会人になり、どこかの会社で会社員1年生となった時に社有車に1人で乗って仕事に出かけた時、その取引先にはお客様駐車場がないとかあったりします。

 

「ここは、公道のあそこに路上駐車して、短時間で引き上げるか」 とか、「少し離れたところにコインパーキングがあるのでそこに駐車して歩いていくか」 とか、そういう判断をしないといけなくなる。

 

そういうのも、できない人にはどういう風に判断して良いのかがわからないとかあると思うのです。

 

新社会人デビューして、新入社員となった時に、上司の仕事に同行するOJTとかで、上司の車を運転させられる。 「道は俺が教えるので」 と言われ、「そこは左ね」 とか言われる。

 

目的の取引先の会社に到着した時に、上司が「駐車場がいっぱいだなあ」 と言ったりして、「じゃあ、あそこに駐車しましょうか」 と新入社員が言って、「そうだね」 と上司が言う。

 

普通は会話でそういう風に噛み合わないといけない。

 

でも、そうならない人も珍しくはない。

 

例えば実際にあった事例として都内で上司が、「運転できるよね?」 と言ってキーを渡して、「俺が道を教えるから」 と運転させ、「そこ首都高に入って」 と言った。

 

でも、合流する際に車が多すぎて驚き急ブレーキを踏んで止まってしまった。

 

「ねえ、〇〇君、こんなところで止まったらどうやってこの先抜け出すとか考えないでブレーキを踏んじゃったのかなあ~。 後ろの車は俺たちのせいで大渋滞して迷惑になっているって気づかないかなあ~」 となってしまった。

 

車を運転する上司は、大学を卒業して入社し、20年とか運転し続けているじゃないですか。

 

あくまでもその人の感覚で、「車の運転はできるよね?」 と軽く訊いてからキーを渡している。

 

まさか車が多すぎてぶつかると判断して急ブレーキを踏まれるとかは予想していない。

 

どこかの上場企業で内勤職として働いている人がいて、運転免許証も持っていて、ある日得意先の会社に何か商品とかを届けないといけない事態が起きたとします。

 

『ちょっと俺は仕事もあるので行けないし、運転もできないのでお前行ってきて』 と後輩に押し付ける人がいる。

 

なぜか?

 

行った事もない会社の物流倉庫とかに初めて行くと、ぱっと見どこからどういう風に入れば良いのかとかわからないとかあったりする。

 

行って恥をかきたくはない。

 

あるいは都市部のオフィス街で得意先の会社に来客用駐車場がないと、どこに駐車すれば良いのかわからないので、行って恥をかくと、あとで社内で笑われるのが絶対に嫌という理由で行かない人がいる。

 

1流大学を卒業し、免許も持っているのに、入社してもう10年在籍しているのに、1度も社有車に乗っていないという社員が実際に居る感じ。

 

乗らなければ失敗しないという理屈でしょうか。

 

私三之橋の場合は、会社員になり、役員に「ちょっと午後から行きたいところがあるので運転してくれないかなあ」 と言われ、「わかりました」 と言っていました。

 

黒塗りのピッカピッカな新車を倉庫の方に行って借りてくるのですが、専属の運転手がいるのに、借りに行く。

 

行きたい場所のゼンリンの地図ページをコピーしてもっていくのですが、ドライブルートとか自分で組み立てないといけない。

 

住宅街の中にある1軒の一戸建ての家に向かう。

 

どこかの企業の役員でどこかのパーティーで知り合ったような友達の家という感じで、来客用駐車場がないとかの家は別に珍しくもない。

 

「どこに停めて待機しようか」 とかも初めて行った現地でサッと空気を読んで決めないといけない。

 

10月27日の金曜日午後15時くらいに出掛けようと思い、車1台しか通れない路地に入って歩くと、そこに軽自動車が入ってきて、とある家の前で停まった。

 

「うわっ、そこに停められると月極駐車場から出られないじゃん」 と思いました。

 

月極駐車場に行き、「まあ、わざわざそんな路地に停めるくらいなので5分くらいの荷物を下ろすとかですぐに出るだろうし」 と思ってブログ用に撮影したりしていた。

 

「うわっ、まだ玄関先で立ち話している」 という感じだったので、『すみませ~ん、車が通れないので移動してもらっませんか~』 と言ったら、聞こえないみたいでもう1度言うと、「わかりました~」 と言われ移動してくれた。

 

月極駐車場に歩いて戻り30プリウスで出かけようとしたらその前に停まり、『〇〇さんの家はこちらですよね?』 と言われてその家の先で停まった。

 

ぱっと見住人ではなくて、何か福祉の会社の人が認知症の家に廻っているように見えました。

 

普通は、どこか広い邪魔にならない場所に路上駐車して、数軒の家を歩いて廻れば済む話に見える。

 

俗に言う、”作業員の運転” といわれるやつかなあ~ と思いました。

 

ドイツでは、自動車学校に通うと最初に運転哲学として、「車の運転は常に俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を良く見て事故に遭わないように気を付けて、誰かの迷惑にならない事」 と教えて、公道で実践練習させている。

 

それは日本でも同じで、どこかの会社に所属する人が社有車とかで仕事に出かけた場合、帰ってくるまでに誰かの迷惑にならない事ができないといけない事だとされている。

 

でも、現実としては、出先でどこに車を駐車するのが適切か、という判断を1人でできない人がいて、手っ取り早く目的地の家の前で停まり、そこでそばに車を置いたまま立ち話をして、という巡回をしている人がいる。

 

近所に住む高齢者の認知症に見える人が立ち話をしている時にクラクションを鳴らすというのも違和感はあると思うので、その人にいちいち、「車が通れないので移動してもらえませんか~」 と言いに行くのが面倒な感じ。

 

自宅前にある広い幅員の道路に面しているデカい屋根付き月極駐車場に保管している時には、いちいち路地を通らなくて済んだのですが、屋根なし月極駐車場に移動してから路地に障害物があるような事が結構多くて面倒に感じる。

 

そんな事がありました。

 

例えば、黒塗りのデカい高級車を運転してどこかの高級住宅街に役員を乗せて行き、そこで待機するというシュチューエーションでも、やはり110番緊急通報され、「不審車が停まっている」 と言われクラウンパトカーがやってくるとかもあると思う。

 

110番緊急通報する人は、「これはちょっと不信かな」 と110番緊急通報する時と、「これは法人車の運転手さんが待機しているだけかな」 みたいに判断されていると思うのです。

 

『ここは南東の角地か、だったらそこで停まると曲がる車等の邪魔になるな』 とかそういうのは自分で判断しないといけない。

 

デカい車は、待機中はパトカーと同じでエンジンとかずっとかけっぱなしとなるので、「この距離では前の家の住人に迷惑にならないかな」 とかは現地で判断しないといけない。

 

クラウンのパトカーでも呼ばれてしまえば、それはちょっと洒落にならないと思う。

 

お金持ちの人の感覚というのは、恥ずかしい人とは一緒に出掛けないと思うのです。

 

逆に言えば、役員が一緒に出掛けて恥もかかないというくらいに調整してあれば、彼女のお母さんとかでも、「娘の彼氏の三之橋と一緒に2人で出かけても恥ずかしくない」 と思ってもらえたりしてお小遣いをもらえるとかあると思うのです。

 

大学生が大学を4年で卒業したら、普通は会社員デビューする人が多いかなあ~ と思う。

 

その場合、役員であったり、上司であったり、先輩となる人がいて、「あの三之橋と一緒に出掛けるかあ、恥ずかしくはない奴だし」 みたいに思われるのを目指すくらいがちょうど良いと思うのです。

 

今高校生であったり、大学生であったり、何かの専門学校生という学生の人だと、会社の世界はどんなものかというのは想像できないと思う。

 

とある先輩がデカい有名な企業に就職しているとそれだけで凄い人という風に感じてしまうかもしれない。

 

でも、現実はデカい有名な企業で正社員のOL姉さんでも、座敷牢の主人みたいな感じで仕事で外に出るとかできない人は意外と多く存在しているのです。

 

「あの人はお客様の前に出しても良い人なの?」

 

みたいに何か表のフロントに立たせられるような人なのか? というもう1段上のような審査がある感じ。

 

例えば、私三之橋の場合は、大学を卒業して最初にもらえた仕事は、上司が忙しくていけないので銀行廻りをしてくるという事で上司の高級車に乗って1人で大金を運んだりしていました。

 

『そんな仕事は、小学生のガキでもできるでしょ?』

 

と思われるかもしれませんが、会社を代表して銀行に行く感じになるので、「社員の誰にも行かせられる」 とは上司とか役員は考えない。

 

例えば、今有名な大学生であったり、一流大学とかの大学生だと、「へっへっへっ、俺様は勝ち組の人なんだぜ~」 みたいに思ったりすると思う。

 

それは小学生のチビッ子時代から、テストで100点でも取れば勝者みたいな感じだったりするから。

 

でも、大学生を卒業すると新社会人デビューして、会社員1年生になったりすると、潮目が大きく変わる。

 

どこかの上場企業があり、そこに10人の新入社員が入ったとします。 仮にという話ですのであまり人数は関係ないと考えてください。

 

10人の新入社員が入社したという場合、大学生の視点だと、それは有名大学を出た人の順番で何か配属されるところが良い場所に当たるみたいに考えてしまうと思うのです。

 

新卒採用で入社し、同期入社の人をどう見ているのか? 「あの〇〇さんという人は国立のあの大学らしい」 とかそういう区別をしているのか? という点では、たぶん何も思っていないと思うのです。

 

上司の〇〇部長は、「へえ~、あの人はあの大学なんだ」 とか普段意識しているとかもたぶんない。 

 

部下ができて、「へえ~、あの短大卒なんだ」 とかも普段意識していない。

 

海外のテレビドラマで凄いお金持ちの人がいて、デカい豪華な一戸建ての家に住んでいて、飾っている絵が無名な人のもので、「〇〇さんの教えてもらったように、見た目が派手なのに限って中身がない」 と言ったりするじゃないですか。

 

「あの人は有名なあの大学なのできっと出世しまくるような気がする」 と考えても、実際はそういうものでもなかったりする感じなので、あまり大学の名称とかは特に気にしていない。

 

強いていえば、上司が大学が都内だったりするとか、部下が地元の短大だったりするとか、そういうのは意識している。

 

上司と車に乗り2人でドライブのように走るシュチューエーションで、「〇〇部長は、都内の大学だと聞いたのですが、どこに住んでいたのですか?」 とかそういう話ができる。

 

部下が、地元の短大だとわかれば、それは親と同居している人なので、「1人暮らしはどう?」 みたいな変な事を言わずに済む。

 

会話はその人のプロファイリングから構成させるだけなので、上司が都内で4年間過ごしたとか、部下はずっとお父さんやお母さんと一緒に過ごしているとか家族を大事にしているとかがわかる感じ。

 

部下が実家に住んでいれば、「じゃあ、僕と同じで一緒に仕事するに当たって似たもの同士で良かったね」 と言えば良いじゃないですか。

 

例えば、「もう19歳で大人なので1人暮らしをした方が良いよ」 とか言ってしまう人がいると思うのですが、友達でもない人に言われると、「何で友達でもない人にそんな事を言われないといけないのかなあ」 と思ったりして、苦手感みたいなものを感じて距離を取ろうとなる人もいる。

 

自分が体験して良いなあ~ というのは、周りの人はそうではない事もある。

 

大学生とかになり、生まれて初めて家を出て、どこか県外とかの土地勘のない所に引っ越して、1人暮らしをする。

 

1人になってみて、お母さんがご飯を作ってくれたとかが無くなった事で感じる何かがある。

 

私三之橋の場合は、大学生1年生でいつもその人のマンションに入り浸っていたという友達がいて、夏休み明けには1つの袋に8種類の薬が入っていて、お昼にコンビニで弁当を買って来て食べたら、薬を飲んで、「もう一生治らないと大学病院で宣告された」 と言っていた。

 

1人暮らしをして、何を食べようかとなった時に好きなものしか食べない事で病気になったと話して、その人は1人になった事でお母さんと一緒でないとダメな人だと病気になった事で分かったのだと思う。

 

大学生の18歳とかで1人になるという事で何かがわかるのだと思う。

 

18歳になった時にやるべき事としては、1人になった時に何が得意で何が苦手なのかを認識する事かなあ~ と思う。

 

彼女とかガールフレンドがいて、「ねえ、今度の休みは新しくできたあのテーマパークに行こうよ」 と言ったりして、日曜日に朝早く起きて1人で洗車し、彼女の家に迎えに行き、どこに駐車するとかも考え、サッと1人で地図本を出してドライブルートを組み立てて、その進捗具合を管理して、時には道に迷い畑仕事をしているおじいさんに道を尋ねたりして修正し、目的地に到着して、ご飯も食べて最後に彼女の家まで送っていかないといけない。

 

彼女が車の運転もしない免許もない人だと、それらは全部私三之橋が1人でやらないといけないじゃないですか。

 

1人で1人ボッチで県外にドライブの練習に行くのと違い、彼女を乗せて遊ぶという目的が上手くいくように1人で頑張らないといけないわけで、何が得意とか、何が苦手とかがわかる。

 

大学で男友達がいて、4人で誰かの車やレンタカーに乗って「あそこにみんなで行ってみようぜ」 みたいなものだと、道がわからなくても助手席の人が教えてくれるとかで、大勢だと楽ちんだったりする。

 

でも、1人で頑張るというシュチューエーションでは、1人ボッチではなくて、彼女とかの行きたいところに運転して頑張るというのが1番しんどいというか、負荷がかかる。

 

1人であれば、「もう帰ろうか」 という選択肢がある。 「ここで休憩するか」 とかも自分のペースでとなる。

 

彼女とか、ガールフレンドがいて、どこか行きたいところに遊びに車で行く。 朝から晩まで一緒に過ごせば、「ちょっと三之橋は一緒にいてもつまらないのでもう次回はないな」 とかそういう結果は目に見えやすい形になると思う。

 

もしも1回ドライブとかに行って次回はないという結果であれば、何かそれだけの続かない理由があったと考えられるので、それは大学生であるうちに修正しておかないと会社員になって自分に跳ね返ってくるという事になりそうな気がする。

 

何を重要視しているのか? と訊かれた場合、人間関係の構築みたいなものかなあ~ と思うのです。

 

そんな感じなので、人生初の女性部下ができた時に、親と一緒に住んでいます~ と言われても1人になってわかるという経験が少ないだけにしか見えない感じで特に気にならない。

 

家族のお父さんやお母さんと仲が良いという人だと、1度構築できた人間関係は自ら壊さないような人と考えられるので、最初の掴みで失敗しない限りは部下としては楽な人だと思う感じ。

 

後はちょっと入るのも難しそうな短大だったりしたので、説明したら理解できる人なんだと最初にプロファイリングでそう感じたくらい。

 

高校卒が悪いというのもないと思う。 部下が高卒だったりすれば、「例えば大学生の時にこういうのがあるじゃない?」 みたいなたとえ話をしてしまうと、「すみません私は大学に行ったことなくて」 と言われるじゃないですか。

 

その人の見た事のない景色をわざわざ説明する時に使わないとかした方が良いくらいの判断材料でしかないと思う。

 

例えば、昭和の時代に新卒で入社し、コンピュータの波みたいなものに乗る事ができず、『俺は絶対にコンピュータとかそんなものはやらんぞ』 という人が役員になり、モバイルPCを支給された時に、「俺は三之橋に教えてもらう」 と言ったりする。

 

その結果モバイルPCをいつも触ってメールしたりするように変わる。

 

人間ってそんなものですよ。

 

人は教えてくれる人がいれば、変われる。

 

ライザップとかでもそうじゃないですか。

 

でも、多くは教えてくれる人がいない。

 

誰も教えてくれない世界では、俯瞰(ふかん)視ができるかどうか? みたいなもので運命が分かれている感じに見える。

 

私が大学を卒業して、会社員となった後で現場で見て来たラインに乗っかれた人みたいな印象は、車の運転とかスイスイ走れるような人が多かった。

 

逆に、凄い大学を卒業できたみたいな人で、上手く乗れないように見えた人は、みんな車の運転が苦手に見えた。

 

私三之橋が大学生となった入学式の日には、もう国産の某高級セダンの新車を買って乗ってきていた子がいて、気になって訊いてみたら、もう同じクラスの子はみんな自動車運転免許証も、普通車サイズの中古車を持って乗っているという事で驚き、それはその後の人生を左右するからという理由だった。

 

私三之橋は大学生になるチョイ前は、同じ高校でいつも一緒という友達に、「お前とは一生付き合っても良い奴だと考えているので、これからはコンピュータの時代だと思うので一緒に専門学校に行かないか」 と誘われ、小ズルい作戦ではあるのですが、キーボードのキーの位置がランダムになっているのを見て難しいと判断し、デスクトップPCを買ってきた。

 

中学生くらいに引きこもりになった子の家に遊びに行くと100万円とかのデスクトップPCがあり、親が買ってくれたという感じでコンピュータゲームのソフトがズラ~っと本棚に並んでいたりしたので、「とりあえずこのくらいかなあ」 と控え目に買ったら30万円超えでした。

 

でも、その後に大学生になる事になり、入学式で、「えっ、大学卒業した後の会社員生活の為に300万円もする車を買っちゃったんですか~」 と驚いてしまった。

 

その子の話では、15歳でもうスタートしてアルバイトしてお金を貯めて、大学には自力でテストに合格しているという努力した感じが伝わり、グ~たらな私三之橋は受験勉強さえしていない感じで推薦されていたので、気まずいものもあった。

 

根がグ~たらな人というのは、もう周りの子が先行してやっているのを見てしまうと、「どうやればその人達を全部まとめて抜く事ができるだろうか?」 とかそういうところにフォーカスしてしまい、ちょっと考えてしまう。

 

ヒアリング調査した結果から、手っ取り早く自分で自分用に何か設計した方が確実ではないかなあ~ とオリジナルでやり方を考えてしまった感じ。

 

時々繁華街とかで見かけるじゃないですか。 仕立ての良いスーツを着て、襟にやくざチックな襟章を着けていて、若いおね~さんともいるような集団で飲んでいるようなゲーマーのような主人公みたいな人達。

 

大学生になった時に、周りの子が目指していたのはあんな世界かなあ~ 、と思い、自分も目指してしまう。

 

高校生の頃の職業適性検査で、精神病の医者になれば大成功間違いありません~ と書いてあったりしたのですが、何かクリニックの院長のイメージというのは、頭の壊れた人だけがやってくる世界で、一生そんな仕事をしていると自分も精神やられそうじゃないですか。

 

楽して金儲けという世界よりも、もっと綺麗な壊れていないOL姉さんとかいっぱい溢れている会社で働く方がイメージは良いじゃないですか。

 

「会社員って仕事も難しいでしょ?」 と訊かれる人とかもいらっしゃるのですが、難易度とかよりも、綺麗なOL姉さんがいないような残念な環境だと自分が可哀想な気がするだけですよ。

 

テレビでお父さんがプロ野球中継を観ていて、そのテレビを一緒に観てしまい、そこに額から汗を流しまくりで投げているピッチャーの姿を見て、「僕もあんな人になりたいなあ」 と思うチビッ子がいる。

 

でも、チビッ子によっては、ある日プロ野球の試合を観に行った時に、綺麗なお姉さんにサインとか頼まれているピッチャーを見て、「あんな人生が良いかな」 とそれでプロ野球選手を目指す人もいる。

 

私三之橋の場合は、中学生くらいになるとなぜか学校に行かない友達がいたりして、高校とかにも行っていない感じだった。

 

家に凄く高そうなデスクトップのPCがあり、コンピュータゲームをする為のものが100万円とかするような感じで、よく「それで遊んでも良いよ」 と言われたのですがずっとやらず仕舞いという感じでした。

 

その人にとっては、きっと宝物のようなものだと思うので、触るのもどうかなあ~ みたいな感じで、パソコンとかを触るのもアレルギーみたいな感じがあった。

 

でも、自分が大学生になった時には、最終ステージのような感じになるので、「何かイケそうな気がする」 みたいに攻略して会社員になれそうな気がした。

 

「もしも失敗して」 コンテンパンにやられてしまったら、それは映画で戦闘機に乗っている人が敵に追われまくった時に、イジェクトボタンを押して何億円もする戦闘機を捨ててしまい、”生きている人が勝ち” みたいに言ったりするように失敗はどこで自分で判断すると決めていた感じ。

 

コンピュータを習ったりする人は、if then プログラムのように、「もし、〇〇であったら、XXする」 みたいな考え方、機械的な考え方をしている感じがあると思う。

 

後は、コテンパンにやられた時に、みっともない顔をして家にいれば、それはお父さんとかが見たくもない顔だったりすると思うので、「その時には引きこもりになったあの子の家でゲームしながら、リブート方法を模索するか~」 と思ったりする感じ。

 

引きこもりになった人というのは、家の中にいれば、それ以上傷つかないで済むという考え方をしていると思うので、そういう人が身近にいれば教師のようにするので、「自分だったら家にはいないかな」 みたいな考え方をしている。

 

小学生くらいのチビッ子時代に、塾とかに行ったりすると、プレッシャーとかでダツラクしていく子が少なくないので、自分がダツラクしない限り、引きこもりになった友達とかが鼠算式に増えていく感じがある。

 

大学の入学式の日に、「車の運転がその後の人生を左右するファクターだ」 みたいに教えてくれた人がいたので、「なんだ、それを攻略すれば次のステージの会社員1年生で困らないのか」 とやっていただけかなあ~ と思う。

 

チョイスに迷う事があれば、「引きこもりをやっているあの子だと右に行くと思うので、ここは左がアタリかな」 とチョイスるような真逆を選択するだけみたいなシンプルな発想をしている。

 

有名な大学とかに行った人が、新社会人デビューして、会社員になった時に上手くいかないとかあったりするのは、たぶん潮目が変わるというスジヨミの部分、見通しが甘いからではないかと思う。

 

大人になるまで、人生が順風万端であった人は自分のその人生がずっとそのまま続くという風に見える錯視があると思うので、沼にハマると抜け出せない。

 

子供は本を読む事で言葉を覚えるといわれ、推理小説とかを大学生時代に読むとかするじゃないですか。

 

でも、頭の中の記憶領域にある言葉は、それを使ってなんぼですので、ブログとかを書いていた利する方がまだしゃべれると思うのです。

 

男性に多い特徴って、誰かにメール送る場合でも短文が多くて、長文のメールとかまともに読まないじゃないですか。

 

最近iPhone13imini用のスマホケースを買ったのですが、何だか届かない。 それで普通郵便での発送で未着の為に受け取りボタンを押せないとやり取りで金曜日に送りました。

 

そうすると、その出品者の女性からそこそこ長文のメッセージが届き、現在出産の為に入院していて、家族に普通郵便で発送を頼んだら料金不足で戻ってきて、再度送った為に時間かかっているという説明でした。

 

発送でミスったのであれば、問い合わせされる前に自ら知らせるのが社会人かなあ~ とは思ったりしますが、ご主人が内緒にしていたのかもしれないですね。

 

でも、女性の方が説明はできる傾向にあるかなあ~ と思ったりします。

 

男性の場合ですと、メールとかでメッセージを送るような部分で文節が短い感じになる事が多いのは、普段メールを送らないとかで文字入力に時間かかるからだったりします。

 

そんな感じだと会社員になった時に、報告書を書けないという感じになり、その結果仕事も廻ってこないとかになる。

 

会社の報告書というのは、「未曽有の緊急事態が起きました。 三之橋さん出動してください」 と急に仕事が回ってきてしまい、やるしかない。

 

その日の朝出勤してから言われるので、当日の予定をすべてキャンセルしたりして出かける。 仕事は現場で組み立ててやるわけで終わったら終わったで、報告書を書かないといけない。

 

例えば、どこかの上場企業であれば社長とかに報告書を書く。 

 

報告書とは、送り先が誰でどういう正確でどういう報告書を好むとか考えて構成し、自分の言葉で書かないといけない。

 

夕方とか会社に戻った時に、そこで一気にボールペンで殴り書きしますので、下書きとかはない。

 

本社にファックスしておけば、社長は早く自宅に帰っていたりするので、社長の家にファックスされ、それはお手伝いさんが整理してファイルに閉じたりする。

 

手書きしたものでないと絶対に読めないで捨てる人とか実在しています。 文字の脱字とか補正してくれるとかあるので、機械に頼らないと手紙も書けないバカと思われる感じ。

 

読んだ時に、『これどういう意味なのだろうか?』 と思えば、総務とかに翌日に訊くことになるわけで、面倒じゃないですか。

 

『この三之橋ってやつはほんとに気が利かない奴だなあ』 と思って、たぶん2度と仕事が回ってこなくなる。

 

 

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地面に、「子猫を保護しています」 と謎の貼り紙がありました

2023-10-23 14:05:53 | 知らないと恥をかく話

地面に貼り紙があり、「子猫を保護しています」 と書いてありました。

 

 

最近夜中にデザイナーズアパート前に座り込んでいた2人組がいました。

 

「酔っ払いかなあ」 と思ったのですが、翌日とかウォーキングに出た時にそこの周辺を見たりする。

 

排水口に、子猫を保護していますという謎の貼り紙が貼ってありました。

 

そこに落ちて入り込んでいたという場所を示してあるのか?

 

それともアパートの前に貼ってあることから子猫を探している人はアパートのすべてのピンポンを軒並み押していけば、いつかアタリとなるのか?

 

連絡先が書いていないと迷ってしまいそうです。

 

ペットが家から出てしまった時には、”ペットハンター” というのをネットでググると良いみたいで、依頼すれば猫とかを見つけてくれたりするとこの前テレビでやっていました。

 

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ディスカウント店の薬局とかってほんとに安いのか?

2023-10-19 17:52:46 | ディスカウント店

今回は、「ドラッグストアとかってホントに安いのですか?」 みたいな疑問を持つ人がいたりしますのでそのお話になります。

 

例えば、「賃貸で住むマンションを探す時のはどう探すの?」 とか、「家を買う時にはどう探すのか?」 と訊かれる人がいる。

 

自分でウェブサイトで物件を見て、良いなあ~、と思ったら後は近所にスーパーがあるとか、ディスカウント店があって歩いて行けるとかをチェックするかなあ~ と答える。

 

そうすると、「ディスカウント店のルミエールとかってほんとに安いの?」 とか、「ディスカウント店の薬局ってほんとに安いの?」 と言う人がいる。

 

 

上記は安売り王ルミエールに家族で買い物に行った9月下旬に、薬局に最後に寄って、「結膜炎の目薬をください」 と言いました。

 

酒コーナーと、薬局はスーパーのレジとは別会計です。 免許などの関係でしょうか。

 

 

上記を出され、¥599です。 みたいに言われ支払って帰りました。

 

 

上記はその翌週にドラッグストアのサンドラッグに買い物に行った際に価格を見た時のもので¥968と書いてあります。

 

風邪薬とかは、ドラッグストアで¥2,000くらいなのが、ルミエールの薬局でそれと変わらない価格が書いてありましたが、¥1,300弱でした。

 

1世帯に1個まででお願いしますとポップに書いてあり、1度で1個までの意味だと思ったので、翌週もう1個買っておきました。

 

ここだけの話として、みなさん、「ドラッグストアって薬が安い」 と勝手に思い込んでいる人がいると思うのです。

 

でも、離島とか田舎のおじいさんの家とかに行った時に薬屋さんって普通に考えても高いというか定価で売っている感じじゃないですか。

 

ポイント5倍デーとかあったり、クーポン券でおひとつだけ15%オフとかあったりするじゃないですか。

 

でも、冷静に考えたらポイントもない、クーポンもないお店だと毎日それでも安いとかそんな感じなのです。

 

ややこしいのは、薬局のスタッフさんしか入れない陳列棚に商品があり、そこに風邪薬が¥2,000みたいなプライスが書いてあるのを見ると、「ドラッグストアと同じ価格か、だったらポイント貯まる方が良いのでドラッグストアで買うか」 と錯覚する人がいる。

 

レジで、「あの風邪薬の〇〇〇〇〇をください」 というと取ってくれて、「これですね?」 と訊かれ、「はい、それを買います」 と言ったら、会員価格みたいに価格が¥1,300弱とかに変わってしまうのです。

 

例えば、大学生が社会人になって会社員1年生になるじゃないですか。

 

その時とかに、上司とかが、「おい三之橋くん、外に出たらちょっと風邪薬を買って来てくれ」 と頼まれたりする。

 

それで上司の車とかを借りて外に仕事に出かけ、帰りとかにディスカウント店の薬局とかで買う。

 

帰って上司に「ドラッグストアで風邪薬を買うと2千円とかするのですが、ディスカウント店の薬局だと3割は安いのでそこで買ってきましたので、1,300円になります」 みたいにレシートも渡してお金をもらう。

 

会社員の世界って変わっているところがあって、ぶっ飛んでいる世界と言った方が良いのかもしれません。

 

昔、20代前半の男性社員が、そこそこ高級車っぽいセダンの黒のピッカピッカなのに乗っていて、どうもその車を買って3年経過した事でディーラーに車検に出して、20万円チョイの支払いとなった電話をしていた。

 

その人の上司になる、私三之橋から見れば大先輩となる人が、「お前新車を買ってどこも悪くないのにディーラーに車検に出して20数万円請求されているのか、バカか~」 と言っていた。

 

その後で、タバコを吸う時にその大先輩がやってきて、「おい三之橋、お前さっきのアイツの電話を聞いただろ? バカだと思うよな?」 と言った。

 

「まあ、共生するというシュチュエーションでは、何も考えないで生きている人と組んだりしたら仕事でも地獄を見ますからね」 と私三之橋は言った。

 

その大先輩は、どうもその部下が嫌いに見え、それまで特殊な課で1人でやっていたところに部下ができ、その部下が嫌いでしょうがないように見えた。

 

その後、次第にストレスなので弱っていった感じに見えて、最終的には若い年齢なので難病となり死んでしまいました。

 

私三之橋が最初に会った時には破竹の勢いみたいな人生に見え、「俺のオヤジから小遣いもらったのでこれ預かっておけ」 と現金の入った封筒に百万円札の帯が10個入っていた。

 

もう十分に大人に見えるのに、お父さんからのお小遣いで、1,000万円もらうというのはどうかなあ~ と思ったりしました。

 

当時、私の悩みは、「うわっ、もう金庫に現金が入らない問題が起きたぞ」 という感じだった。

 

家にお金を隠すと奥さんとか子供が見つけるので、第三者に預けるという人が多かった。

 

でも、ほかの人の悩みは違っていて、某有名国立大を出たのに仕事が1つも廻ってこないとか、上司に好かれないとかそんな悩みの人が多かった。

 

個人的な考えとなりますが、たぶん、「私は世間知らずです~」 みたいな事を言ってしまう事でそういう風にハブられるとかあるのだと思う。

 

新車をディーラーで買い、どこに車検に出した方が良いとか考えずに、ただなんとなく車検なので買ったお店に出すという事でどこも悪くないのに、20万円超えました~ と言われ、そのまま支払います~ とわざわざ会社の中で上司のデスクの隣でやり取りする必要はないと思うので、例え携帯に着信しても会社の外でかけ直すとかすれば良いと思う。

 

仮に、会社の先輩や上司に、「お前車検はどこに出していくらかかった?」 と訊かれた場合、「僕は新車を買ってまだ3年なのでGSのユーザー車検代行に出しています」 みたいに、うそを言っておけば済むのではないかなあ~ と思う。

 

”親に甘やかされた育った人” みたいな人が自分の部下になったりした時に、俗に言う、”貧乏神と出会った” という事で自分の運気が下がるみたいなイメージをするのは、当たり前の反応かなあ~ と思ったりする。

 

そのことを言う直前、口に出す前にちょっとだけ考えて、「これをそのまま言っちゃうと誤解を招くかなあ」 とか考えて、うそでも言えば済むと思うのに、わざわざ言ってしまったりする。

 

その大先輩は、「俺のオヤジから小遣いをもらったので」 と嘘は言わない。

 

たぶん、何のお金か、というのがわからないと預かる方も大変だと考えるのだと思うし、親が金持ちとかは恥じるものではないので、「俺はそういう家の子だ」 みたいに言ったりする感じがある。

 

問題は、たぶん「お金の使い方」 の方だと思うのです。

 

ことわざのようなものに、「貧乏人はお金の使い方が雑」 みたいなものがあり、「お金は使う為のものであって、お金に使われてはいけない」 というのが多分理解できていない。

 

お父さんに車を買ってもらう人はいたりすると思う。

 

でも、誰かにプレゼントしてもらうとかそういう部分と、使い方が雑というのは少し違っていて、破滅するようなギャンブラーに見えるという感じでしょうか。

 

上司が仕事が忙しいとかで、「ちょっと薬を買ってきてくれないか」 と頼まれた時に、「ドラッグストアより3割は安い傾向にあるのでディスカウント店の薬局で買っておきました」 と言うと、その人は別にお金に困っているわけではないのですが、「こいつお金の使い方ができているなあ」 と勝手にそう思ってくれるのです。

 

後は、「どこに住んでいるの?」 とかそういう話になった時に、「ディスカウント店のそばに住んでいて、夕飯とか作るのは面倒くさいので総菜を買うと夜は20%オフシールが貼ってあるので食費はお得になったりします」 みたいに答える。

 

必ずしも毎日とかそのディスカウント店に行って総菜を買っていなくて、コンビニで弁当を買っていてもそう言ってしまう。

 

「私はお父さんやお母さんに甘やかされて育ったなあ」 みたいな人は、過去はどうしようもないので、偽装すれば延命できると思うのです。

 

たぶん、人は甘やかされて育つと、買い物とかでその部分が色濃く出てしまうと思うのです。

 

私三之橋が小学生の頃にお金持ちの子とかが通っていた塾に通っていました。

 

合宿とかで、買い物テストというのがありました。

 

塾長の高級輸入外車でスーパーに連れて行かれて、そこで塾長が、「カレーライス、材料は〇〇、〇〇、〇〇、人数は〇〇人分」 みたいサッと書いて渡し、「おい三之橋、買い物してこい」 とお金を渡す。

 

1人で駐車場からスーパーに向かう過程で、「塾長はルールで、援軍を呼んではいけないと言わなかったので誰かに買い物してもらおう」 と考える。

 

お肉売り場に行って、そこで賢そうな、ご主人が家に部下でも連れてきてみんなでご飯を食べる家のご飯を作っていそうに見える人に、「すみませんお母さん、カレーライスに合うお肉ってあるじゃないですか。 それを買いたいのですが、これがそのリストで、買い物できないとお父さんに殴られてしまうので助けてください」 と言って、全部やってもらう。

 

お礼を言ってレジを済ませて1人で塾長の車に戻り、「ただいま戻りました~」 と帰る。

 

買いものができないと、塾長が、「親に甘やかされて育っているからで、お前が将来困るんだぞ」 みたいによく叱っていました。

 

塾長は、善人にはほど遠い人でした。

 

1度教えたことは2度は教えないと言っていました。

 

なぜか?

 

教えた言葉が頭に残らないのは、その人には必要のない知識なので、将来困ったりして、「昔塾長がそんな話をしていたなあ」 と思い出したりして、自分で調べるとかするのが人生だと言っていました。

 

チビッ子に真顔で、「カレーライスにはカレーにちょうど良いお肉というものがあり、1番高いお肉を買うのがバカなんだ」 とか言ったりする。

 

買いものに行かせた時に、できないというのは、その人に、「お前は買い物1つできていないんだぞ」 と認識させてあげないといけないと言っていました。

 

私三之橋は、買い物テストで怒られた事とかありませんがみんなよく怒られていました。

 

当時、塾長はネジれていた感じがあったのでたぶん小学生のチビッ子が解けない問題を出していると考えたので、お店で身なりを見て堪えられそうなおばさんを見つけ、代行してもらっていました。

 

他人の話を良く聞かない人だと、”テスト” と言われた時に学校の机で1人で回答するという感じの思い込みをするのでそうなってしまうと考えました。

 

塾長が簡単にルール説明した時に、「塾長は自分で人に力で買い物をしてこいと言わなかったので、たぶんネジれた塾長の癖から考え、アドバイスをあえてしないだけで、ここは自分の頭にないものは他人の頭を使えと言っていた事があるのでその作戦で良いのではないか」 と私は考えました。

 

学校でテストで100点とか取っているチビッ子がいて、あえてその子が1人で解けないような問題を出して。スーパーで全然知らないおばさんに助けを求め援軍を呼ぶというスキルがないと、不合格となる。

 

たぶん、「お前ら調子に乗って、自分がいつも100点取れるとか思い込むなよ」 とあえて失格判定となるような問題を出して、その人にできないと認識させていたと思うのです。

 

できない事は大学卒業して新社会人デビューするまでに修正しておけよという意味だと思うのです。

 

塾長みたいにネジれた人ってそうはいないので、塾長のネジれ方に対処できたりすると、大人になるまでにもそう困らない。

 

私三之橋のようにチビッ子時代に、”お買い物テスト” とかあったりしますと、たぶん「今からゲーム開始かあ」 というオープニングベルが鳴ったりした時に、「ルールはこんな感じか」 と一瞬何かを考える時間があると思うのです。

 

それでたぶん、大人になった時に企業で仕事をした時に、「それは法律に触れていないのか?」 とか、「それは倫理的な面で問題なかったのか?」 とかチェックされたりしても問題が出ないというか、撥ねられないのだと思うのです。

 

でも、チビッ子時代に甘やかされて育ったみたいな人は、車検に20万チョイとか支払ったりすると思うのです。

 

ちなみにその人は社有車で暴力団関係の土地に無断駐車して、「責任者出て来い」 と責任者が呼ぼ出された事で警察署に相談する案件となったりしていました。

 

「親に甘やかされた人って絶対に何かやらかすよね~」 と大人になると言ったりするのですが、社有車に乗っていてコインパーキングに駐車すれば済むのをわざわざ暴力団関係者の土地に無段駐車したりして、問題を起こしたりして、結局責任者が呼ばれるという事をやらかして、「アイツ頭が足りないよな~」 となり、その人の上司は難病となり、死んでしまいました。

 

たった1人の貧乏神に出会ってしまうとそんな結果になるというのは、ほんとのようでした。

 

みなさんも、部下ができた時には、お買い物テストをやらせてチェックしてみてくださいね。

 

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酔っぱらって逆走か

2023-10-17 16:02:12 | 知らないと恥をかく話

今日は家族の車で走行テストしていると、国道3号線から入った香椎浜入口交差点で逆走かなあ~ というのを見かけました。

 

 

上記は10月17日15時01分にスマホで撮影した写真です。

 

国道3号線から入って私の家族の車は香椎浜入口交差点で右折待ちという感じで右が香椎照葉になります。

 

左側にある第1通行帯はほとんどが左折し福岡都市高速道路の下に行く感じになるのですが、左折する車が遅いので「何だろう?」 と左を見たら、白いSUVが逆走している感じで停まっていました。

 

左側にコスモスのドラッグストアがあるので間違えて出てきたのかなあ~ と思ったりします。

 

福岡は県民条例で、福岡県内で飲酒運転の可能性ある運転を見かけたら110番緊急通報する義務があるとなっていますが、交差点で右折のタイミングがきてしまい、やりそこねてしまいました。

 

 

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突発性難聴をどういう風に攻略したのか?

2023-10-14 13:40:29 | 突発性難聴

今回は、YOUTUBEの動画の方にコメントをいただきました、「突発性難聴をどういう風に攻略したのか?」 という風に書いてありました。

 

突発性難聴というのは、例えば小学生くらいのチビッ子時代には、柔道などで耳を強打したという人がいて、「こっちの耳が聞こえないので、こっちの耳に話して」 と言ったりしていた子がいたりした。

 

1回言われれば覚えているので、指定された通りに話したりしていた。

 

大人になって、大学を卒業した後に会社員となり、働いている過程で、「突発性難聴になり、辞めます」 みたいな人がいて、「何だか大変そうだなあ」 という感じはあったものの、どこか他人事で見ていたと思う。

 

でも、自分がある日そんな風になった時に、どこか他人事で見ていたことが、自分事となってしまった事で、参ったなあ~ と精神的に凹むものを感じた。

 

どこかその現実をアクセプトできないようなものがあり、LENOVOのネットでオーダーした際にオプションで組み込みしてもらったJBLスピーカー搭載のノートPCでYOUTUBEの動画でも観ると、低音とかが聞こえやすくなるとかあったので、「とりあえずこれで何とかなるのでは?」 みたいに、深く考えないようにした感じ。

 

”メンタル・ヘルス” みたいな、精神を病んでいくかなあ~ と想像したので、先にそれをブロックというか、疎外すれば今より悪化し続けるという負の連鎖は絶てるのではないかなあ~ というイメージ。

 

そんな感じでリブートプレグラムみたいなものを組み立てていった感じになるでしょうか。

 

突発性難聴をどのように攻略したのですか?

 

上記の方にアウトラインを書いてみました。

 

例えば、どこかの総合病院などにずっと何かの病気で通い続けていると、おじいさんとか、おばあさんでも、どこかヤサぐれている感じはあったりすると思う。

 

例えば、その病気の事とかで何かを誰かにアドバイスされると、「それはもう知っている」 みたいな感じで、いろいろな情報をすでに持っているという感じだったりする。

 

でも、「情報と知識は違っている」 と思ったりするじゃないですか。

 

例えば、大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になった時にこういう事があったという話がブログに書いてあったとする。

 

それを今大学生の人が読まれ、「なるほどそういう事があったりするのか」 とネットで知った場合、それは情報みたいなものだと思うのです。

 

同じように大学を卒業し、あるいは高校を卒業して会社員となり、同じような経験をした人が読んだ場合ですと、「あ~それはわかるわ~」 みたいに共感できるようなものがあると思うのです。

 

例えば、自分のお父さんが飲食店をやっていたりして、高校を卒業してすぐにそのお店で働いたりして、社会人デビューをした人がいて、会社員として働いた事がないと、他人事みたいな話として、そのブログ記事を読んだりすると思うのです。

 

そんな感じといいますか、今高校生であったり、大学生であったりする人がネットで誰かの会社員ゲームではこんな事があるのでこう攻略しましたと書いてあったの読んだ時に、「楽勝じゃん」 と思ったりする。

 

そういった情報をいくら集めていたとしても、いざ自分が会社員になったりした時に、「うわっ、見るのとやるのとでは大違いじゃん」 となる事があると思うのです。

 

耳が聞こえないというか、まったく聞こえないわけでもない。

 

ある日難聴のおじさんのような世界となり、それは人生で初めての経験となるわけで、誰かがその治し方を親切丁寧に教えてくれるわけではないので、例えるならば大学を卒業し会社員となった時に上司が親切丁寧に仕事を教えてくれるわけでないのと同じだったりする。

 

例えば、男の子がいて幼稚園生とかなり、自分が自転車にまだ乗れなくて、友達が乗っているのを見た時に、上手く乗れる事ができないと悔しいとかあると思う。

 

自分が自転車に乗れないと、周りの子が自転車に乗ってどこかに遊びに行くというシュチュエーションでは置いてきぼりにされるような、ポツンと感があったりすると思う。

 

それで夜暗くなりかけても一生懸命に練習したりするとかがあると思うのです。

 

「僕は自転車に乗りたいんだ」 という想いみたいなものが、乗れないでこける恐怖感を上回ると、そうなっていく感じで、誰かが親切丁寧に教えなくても乗れるようになったりするじゃないですか。

 

ザックリ言ってしまえば、自分がそのままの自分でいるというのが許せないとか、自分が困るだけだと思うので、前に前に進もうとするのだと思うのです。

 

例えば、赤ちゃんがいて、子供の頃に親戚の家とかに遊びに行った時に、自分で歩くようになっていくとか見たりする。

 

それと同じように、幼稚園生とかが自転車に乗りたいと思って乗れるようになったりする。

 

たぶん、それをやりたいというピュアな気持ちが揺り動かしているのだと思うのです。

 

でも、人は大人になると、それができない理由とかを最初に考えたりするように、年齢のようなものを重ねる程に、そうなっていく感じがあるので、難しく感じるのかなあ~ と思うのです。

 

歩行器の中で、「歩きたい」 という想いの方が、「やりたくない」 というのを上回る。

 

自転車でも、「乗って動き廻りたい、走り廻りたい」 みたいな想いの方が、「転倒してこけた傷の痛み」 などを上回るのでそうなるのだと思うのです。

 

例えば、「突発性難聴になった事がある人が音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧めだと言っていたので買ってしまった。 そのまま一気に好転させるつもり」 と誰かに言う。

 

それがもしも失敗したら、自分がさらに惨めな気持ちになるとか考えるから、やれないとかあるのだと思う。

 

でも、難聴という事に陥っている時点で、十分に自分が惨めだったりするわけで、さらに好転させようとして上手くいかなくても、「惨めさというのは、そう大差ない」 と思うのです。

 

例えば、プロ野球中継で試合を観ていて、4万人とか観戦している人が見ている中で、「ここで抑えてくれよ~」 みたいな場面で出てきて、サヨナラ逆転ホームランを打たれる人ピッチャーとかいるじゃないですか。

 

9回とかにクローザーのピッチャーが出て来た時に、何か儀式をしているような感じがあるじゃないですか。

 

年俸〇億円とかのピッチャーがやっていたりするくらいなので、それは真似ている感じもある。

 

『今から始めようとしているゲームは、頭の中でチャチャッと作ったもので、それはヴィジャーボードのように最後まで行かないといけない。 俗に言う、”ファントム” の亡霊を捉えたようなものに過ぎないので、それを実践で組み立てていく時に上手くできない事があった場合、プライオリティは、感情でなく論理的な判断でやります』

 

みたいな感じ。

 

たぶん、小学生3年生の子供でも、1度始めた事を最後までいけないと、”手続き記憶” のようなものとして考えた場合に、その後の人生に諦める癖みたいなものになって、何か悪影響が出そうじゃないですか。

 

辛いなあ~、みたいな感情になった時にひょっとしたら泣くのかもしれないので、最初に感情よりも論理的なもので判断すると決める感じ。

 

後は小学生5年生の時にトランペットの鼓笛隊に入っていて、プロ野球球場で演奏するイベントがあり、高熱を出してしまった時の事をちょっと思いだす。

 

熱が39℃とかあって、言いづらいのですが、「休みたいのですが」 と言いたいのに、「大した事なくて良かったな」 と女性の先生に言われてしまった。

 

自分たちの演奏の時間がくるのを待っている時に、「最後までいかないとどうしようもないなあ」 と思ったりした。

 

普通であれば病室のベッドで氷枕とかであ~とかうなりながら寝ていると思うのに、ちょっとした仕事が終わらない限りは横にもなれない。

 

意識が朦朧としている中で、「これは途中で意識を失うとか、倒れるとか、失敗したら大変な事になるのではないかなあ」 というのが気になる。

 

演奏の時に眩しいライトの中で、何をやっているのかが頭でよくわからないのにやっていて、終わると、「終わった」 と脱力感を感じた。

 

一説によると人は12歳までに覚えたりした事はボケても覚えていたりするといわれているので、小学生の頃に何かのハードルを越えたような記憶を思い出して見る感じ。

 

『指がパチンと鳴ったりするような、オープニングベルのような合図が鳴ったら、保護しているものは全部外してアドレナリンを出し切っちゃってください』

 

そんな感じで締めくくる感じでしょうか。

 

例えば、大けがをした時とかに、あまりの痛さとかに意識を失うとかあったりする。

 

心霊動画とかでも、何か幽霊みたいなものが出た時に、「きゃあ~っ」 と叫んで意識を失う人が出たりするじゃないですか。

 

あまり良い経験でないとかでその時の記憶も覚えていないと言ったりするじゃないですか。

 

そんな感じなので、何か頭が混乱した時の為に、「こういうマイルールでゲームを始めますよ~」 みたいな感じで、何かこういうやり方でお願いします~ と整理しておく感じでしょうか。

 

例えば、動物は襲われるようなシュチュエーションに遭遇すると、怒りの感情で吠えて、脳内にアドレナリンが溢れて、血圧が上昇し、血流が早くなりブドウ糖などが送られ、瞬発力とが出るようになると言われています。

 

チビッ子の時に観たゴジラの映画でも吠えていたし、プロ野球を観ていてもピッチャーが声を出して投げるとか、バッターが声を出してホームランを打ったりして、「声が出ていましたね~」 と解説者が言うじゃないですか。

 

ザックリ言えば、アドレナリンが溢れ出て、何かリミッターで制御されていたのが外れれば、瞬発力などは絞り出せると思うので、怒りの感情ではなくて、自分が、「ここは踏ん張りどころですよ~」 と認識できればアドレナリンは出ると思うので、「自分が合図を出したら、そういう方向でお願いしますね~」 みたいに言う感じでしょうか。

 

何かハードルを乗り越えた記憶などを思い出した方が良いので、「あの小学生5年生の時に、”何でこうなったのだろうか” と思う感じで病院に行ったら、”そのくらいなら出て来られるよね?” と言われてしまい、野球場に行って、1歩間違えば死んでしまうのではないかと感じていた」 みたいな緊急事態の事を思い出す。

 

12歳まで覚えた事はボケてもやると言ったりしますので、サバイバル訓練とかを振り返ってみて、「あんな死にそうな事を乗り越えてきたので、今回この突発性難聴での攻略では死なないと思えるだけマシかなあ」 と考える感じ。

 

「自分史上、しんどいなあ~ と感じたらワースト10にも入らないのではないか」 みたいに考える。

 

良くも悪くも甘やかされて育っていないと、たくさん辛かったような思い出はあったりするので、その点では楽なのかもしれない。

 

ベースというのは、チビッ子時代の思い出とかではないかなあ~ と思うのです。

 

「あんなこともあったりしたのに、そのハードルは乗り越えられて今に至るので、少し頑張ればきっと上手くいくとかそんな感じじゃないかなあ~」 と考える感じ。

 

思考停止というか、頭が朦朧としてくると考える力が無くなると思うので、「こういう感じでいきますか~」 というのは最初に確認していく感じ。

 

私三之橋の場合は、その場から逃げ出したいなあ~ とは思わない。

 

自分が高熱を出して、嫌々ならが現場に入った時に周りの人に当たるとか、愚痴を言うとかもなかったりする。

 

友達が人生詰んでしまった時に10代なのでトランキライザーを飲んで、お酒を飲んでとやっていて、その後どうなるのか? を見てしまった事で、お酒も飲まない感じ。

 

お酒を飲むのに付き合わされて、グズグズとずっと言われ続けると疲弊する感じがあるので、「だったらそういう風にお酒を飲まなければ少なくとも付き合わされる人は助かるのではないか」 と考える感じ。

 

そういう崩れ方をするよりは、”抗う人であった方がまだ周りの人は助かるのではないかなあ」 と考える。

 

周りの友達とか、何かフォロワーの人がいた場合、無理に付き合わされるのって悪いじゃないですか。

 

映画とか観ている時に、何か失敗してお酒に溺れる人が出てきたり、自分を嘆く人が出てきて、「俺は自分の事を嘆いている奴を見るのが1番嫌いなんだ」 と言ったりするじゃないですか。

 

30プリウスを買いに行き、エンジンをかけてもらって、「これ試乗できますか」 と訊いたら、「車検を切ってあるので、まさか試乗されるとは思わなかったので、今すぐ準備しますが、敷地内だけとなります」 と言われた。

 

「それは面倒でしょうから試乗はしなくて良いです」 と言ったら、「ほんとに大丈夫ですか」 と言われたので、「エンジンフードを触って冷たかったのでコールドスタートになると思い、エンジンかけてもらって異常な音は聞こえない気がしました。 それで買って失敗したなあ~ となればそれは私の責任だと思うので、もう1台30プリウスを買いますよ」 と言っている。

 

自分が実車を見て、それで買うと判断してそれが故障しまくるとかした時に、それを売った人のせいにするくらいならば、もう1台買うとかした方が自分の為には良さそうじゃないですか。

 

仮に200万円の中古車を買い、「ハズレだったなあ」 となった時にもう1台さらに200万円出して買い足せば、さすがに記憶力がない人でも、自分が失敗した事をずっと忘れないでいられそうじゃないですか。

 

「ヤサぐれると自分がカワイソウ」 というのがある。

 

逆に言えば、「ヤサぐれなければ、まだリブートのチャンスはあるかなあ~」 と考えている感じ。

 

チビッ子時代に、お父さんが何かの商売をしているような人が塾とかに行かされ、良くも悪くも10歳とかくらいから堕ちていく子がいたりするので、目に見えてしまうじゃないですか。

 

スーパー特待性の子とかと一緒にいると、どうしても堕ちていくダツラクするとこうなるというのは見てしまう。

 

ダツラクしない人は、ダツラクしていく人を見続けるので、あんな堕ち方をするとマズイよねえ~、 みたいなものがあったりするので、深く堕ちないようにしている感じはどこかあるような気がする。

 

例えば、どこかの会社で働き、上手くいかない事があった時に、深酒して酔いまくりとかをするよりは、さっさとその仕事は捨ててしまい、田舎とかで農業をやるとか全然想像できない世界に飛び込んだ方が、過去の失敗を思い出す暇がなかったりして気が楽ではないかと思ったりする感じ。

 

日本では古くから、「言霊(ことだま)」 というものが存在しているといわれています。

 

例えば、大学を卒業して新社会人デビューして、1度もやった事のない仕事をやって、と言われた時に、「うわっ、無理だあ~」 という風に受け止めると、いざやるとほんとに上手くいかないとかある。

 

1度上手くいかないと、次にまた似たような、「この仕事をやって」 と言われた時に前の失敗があるとそれを引きずってしまい、また失敗するとかあると思う。

 

でも、失敗を考えずに、「上手くいきそうな気がする」 という考えでやっているとほんとにそうなったりする事がある。

 

世の中には人生が上手くいかなくなったりした時に、心霊動画でも富士山の樹海のようなところで首を吊ったりして自殺する人がいたりする。

 

私三之橋の場合は、「それは死んだ後に自分が可哀想な気がする」 と思うので、ほんとにそういう自殺をしないといけなくなったらどこか高級ホテルに宿泊して綺麗な部屋で死んでいくような選択をすると思うのです。

 

ホテルマンとして働いた時に、各フロアを巡回して歩くという仕事もあるのですが、「三之橋さん、〇〇階は飛ばしてください」 という変な指示が回ったきたりする。

 

部屋で誰かが自殺したりすると、そのフロアに近づくと何かあるといけないので行かずの間、みたいな行ってはいけないフロアが指定される事がある。

 

あくまでも聞いた話になるのですが、どのホテルで清掃で入った時にどうも人が死んでいるみたいだ、というのを遭遇する事があるらしくて、その場合専用の人に連絡するらしい。

 

その人がすべて請け負ってくれるので、後はみんな気づかないふりをして絶対にその話題をしないようにしているような感じがある

 

「〇〇〇〇号室はどうでしたか?」 

 

みたいに質問もしないのがルールのような感じ。

 

「見ざる・言わざる・聞かざる」 みたいな、特定の事に関しては触れてはいけないみたいな暗黙のルールみたいなものがある。

 

どうしても、何かその事が気になったりして、その結果頭がおかしくなった、みたいな気が触れるという人が実際にいたりする。

 

例えば、「おいあそこに部屋に行ってみようぜ~」 と大学生のバイトの子がこっそり部屋に行っていて、その後に頭がおかしくなった子とか実在したりしているみたいな感じがある。

 

なぜ、ホテルで死んでしまうのか?

 

一般の人が宿泊できないような最上階のエレベーターもないフロアの部屋とかで寝ていても、お昼とかになると起こされるというのがある。

 

自殺とかに限らず、お酒でも飲んで眠って、そのまま目覚めない人は普通にいたりする。

 

その為清掃に入って確認するというのがあるので、自殺して何日も放置されない事になるので、自殺する人にはホテルが最後の時間を過ごすという点で人気が高い。

 

でも、自殺したりしたりする人って自分の事で精一杯だったりするので、その片付けをする人の事とか考えていないと思うのです。

 

それで、「私三之橋がもしも自殺でもしないといけなくなったら、山の中に入って死のうとか考えたら誰もいなくて怖くなって、それで首でも吊って成功した場合、犬とかに食べられて自分が可哀想な気がするので、ホテルに行って死のう」 みたいに考えるのです。

 

でも、ホテルマンとして働いたりした事があると、そういう自殺される人のお世話を一手に引き受けている先輩社員みたいな人がいたりするというのを見てしまう。

 

そうするとね、自分が死んだのを発見した清掃のおばちゃんとかが驚きまくり、トラウマになってしまうとか、後片付けしてくれる人が、「また今日は残念な日だった」 みたいに疲弊していくような気がするのです。

 

そうするとね、「自分が死んでいるのを発見してくれた人と、後片づけしてくれる人に、これを差し上げます」 と手紙に書いて現金も300万円とか500万円とか置いておくのが礼儀ではないかなあ~ と思ったりするのです。

 

賃貸のマンションとかで自殺する人とかでもそうだと思うのですが、その部屋の家主は、ショックを受け、リフォームでも損害出ると思うのです。

 

食べ方が汚い人を忌み嫌う人がいたりするように、たぶん死に方が汚いとショック受ける人がいると思うのです。

 

「私は掃除をするのが好きなので」 というおばちゃんがいて、額に汗を流して働いていたりする。

 

ホテルだと多くの人が見るホテルマンというのは、帰国子女みたいな若いお姉さんがフロントに立っていたりする姿で、AKB48とかにセンターに立っていたりするようなカワイイ女性だったりする。

 

ホテルの前とかを歩いていると、高級車がサッと寄ってきて、ホテルマンの若いお姉さんをナンパしようとしている光景とかざらに見る感じ。

 

ある日清掃のおばちゃんがいつものように部屋のドアを開けていたら、そこに死んでいる人がいたら、それは心霊動画に出てくるような幽霊とバッタリ遇った人が絶叫したり気絶したりするように、驚き、「もうドアを開けられない症候群になってしまい」 みたいになり、辞めたりするじゃないですか。

 

人生はシーソーゲームだと思うので、誰かが死んだ日に、その扉を開けた事でお金でも手にしてハッピーになる人がいないと帳尻合わない気がする。

 

いつも死んだ人のお世話をしている専属の係みたいな人が、「20年やってきて、今日はアタリの日だった~」 と思う事がないと続けらない気がするじゃないですか。

 

ホテルマンはつまらない日常という連続だったりします。

 

館内を巡回する人がいたりすると思うのですが、最新式の防犯カメラシステムがあるので、サボれない。

 

歩いていると変な人に声をかけられてしまう。

 

外国人が自販機のところにいて、「すみません、英語をしゃべれますか?」 と訊くので、「すみません、英語なんて全然しゃべれませんので」 と答える。

 

そうすると凄く笑って、「この子が飲み物を買うのに、ラベルが読めなくて」 とフランス人のお父さんと幼児の男の子がいる。

 

ここだけの話として、「えっ、人の話を聞いていますか? どこか外国に行った時に自動販売機とかを見たら、何が出るとか予想できなくても適当に買えば良いじゃないのかなあ~。 外れたらそれはそれで笑えるだろうし」 と思ったりするのです。

 

子供が飲みそうな順番を考えて、「これは水で、これはオレンジジュースで・・・」 と説明しないといけない。

 

最後にメルシーとか言われて、フランス人だったのかなあ~ と思ったりする。

 

ぱっと見何人とかわからないので、「すみません、もしもお時間があれば、私はスペインから来て質問したいことがあるのですが」 とか言ってもらえば、フロントに電話して、「スペイン語がわかる人を1人廻して」 と言って終わると思うのです。

 

でも、何語かもよくわからないのに、そのまま早口でしゃべる人がいて、援軍を呼べない。

 

例えば、病院だったらそこには何人かわからない外国人がきても、熱があるとかわかりそうじゃないですか。

 

でも、ホテルだと、遥々海を渡って来てみたら、お腹の具合が良くないとか相談する人がいる。

 

空気を読んで仕事をするみたいな感じなのですが、その割にチップとかもらえない。

 

そういうイメージから、ホテルで死んだりする場合には、アタリと思えるくらいの何かがあった方が良いと思うのです。

 

でも、そういう考え方をしている人はあまり死にたくなる事が無かったりする感じ。

 

何か1つの決まったモノの見方をするという事で人生が詰んでいるのかもしれない。

 

考えるというのには、考える時間帯を変えるとか、考える場所を変えると同じ事を考えても違うものが見えたりするといわれています。

 

家の中にいて、何か同じ事を考えているとすれば、外に出て車を運転しながらキラキラ光る海岸の水面とかの景色を見て考えると違ったものが見えてくるのかもしれない。

 

もしも、自分で死んでしまおう、みたいなそういうものを考えたとしたら、いっその事とエンドロールはこういう感じかなあ~ みたいに考えて、全部が重たい話だとそのストーリーはつまらないだろうから、お礼をプレゼントするとかを考える。

 

「自分が可哀想な人」 という風に考えていた主人公を「ある日ホテルの部屋のドアを開けた清掃のおばちゃんが、驚いたが、その出来事は結果的にお金ももらえたのでそんなに悪い出来事でもなかった」 みたいに考える。

 

ただ、「可哀そうな自分」 という同じシーンの映画をリピート再生しているような、壊れたレコード盤の音楽を聴き続けているようなもので不快さであったり、不安とか、恐怖があるのかもしれない。

 

頭の中のそのシーンを早送りさせるとかすれば、その不安は消えるとか、薄くなるのかもしれない。

 

世界的に見ても10代とかのメンタル・ヘルスとかが問題になる事があると思うのですが、誰もそういう見方がどうとは言わない。

 

自殺に至った原因のその人が悪いとかそんな話をする。

 

でも、ひょっとしたら、100人が100人、誰かに酷い目に遇わされたからと言って、全員死んだりしてはいないので、何かものの見方が違う事で死んでいないだけなのかもしれない。

 

私三之橋の場合は、大学を卒業して、新社会人デビューして会社員1年生となっていった。

 

その会社で、システム部門の責任者の50代の部長が、上司の部長と話していて、システムを作るという話でシステムの部長が断っていた。

 

さすがに銀行に出すという事でビビるものはあったと思う。

 

そこのテーブルに呼ばれて、「俺はとにかく忙しくてできない。 そのくらいなら三之橋君、君でもできるよね?」 と無茶ぶりされた。

 

会社員ゲームというのは、ある自分よりも大先輩がいて、何かの仕事をさせられるというシュチュエーションでは、その人に何か大義名分があるかのように伝家の宝刀を振り下ろすという感じで押し付けられることはよくある。

 

その場の雰囲気で、もう断れない空気感しかない感じで、それでも断るととんでもない喧嘩に発展しそうな感じと言えば良いのかもしれない。

 

でも、そういうシュチュエーションで、逃げたという事はたぶん1度もない。

 

「わかりました」 と言って請け負っているだけだったりする。

 

良くポジティブに仕事を積極的に挑んでいるように勘違いされる人がいらっしゃるのですが、どちらかと言えばそんな綺麗な話と違い、ドロドロした話だと思う。

 

例えば、OL姉さんの先輩に、「先輩聞いてくださいよ。 システム部のあの〇〇さんにこんな仕事を押し付けられてしまっちゃいました~」 と愚痴った事もたぶんない。

 

「やれと言われたので、それをやっていれば給料がもらえるだけありがたいかなあ」 と思ったりする。

 

それで最終的にできたシステムを銀行側に送ったら、審査して、ヒアリング調査に来てしまい、プログラマーの人が担当していた。

 

大人なのに、「自分は何もわからない。 言われた通りに作っただけ」 とどこか逃げまくりの言い訳をした感じ。

 

銀行のシステムって、そもそもシステム屋というコンピュータメーカーから派生しているスペシャリスト集団みたいな人達なので、それで審査されて絶賛されるとかあったりすると、その結果会社に役立つ人という評価になってしまう。

 

そんな感じで逃げないという事ができると、昇進するという結果だったりする。

 

例えば、主婦の人がいて、自分が買い物に行きたくないとご主人に、「ちょっと行ってきて」 と頼むとかあると思う。

 

自分が車に乗っていて、あまり車に詳しくないとかで車検でも、ご主人に、「ちょっと行って来て」 と頼む事があると思う。

 

でも、それをひたすら繰り返していくと、年を取ってご主人が死んだり離婚した時に、自分ではできないような苦手な事だけが増えていたりして、自分に跳ね返るとかあると思うのです。

 

誰か人に頼るが為に、シーソーゲームのように自分がダメになっていく。

 

でも、逆に言えば、善人にはほど遠い人たちと働き、押し付けられるのをやったりしていると、シーソーゲームなので自分が上がっていく感じはあっても、落ちていくという事は無かったりする。

 

その会社ではもう学ぶ事はない気がして転職する事になり、簡単には辞められないので毎月、「三之橋君を引き止める会」 みたいな飲み会をシステム部長が開催し、会社の経費で飲み食いする2人となってしまった。

 

それで、「三之橋君のやっていた仕事なんて誰でもできるんだ。 心配は要らん俺が全部やってやるよ」 と言って、「それは止められた方が良いです」 と言っても認知症のおじいさんに話に耳を傾けてはもらえない。

 

その結果、たぶん1,000人くらいを超えるレベルで地獄に突き落としてしまったみたいでした。

 

その会社では、最初に、「なんだか嫌な予感するなあ」 と振り向いたら高齢者の役員が杖を振り下ろす感じで、「うわっ危ないっ」 と避けたらカウンターに置いてあった500,000円か1,000,000円くらいの人形ケースとか人形が粉々になってしまった。

 

よくある総合病院の売店で売っているアルミ製みたいなものでなくて、メチャ高そうな木、紫檀とかそんなので頭に当たったら終わりじゃないですか。

 

たぶん、病んでいるみたいな人が何人もいた事で転職したいとなったのかもしれない。

 

たまたまそういう会社に就職しただけでしょ?

 

と思うかもしれませんが、ホテルマンは凄かった。

 

前任者は、最初は良かったみたいで、幽霊にでも遭遇し悪霊にでも取り憑かれたかのように別人になった感じの人だった。

 

何だか近づきにくい雰囲気しかないので勇気を出して質問してみたら、「そんな事もわからないんですか、はあ~っ」 と言ってどこかに行ってしまい、翌日から出社しませんでした。

 

占い師でも、最初に名前とか生年月日を訊くとかあると思うのに、1つ質問したら怒らせてしまい、2度と会えなくなってしまった。

 

気が触れてしまったらしいのですが、行く気がしないと来ないという凄さでした。

 

そんな感じで壊れた人を見てしまう。

 

テレビドラマを見過ぎてしまい、それが人生だと思い込むような人と違い、リアルな世界で壊れた人を見てしまう。

 

壊れた人が、「あの時はどうかしていたよ、もう病院で治療して治ったよ。 あの時は酷い事を言ってしまいごめんね~」 という事はない。

 

そういうイメージから、病気でもした時に、人生が壊れる時はドミノ倒しのように早いと言ったりするので、「だったらそのドミノが倒れる過程でどこかでブロックすれば全部は倒れないような気がする」 と思う感じで精神を病まないようにしているかなあ~ と思うのです。

 

例えば、世の中の仕組みを勉強するのに、テレビドラマや映画を観て、あるいは小説を読んでいる人はいると思います。

 

その場合、「頭が壊れた人」 というのは、演者が演じている病院などしゃべれない長期入院みたいな人かなあ~ と思う。

 

そうするとね、付き合っていた彼氏と結婚した女性が、そのご主人がおかしくなった時に、「頭の壊れた人はあのイメージかなあ」 とテレビで演者を見た姿を思い出して、「まだ壊れていないような気がする」 みたいになると思うのです。

 

俗に言う、”思い込み” というやつですよね?

 

私三之橋の場合は、頭の壊れた人とかは実際にリアルに見た人という、データベースは自分の経験したものを使っていたりします。

 

一般の人が見ないようなスーパー特待性の子と一緒にご飯を食べたりしたり、その人が天才にしか見えないのにその力を失って崩れていくとかも見ています。

 

データベースに、演者が演じた演技のようなものを使っていないので、その辺で差が出るというのはあると思うのです。

 

例えば、一般の人が、「お金持ちの人」 というお題でも出されたら、YOUTUBEに出てくる有名なYouTuberの動画で紹介されるお金持ちの買い物した結果とかではないでしょうか。

 

でも、私三之橋の場合は、「お金持ちの人」 という事で想像した場合、日本一の高級住宅街といわれている芦屋というところに生まれた時にはもう住んでいたというボスであったり、テレビとかでも絶対に紹介できない放送できないというメディアには出てこない人だったりするのです。

 

リアルなもので構成されている方が、よりリアルに、思い込みとかない組み立て方になると思ったりするのです。

 

例えば、今大学生の人がいて、将来卒業して社会人になった時の備えのようなものとして、偶然グーグル先生でみつけたブログを読み、「これはどこかの上場企業の正社員の人の日記だ」 みたいに読んだとします。

 

でも、その人はほんとはその企業の正社員でも3軍みたいな人かもしれないじゃないですか。

 

ひょっとしたら、派遣社員なのかもしれないし、ほんと別の会社で嘘ばかり書いているだけなのかもしれない。

 

でも、それを読んで間に受けてしまうと、間違って覚えてしまう事とかが増えると思うので、いざどこかの会社に入った時に、「何だかアイツおかしいよねえ~」 みたいになる事もあると思うのです。

 

リテラシーとかも重要なので、全く読まないとか観ないとかもどうかなあ~ とは思いますが、その世界に魅かれすぎるというのは気を付けた方が良いと思ったりします。

 

 

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子供が道路でボール遊びで110番緊急通報しPC派遣要請

2023-10-05 10:42:41 | 110番緊急通報

昨日は夕方道路でボール遊びしていたので、110番緊急通報しPC派遣要請しました。

 

ポケットからスマホを出して110番緊急通報し、子供が道路でボール遊びをしているので、注意して欲しいと伝えました。

 

しばらくするとクラウンパトカーがやってきて測度を落としていたので外に出て、「あっちです~」 と指を指した。

 

現場に到着し2名の警察官が降りて、人数などを現認され、うち1名がこちらに向かってやってきました。

 

「通報された方ですか」 と訊かれ「はいそうです」 と言いました。

 

通報者は110番緊急通報した理由の説明をする。

 

道路で今週ドリブルをする姿が急増して悪化しているように見え、交通量の多い場所なので事故に遭う可能性がある。

 

道路は遊ぶところでないのに、バスケットのドリブルをしてうるさい。

 

そういった事を説明し、後は住所、氏名、携帯電話番号、職業などを聴かれ、「お名前などは伝えませんので」 みたいに通報者は匿名みたいに子供たちには言われない説明をされ現場に戻られました。

 

その後は、福岡県警の警察官ですので、福岡市議会議員などに報告をあげる。

 

例えば、ドリブルをしてうるさいという問題。

 

大人でもいるのですが「俺は誰からも苦情がきた事がないので人に迷惑をかけた事はない」 と思い込んでしまっている人がいたりするじゃないですか。

 

小学生の子供でも男の子が外で遊んだりする際に、「ここは音がうるさいと思うので公園に行こうぜ」 となったりする。

 

バスケットのドリブルでオフェンスとディフェンスでボールを奪い合うというのは、最低2人いるわけで、両方がそういう感覚でないと、脳の偏桃体がそういうのを感じないのか? 人に言われた事がないからわからないのか? という疑問がある。

 

小学生の子供が遊ぶ時に、「あそこに精神病んだ人が住んでいるので、あそこはヤバいので」 と地理学的な事を言うのはよくあると思う。

 

でも、精神病の人の前の道路でドリブルをしたりしているので気づいていないように見える。

 

その住人がドリブルの様子を見に行った感じがあり、意外とキレた時に凄いキレ方をするので、子供や女性だとトラウマになる可能性もある。

 

人に注意するという場合、強く怒れば良いというわけでもなくて、衝撃が強いと解離性健忘症を起こして記憶が飛ぶとかあったりする。

 

1度そういう解離性健忘症になると、次回以降も記憶が飛ぶだけになるという負のスパイラルが起きるので、ちょうどよい起こり方をする必要があるので警察官が好ましい。

 

後は、事故の問題。 自宅前のデカい屋根付き月極駐車場で耐震補強工事が始まり、足場を組み、防音シートを張って死角が急に増えている。

 

ノラネコが轢き逃げされて死んでいるような場所なので、ドリブルしながらボールを奪い合い、至近距離の視点となっているのでボールを追いかけて車に跳ねられる事故も考えられる。

 

警察官であれば、「通報されましたのでやってきました」 と言って、伝家の宝刀を振り下ろせる。

 

「君たちがお名前は何というのかな?」 と名前や住所などを聴いて、保護者に連絡する事ができる。

 

FBI行動分析課は、「人には3つの顔がある」 と言っていますが、親が子供が道路で遊んでいても知らないのかもしれない。

 

後は教育委員会等を通してその子の学校などに道路でボール遊びして警察沙汰になったという事例を子供たちに紹介できるとかある。

 

まるで何かに憑りつかれたかのように地面にドリブルをする。

 

それはバスケットボールが好きすぎるだけかもしれないし、家族環境等ストレスからくるもので何かを忘れたいのかもしれないし、そういう事情は誰かが訊いてあげた方が良い。

 

ドリブルが好きであれば学校の体育館でやらせるとか、クラブに入ってそこで練習するとか、いろいろあると思う。

 

子供のスケボーでの110番緊急通報した場合でも、どういう子供たちがいてどういうスケボーで遊んでいたとかの事例から公園をスケボー練習場に変えようとなるのかもしれない。

 

おじさんとかおばさんとかが、子供がボール遊びしていてそこで直接注意したら、もっと誰もいないような場所に移動するだけで情報の共有化はできなかったりする。

 

医者でも、すべての人は救うことはできないという現実があると思う。

 

でも、対象者が未成年という場合だと、学校に警察のPR活動されている人が行って講演するとか、その大勢の子供が聴いて、18歳の大学1年になって普通自動車運転免許証を取得して運転している時に、道路でボール遊びしている子供を見てポケットからスマホを出して110番緊急通報する人が出てくると思う。

 

市議会議員の人でも、昔から学校で講演するとかあり、親が熱心な人だとフォロワーになってくれ、ずっと連続当選している人とかいたりすると思う。

 

何か1つの出来事がきっかけで展開するというその先に何かあるのかもしれない。

 

今回のように、ボール遊びをしているので注意して欲しいとか、後は酔っ払いがうるさいので注意して欲しいという内容での110番緊急通報をした場合、必ずしも表に出て誘導するという事はしない傾向にあります。

 

万が一、パトカーが到着してわからないと、通信指令センターから発信したスマホに電話があり、「警察官が捜索したが見つからず確認ですが」 と言われたりします。

 

わざわざ外に出て行き、それを通報された人が見てもめるという可能性もゼロではない。

 

後は110番緊急通報した時に匿名希望とか言う人もいたりしますが、通報者の情報は保護されるので、あまり匿名希望とか言うと頭のおかしな人に思われる可能性もあったりします。

 

「私は110番緊急通報とか苦手で」 みたいに言われる人もいたりするのですが、”援軍を呼ぶ技術” みたいなものですので、それが欠落すると大人の人生はしんどくなるだけだと思います。

 

例えば、独身の人がアパートなどに住んでいるとそこに空きが出て誰かが引っ越してきて、宅飲みをしたりして騒がしいとか起こる事がある。

 

どうすれば良いのだろうか?

 

みたいなものがわからないと自分がお金を出して新しい物件に引っ越すとかになる人もいる。

 

そんな感じを繰り返すと疲弊していくかなあ~ と思ったりします。

 

後は、「あいつがまた騒ぎやがって~」 みたいな怒りの心情だったりすればそれは110番緊急通報しない方が良いかなあ~ と思ったりします。

 

 

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工事で音がうるさい

2023-10-03 10:35:11 | 110番緊急通報

耐震補強工事が始まり、自宅前で工事の音がうるさいという感じです。

 

「朝8時にはもう工事が始まりうるさい」 と家族が言っていた。

 

「まあ、朝7時になれば解体工事でもできるので仕方ないよ~」 と私は言った。

 

俗に言う、”刑務所ルール” というやつですよ。

 

刑務所では朝6時40分起床で、夜9時就寝と決まっている。

 

病院に入院した時でも家族が夜9時に就寝となっていて眠れないし、暗くなり怖いと言っていた。

 

世の中のしくみが何もわからないという人もいるのですが、世の中のしくみとしては、「人が寝ている時間帯」 とされている標準時間みたいなものが決まっていたりします。

 

例えば、私が深夜に近所にある賃貸マンションに住んでいるっぽい外国人が深夜に隣人に家の前の道路に寝転び1時間とかスマホでテレビ電話のようにデカい声で通話していたとか、エスカレートして私の家の前で立って通話するとか、通行人を装い近所の道路を行ったり来たりするとかで110番緊急通報して警察感から注意してもらったりした。

 

あるいは、近所のアパートにそこに住む大学生の部屋に同じ大学生が集まり、宅飲み会でもあり、その後なぜか外の道路で騒いだりしていてうるさいので、110番緊急通報してPC派遣要請で警察官から注意してもらった。

 

その理由の1つに、俗に言う ”刑務所ルール” として、「人は夜21時に就寝し、朝6時40分までは寝ている時間帯」 という風に世の中が動いているから、というものがある。

 

一説によると、人は眠る時間になっても眠れないとかで、まったく寝かせないようにすると精神が崩壊するという説もある。

 

警察24時とかのテレビ番組でも、高校生とかが深夜の23時とかに外にいたりしてたむろしていると、「高校生が外にいるべき時間ではないよ」 と注意したりするじゃないですか。

 

18歳の大学生が初めて1人暮らしをしたとします。

 

そこに大学生の男性と大学生の女性などがやってきて、全部で3人で宅飲みしたりする。

 

そのやってくる人達というのは、「自分の住んでいるアパートに友達を呼び宅飲みはしない」 みたいな人だったりするので、集まってきたアパートでは騒いだりする。

 

部屋の中だけで窓を閉めてエアコン入れてやれば済む話ですが、なぜか自分の住んでいるアパートではないとかの理由で外の道路とか踊り場でデカい声でしゃべり続けているとかが起きたりする。

 

高校生でもそうだったりするのですが、とあるアパートに住んでいる子がいて、そこにデカい音のバイクでやってくる友達とかがいたりする。

 

その子が人気あるとかでなくて、たぶんそのアパートでは騒いで誰も注意しないような雰囲気があるみたいな理由で集まってきて、次第にエスカレートしていく。

 

意外とあるのは、どのタイミングでどう注意すれば良いのかがわからないというものだったりする。

 

ほんとは初めて1人暮らしをした大学生1年生とかで覚えないといけないかなあ~ と思うのですが、夜にうるさいとそれはもう本来寝ている時間帯という事を認識できていないわけで、その人が騒ぎ周りの人を巻き込み住人も眠れないとなるのはちょっと~、と判断して110番緊急通報してPC派遣要請できないといけないかなあ~ と思ったりする。

 

わざわざ人が集まって、酒でも飲んでいるところに隣の部屋に住む人がわざわざ出向き、ピンポンでも押して注意すれば、言い方1つ気に入らないだけで喧嘩になるという事は想定内となる。

 

後は集団心理のようなもの。

 

そもそもそこに集まる理由の多くは、「俺の住んでいるアパートではやらない」 みたいな人が集まっていたりするわけで、誰かに注意されるという想定ではないと考えられる。

 

そういう人が気の済むように騒いでいたりして、集団心理として3人とかで騒いでいるところに1人で注意しに行くと、相手が警察官を除いては、「何だこいつは? 俺に注意しに来たぞ~」 みたいになり騒いでいる方が喧嘩しやすい雰囲気になったりするじゃないですか。

 

人間関係がないような人に、何かを注意して是正させるというのは技術的にかなり難易度は高くなるものがある。

 

例えば、平成29年東名高速道路夫婦死亡事故でも、パーキングエリアの駐車枠がない場所に車が駐車してあり、ちょっとバカちんに見えてしまったのだと思うのですが、ミニバンに乗った家族が横を通り過ぎる際にスライドドアを開けて、「邪魔だ、ボケ~」 と言ってしまった。

 

そのそばでタバコを吸っていた彼氏が見てしまい、怒りの感情となり追跡し、煽り運転をしまくり最後は高速道路の真ん中で止まり「殺さないでください」 と懇願しているところに後続車のトラックが突っ込み夫婦は死亡し、子供2人は残されてしまったという悲しい事故が起きている。

 

あるいは高校生4人とかで電車に乗っていて、前のシートに座ってタバコを吸っている半グレの人に、「タバコを吸わないでください」 と注意して、殴る蹴るとかの暴行に遭い駅でも10分くらい暴行されて救急車で搬送された事件があった。

 

そういうトラブルに発展する事があるわけで、そこはよく考えないといけないと思う。

 

たぶん18歳の大学生1年生の子でも、「ここは安全パイとして伏線を張っておくか」 とポケットからスマホを取り出して110番緊急通報してPC派遣要請して、警察官から注意してもらっているだけだと思うのです。

 

例えば、大学生1年生の人が男女4人で宅飲みして、外に出て騒いでいる。

 

そこに隣の部屋に住むおじさんが1人で注意しに行くと酒を飲んでいて集団心理も働くので、「何だこいつ?」 となる。

 

でも、警察官がお仕事で、ハクション大魔王のように、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」 とやってくると、小学生のガキでも、「これはお仕事でやっているので、派遣された警察官は通信指令センターに報告するので、もめると援軍がジャンジャンやってきて面倒な展開になる」 とわかったりする。

 

警察官がバイクの人でも止めて職務質問する。

 

その時に、「何で俺がそんな事を言われないといけないんだ~」 とか激高される人もいる。

 

そうすると住宅街にクラウンパトカーとかが7台縦列駐車して、援軍がジャンジャン来るじゃないですか。

 

やっぱりね、押し負けるという事があれば世の中が成り立たなくなるじゃないですか。

 

国が警察官に捜査する権利を与えているわけで、それを拒まれるとかで、強く言われたからと言って引き下がれない。

 

そうすると頭のおかしな人が1人いて、それに対して警察官は人数でも圧倒する援軍が来て教育する。

 

例えるならば、「1度警察官に逆らえばこういう風に大勢援軍来ちゃいますよ~」 と実演して見せる。

 

そんな感じなので、110番緊急通報してPC派遣要請し警察官が現場に行って、そこに人がいるのを現認して、「私どもは通報があって呼ばれて出て来たのですが、今はこういう時間で人が寝ている時間帯というわけなので、あなた異常ですよ~」 と笑ってそう伝家の宝刀を振り下ろす。

 

人は頭がおかしくなると時間の感覚が真っ先におかしくなっていくという説もあり、それはたまたま酒を飲んで酩酊状態に陥って判断できないだけなのかもしれないし、育ちが悪いだけなのかもしれない。

 

人が毎日暮らしている日常のバランスのようなものが、ある日おかしくなって崩れた感じになっただけなので、その均衡を誰かが取ってあげる方が良いわけで、でもその辺のおじさんとかおばさんが出て行くよりは話が早いと考えられる。

 

警察官は昔なかったような警察官を切りつけるような事件が起きた事で防刃(ぼうじん) ベストを着用していたりする。

 

日頃訓練をしていたり、そういう変人とかの対処に慣れているじゃないですか。

 

わざわざ善意で注意してもそこで、人である限り見落としする事もあるわけで大けがをするとか、死んでしまうのかもしれないので、「伏線を張る」 という安全策で対処しているだけだと思うのです。

 

例えるならば、人が友達でも家に来て食事して酒でも飲み、普通はアパートでも一戸建てでも近所にデカい声でしゃべるとかあれば迷惑だよなあ~ くらいは考える力があり、窓を閉めて部屋の中で18歳でも宅飲みできるかなあ~ と思う。

 

でも、誰かが注意して是正させてあげないとその人はエスカレートしていく傾向にあるし、どこかその人はそういう癖で人生詰んでしまうとかあると思う。

 

110番緊急通報してPC派遣要請するという人の事を「嫌いな人を虐めている」 みたいに思う人もいるし、怒りの心情からそういう行動に出ていると思う人もいる。

 

でも、怒りの心情というのは、自分の運気を下げるだけなので、普通は怒っているような状態で110番緊急通報してはいないと思う。

 

私の場合、大学の入学式で高級車に乗ってきている子がいて、たまたま同じクラスで、当時で300万円とかの新車に乗っていて、お父さんの車だろうかと訊いてしまった。

 

でも、「俺はさ~、4年後にはどこかの企業に就職していて営業車にでも乗るつもりなのでその時に自分が困らないように今こうやって大学に来るのにも普通車の乗用車を運転しているだけで、何だお前そんな事も知らないで生きているのか?」 と言われた。

 

例えば、精神病の人だと、「俺はそうは思わない」 とか言いそうじゃないですか。

 

あるいは、自分の事を少しでも否定されて、「お前バカじゃね~の」 みたいな言われ方をしたら怒りの心情が抑える事ができなくなるとかありそうじゃないですか。

 

でも、「人は見るな。 人を見ると誰でも惑わされてしまうので、状況を見ろ」 と小学生の頃に塾長が教えてくれたりするじゃないですか。

 

普通の人が見て、ぶっ飛ぶくらい高額な授業料を取って、それでも教えてやってください~ と親が懇願するような塾長が言った言葉がまるで嘘とは思えない。

 

「お前、そんなことも知らなくて生きているのか? バカじゃね~の」 みたいに言われた時に、「その言い方っていったいどの立ち位置で言っているのかな?」 とかでなくて、その人がそこまで自信を持って言い切っている事に興味を覚える。

 

ざっくりした話で車の運転でその後の人生が左右されると15歳の頃にはもうアルバイトをしてお金を貯めていて、少なく見積もっても3年その行動が続くという部分の延長線上に大学生の時代4年間が加わると合計7年間となるじゃないですか。

 

自分の目の前にいる、国産高級4ドアセダンの後期型という発売されたばかりの新車に乗っているその人が余程頭が悪いような人でもない限り、その信念に基づく何かがあるように見えた。

 

今年はショッピングセンターで、精神を病んでいるように見える人に、「死ね」 とか言われたのですが、特に怒りの心情ではなく、気持ち悪いというものだった。

 

高校生の頃はスーパー特待性の子といつも一緒で、「こいつ天才だなあ」 と思う事が多かったのですが、大学では受け入れ先がみつからないということでなぜか私は推薦とかもあったりした。

 

自分なりの分析として、私の場合は小学生の頃に、「人生はこの法則を使え」 みたいな事を教えてくれる塾に通っていたので、そのわずかな差のようなもので前に進めていただけのような気がするのです。

 

でも、世の中の多くの人は、人を見過ぎて、論理的に考えてはいないと思う。

 

例えば、大学を卒業して新社会人デビューし会社員1年生となる。

 

その時に上司が親切丁寧に教えてくれるとかがあれば、「私はあの上司が好き」 となったりする。

 

あるいは、「あの人のあの言い方はちょっと嫌い」 と言ったりする。

 

ちなみに私の当時の上司は飲み会とかでよくOL姉さんが「あの人が上司だったら嬉しいのに」 とか、「あの人がお父さんだったらお金持ちだし嬉しいのに」 みたいな社内で理想の上司ランキングでトップを走るような人だった。

 

でも、部下であった私から見て、特に理想の上司とは思っていなかったと思うし、別にお父さんであったらとかも思っていなかったと思う。

 

何か仕事というものを教えてもらえたような記憶もなくて、ただいつも忙しいそうな人だった。

 

入社して、OL姉さんのチョイ年上の先輩となる人とかに、「まるで親子のように仲が良いよね」 とか言われたりするのですが、普段ランチを一緒に食べているわけでもないし、夜はシステム部の責任者の部長と角打ちで奢ってもらう感じだった。

 

昔、大沢たかおさんがテレビで言っていた。

 

モデルから俳優に転身し、そこで田村正和さんと共演し、絡む役でどうしてもうまくできなかった。

 

監督に、「もう1度撮りましょう」 と言われそうすると田村正和さんが「やりましょう」 と嫌な顔をするわけでもなく、「こういう風にした方が良いよ」 とも言わないで繰り返し撮影する。

 

そんな話をしていた。

 

そういう感じと言えば良いのかもしれない。

 

会社員になり、上司の人が何か親切丁寧に仕事を教えてくれるわけではない。

 

例えば、写真を趣味で撮りまくっていた人がいて会社のビルで展示会をすることになったので、新しく入社した部下である短大卒の女性と2人って会場の受付しながら仕事をしてと言われたりする。

 

生まれて初めての部下みたいな人に、「部長に訊かなくて良いのですか?」 と訊かれる事があるのですが、上司は接客中か、接待ゴルフに行ったりしているので、電話をかけるのはちょっと~ となる。

 

応接室にノックして入り、「申し訳ありません、どうしてもここがわからなくて」 という台詞は言わない方が良いかなあ~ と思った。

 

たぶん仕事がほんとにできるかどうか? を試すには、いかに上司に相談するとか質問しないでやれるみたいな部分が出せないとダメだと思うので、上司の性格とかを考えて決めていく。

 

一般的な話として、人は小学生とかになると宿題を出されたり、お母さんが、「勉強しなさい」 と言ったりする。

 

学生というのは何かを教えてもらうとか、勉強とかをするのが仕事のようなもの。

 

でも、大学生1年生になって親元を離れてどこかの県外で1人暮らしを始めたら、お母さんと離れた事で一気にダメになっていく人もいたりする。

 

次に待っているのは大学を卒業して新社会人デビューして、その会社で会社員1年生になった時に、仕事で特別酷い事でもなければ、その仕事のやり方が良いとか悪いとか言ったりしなくなるというサイレントな世界なので、人によっては、「誰からも注意されていないので何も間違っていない」 と思い込んでしまうケースはある。

 

そのような事態に陥ってしまう原因というのは、「人は見るな惑わされぞ、論理的に考えて行動せよ」 みたいな事ができない事にあったりすると思う。

 

そんな感じだと思うので、110番緊急通報してPC派遣要請となり、制服を着た警察官が注意したりした時に、良くも悪くもその人は人を見て判断する癖みたいなものがあると考えられるので、もめる事もなく収束を迎えると考えられる。

 

「う~ん、深夜にAmazonの動画視聴サービスで心霊動画を観ているのに、酔っ払いがうるさいなあ~。 そうだ、110番緊急通報して警察官から注意してもらって、心霊動画をゆっくり観るかあ~」 という感じで110番緊急通報しているだけだと思うのです。

 

お話を工事に戻していくと、工事が朝人が起きている時間帯に事前告知をしてやっている。

 

今回の場合ですと、10月10日から1カ月は壊す作業が中心となり、ちょっとうるさいとは思いますが・・・ と説明されているわけで、「異常性はどこかにあるの?」 という部分で、ないと思うのです。

 

日中家に居て、それでうるさいなあ~ と感じた場合、「場所に問題がある」 という事になり、自分でショッピングセンターに買い物とかに行って時間をつぶして帰るとか、ショッピングセンターの紀伊国屋書店で立ち読みしてくるとか、ドライブに行くとか、公園に行ってみるとか、自分の行動で場所を変える事でその問題は和らいだりする。

 

例えば、「このブログ記事に出てくる110番緊急通報で出てくるポリス・マジックとはどういうものを対象にしているのか?」 と訊かれた場合、「ポリス・マジックは、人に問題があるのを対象にしているのです」 となります。

 

月極駐車場を借りている人がいて、ある日深夜に帰ったら誰か全然知らない人の車が駐車されていて、ポケットから携帯電話を出して110番通報をした。

 

その時に、「こういう感じで困っています」 と言えば、それは110番緊急通を受けた通信指令センターの警察官は、「ここは相談する場所ではありません」 となると思う。

 

その時に、「僕が借りてある場所に車があり、何とかしてほしい」 と言ってしまえば、警察はモノを対象としていないし、モノを動かす事もしていないので、まあ見当識障害のある人の通報かなあ~ みたいに思われてしまうかなあ~ と思う。

 

今日は、ワイドショーを見ていると、「119番通報で2割関係のない通報をしてくるという感じで急増していて、本来必要としている通報が受けられない事態となっている」 という内容で放送していました。

 

その事例を紹介していて、「家の水道が漏れているので今すぐ助けて~」 とおばあさんみたい声でテンパった感じの通報を紹介していたのですが、「そもそも救急車とかってモノを対象としていなくて、人を対象としていて、その人というのは病院に搬送して欲しいとかの困った人」 というのが理解できていない。

 

後は入院している人がベッドでナースコールを呼んでもなかなか来ないのでと119番通報している人もいたりする。

 

それと同じで、月極駐車場で無断駐車が遭った場合でも、モノではなく人に問題があるという通報があった時に通報者の通報内容を通信指令センターの警察官が聴いて、ロジック的に話に問題がないか? とかを判断され、「それでは現場に警察官を向かわせます~」 と言われるのです。

 

例えば、最近遭ったボール遊びをしている子供がいて、110番緊急通報をして、PC派遣要請となり現場にクラウンパトカーが到着したというのがありました。

 

「何を対象とした通報なのか?」 と訊かれた場合、「人を対象としている」 となります。

 

人にもいろいろあるわけで、「人に問題があると判断した通報」 となります。

 

「その人のどこが問題なのか?」 と訊かれた場合、「道路は遊ぶところではないという認識ができていない」 となります。

 

過疎地のような場所の道路と、都市部の道路では交通量が極端に違っていたりするじゃないですか。

 

遊んでいる道路で子供たちは夢中になり楽しいかもしれない。

 

でも、ボールが何かのはずみで車が飛ばしてきたところに死角になっている場所から飛び出せば、運が悪いと轢かれてしまい、大けがをするか、死んでしまう事もある。

 

「まさか子供がボール遊びしているとか想像できなかったもので・・・」 と飛び出て来た際に運転者は心臓が止まりそうになるくらい驚き、急ブレーキをかけるのかもしれない。

 

夕方の暗くなりかけている夜の帳がおりていく時間帯は交通事故も急増する時間帯だったりする。

 

現場に派遣された警察官が現場を見て、確認して、注意できる範囲でその子供にここでは危険だよと教えるとか、未成年であれば保護者の親に知らせるとかで、その子は無駄に死んだり怪我をして後遺症で一生苦しむとかもないのかもしれない。

 

酔っ払いとかでもそうですが、人に問題がある。

 

酔っ払いが騒いで、隣の住人が我慢していて限界に到達して、その家に出向き、「いい加減にしろや~」 と怒号が響くシーンとかテレビドラマでもあるじゃないですか。

 

そうすると言われた方もその言い方とかに対してミラーリングの法則で怒って、「何だお前、俺に喧嘩売っているのか~」 と言って喧嘩になるとかが起こる事がある。

 

人は大人になった時に自分では何となく無断駐車の被害に遭った時にでも、対処できると思っていたりする。

 

でも、生まれて初めて110番緊急通報をかけて、お断りされてしまったりする人がいる。

 

もう深夜で、どうすればよいのかわからなくなってバッドを持ってきて、照明の点灯した月極駐車場でじっと何時間も待ち続けて疲れて家に帰ったと言っていました。

 

「見るのとやるのとは大違いだった」 と言ったりする。

 

インターネットでグーグル先生に訊いてみよう~ みたいな人は、ネットで書いてある110番緊急通報で失敗した事例とかを読んだりしているので、余計人生が悪化していくとかあったりする。

 

コンピュータに詳しくないと、何かを検索してそこに表示されたウェブサイトが正解で選ばれたという風に思い込んでしまったりする人もいると思う。

 

ググるとか、検索エンジンで検索するというのは、情報を集めるという行動になる。

 

例えば、道路でボール遊びをしている子供がいて、自分の家の前とかそばでうるさいと感じたりした人がいて、ネットで、「ボール遊び 子供 対処方法」 みたいなキーワードで検索したとします。

 

そうすると、グーグルで1番上に出てくるところには、下記のように書いてありました。

 

「子供のボール遊びを迷惑行為だと感じたら、まずは注意してみましょう。 それでダメなら防犯カメラを設置したり、学校に連絡したりするのが有効です。 物が壊されるなどの被害が出た場合には、警察に連絡してください。 また親が損害賠償を拒否する場合は、弁護士に対応を任せるのが適切です。」 と。

 

でもね、冒頭に書いてある、「子供のボール遊ぶを迷惑行為だと感じたr、まずは注意してみましょう」 と書いてあるじゃないですか。

 

田舎とかの過疎地で車も滅多に通らないような道路ですと、そこで遊んでも何も起こらないのかもしれません。

 

でも、都市部で車がガンガン渋滞を回避する目的で住宅街の裏道を通り抜けるとかで多かったりしますと、子供がボールを追っていき飛び出すと車に轢かれるとかあるわけで、迷惑に感じるというよりも、危ない。

 

私三之橋が小学生1年生とかのチビッ子時代に学校で遊んだりした子の家に遊びに行くと仏壇があり、そこにその子に似た子の写真があり、「この子にはお兄ちゃんがいたけれど、交通事故に遭って死んでしまったのよ。 だから外で遊ぶ時には気を付けてね」 とその子のお母さんが説明してくれたりした。

 

ちょっと悲しい気持ちになり、線香を上げたりした。

 

でも、また違う子の家に行くと同じような事に遭遇するとかある。

 

私三之橋も、幼稚園生になる前だったと思いますが、自転車に乗れるように近所の先輩が教えてくれ、自転車に乗って遊んでいたらタクシーに跳ねられるという衝突事故で病院に運ばれた事がある。

 

お腹とか胸に包帯をグルグル回いて、「かすり傷で大したけがはしていないよ~」 とおじいちゃん先生に言われすぐに家に帰れた。

 

でも、同じように車に轢かれた子が死んでいて仏壇に写真があったりすると、「運が良かっただけかもしれない」 と思ったりする。

 

「何回死にかけたのですか?」 と訊かれた時とかがよく思い出せないくらいとなるのですが、病院で心停止という記録もある感じ。

 

「学校に連絡するのも有効」 と書いてありますが、普通の人がそこまでしないと思う。

 

どこの子とかわからないし、子供は自転車に乗って隣町とかに遠征したりもする。

 

だったら、最初に警察官を呼んで注意してもらい、警察官であればその人の名前とかどこに住んでいるとか訊く事ができるので、その子供が注意されたりして、それでも止めらなくて事故とかに遇えば、それは家族も含めて、「1度警察官がわざわざ注意してくれたいたので」 と少しは納得できるのかもしれないじゃないですか。

 

「効率を考えた時に、警察官という捜査ユニットを投入した方が無難かなあ」 というのを一瞬ではじき出した感じが110番緊急通報してのPC派遣要請となっただけだと思うのです。

 

例えば、今高校生であったり、大学生だったりするような学生という人がいた場合、「社会人になるまでに何をやった方が良いですか」 と訊かれた時に、普段の暮らしの中で、「あれは警察のお客さんかなあ」 と感じたりした事があればポケットからスマホを出して110番緊急通報しPC派遣要請してその問題を解決するという体験とかではないだろうかと思う。

 

例えば、私三之橋の場合は、大学生になった時に18歳でもう周りの子が普通自動車運転免許証を取得して、普通車サイズの中古車に乗り、「車の運転がその後の人生を大きく左右する」 と言ってやっていた。

 

入学式の日に、国産高級4ドアセダン、当時エグゼクティブカーと呼ばれていた新車に乗っていた子が妙に目に着いてしまい、話しかけてしまった。

 

それで大学生時代の研究テーマは、車の運転技術を伸びしろの限界まで最短で昇り詰める方法となってしまったので、その検証過程でスピード狂という事になり、ある日道路に白バイの警察官がズラ~っと出てきて道路封鎖されてしまった。

 

そばにあるバスに連れて行かれ、奥に怖そうな人が手招きしていたので前の方に座ろうとしたら、「頭のイカレた人は署長が担当しますので1番奥に」 と言われてしまった。

 

警察署長と名乗られるその人がいた時に、ヤバいなあ~ と思った。 警察署長には現行犯逮捕する権限もあったりする。

 

スピードも出したりした走るという、ちょっと調子に乗り過ぎているので、逮捕しても良いんだぞ~ と叱られてしまった。

 

例えるならば、「この世の終わりの日がきてしまった」 みたいなどこか落胆する気持ち。

 

警察24時とかで、電車で盗撮していて調子に乗っていた人が、「警察だ」 と突然出て来た人に逮捕されるとそこから先は思考停止して言葉を失うとかある。

 

私の場合は思考停止する事もなく、訊かれた質問の意図とかを考え、普通にしゃべってそれで終わった。

 

良くも悪くも、知らない人が、”ペテン師” と呼んでいたりするくらいので、意外としゃべる事はできたりする。

 

大学生を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生となった時に、必要なスキルは、「しゃべれる事ができるかどうか」 だと思う。

 

全然知らないような人たちが社内で忙しいそうに働いていて、新参者は暇だったりする。

 

OL姉さんという自分よりチョイ年上の女性先輩が働いていて、会話もできないといけない。

 

隣のデスクにOL姉さんが座って仕事をして、隣に座った新入社員の男性がいて、まったくしゃべれないと気持ち悪いとかある。

 

でも、しゃべり過ぎてうるさいとかだと、「邪魔な人」 となってしまう。

 

「ちょうど良い会話ができれば、それが1番正解」 みたいになる。

 

大人になって、「私は知らない人としゃべるのが苦手なので」 と言う人は少なくない。

 

顔も見えない電話で知らない人と話すは苦手と言ったりする。

 

でも、会社員は、そもそもお客さんとか取り引き先の社員とか会った事もなく電話で話すだけというのも仕事なので、それができないのに会社員になるというのは、変人だと思われるのはないかと思ったりする。

 

インターネットで、「ボール遊び 子供 対処法法」 みたいな検索を調べてみて、現実的とは思えないものに誘導されて、どこか間違って覚えてしまう事があるので、実践して覚えていくのが良い。

 

18歳になって大学生1年生になり実家を離れて1人暮らしをして、アパートとかに住んだ時に酔っ払いがうるさいとかあった時に、ポケットからスマホを出して110番緊急通報してみる。

 

Galaxy シリーズだと通話自動録音できたりするので、後でそれを聴いてみて会話をチェックするとかも良いと思う。

 

会話というのは、相手によって組み立てる会話を考える必要がある。

 

1つはシュチュエーションから、「警察署に110番緊急通報してそこにいる通信指令センターの警察官に説明するのだから、こういう言い方でいくか」 みたいなものがある。

 

全然会った事もないような顔も見た事もない人じゃないですか。

 

会社の取引先と話す通話と違い、笑いを取るみたいなものは余計な会話となるとかある。

 

ダラダラと長い文節でしゃべると聴いている人は何の話か分からないと思う。

 

声の大きさも考える必要はある。

 

例えば家の前で騒いでいる人がいれば、深夜とか周りが静かな時だと、わざわざデカい声で通報すると外にいる人に聞こえてしまうケースもある。

 

「ヘッドセットして聴いている場合は、このくらいのささやきでも聞こえるかなあ」 とか調整する事もある。

 

相談する場所でもなかったりする。

 

警察に相談する場合は、警察相談専用電話の#9110となるし、救急の相談は、福岡県救急医療相談窓口#7119となっている。

 

自信のない人は会話全般が何か言い切るみたいな断言のようなものでなくて、「もしも良かったら来てもらえればいいなあ」 みたいな言い方をする人もいる。

 

通報者がどうしたらよいのかが自分でわからないという感じになると、事件性が考えられるとかでないと、電話を続けても意味がないという判断になる事もある。

 

速い人だとテンポの良い会話となり、おそらく2分もかからないくらい。

 

逆に遅い人だと、頭が混乱するのか、認知機能が低いのか、10分くらい経っても何かを訊いては、「それはさっき訊きましたね」 と同じ会話があったりする。

 

例えるならば、「今日はアタリの日かなあ」 とか、「今日はハズレの日かなあ」 みたいなものがある感じ。

 

”110番緊急通報ガチャ” みたいな感じで繋がった警察官によって変わるようなものがある感じ。

 

テレビでハクション大魔王が出てくるときには、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」 と同じハクション大魔王が出てくる。

 

でも、警察官の場合は、バイク2台で2名の制服警察官が来る事もあれば、クラウンパトカーが来る事もあるし、時には、覆面パトカーみたいなもので来て刑事さんみたいな人が来る事もある。

 

救急車の場合だとサイレン鳴らして走ってくるので、”非常信号灯” を持って外に出て振ると「了解した」 みたいな感じですぐにサイレンを切ってくれる。

 

近所の人に迷惑になるので、外に出てどこに車を置いてくださいという誘導が必要となる。

 

ちなみにホテルなどデカい建物とかの場合は、119番通報するとどこに車が停まるという風に事前に取り決めてあるので、救急車を呼ぶとそこにホテルマンとかを立たせておき、そこからは室内とかにホテルマンが誘導すると決まっていたりする。

 

一口に110番緊急通報と言っても、それは毎回同じ言い方をするというものでもなかったりする。

 

簡単さでいえば、119番の救急車派遣要請とか、消防車の派遣要請の方が失敗が少ないし、反省点でも誘導とかができないくらいかなあ~ と思う。

 

もしも、大学生がいざという緊急事態で110番緊急通報してみて、会話が上手くできないとかあれば、まだ大学生なので、「話し方教室」 とかに通えば、社会人になるまでに少しは修正できると思う。

 

会話というのは、あまり書籍を読んでも意味がなかったりする。

 

それは、相手によって会話が七変化するという可変する事にある。

 

会社員になった時に、「この人は長い話をすると嫌がるので、先に結果を書く」 みたいなものがあったりする。

 

会社の報告書でも、報告書の相手によって言葉とか説明の仕方を変えるという事が必要になる。

 

1つも1つの報告書の書き方だけしていると、「あいつは相手の事を考えていない」 となり、読まずに捨てられるとかの結果を招き、次回以降は自分に報告書がこないように仕事を調整されたりするので、仕事を失う結果となる。

 

会話が苦手という人は、その可変する部分がわからないだけだと思うのですが、どちらかといえば、それは才能とかではなくて、”場数の差” のようなものでしかないと思う。

 

会話でしゃべられる、みたいなものは当然メールのようなものもあったりする。

 

高校生であったり、大学生の人だと、ヤフオクとかメルカリとかのフリマのネット通販もお勧めとなる。

 

例えば、私の場合はメルカリでゲーミングノートPCという中古を買って、その際に届いたものがなんとなく不調に見え、OSアップデートをした時に、フリーズして使用できなくなりました。

 

 

メルカリでゲーミングノートPCを買ったら壊れたので返品してみた

 

 

上記がその時の事例になるのですが、メルカリでは商品が届いた時に、”受け取りボタン” というものを押さないといけない。 例え押さなくても受け取っているのはネットで確認できるので一定時間経過すると自動で処理される。

 

メルカリ事務局にトラブル報告というものを行う。 やはり荷物を届いて受け取りまでしているわけで、すぐに受け取りボタンを押せない事情を説明しないといけない。

 

次に届いたもので動作確認中に不具合が起きたという事を出品者にも伝えないといけない。

 

「こういう風にしてもらっても良いですか」 と書いてくるのでそれを試してどうだったとスマホでやり取りしないといけない。

 

届いたのは15時で、その1時間後にはもう動かなくなり16時くらいからやり取りして日付が変わり1時となったので、「今日はもう遅いので続きはお昼くらいにしましょう」 と書いたりしました。

 

朝目覚めるとメルカリ事務局からトラブル報告受付専用画面もできていた。 トラブルが解決するまで有効となる特殊な画面でそれにはスマホで撮影した写真にテキストを貼り付けて説明できる機能がある。

 

個人的な主観として、「あくまでも中古品を買うという事で、今回のような起動できなくなるという故障が起きた場合、それ1つだけであればそのまま受け取りボタンを押しても良いかなあ~ と思ったりするのですが、やり取りを見てもらえばわかると思いますが出品時野商品説明ではほとんど使っていないと書いてあるのに、購入後には大きくその辺も変わっていたわけで、どう考えてもこれは返品して本人に確認してもらった方が良い気がするので、返品の交渉をしていきたい」 と説明を書いていた。

 

例えば、ある人は商品を受け取り、「自分はとにかく忙しい人なので1カ月くらい確認する事ができずに、今日開封してみたらこういう故障をしていた」 みたいに言う人もいる。

 

でも、現実社会としては、そんなに食事もできないくらいに忙しいとかは理由にならず、やはり24時間以内にサッと確認したりして受け取りボタンも押すという方が当たり前とされていたりする。

 

私がルーズなのでなくて、届いてすぐに動作確認するという努力もして、1日も使用できない結果となったのは偶発的な故障なのかもしれないけれど、送料等負担するので返品させてもらえないでしょうか?  と出品者に打診もしている。

 

一般常識のようなものとして、この状況の場合だと、返品が落としどころかなあ~ と考え、また送料等を負担してあげた方が良いとも考えた。

 

メルカリ事務局からの提案が届き、出品者が購入者が出たので送料が負担となり、住所等を教えてもらう必要はあるが購入者が元払いで送るとそれも実費を負担しないといけなくなる。

 

その実費負担をされた分をメルカリポイントで還元するので実質負担はゼロにできますと書いてあった。

 

メルカリにはすぐに、「賛同します」 と送った。 猶予時間は24時間以内で返信するように書いてありました。

 

その後しばらくして出品者より基本は賛同するのですが、匿名配送で発送しているのでどうしても住所や名前を教えたくないので、下記に匿名配送を使う裏技が書いてありそれが実際にできるのかまでは知らないがそういうやり方での返送を希望したいと書いてありました。

 

メルカリ等、匿名配送で送ってくる商品は安心できそうな気がしますが、メルカリでは匿名配送で配送できても返品では使えないという制限があります。

 

1つは匿名配送という事で個人情報を知られたくない人が個人出品しやすい。

 

でも、個人間の出品で売買された後に簡単に匿名配送で返品もできると、悪質な返品とかも増えると考えられる。

 

その為にクロネコの匿名配送システムを利用して返送した。

 

意外と送料は高いという現実もあったりする。

 

メルカリで出品者がゲーミングノートPCを¥1,000くらいで送れるのに対し、クロネコメンバーズだと2倍くらいの送料となるのでクレジットカードで落ちる。

 

メルカリとかヤフオクとかで個人出品者から中古を買っていたりしますと、いつかはこんな故障に遭遇して、電話ではなくてシステムの中とかメールにテキスト文で故障をしたりしていかないといけなくなるというのがある。

 

ヤフオクでもメルカリでもよく、「何か不具合があったりした場合にはいきなり評価に書きこむ人がいらっしゃるのですが、まずはその内容をお知らせできるような人だけ購入してください。 それができない人は購入されないでください」 と書いてある人は少ないと思う。

 

やり取りするというのは面倒でもあるのですが、それができないと人生しんどくなるというものがあります。

 

ちなみに私の場合は返品しまして、1カ月チョイ経った頃にその人が再出品されて、「前回PCもろくに操作できない素人の人が購入され、メルカリ事務局に泣きつかれ、止むを得ず返品となりました。 メーカーに相談し工場出荷時のソフトをダウンロードしセットアップしてあり、PC操作をできないレベルの人が購入しないでください」 と書いて出品され、別の人が購入されました。

 

たぶん私の事だと思いますが、「PCもろく操作できない酷いレベルの人」 と書いてありました。

 

ちなみに私の場合は、そのゲーミングノートPCが人気あったりして使ってみたいと購入したわけですので、返品はしましたが、別の人から美品という同じ型式のものを購入しておりますが、空冷ファンの動作とかたしかにおかしく感じていたので買い直したゲーミングノートPCで確認したらそのような症状は確認できませんでした。

 

ちなみに私も企業のコンピュータシステムの設計をしたりするとかあるのですが、どうしてPC操作もできないド素人と思われたのかはよくわかりませんでした。

 

顔も見えない、名前もわからないという匿名な世界というのになった時に、言葉遣いが少し乱暴になるとか、上から目線になる人もいたりします。

 

でも、相手がどんな人であっても、交渉するというのができないと、それは大学を卒業して社会人になった時に困るだけかなあ~ と思ったりするのです。

 

そんな感じなので高校生あったり、大学生の人はヤフオクとかメルカリで個人出品者から何かの中古品を買うということもやっておくとよいかなあ~ と思ったりします。

 

メルカリの場合ですと、メルカリに事務局にトラブル報告をした後に、「受付ました」 と返事がくれば専用画面が出てきて、そこでメルカリ事務局にどういう内容でどういう解決の方向性で交渉していきたい」 と写真も撮って送る事になるので、面倒といえば面倒だったりはします。

 

やはり逆の立場で考えた時に、「なぜ返品の交渉をしたいと言っているのか」 というのがわからないと変人だと思われてしまう。

 

出品者とのやり取りの画面で感情的になって何か暴力的な言葉でも書き込むとかあれば、やはりそれは自分の癖みたいなものになると思うので学生時代に怒りが抑えられないというのがわかるだけ良いと考えます。

 

上手く説明する言葉が浮かばず、思考停止する時間が長ければ、それは大学を卒業した後で就職するという時に、やはり社員が少ない小っちゃな会社に入った方がコミュニケーションスキルで差がでにくいと考えると思うのです。

 

才能ではなくて、”場数の差” みたいなものだと思うので、社会人になった時に差が開いてしまっていれば、もう後から追っても追いつけない可能性が高いと思うのです。

 

上手くいかなければ、それは、「私は問題が起きた時にそれを自分では解決できない人なんだ」 となるのかもしれない。

 

でも、それはそれで事前にわかっていたりする方が同じ失敗を繰り返さなくて済むだけ良いのかなあ~ と考える。

 

人は大学を卒業し、新社会人デビューして、会社員1年生となったりする。

 

自分が1年生なのにもう短大を卒業した女性OL姉さんという部下ができたりする。

 

わからない事は全部上司に訊けば? となるし、電話でも、「ちょっと代わってください」 と振ってくる。

 

「自分もまだ会社員1年生になったばかりで、ちょっとわからなくて」 とは言えない。

 

会話というのは才能ではないと思うし、特別専門知識が必要というわけでもなくて、相手の言っている言葉を理解できるかどうかだったりする。

 

その辺は、18歳の大学生1年生で自動車学校に通い、普通自動車運転免許証を取得し、普通車の中古車でもローンで買い乗っている過程で車検とかあったりするので、専門用語でしゃべられた時に理解できる人とそうでない人がいると思う。

 

その経験から自分が理解できる方か? そうでない人なのか? は自分でわかると思う。

 

大学生時代までは、所詮は、”学生” というカテゴリーになるので、「はい、これが問題用紙と回答用紙です」 と渡されたものに、事前に参考書などを丸暗記さえしていれば、100点が取れてしまったりして、その点数が上の人が偉いのかもしれない。

 

”偉い” という言い方も適切なのかはわからないのですが、とりあえず上にいれば不安はないという世界。

 

でも、社会人になり会社員になるとそれらが一変するようなところがある。

 

男性が大学を卒業し、会社員1年生となった時に女性の部下ができたりして、同じ1年生なのにどう見ても男性の方が難易度が難しそうに見えたりする。

 

それだけではない。

 

短大を卒業し、生まれて初めて会社というものに入社して、男性の上司ができたりすると、「えっ、あの三之橋さんが上司になるの? かわいそう~」 みたいに同じ女性のOL姉さんの先輩が言うケースもある。

 

テストで100点を取り続けたような、チビッ子時代から「俺はテストは超得意なんだ~」 みたいな人でも、その採点基準が大きく変わると人生も大きく変わる変革の時となる。

 

例えば、某中古車販売店の前副社長の話題が今日はテレビに出ていましたが、お父さんが操業した会社で、生まれつきお金持ちの子という立ち位置となり、でも務めた企業ではそんなに評価もされなかったという話があったりする。

 

「俺はあの有名な国立大を出ているんだ」 みたいな人でもどこかの企業に入社した時にその自信がいつまで続くか、というのは自分でもよくわからないと思う。

 

生まれて初めてできた女性の部下のOL姉さんには不評で仲良く仕事ができないで、罵られるという人もいると思う。

 

部下とか誰かに電話を代わって、と言われた時にその先の相手と上手く会話が噛み合わないとかもあったりすると思う。

 

あまり、しゃべれないという風に周りの社員にそう見えてしまうと、「あの人はコミュニケーションスキル的に無理じゃない?」 みたいになって仕事が減っていくとかあると思う。

 

電話の場合は、少し練習でもしておけばそこまで失敗する人は珍しいのかもしれない。

 

でも、お客さんは顔を突き合わせて話すという事になるので、「ちょっと目つきが良くないね」 みたいな見た目も加わってくるので、コンプレックスでもあると、早めに成形手術でもしておく方が良いのかもしれない。

 

俗に言う、「人当たりの良さとか悪さ」 みたいなものも採点基準に加わってくる。

 

大学を卒業し、会社員1年生となった男性がいて、すぐに短大を卒業した女性OL姉さんという部下ができる。

 

それはAKB8とかでセンターにでも立っていそうなカワイイ感じの子で、社内カワイイ子ランキングで一気にトップあたりになった可愛さだとします。

 

今大学生の男性から、「それは楽しそう」 と思うのかもしれませんが、遊びだと楽しいと思う。

 

でも、ずっと女子高とかであまり男性と過ごしていない感じだったりするように見える。

 

そういう人が部下となった時に、たぶん1週間くらいで、お兄ちゃんみたいな関係を構築できないといけない。

 

例えば、『三之橋さんという人が上司で、年上で、ここは言葉使いとかも気を付けないといけない』 みたいなよくある関係性となると、ダメかなあ~ と思う。

 

「年齢も近いので、友達のように仲良くしようね」 みたいにならないと、その子が思った事をイチイチ言わないとかになる可能性が出てくるじゃないですか。

 

お歳暮とかの季節になり、会社のピッカピッカな新車の黒塗りの車を1人で運転して、銀行の頭取の自宅に届けて来いと言われたりする。

 

住所を見て、ゼンリンの地図を見てドライブルートをサクッと組み立てて運転していく。

 

山の上みたいな高台に住んでいて、そこの行く道が昔からの道でデカい車だと離合できないような道路だったりする。

 

頭取の自宅前に到着し、ピンポンを押して、お手伝いさんに、「〇〇株式会社の〇〇と申します。 お中元をお持ちしましたので受け取りをお願いします」 と伝える。

 

なぜか、時間経って、「奥さまはお会いになるそうで、奥にどうぞ」 と案内される。

 

『今日は土いじりをしていますので、こんな格好でごめんなさいね~』 と挨拶される。

 

そこから1時間とか雑談し、『これをお持ち帰りになって』 と手塩に掛けて育てていた鉢植えをもらう。

 

1時間くらい公道にエンジンかけたままにしていた黒塗りの車に乗り込み会社に帰る。

 

予想よりも時間かかってしまったので鉢植えを抱えてデスクに戻り、お手伝いさんに受けとりをお願いしたら家の中に入れと言われ1時間程雑談し、「もう会社に戻らないといけませんので続きはまた」 と言ってお土産をいただきましたと上司に報告する。

 

『えっ、お前家の中に入ったの?』 と上司が驚き笑っていた。

 

後で自分よりも先に入社して働いていた年齢も変わらない人とかに訊いてみたら、いつも部長が持参しても中に招き入れられないと言っていた。

 

たぶんね、お手伝いさんが仕分けをされていると思うのです。

 

でも、なぜか園芸の趣味をされている奥様に、「これは会った方が良いと思います」 みたいに言ってくれた感じだと思うのです。

 

1時間程趣味の園芸の話をされ盛り上がっていた感じのところに、「もうこんな時間になってしまいました。 あまり油を売っておりますので私が叱られてしまいますので、続きはまた今度という事で」 と言ったら、すごく高そうな鉢植えを渡されてしまいました。

 

たぶん、『たいへんよくできました』 みたいな感じだと思うのですが、「これどうやって持って帰ろうか」 と少し迷う感じもありました。

 

箱に入っているわけではないので、うっかり急ブレーキを踏んで枝とか折れたら渡す時に言いづらいじゃないですか。

 

会社員になった時に、「これはテストかなあ」 と思うものに、人当たりの良さみたいなものを実践で確認している感じがあると思うのです。

 

どんなに良い有名な国立大を出ていたところで、「えっ、あの三之橋くんを銀行とかに行かせているの? それやめてよ」 と誰かが言えば、その仕事はできなくなると思うのです。

 

じゃあ、大学生時代に、「俺は将来企業に入社しお中元を銀行頭取の自宅に配達して、そこで奥さんのおばあさんに臭味の園芸の話をされると思うので、練習しておくかあ~」 という人はいないと思うのです。

 

ある時、「じゃあ、これをやってみて」 と言われやらされる感じなので、それができる方が少ない気がするのです。

 

できたら、それは合格となり、できなければもうその仕事とかは回ってこなくなる。

 

攻略するまでの時間がない。

 

一緒で、「声の大きさはこういう感じで、このくらいのしゃべる速さで、こういう言葉を使うか」 みたいに組み立てないといけない。

 

何を喋って良いのかが思い浮かばずにダンマリとなれば、それは重たい空気になるだろうし、かといって、チャラいというのも考えないといけない。

 

あくまでも私個人の考え方みたいなものとして、大学を卒業して会社員とかになった時に、「その人がほんとに仕事ができるの?」 というのは、そこの会社ですでに働いている人が判断すると思うのです。

 

とりあえずその人は、高校を卒業しているとか、大学を卒業しているという事はわかっている。

 

自分の経験などで、「俺の部下にしても良さそうだ」 くらいの判断もできている。

 

でも、人というのはわかるようで、わからないところもあると思うのです。

 

あくまでも上司の人とかが、「この三之橋という男はしゃべってみて感じが良い」 とか感じてくれた場合でも、社内で働かせてみた時に、周りの社員という既存の社員が馴染めないとかあると、やはり既存の社員を大切にしようと考えるので、「じゃあ、三之橋は営業とかに廻すか」 みたいになると思うのです。

 

例えば、新型コロナウィルスが流行った2020年とかに、リモートワークを主体に・・・ みたいに自宅でノートPCとかで仕事をするとかの在宅系みたいになり、「それまで気にならなかったけれど、さすが1日ずっと主人と一緒に居るとうんざりして、離婚した」 なんて人が急増していたじゃないですか。

 

飲食店を経営している人が家賃など補助金をもらえるとかで、家にいたりする。

 

そのような場合でも、ずっと長くいるとその人の嫌なところが見えたりして、うんざりするとかある。

 

昔から、会社員だった人が定年退職をして、じっと家に居るようになると奥さんとか子供とかが嫌がるとかあるので、その定年退職した人が車に乗って出掛け、行くところがないのでショッピングモールの立体自走式お客様駐車場で昼寝しているとかあるじゃないですか。

 

福岡市立の幼稚園とか、福岡市立の小学校とかに通ったチビッ子時代から始まる学生時代というのは、大学卒業で終わる。

 

社会人となり、会社員となった時に、隣のデスクとかですでに働いていたOL姉さんとかが、「あの三之橋さんが隣に来てから集中できない」 とかになると、さすがに内勤職とかは無理となると考えられるので、そうなるとショックは受けるかなあ~ と思うのです。

 

大学に男友達といつも車で大学に行く。 それは狭い車内という空間で一緒に過ごせて嫌だと思われなくても、同じ年齢という事でそうなっているだけかもしれない。

 

さすが会社員になれば、女性OL姉さんとかお局さまとか、バラエティに富んでいるので、そこでは拒絶されるのかもしれないじゃないですか。

 

その確認をしておく事で後々の人生が占えるかなあ~ と思う感じ。

 

「私は会社員ゲームに参戦して、果たして上の方まで行けるのだろうか」 みたいなカッコいい話ではない。

 

最初に躓けば、ずっとそんな人生になり、会社で疎まれ、家に帰れば奥さんに疎まれ、子供に疎まれという人生かなあ~、 それは重たいので避けたいなあ~ と願う感じ。

 

根がグ~たらな人の判断基準というのは、「自分がカワイソウな人生かどうか」 みたいな感じ。

 

例えば、お金をあり得ないくらい持っている家に生まれた人がいて、その人が幸せそうなのか? という視点では幸せから遠ざかっている人生というケースもあるじゃないですか。

 

『俺はデカい会社に入って絶対に金持になってやるぞ」 とお金を目標にしても、それは幸せとは直接関係ない気がする。

 

まあ、無いよりは在った方が良いとは思うのですが、絶対的なものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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