Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

坂東武者とアメリカンショートヘア

2009年04月14日 | Weblog
以前は、床の間に飾った。

お雛様は、やはくしまわないと、
という慣わしがあるが、鎧兜のしきたりをしらない私は
「せっかくのもの、もったいないから、飾っておこう」と
数年、出しっぱなしであった。

だから、うちの息子は、なんでもさっさとせず、
遅刻を平気でする人間になったのか?
とおもって、出すのが恐ろしくなった。

今、和室に寝ている人いた。

ええい~!いいや~!
だしちゃえ!

埃が一番、舞い散るリビングに飾ってみた。
東向きだけどいいかな?
コンセントも近くていい。

こういう節句ものには、神経を使いすぎて
面倒になっていた。
お雛様だったら、こんな雨の日や
大安でない日には絶対に出さない。
しかも午後・・・。

出してみたら、お雛様に比べてなんと楽なこと。

片付けられるかな?
それがとても心配。

突如、現れた坂東武者に猫のたい吉は
興味津々。
お雛様だと、やはり、猫の毛が心配で、ここに飾るのもいやだが、
まあ、いいか・・。
埃も、ごみも平気な息子の鎧兜だし。

今は、息子がまともに学校にいってくれることを
ひたすら、願っているので、親たちが贈ってくれた
この兜をみて、思わず、手を合わせて拝んでしまった。

部屋の明りを消して、提灯をつけると
とても恐い~。

今年は、端午の節句を堪能できたらいいな。

鎧兜

2009年04月14日 | Weblog
息子が、入学させていただいた高校に
何回かいっているうちに、
この鎧兜を出したくなったのである。

校舎の中に石碑がある。
「坂東武者 ここに集えり」とかかれてあった。

「坂東武者!?」

旧制中学時代の校歌にも「坂東武者」という言葉があり、
質実剛健、オノコの道を大事にする土地柄のようだ。

先日の入学式のかえり、駅まで歩いていたら、
商店街の中で、大きな、鎧兜をお二人(鎧兜の数え方、なんだっただろう?)
見かけた。(驚)

春祭りには、武士の行列があるようだ。

必ず見る大河ドラマも、今年は戦国時代で、
鎧兜だらけ。

桜を愛でて、和歌を詠む文化が大好きな私としては
自分は、ついていけないが、
「そうそう、我が家の鎧兜もだしてほしいということだろうか?」と
感じたので、今日、がんばってみた。

鎧兜

2009年04月14日 | Weblog
うちのは、一応、鎧兜がある。
息子が生まれたとき、
やはり、なんだかんだといいながら、
兜だけでは、満足せず、鎧の美を
博物館で眺めていた私としては、
鎧兜をかってもらったのであった・・・。

今日は、雨で、家でおとなしくしていたが、
ついに!
だしてしまいました・・・・・・。

端午の節句

2009年04月14日 | Weblog
お雛様が大事な私は、なんだかんだと
例年、最低、豆雛くらいは飾る。

ところが、さすがの私は、今年は、ダブル受験の真っ最中で
一切、飾れなかった。

もやもや・・・。

「じゃあ、端午の節句を久しぶりに復活しよう」とはおもっていた。

でも、いったんしまったものを出すのって、
すごく、面倒くさいのよね~。
おひなさまのあとで、出すのはもちろん、
しまうのも、面倒なので、この数年だしていなかった。

それで、とても簡単。
とりあえず、タペストリーを壁に貼った。

内祝

2009年04月14日 | Weblog
日曜日に、内祝を源吉兆庵から
おくってもらった。

子供に入学祝をいだたいた身内。
受験のとき、応援してくれた友人。
ときどき、気遣いをしてくれる友人に。

私は、内祝いというのは
おめでたいことにお祝いをしてくださった方へ
おめでたいの「おすそわけ」をしたい、
という気持ちで贈るものだとおもっている。

だから、いつまでにとか、定番のものを
には、こだわらない。

しかし、私なりのこだわりがあって
今回は、子供の受験なので、入学式の写真と
お礼の言葉を同封したかったのだ。

母からの「ちゃんとした?」という伝言を非常に
いやな気持ちできいた。
贈り物を義務的にするのが、とても嫌いだからだ。

「こういうときに気持ちいい贈り方ができるお店」という
課題に、私の頭の中でいろんな引き出しが引っ張られた。

某デパートは、ちょっと落ち着かないし・・。
というわけで、直営店にいってきた。

予算に近い詰め合わせを注文したのではなく
お菓子に詳しいお店の人と相談しつつ、
桜やこいのぼりなど、見た目に楽しいお菓子を
吟味して、やっとこさ、贈った。

行く前に桜模様の一筆箋にお礼を子供の名前でかいたのだが、
黒の筆ペンだけでなく、若葉を想像させるような色の筆でも
書いてみた。

お店は、いっとき、非常に混んだ。
そちらを優先してもらって、ゆっくりと
私の考えた趣向で贈ってもらえた。

昨日は、「ついたよ。ありがとう!」とのお礼の連絡がきた。
おおむね、好評でよかった。

お店で選んでいるとき、思いついて
家族に電話した。
これから、アメリカにいくのに、和菓子のお土産は
日本人に喜ばれる。
それで、「なにか買おうか?」といったところ、
「いらない!」とのことだった。

N.Yで、急に駐在している夫の仕事関係の人と会う事になって、
急いで、日本の食べ物かお菓子を探したら、
源吉兆庵があったのだ。

あれ以来、なんだか、気になる和菓子屋さんである。

いろんなところにあるし、鎌倉本店の前もよく通る。
しかし、テナントや混んでいるお店では、なんだか、あわだたしくて
結局、静かな直営店でゆっくり選ぶのが私の楽しみなのである。






一番簡単な通信法

2009年04月13日 | Weblog
一昨日、妹から電話があった。

母が、知人のお見舞いにいっていて
病室で、倒れたから、実家にいる、と。

貧血を起こしたらしい。

昨夜、知人のおばさんに電話をして
いろいろと聞いた。
母は、いくら電話しても会話中で、
つながらないからである。
誰としゃべっているのだろう?
まあ、大事にはいたっていないので
私は実家にかえらなくてもいいとの妹の伝言だった。

状況を聞くと、母の性質からしてわからないでもない。
なにかと、あたふたとしていて、きっとパニック状態に
なって、それがストレスになったのだろう。

私も同じ性格なので、様子はよく理解できるし、
倒れたといえば、倒れたことが何回もある。
しかし、まだ意識を失ったことがない。
パニック発作にしろ、過換気の発作にしろ、
意識を失わないので、余計、つらいことがある

最近では、そうならないように、自分のペースを
崩されるのを極端におそれている。
あえて、家族と別行動をとることがある。


「それにしても、びっくりしたよ。
でも、倒れたのが、病院だったので
看護は、完璧だったわ。」とおばさんはいった。

私は、おかしくて笑ってしまったが、
「あれが、自宅だったら、ダメだったかもしれない」といわれた。

その肝心の母は、妹が私への報告の電話をかけている横で
「内祝いをしたか?」とやいやいいっている。

だから、意識をとりもどして、身内がきて元気になったのだとおもう。

しかし、私は、これから、母に注意してもらいたいので
電話をかけたのだが、つながらない。
仕方ないので、さっき、はがきに走り書きの注意をかいた。
年賀状のあまりがたくさんあった。

ひとりくらしの母は、メールもファックスもないから、
電話がつながらないと、不便で仕方ない。
これから、あまった年賀状で、メールなみにコメントを送り続けようか?
とおもってしまった。

向田邦子さんのお父さまは、幼い妹さんが、疎開するとき
たくさんのはがきをもたせて、
「元気だったら、大きな○をかいておくるんだよ」といったそうだ。
その話を思い出した。
まさか、母に「大きな○をかいて」とはいえないから、
こちらから、せっせと書くしかないかなあ?


剪定

2009年04月11日 | Weblog
さっき、雪柳の枝を伐っていた。

今日、荷物が届いた。
その中にはいっていた相手の気持ちが
重くて・・。重くて・・・。

この、受け流せない気持ちを
抱えたまま、夕方の水遣りをして、
咲いたあとの雪柳の枝を伐り始めたら、
きること!きること!

今年も、たくさん、咲いてくれた。
植えたとき、苗だったのが、低木くらいに育った。

ちゃんとした手入れを知っているわけではないが、
花が咲いたあと、花殻をつみとるクセがついているものだから
「お花が咲いた枝をきって、根をやすませないと・・」
という気持ちだった。
そのうち、心の中で、話を始める。
「きれいに咲いてくれて、ありがとうね~♪」
「ああ、もう、虫がこんなにでているから
下のほう、さっぱりして、明日、消毒しようね~♪」
「フェンスから、コッチはダメだよ」
「あれ、はむかう気!?」
「ああ、痛かった?ごめんね。でも、もっとしっかりするために
きるよ~♪」
「こんなに、短くなって、大丈夫かな?
大丈夫だよね~♪
悪い芽は、小さいときに摘まないとね~♪」

声に出したら、危ないおばさんだが、私は、黙ったまま、
ずっと語っていた。

植物を世話していると、いろんなことを教えてくれるのである。
しかも、なれてくると、はさみを握る手の握力も
衰えていたのが、だんだん力がでてくるようだ。
心身によいものだ。

「家の中が、片付かないのよ。
仕方ないよね。
うちは家族が多いうえに、猫もいるし、
私、こうやって、花の手入れもしているしね~♪」

これでは、まるで言い訳をきいてもらっているようなものだが、
気持ちは、だんだん、晴れやかになる。

暗くなってきたので
「もう、この辺でやめよう。
明日、殺虫と、肥料をあげましょ~♪」

妖艶なまでに、枝ぶりを伸ばした雪柳ちゃんだったが、
今は、丸坊主の小僧の呈である。

心が思いとき、剪定をすると
心が軽くなる。
草花は、必要以上に切られる危険は
かなりある・・・・。
ご用心。

写真は、拾った桜姫たち。



朧月夜

2009年04月08日 | Weblog
桜が、満開の今日このごろ。

先週、お花見に二回いったが、
一回は、早すぎて、寒い中、仲間と
震えながらもずっとおしゃべりしていた。
それはそれで楽しかった。

写真は、私の「標準桜」である。
私の部屋から出たベランダから見える。

この桜が咲くと、全国的にお花見の頃になる。

今日は、夕方、洗濯ものをとりいれようとしたら、
正面の桜が夕刻の仄かな明るさの中で、
妖艶に咲き誇っている。
その真上から、満月に近い月が昇るところであった。

私は、お花見を一日に何回もする。

このあと、夜桜を観にいった。
こちらも、庭園を独占であった。
ものすごい、贅沢さ!


腕時計を譲る

2009年04月07日 | Weblog
今日は、末っ子の高校の入学式だった。

朝、顔を洗っている息子に
「これいる?」と腕時計を差し出して尋ねた。

顔を洗面台につきだし、下をむいたビシャビシャの顔のまま
「うん」と、うなずいた。
テーブルの上においたのだが、家を遅れてでてきた息子は
「時計は?」というので「テーブルの上」というと、
怒っていた。
そして、わざわざ取りに家に帰った。
私は、それがとても、うれしかった。
腕時計をした息子が
「これ、レディースってわからないよね」といった。


生意気で生意気で仕方ない息子が、母親のお下がりの
女性物の腕時計をしている。

腕時計は、彼が、3歳のときにすぐに壊した
ケロケロケロッピー以来だ。

****

物持ちがいい私は、中学にはいるとき、親戚の伯母さんに
入学祝として腕時計をかってもらった。
その時計を私は、30年くらい愛用した。

修理して修理して、新しいのが、いくつも買える位なのに、
それをつかった。
高校受験のとき、大学受験のとき、就職して働いていたとき、
結婚したとき、子供をつれて、海外で、英語学校にいっていたとき、
帰国してつらい目をして車の教習場に通っていたとき・・・。

途中、ロンジンの時計が手にはいったり、
おしゃれウォッチをもらったりしたこともある。
しかし、それらの時計は、私の手許に残らなかった。
ロンジンの時計をなくしたときは、すごくショックだったが・・。
ご縁がなかった、といってしまえば、それまでだ。

ずいぶんたって、その伯母さんが、
みるに見かねて、自分がしている腕時計をはずして
そのまま、くれたことがある。
私は新しい時計が欲しいのではなく、
今も大事にしている、ということをみせたかっただけなので
もらった時計は、全然、使わなかった。
ちょっと困った。

あるとき、姑が、やはり、孫である長女に自分の時計を上げたことがある。

昨年は、友人が、海外にいく娘さんを成田まで見送りにいったら
腕時計をしていなかったので、急いで、親からもらった腕時計を
渡したのだそうだ。
「オメガやってんよ」と友人はいった。

さて、私が、今朝、息子に贈った時計は、数年前に
昔、大事にしていた時計と同じタイプだったのと
お手頃なお値段だったので、某デパートで買った、
ノーブランドのものである。

私が好きなタイプで、使いやすく、重宝していた。
それを、息子は、「これいいな~」とときどき、欲しそうにしていた。
彼の細い腕には、ぴったりだった。


私は、ケチだし、自分の大事なものを人にあげたりしたことがない。
一度だけ長女に片方なくしたダイアのピアスをあげたら、見事になくされたので
もう、絶対にあげない。

次女にさえ、自分の大事なものは、お下がりにしないのである。

さて、どうして、息子には、腕時計を譲ったか?

自分がしている、腕時計を血がつながったものに
贈る、という行為に憧れていたのだろうか?
「お守り」という意味合いがあるのを
息子が、知らないでしてくれるのを願っているのだろうか?

息子には
「大事にしてね」といった。
息子は、
「どうして、くれるの?」と尋ねた。
「もう、お金がなくて、新しいのを買ってあげられないから」といった。
母は、幸福の王子のように、これから、自分の大事なものを
子供たちに、願いをこめて譲るのである。

「でも、それ、高いだろ?」といった私が今日している腕時計。
確かに、これは、高いほうかもしれない。
でも、ドレスウォッチだから、普段はしない。
普段、身につけるのは、そんな高級品はしない。
「やっすいのを買うから」といった。

自分が、使いやすい腕時計は、なかなか、出会えない。
今、安い使い捨ての時計はそこらへんにあるし、
いたるところに、時計がついているから、持つ必要もあまりない。
でも、左の手首に、内向きに腕時計をするのが
私は、好きなのだ。
新しい時計に出会えるかな?
とりあえず、死蔵している時計を電池交換してみよう。
すごく、流行おくれのモデルだが、仕方ない・・・・。



J.S. BACH - Jes醇T bleibet, Cantata 147

2009年04月05日 | Weblog
J.S. BACH - Jes醇T bleibet, Cantata 147


次女の入学式でこの曲を聴いた。
それを私は、不思議な思いできいていた。

次女がおなかにいるとき、この曲がはいったCDをききながら
お昼ねしていた。

つわりがきついので、私のマタニティー生活は
いつも、苦痛だったが、唯一、この曲をきいている間だけは
気持ちよくすごしていたような気がする。

この学校に、気持ちよく通えるように・・・。
この学校が、子供にとって、いい学校になりますように・・。

そんな気持ちで、聴いていた。
心が穏やかになる音楽だなあ~。