今日は、末っ子の高校の入学式だった。
朝、顔を洗っている息子に
「これいる?」と腕時計を差し出して尋ねた。
顔を洗面台につきだし、下をむいたビシャビシャの顔のまま
「うん」と、うなずいた。
テーブルの上においたのだが、家を遅れてでてきた息子は
「時計は?」というので「テーブルの上」というと、
怒っていた。
そして、わざわざ取りに家に帰った。
私は、それがとても、うれしかった。
腕時計をした息子が
「これ、レディースってわからないよね」といった。
生意気で生意気で仕方ない息子が、母親のお下がりの
女性物の腕時計をしている。
腕時計は、彼が、3歳のときにすぐに壊した
ケロケロケロッピー以来だ。
****
物持ちがいい私は、中学にはいるとき、親戚の伯母さんに
入学祝として腕時計をかってもらった。
その時計を私は、30年くらい愛用した。
修理して修理して、新しいのが、いくつも買える位なのに、
それをつかった。
高校受験のとき、大学受験のとき、就職して働いていたとき、
結婚したとき、子供をつれて、海外で、英語学校にいっていたとき、
帰国してつらい目をして車の教習場に通っていたとき・・・。
途中、ロンジンの時計が手にはいったり、
おしゃれウォッチをもらったりしたこともある。
しかし、それらの時計は、私の手許に残らなかった。
ロンジンの時計をなくしたときは、すごくショックだったが・・。
ご縁がなかった、といってしまえば、それまでだ。
ずいぶんたって、その伯母さんが、
みるに見かねて、自分がしている腕時計をはずして
そのまま、くれたことがある。
私は新しい時計が欲しいのではなく、
今も大事にしている、ということをみせたかっただけなので
もらった時計は、全然、使わなかった。
ちょっと困った。
あるとき、姑が、やはり、孫である長女に自分の時計を上げたことがある。
昨年は、友人が、海外にいく娘さんを成田まで見送りにいったら
腕時計をしていなかったので、急いで、親からもらった腕時計を
渡したのだそうだ。
「オメガやってんよ」と友人はいった。
さて、私が、今朝、息子に贈った時計は、数年前に
昔、大事にしていた時計と同じタイプだったのと
お手頃なお値段だったので、某デパートで買った、
ノーブランドのものである。
私が好きなタイプで、使いやすく、重宝していた。
それを、息子は、「これいいな~」とときどき、欲しそうにしていた。
彼の細い腕には、ぴったりだった。
私は、ケチだし、自分の大事なものを人にあげたりしたことがない。
一度だけ長女に片方なくしたダイアのピアスをあげたら、見事になくされたので
もう、絶対にあげない。
次女にさえ、自分の大事なものは、お下がりにしないのである。
さて、どうして、息子には、腕時計を譲ったか?
自分がしている、腕時計を血がつながったものに
贈る、という行為に憧れていたのだろうか?
「お守り」という意味合いがあるのを
息子が、知らないでしてくれるのを願っているのだろうか?
息子には
「大事にしてね」といった。
息子は、
「どうして、くれるの?」と尋ねた。
「もう、お金がなくて、新しいのを買ってあげられないから」といった。
母は、幸福の王子のように、これから、自分の大事なものを
子供たちに、願いをこめて譲るのである。
「でも、それ、高いだろ?」といった私が今日している腕時計。
確かに、これは、高いほうかもしれない。
でも、ドレスウォッチだから、普段はしない。
普段、身につけるのは、そんな高級品はしない。
「やっすいのを買うから」といった。
自分が、使いやすい腕時計は、なかなか、出会えない。
今、安い使い捨ての時計はそこらへんにあるし、
いたるところに、時計がついているから、持つ必要もあまりない。
でも、左の手首に、内向きに腕時計をするのが
私は、好きなのだ。
新しい時計に出会えるかな?
とりあえず、死蔵している時計を電池交換してみよう。
すごく、流行おくれのモデルだが、仕方ない・・・・。
朝、顔を洗っている息子に
「これいる?」と腕時計を差し出して尋ねた。
顔を洗面台につきだし、下をむいたビシャビシャの顔のまま
「うん」と、うなずいた。
テーブルの上においたのだが、家を遅れてでてきた息子は
「時計は?」というので「テーブルの上」というと、
怒っていた。
そして、わざわざ取りに家に帰った。
私は、それがとても、うれしかった。
腕時計をした息子が
「これ、レディースってわからないよね」といった。
生意気で生意気で仕方ない息子が、母親のお下がりの
女性物の腕時計をしている。
腕時計は、彼が、3歳のときにすぐに壊した
ケロケロケロッピー以来だ。
****
物持ちがいい私は、中学にはいるとき、親戚の伯母さんに
入学祝として腕時計をかってもらった。
その時計を私は、30年くらい愛用した。
修理して修理して、新しいのが、いくつも買える位なのに、
それをつかった。
高校受験のとき、大学受験のとき、就職して働いていたとき、
結婚したとき、子供をつれて、海外で、英語学校にいっていたとき、
帰国してつらい目をして車の教習場に通っていたとき・・・。
途中、ロンジンの時計が手にはいったり、
おしゃれウォッチをもらったりしたこともある。
しかし、それらの時計は、私の手許に残らなかった。
ロンジンの時計をなくしたときは、すごくショックだったが・・。
ご縁がなかった、といってしまえば、それまでだ。
ずいぶんたって、その伯母さんが、
みるに見かねて、自分がしている腕時計をはずして
そのまま、くれたことがある。
私は新しい時計が欲しいのではなく、
今も大事にしている、ということをみせたかっただけなので
もらった時計は、全然、使わなかった。
ちょっと困った。
あるとき、姑が、やはり、孫である長女に自分の時計を上げたことがある。
昨年は、友人が、海外にいく娘さんを成田まで見送りにいったら
腕時計をしていなかったので、急いで、親からもらった腕時計を
渡したのだそうだ。
「オメガやってんよ」と友人はいった。
さて、私が、今朝、息子に贈った時計は、数年前に
昔、大事にしていた時計と同じタイプだったのと
お手頃なお値段だったので、某デパートで買った、
ノーブランドのものである。
私が好きなタイプで、使いやすく、重宝していた。
それを、息子は、「これいいな~」とときどき、欲しそうにしていた。
彼の細い腕には、ぴったりだった。
私は、ケチだし、自分の大事なものを人にあげたりしたことがない。
一度だけ長女に片方なくしたダイアのピアスをあげたら、見事になくされたので
もう、絶対にあげない。
次女にさえ、自分の大事なものは、お下がりにしないのである。
さて、どうして、息子には、腕時計を譲ったか?
自分がしている、腕時計を血がつながったものに
贈る、という行為に憧れていたのだろうか?
「お守り」という意味合いがあるのを
息子が、知らないでしてくれるのを願っているのだろうか?
息子には
「大事にしてね」といった。
息子は、
「どうして、くれるの?」と尋ねた。
「もう、お金がなくて、新しいのを買ってあげられないから」といった。
母は、幸福の王子のように、これから、自分の大事なものを
子供たちに、願いをこめて譲るのである。
「でも、それ、高いだろ?」といった私が今日している腕時計。
確かに、これは、高いほうかもしれない。
でも、ドレスウォッチだから、普段はしない。
普段、身につけるのは、そんな高級品はしない。
「やっすいのを買うから」といった。
自分が、使いやすい腕時計は、なかなか、出会えない。
今、安い使い捨ての時計はそこらへんにあるし、
いたるところに、時計がついているから、持つ必要もあまりない。
でも、左の手首に、内向きに腕時計をするのが
私は、好きなのだ。
新しい時計に出会えるかな?
とりあえず、死蔵している時計を電池交換してみよう。
すごく、流行おくれのモデルだが、仕方ない・・・・。